第5話

子役になんかなりたくなかった~あるカウンセラーの逆転移~第五章


平成二十二年冬――


僕達は精神保健士の資格を受かり、大概のクリニックなどに落ちたが私をカウンセラーとして拾ってくれる会社が一つだけあった。面接の時から胡散臭いとは言わないけれど、やる気のなさそうなクリニックだなと思った。私を雇ってくれるようなところはそういうところでしかないのだ。しかも収入が安定しておらずクライエントが継続してくれるのが顕著に見られれば、週の中で仕事も増えるということだ。しかし週二回の仕事では収入が足りないので、そのことを相談したら、他の時間に事務や雑用をすれば時給900円のバイト代をもらえることになった。いつも事務の仕事がある訳ではないが、会社のこともいろいろ覚えたいし、できるだけ事務や雑用の仕事をもらうことにした。忙しい事務処理は時には勉強になる。僕は頑張った。就職活動中、僕は新田とも連絡を取りあったが、やはり世の中の厳しさは、相当のものだった。職に就けたということはまだ好運であるらしい。彼は東京のクリニックやデイケア、病院の面接はすべて全滅で、途方に暮れたところ千葉の実家の近くのコネで何とか仕事にありつけたそうだ。それも今人の足りていないクリニックで講習を受けるという前提でカウンセラーの仕事が決まったそうだ。それでも僕達は、一応二人で就職することができ、二人で飲みに行った。僕達は世の中の就職難やその他もろもろの暗いニュースをすべて吹き飛ばすよう、ひたすら楽観的に、意図的に盛り上がった。これから起こる現実の影の部分に対して一抹の不安も感じずに。




 一カ月以上経ち、給与を貰ったが手取り十五万ももらえなかった。そんな収入でも僕は安いアパートを借りて一人暮らしがしたいと思った。会社は渋谷駅から歩いて行けるところにあり、渋谷へ通じている電車はいくらでもある。東京にこだわらなくてもいいけれど、ネットで探すと、バス通いなら、東京でも安く住めそうなところはあった。僕は駒沢大学駅からバスで十五分位の場所の小さなアパートを見つけた。一人住まいに慣れていない僕はなるべく部屋に物を置かず必要最低限の物だけ持ってきて、あとは実家に置いてきた。小さな部屋にベッドと机と本棚だけが三つ置かれ、それは人間味を感じさせることなく、静かで淋しい部屋に見えた。本棚にもほとんど本は並べておらず、大きな“臨床心理学大辞典”だけが無機質に横たわっていた。キッチンのテーブルも一人にしては大きく、実用性から考えると少し不自然で、またコーヒーメーカーだけがただ無愛想に置かれている。まめでない性格が、こんな形で侘しい思いにさせるのだと、僕は肌で感じた。朝はパンとコーヒーとバナナを食べればいい方で、食パンを切らして、セロリと牛乳だけを飲んで出社することもあった。こんな家でもこんな食生活でも人は生きていけるんだ。そう思った。フランクルの『夜と霧』で数々の医学的常識の理論が覆されたように。


 ある日、珍しく夜の七時まで事務の仕事が残って、僕は進んでそれを引き受けた。七時過ぎにそれを終わらせたとき、残っていたのは僕と所長の山西さんだけだった。山西さんはいつも優しく、しかし現実的で、たまに針でチクリと刺すような厳しい言葉を与える所長だった。この数カ月働いて、社会不信の僕でもようやくこの所長には信頼感を持てた。所長はいつも口数が少ない。と言うより、言っている言葉が端的なのだ。ディリュージョンを持った僕とは正反対で。こんな寛容な人がいるから、意地の悪い先輩も以前に採用されることが出来、僕のように現実とあまり向き合えない人間でも採用されたのだろう。どうやら、それは当たっていた様だ。山西さんが、

