歩けチュロス
田名崎剣之助
必ず君を救う
チュロスは安堵した。複数の知人から勧められている人間ドッグの受診に10万をも超える金額がかかることに。チュロスは豊満な身体を持ち、膨大な食欲を持ち、自身が乗ってもビクともしないフカフカのベッドを持っていた。また230kgを有するその巨体の中に詰まる他者への愛情と底知れぬ包容力は多くの友人に「超心配」という3文字を抱かせる魔力に充ち満ちるほどであった。つまるところチュロスは人間ドッグを勧められる機会が地域レベルではNO.1の回数を誇っていたのである。
チュロスは心を痛めていた。自身への優しさに答えてあげられないことに。チュロスは極度の病院嫌いで、重度の面倒臭がり、他者への愛情の跳ね返しなのか自身への愛情は欠如していた。また人生を長引かせるより短くも快適な暮らしを選ぶことが美しいと考えていた。つまるところチュロスは周囲の優しさを無下にしないように丁度いい感じの口実を探していたのである。
チュロスは安堵した。自身の収入支出状況ではとても人間ドッグを受診できないことに。チュロスは職を持たず、貯蓄を持たず、まとまったお金を貸してくれるような親族を持っていなかった。また他者から金を借りることなどあってはならないという信念を重んじていることを周囲に認知されていた。つまるところチュロスが人間ドッグを受診することは経済的に解決のしようがない問題によって阻まれて止むを得ないのである。
チュロスの生活は朝が遅い。ピザ屋が鳴らすチャイムを目覚まし時計代わりに12時頃に起床する。一日3回の出前はもはやチュロス特別の月額制で代金は亡き親の残した不動産収入で賄っている。当然そのほとんどが日々の食費に消滅するため貯蓄としてはゼロに等しいが意外にも恵まれていることは事実であった。その日の朝、いや昼はマヨコーンピザを頬張るチュロスの元に友人の中でも大のつく親友シナモンティウスが訪ねてきた。
シナモンティウスは憤怒した。これまで幾度となく行ってきた忠告を無視し、またもや昼間からピザを頬張るチュロスの姿に。シナモンティウスはかなりの心配性で、とんでもなく小心者で、何事にも用心する頭の回る臆病者であった。それゆえにチュロスの健康状態にひどく頭を悩ませていた。シナモンティウスの憤怒もいつものことと気に留めないチュロスにシナモンティウスは言いよった。
「チュロス、お前のことが気がかりでならぬのだ。どうか人間ドッグを受診してはもらえぬか。」
「シナモンティウスよ。お前のその言葉だけで私は充分満たされている。それに私には人間ドッグを受診するだけの蓄えがない。残念だが諦めよ。」
「チュロス、蓄えならあるではないか。お前のその身体に、いくらでも。1ヶ月だけでよい。出前を2回にはできぬのか。」
「友よ。それは無理な願いである。此度はもう引き返すがよい。」
「チュロスよ。私は何度でも君を救いに来るぞ。」
シナモンティウスは帰宅した。大親友チュロスの心を今日も変えられない自分自身への不甲斐なさと共に。
シナモンティウスには考えがあった。チュロスを健康にする術を模索する中である作戦を思いついたのである。チュロスの特筆点など承知していた。食以外への興味がないこと。まぎれもない事実であったが、ただ一点。一点の突破口がある。それはチュロスが度を超えた愛情の持ち主であることだ。普段は照れ隠しで表に出すことはないが、チュロスが腹の底では平和を誰よりも望む人間であることを知っていた。それも友に対しての情は特に深い。
シナモンティウスは決意した。チュロスのために自身を人質とした誘拐工作に乗り出すことを。誘拐工作のシナリオはこうだ。
①チュロスに電話をし大親友のシナモンティウスを誘拐したことと無事に返して欲しくば15万円と出前のピザを指定した場所までチュロス1人で届けることを伝える。尚、ピザは食べていない状態に限る。
②タクシーやバスに乗れないチュロスは歩いてやって来る。そのため現金とピザを届けてフラフラであろうチュロスをそのまま救急搬送する。
③医者にかかったところで持ち合わせた15万でできる検査を半ば無理矢理行う。
という流れであった。
幸いなことに必要なキャストに名乗り出てくれる協力者を見つけることなどチュロスの人を惹きつける魔力をもってすれば容易であった。集まったメンバーはシナモンティウスを含む5人。配役としてまず誘拐犯役はチュロスの隣の部屋に住むドーナツに任せることとした。ドーナツはチュロスの生活サイクルを誰よりもよく熟知している。電話での様々な条件を要求する会話の中で少しでもこちらが優位に話を進められるよう咄嗟の機転を利かせやすいとの判断で起用に至った。続いて音声担当はホイップスに任せることとした。ドーナツの電話の際に本人の声では当然誘拐工作がバレてしまう。その点をホイップスの持っている機械関係のスキルで補うこととした。その他にも拘束されたシナモンティウスを撮影するカメラ係にアップルパイスを。チュロスが指定場所まで向かう道中の監視係にワサンボンをそれぞれ起用することとした。これにて準備は万全。作戦は明朝決行される。
