使命感と罪悪感
チュロスは電話した。直面している問題は15万をどう用意するかということである。このような人命の関わる非常事態とあっては、自分の信念などどうでもいいものだとかなぐり捨て一時的に金を貸してもらおうと考え、まず隣のドーナツに頼ってみることとした。だがドーナツが電話に出ることはなかった。待っている暇などない。次にホイップスに頼ってみることとした。だがホイップスが電話に出ることはなかった。次にアップルパイスに頼ってみることとした。だがアップルパイスまでもが電話に出ることはなかった。
チュロスは電話した。知り合いを片っ端から電話した。ワッフルスやショコランティス、パフェットやカシューナッツまで。ところが悪いことは重なってしまうと止めどなく、中々15万の用意に時間がかかっていた。ここでチュロスは最終手段を使うことを決意する。無意識にピザに伸びた右手は無意識の左手に強く叩かれていた。チュロスの決意に一切の揺るぎはない。
チュロスは電話した。自宅から指定された場所までの道中に悠々とそびえ立つビルの4階を占拠している消費者金融に。チュロスの社会的な信用力は亡き親の安定した不動産収入のおかげで絶大なものであった。電話でもろもろの手続きを済ませ、あとは指定場所へと向かう途中で現金を受け取るのみというところまで簡単に話を進めたのである。
左手に上級魔導師の持ちそうなくらい立派で頑丈な杖、右手に少し冷めた様子のマヨコーンピザ。全ての身支度を整えたチュロスはいよいよその230kgの巨体をベッドから浮かすのであった。
チュロスは絶望した。さきほど直面していた問題などハムスターくらい可愛く思えるような問題であったと感じた。普段歩くトイレまでの往復10歩のその先にこれほどまで過酷な世界が広がっていたのかと。チュロスが最後に10歩以上歩いた世界的にバケモンGOという位置ゲームの流行った8ヶ月前と比べてここまで退化しているのかと。生きるということはなんと残酷なことなのかと。それでもチュロスは進む。友を救うために。
一方で動き出した計画の進行状況をワサンボンは見ていた。懸命なチュロスの姿に序盤にして胸を打たれていた。何度も何度もマヨコーンピザを見つめている。よほど腹が減っているのだろう。それでもチュロスは歩みを止めない。
一歩進むごとに寿命をすり減らしているかのごとく眉間のシワが寄る。空腹の音は遠くから監視しているワサンボンの耳にも聞こえるほどであった。それでもチュロスは歩みを止めない。
流れる汗で晴天の乾いた地面は生き返り、路肩の花々が嬉しそうに踊っている。花々の陽気な舞とともにマヨコーンの誘惑の舞までも一層チュロスの弱体化を加速させようとする。それでもチュロスは歩みを止めない。
本部への報告をするワサンボンの目にも涙が浮かぶ。チュロスフレンズたちも流石にチュロスの友に対する思いを証明させられたとあっては作戦の遂行が苦渋となっている。だが、全てはチュロスのために。チュロスのためにこの誘拐工作を成功させなくてはならない。一同は心に再度作戦の完遂を誓った。
チュロスは電話した。突然であった。本部の受話器が鳴り響く。涙をぬぐい鼻をすすりドーナツが両頬をパンパンと叩き険しい声で電話に出る。
「なんだ?」
「もしもしチュロスだ。一つ思ったことがある。」
「なんだ言ってみろ。」
「15万って少ないように思うが、本当にそれでシナモンティウスを生きて返してくれるのか?」
完全に怪しまれている。本部にも〈確かにー〉といった雰囲気が流れた。改めて考えてみれば身代金の相場として圧倒的激安プライスであったことは間違いない。惨事である。ここでバレては惨事である。だがここまでの流れで学んでいたドーナツはこう続ける。
「もちろんだ。約束は守る。」
「そうか。聞き間違えを心配したのだ。急いで向かう。くれぐれもシナモンティウスには指一本触れてくれるなよ。」
やっぱりマジちょろいとドーナツが舌を巻く。ゴリっと推せばすぐに信用してしまうチュロスにメンバーたちは先ほどの涙とは打って変わり面白くなっていた。もちろんのことチュロスのためである。全てはチュロスのための面白さであった。
チュロスは絶望した。やっとの思いでたどり着いた目の前のそびえ立つビルの4階には目当ての15万円がある。そのビルのエレベーターが使用不可となっていたことに。チュロスにはもはや階段などというエベレスト級の山を登る力など残っていない。ここからは気力で進むしかない。