「渡邊君。君は今日はこの後予定あるの?」

「いえ。帰って御飯食べて、特には……」

「もしよかったら飯でもどうだ?」

「所長とですか?」

「ああ。それと金の事なら心配しなくていいよ。一人暮らししているんだろう。安い居酒屋でいいんならそれくらい出すよ」

「私はいいですけど、なんか悪いですねえ」

「よし、じゃあ決まった」

 山西さんは部屋の戸締りとすべての電気のスイッチの場所を僕に教えて、僕達は渋谷の街に出て行った。僕はただ所長に附いていき小さな店に入った。店内はそれほど騒々しくもなく、仕切りも十分にあった。僕と所長はまず生ビールを頼んで、そのあと山西さんが適当に注文した。僕にも、

「何か食べたいものあるか?なんでもいいぞ」と、言ったが僕は、

「所長が頼んだものなら何でも構いません」

と、遠慮し、所長は低く笑った。

 所長が何か僕に尋ね、それに対して僕が答え、断片的な会話が続いた。しばらくして所長の口からこぼれた。

「渡邊君。君の採用の時のことだけどね」

「はい」

 僕は持っているジョッキを置き少し姿勢を正して耳を傾けた。

「意見が分かれたんだよ。君に対して」

「私に対してですか?」

「そう。君を採用した方がいいと思う側と、しない方がいいと思う側でね」

「はあ」

 僕はテーブルの料理に目をやり、また所長のビールに目をやり、そして所長の顔をチラチラ見ていた。

「断然、採用しない方がいいと思う側が多かった」

「そうですよね。やはり」

 所長はビールをグイッと一飲みして、

「でも私は採用の側にいたがね」

「そうですか。では採用できたのも所長のおかげですね」

「まあ、そうなるかな」

 僕達は窓の外の明治通りを見ては料理をつまんだ。

「私が君を推した理由は、君が純粋だったからだよ」

「僕が純粋?」

「そう。理由はただそれだけ」

「そうですか」

「実際働かせてみて、純粋というのは当たりだったね。私も渡邊君位の歳の頃は純粋だった」

「はあ」

「だからここまでこれたのかもしれない」

 僕はずっと真剣に耳を傾けていた。

「当然採用の審議の時、純粋が取り柄で、この仕事は務まらないとの声があがった」

「ええ」

「でもこの仕事は最初の十年はたいして使い物にならないんだ。だから私から見て、大抵の奴らは心配の種である奴らばっかりだ。どうせ心配なら同じだろう。私は昔の自分に似た君を採用した。吉と出るか凶と出るか分からないけど」

「所長から期待されていれば、もう頑張るしかありませんね」

「分かってるじゃないか」

 所長は食器を下げる店員に枝豆を注文した。

「それと渡邊君。君職歴があるんだったね。子供の頃」

「ああ。あれですか。子供の頃ちょっとテレビで子役を」

「ちょっと普通とは違う人生だね」

「そうですね」

「でも今、普通の人生を生きている奴らなんかいないよ。皆各々自分だけの数奇な体験を持っている。現在に限ったことじゃないがね」

「そうですね。大学に入るまでは私も自分自身皆と違う人間と思っていました。良くも悪くも。」

「分かるよ。そういうの」

「でも大学で友達ができて」

「まともになった。少なくとも面接の時には」

「そうですね。大人になればいろいろなことが考えられますね。子供の頃の、僕にとってのテレビの世界はあまりにもヘビー過ぎた」

「ヘビーか」

「そうです。そんな表現しかできませんが」

僕達は小一時間以上、その居酒屋で飲んでいた。外のネオンは綺麗だった。いい人といると、いろんなものが綺麗に見える。所長が言った。

「しかし渡邊君。純粋というものはある意味厄介なものだよ。いろんな意味で厄介だ。それは最初から分かっていたことだがね。でも君も大人にならなくてはならない。成長してタフになって、人生の伸びしろ広げなくてはならない。今のままではクライエントに飲み込まれるぞ。逆転移なんて事も……」

 