夜が明け、誘拐工作参加メンバーは共に朝活をして士気を高めた。優雅なティータイムである。このあと引き起こす大事件を全く予感させない優雅なひと時はチュロスフレンズたちの闘志を静かに激しく燃え上がらせている。そしていよいよピザ屋の出前がチュロス宅のチャイムを鳴らす。ドーナツはタイミングを見計らって電話をかけた。
「もしもし、こちらチュロスであるが。」
「チュロスか。貴様はシナモンティウスの友か?」
「友であることがなんなのだ?」
「シナモンティウスは預かった。シナモンティウスの命が惜しくば言うことを聞くがよい。」
「なんだと?デタラメを言うなど貴様こそ命が惜しくないようだな」
「これを見るがよい。」
アップルパイスがシナモンティウスの拘束されたライブ動画をチュロスのパソコンへ送信する。
「貴様、シナモンティウスに危害を加えてみろ。ただでは済まさぬ。」
「そうだ。それでよい。ようやく信用したな。」
「何が狙いだ。」
「金とピザだ。」
「・・・。」
静かな沈黙の5秒を取り戻すようにもう一度チュロスが尋ねる。
「ん?何が狙いだ。」
「金とピザだ。」
「・・・。」
チュロスは冷静に言い放つ。
「え、ピザも?」
「も、もちろんである。」
完全に怪しまれている。ドーナツが放った焦り感は一挙に拡がりキャストたちの心は一斉に不穏な空気で埋め尽くされた。ところがシナモンティウスだけは至って冷静である。彼はわかっていた。チュロスは優しい人間であるが故に、すぐに他者を信用する人間であることを。仮に怪しんだとしてもシナモンティウスの苦しむ姿を見せてゴリ推しすればどんな条件でも飲み込むことを。
「チュロス、貴様に選択の余地はない。今すぐ金15万と届いたばかりのピザを届けよ。もちろん貴様一人でな。さもなくばシナモンティウスの命はない。」
シナモンティウスの名演技をアップルパイスがさきほどとは違うアングルで映す。
「大丈夫か!シナモンティウス!!」
完全にチュロスは筋書きの上であった。シナモンティウスの読み通り、大親友の苦しむ姿を前にもはや疑いなど抱いていなかった。
「さぁ、シナモンティウスの居場所はパソコンに送った。早く届けるのだ。」
「しかしなぜ出前ピザのタイミングを知っておるのだ。さてはお前はドーナツか!?」
「!?」
完全に怪しまれているどころか、ご名答であった。ドーナツの誘拐犯役起用は咄嗟の機転もクソもなくむしろ盛大なキャスティングミスとなって作戦通りに進むことの難しさを思い知らせていた。ドーナツには焦りの向こう側のもはや当ててくれて嬉しいとでも言わんばかりの表情が垣間見える。キャストたちはかなり強めの諦めモードに入っていた。特にワサンボンなどは何の仕事もしていないのに無念そうな顔をする。ところがそんな中でもシナモンティウスは尚落ち着き払ってる。彼は知っていた。チュロスは98%の嘘でも友の一声でその嘘を信じてしまう人間であることを。過去に幾度となくシナモンティウスが購入したスーパーの特売の肉を特上A5ランクだと言い張り、ゴリ推しすれば心から信用して嬉しそうに食べてくれていたことを。
「チュロス、シナモンティウスが話したがっているから少しだけ代わってやろう。」
ドーナツが戦線を離脱し受話器をシナモンティウスが受け取る。
「チュロス、私だシナモンティウスだ。」
「おお、シナモンティウス!無事で何よりだ。」
「ああ。だがお前が金とピザを届けてくれねば私はこの黒覆面の者共に殺されてしまう。」
「待っていろ。金などすぐ用意し必ず君を救う。」
完全にチュロスは筋書きの上であった。マジちょろいとシナモンティウスは舌を巻く。一同はちょっと楽しさを覚えてきていた。今まで言葉だけでは身体をベッドからほんの少しでも浮かせることすらできなかったチュロスのその巨体を遠隔操縦するかのように簡単に動かすことによる征服感に苛まれていた。当然すべてはチュロスのため。あくまでもチュロスのために、チュロスのための作戦は次のステップへとチュロスのために移行していくのであった。チュロスのために。
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