ワサンボンは見ていた。目に浮かぶ涙で視界などぐじゃぐじゃであった。それでも友の勇姿をしっかりと見届けようと。みんなにチュロスの思いを伝えねばならぬ責務を全うしようと。
チュロスは歩みを止めない。階段の一段一段が断崖絶壁の途方も無い幻と重ねて見えてきても。
チュロスは歩みを止めない。ここへきても延々に誘惑を続けるマヨコーンが必要以上に香ってきても。
チュロスは歩みを止めない。辿り着くまで。
しかし、無情にもチュロスの意識は遠のく。今にも倒れそうになったその時、チュロスの肩を支えた者がいた。
ワサンボンは見ていた。いや、見ていられなかった。
「お前は…」
遠のく意識の中で差し伸べられた手にチュロスの意識がハッキリと戻る。チュロスの肩を支えた者の正体はワサンボンであった。
途端に本部がざわつく。ワサンボンの作戦を忘れた行動にシナモンティウスはじめ全員が驚き、作戦の失敗を残念がった。同時に本部の面白くなっちゃう空気とは温度差のある現地でのワサンボンの判断に、賞賛する雰囲気も芽生えていた。
チュロスは言った。
「誰だか知らぬが恩にきる。」
「・・・。」
ワサンボンは唖然とした。チュロスの声はワサンボンの繋ぎっぱなしの電話から本部の元へと届く。
一同は驚愕した。ワサンボンは一言で言うなら影の薄いやつであった。界隈では無人にちなんでムジンボンというあだ名もつけられているほどだった。ただ、本人が無自覚であるため中々扱いの難しいやつでもあった。当然今回の配役においてもその影の薄さを活かした起用であったことはワサンボン本人以外周知の事実であったが、まさかチュロスに誰だか認識されていないとは夢にも思わなかった。
「疲労困憊で私のことを忘れたのだな。可哀想に。さぁ進もう。」
ワサンボンはこのように切り返した。一同はとうとう面白くなってきちゃっている。ワサンボンはアホでも有名なやつだった。界隈では無知にちなんでムチンボンというあだ名もつけられているほどだった。当然これも本人が無自覚であるため扱いは常に難しいやつだった。
ともあれワサンボンの助けを借りなんとかチュロスは4階へと到達。そして念願の15万を受け取ることに成功したのだった。
チュロスの現在地のビルはすでにチュロスフレンズ本部の200mほどの距離のところに位置している。本部では緊急で話し合いがなされた。チュロスの元へ予定外にワサンボンが割り入ったことを加味すると残り200mというのはあまりに容易いものとなってしまう。それにこの面白い時間がすぐに終わってしまうのも興がない。当然チュロスのためであるが、ここで作戦を一部チュロスのために変更することとした。
その旨をチュロスに伝える。
「もしもし、チュロスであるが。」
疲れ切った様子で電話に出るチュロス。
「チュロスか。もう一度言うが貴様が一人で来ぬならシナモンティウスの命はないぞ。」
「そんなことなどわかっている。」
「ならば貴様に手を貸すやつは誰だ。」
「なぜ、私の状況がわかる。」
「答える義理はない。ペナルティとして条件を加えるぞ。」
「くっ!なんだ言ってみろ。」
ドーナツが新たな条件をチュロスに提示する。
「まず指定場所を変更する。」
「なんだ。そんなことなど実に容易いわ。どこへでも向かってやろう。」
「それともう一つ。貴様の手に持つそのピザ。さぞ邪魔だろう。隣の人間にすべて食べてもらうのだ。」
「!?」
「一つでも間違いを犯せばシナモンティウスの命はない。あと隣の人間のケータイをポケットに入れておけ。いいな。」
「問題ない!必ず救うぞ。シナモンティーウス!」
ドーナツの悪役っぷりが実に名演であった。序盤と比べると新人俳優から実力派俳優くらいのステップアップであった。ここまでくると一同は少しばかりシュンとしてきた。〈少しやり過ぎているのではないか〉が場を埋め尽くす。それでもシナモンティウスは冷静だった。なぜなら全てはチュロスのためだからである。一周回って一層チュロスの友を思う心に目頭が熱くなってきていた。
チュロスは逆鱗した。シナモンティウスを拘束し、ここまできて指定場所の変更などとふざけたことづくめの悪党たちに。そして目の前のマヨコーンピザを美味しそうに頬張る見ず知らずのワサンボンに。
そしてチュロスは決意した。必ずシナモンティウスを救った後に悪党たちをブン殴ると。全てが終わればマヨコーンピザをたらふく食べると。
かくしてチュロスのための作戦はいよいよ最終局面へとチュロスのために移行していくのであった。
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