僕達は九時半には店を出て別れた。田園都市線に揺られながら、所長に逆転移という言葉を回想した。

“転移”医学用語では癌腫内腫などが原発した部位から、遠隔の場所へ移って新しい腫瘍を作ることを意味する。心理学用語では“転移”は様々な使われ方があるがその一つとして、クライエントが心理士に小児時代の感情をそのままカウンセラーに向けること。またクライエントが、カウンセラーに恋愛感情を持つ事を意味する場合もある。逆転移とはその逆でカウンセラーがクライエントに恋愛感情を持つ意味もある。

 私自身、正直な話クライエントの人生に、かなり関心を持つ時がある。一年目だからあまり担当しないが、とかく、統合失調症の患者の話などは面白い。僕は一年目だから、たいして助言を与えず、ただ聴いているだけであるが、ある統合失調症患者の話を聞いていた時だった。私の場合、傾聴時、タイプを念頭に置きながら聴くよう努めている。その患者の話の裏には、彼のもとの外向的感情型の性格と外向的思考型タイプの葛藤と思われるもので、もともと感情型タイプに偏った性格だったが、意地の悪い思考型タイプの人と出会い、外向的思考型が彼を占拠してしまった。自分のもともとのタイプを取り戻すため、また、さらなる高度な成長へ繋げる為、戦っていた。必死で感情を取り戻す。自我と共に、感情を優位に立たせようとしているように思えた。しかし彼の話は、内面に向ける事をせず、専ら外の面、著名な作家や政治家の話だけで何かと戦い、葛藤を持っているだけだった。自民党が出てきたり、民主党が出てきたり、日本共産党が出てきたかと思えば、作家の三島由紀夫が出てきたり、私は引き込まれるように聴いていた。

「先生も私と一緒に革命に参加してくださいますか?」その問いでハッとした。俺何聴き入っているんだろう。まあそんなこともあるが、実際には逆転移なんて事は、私の場合起こり得ないものだ。中にはクライエントにかなり感情移入してしまうカウンセラーもいるが、それはカウンセラーの性格にもよる。つまり感情移入しやすいタイプのカウンセラーと、そういうことはめったに起こらないカウンセラーがいる。私は後者だった。クライエントに本気で引き込まれることはない。私は逆転移の起こりえるカウンセラーは、カウンセラーにふさわしくないとすら思っている。だから所長の“逆転移”という言葉だけは、はずれだと思った。所長は私のことを分かっていない。私はそういうタイプではない。ただそう思っていた。


 僕は家に帰り、疲れた体を癒すため、また喉を潤すため、冷蔵庫からポカリスエットを出して飲んだ。ベッドに数十分横たわり考えごとをした。今日もクライエントの自殺願望に悩まされた。自分一人なら生きていけるが、自殺未遂を繰り返す人の、心の弱さはどうしようもない。そのクライエントと心の上で共に歩んでいかなければならないのだが、一歩間違えれば引き込まれてしまう。何でこんな仕事を選んでしまったのだろうと思ったりさえする。

“人は何故簡単に自殺するのか?”


 僕はデスクに向かいXPのパソコンを開いた。そして興味本位で自殺に関する情報を見てみようと思った。googleで自殺観光ツアーと打って検索した。しばらくして出てきた画面には、

“あなた一人で悩まないで、きっと道が開ける筈。命のコールセンター03-****-****”

 そんなのが目に入った。僕は納得した。そうだよな。簡単に自殺出来ないよう世の中がしっかり見守っているんだよな。それにしても自殺観光ツアーに行っている人達はどうやって集まっているんだろう?他のキーワードがあるのか?自殺、じ・さ・つ、2・3・2で検索した。

“キーワードが見つかりません”

 また試してみた。

し・に・た・い

四・二・た・い

“キーワードが見つかりません”

四・二・体

“キーワードが見つかりません”

四・二・大

“キーワードが見つかりません”

四・二・対

“キーワードが見つかりません”

四・二・他意

“キーワードが見つかりません”

四・二・態

“キーワードが見つかりません”

 打ち込みながら何やってるんだろう俺。そう思った。

四・二・鯛

“キーワードが見つかりません”

 俺は馬鹿か。カウンセラーが何してるんだろう。疲れているせいかな。

四・二・帯

 そう打ち込んでパソコンから離れようとした。

“そうだ。冷蔵庫にアイスがある。飲んだせいで何か甘いものが食べたいな。”

そんなことを考えていたが、今度はなかなか、

“キーワードが見つかりません”の文字が出てこない。何かひっかかったようだ。

 パソコンが明らかに、何かを検索している様だった。

 途端綺麗な風景の写真が出てきた。デスクの方に歩みもどり、その画面をようく見ていた。

“十和田湖で人生の美を飾りませんか?”

 何だ?人生の美を飾る?十和田湖と言うと東北の……確か青森、秋田に接している……えっ、まさかこれが……

 僕は一気に酔いがさめる様に食いついた。そして“書き込み”の所をクリックしてみた。僕が正に興味の持っているところだ。カウンセラーの前ではない彼らは、どのように暴走し、どれだけ美しい死の世界にとり憑かれているのだろう。少し恐いものもあったが、それは案外予想の範囲内のものが書かれているだけだった。


 悪魔店長。殺したい。でも殺したら犯罪になる。周りにも迷惑がかかる。あの悪魔のために代わりに僕が死ぬ。僕は尊い犠牲者だ。十和田湖。いいとこだ。有終の美を飾るには最高。


 いじめやめて。いじめやめて。いじめやめて。いじめやめて。いじめやめて。いじめやめて。何でみんな気付かないの?憐憫という気持ちはないの?今年中原中也と同じ歳になりました。もう悔いはありません。


 十和田湖ですか。いいですね。皆さんと会いたいです。始めて出会う皆さまと、この狂った世界と決別するのですね。私の敬愛する寺山修司さんや太宰治さんの傍で死ねるのなら……


 僕はそれらの書き込みを読んでいて大して驚きはなかった。普段仕事で聴いている話がそのまま鎖から外れ暴走した。ただそんなイメージしかなかった。弱いんだ。死にたいのではない。現実から逃れたいのだ。死の世界にいいものが待っている訳ではないのに。なぜ戦わない。なぜいつか春が来ると信じて待っていられない。記憶の中の宝物ばかり大事にして、なぜ新しい世界を切り開こうとしない。自分の力で。なぜ若いのに死にたがる?カウンセリングに来て回復し、新しい道を切り開いた人は、以前の自分が自殺未遂をしたことに対して、「あの時死ななくて良かった。生きているって素晴らしい」そう思えるようになる人がたくさんいるのに。

 僕はこれらの書き込みをカウンセラーとして放ってはおけない気持ちだった。

“十和田湖か。一応警察にでも報告しとこう。集合場所は?”

 僕はそれらの書き込みをスクロールしてヒントを探した。スクロールしている途中ある言葉が僕の注意を引いた。

“子役”

 そう確かに子役という言葉が今出た。少し戻ってみた。その時の驚きは、僕の人生の中で類がないほど信じがたいものであり、また僕を根底から震撼させた。


 私はSという子役をしていました。今は芸能活動はほとんどやめ、喫茶店でバイトをしています。バイトの人もみんな私のことを知っています。それが辛いです。普通に育ちたかった。テレビなんて大嫌い。そんな私でも一つだけ仕事をしていて楽しいと思える番組がありました。それは『大人にはまだ早い』という番組です。この料理ありえないをやったり、結ばれなかったけどカップリングみたいなことをしたり、私をふった人、誰だっけ?そうだ。豆。本名は、ええと……まあいいや。みんな楽しい思い出です。私は人生の中でやるべきことを子供のうちに、すべてやってしまったのです。完璧を求められる人生です。少しのずれも決して許されない、美の中でだけの人生。子供らしさなんて微塵もなかった。今は何をしていても無意味にしか思えません。私は死ぬべき人間です。これは私の判断ではありません。世間の判断です。少なくとも私にはそう聞こえます。

 


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