第7話 龍門館道場

日本最大の湖、琵琶湖。

その琵琶湖の南東、甲賀と呼ばれる地域の山中にある信楽の里、そのさらに山奥、大阪や奈良から伊勢へ向かう交通の要衝ではあるが、結構な山奥の伊賀の国。

実は、近江の国甲賀と伊賀の国は隣接しており、紀州の根来の里や雑賀の里もすぐ近くにあり、この一帯は、日本忍者の聖地と言っても過言ではないだろう。

しかしながら、その境界線は奥深い山中そのもの。

それぞれの忍者の里は、人里離れた、さながら隠れ里。

近江の国甲賀信楽の里と伊賀の国阿山の里の境界線近く。

山奥のそのまた奥の山奥。

突然、巨大な寺院のような建物。

山門には、毘沙門天が鎮座。

門をくぐると左右に2階建ての住居がずらり。

日本忍術最大最強の忍術学校である龍門館の学生寮である。

学生寮の間の通路を通り抜けると右側に校舎、校舎の前は空間が広く取られている。

校舎の前を通り抜けると、また右側にお寺の本堂のような建物。

この建物の前も、広い空間の続き。

この本堂のような建物、本尊の役割に、毘沙門天の立像が安置されている。

本堂の隣り合わせの直角に曲げる位置、すなわち山門からは、一直線の真正面に当たる場所には、一際大きな、まるで天守閣のような建物。

教員棟、教室棟である。

すべての建物が渡り廊下で繋がれているため、建物を行ったり来たりするだけでも、かなりの距離になる。

教員教室棟の最上階に、戸澤白雲斎の居室が設けられている他、この建物の上層階には、教員達の居室及び職員室が設けられている。

教員教室棟から渡り廊下で続く形で、売店棟が設けられている。

コンビニのような売店、洋服を販売する売店、ホームセンターのような売店等々、生活物資はすべて揃うようにしてある。

教員教室棟と売店棟の裏手に、かなり巨大な池。

池を囲んで周回の小路。

教員教室棟の真面目辺りに小さな庵と祠。

祠には、龍神が奉られている。

この池に棲むと太古の昔から信じられてきた。

庵には、まだ住人はいない。

季節は、もうすぐ秋。

池の畔の紅葉が色づき始めている。

その日は、朝早くから本堂で、慎太郎が真言を唱えていた。

『阿耨多羅三羃三菩提アノクタラサンミャクサンボダイ。

オンベイシラマンダヤソワカ。』

『ヴァイシュラヴァナよ、我に力を授けたまえ。オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ。』

ヴァイシュラヴァナとは、毘沙門天の梵名である。

毘沙門天は大日如来に仕える四天王の一人多聞天のことであり、武を司る武神として多くの武将達の信仰を集めてきた。

しかし、よく考えてみれば、慎太郎自身、斎天大聖の称号を持つ天上人の化身。

神頼みも何も必要はないはずなのだが。

慎太郎自身は、気付いてはいるのだが、敵に気取られてはいけないという用心。

現段階では、その敵というのも仮想である。

普段なら、一通り真言が終われば食堂に向かうのが、慎太郎の一連の行動だが、その日はなぜか池の周回を歩き出した。

池の周回を三周して、祠の前で立ち止まった。

『アノクタラサンミャクサンボダイ。

オンベイシラマンダヤソワカ。』

また先ほどの真言を唱えている。

すると、池の中央辺りに渦が起こり、晴天だった空が、にわかにかき曇った。

直後、渦の中央から天空高く龍神が立ち上った。

その後、また何事もなかったかのような晴天に戻り、穏やかに1日が流れた。

夕焼けが美しい日没前、慎太郎が、また真言を唱えながら池の周回を歩き出した。

だが、今回は雅が寄り添い、宗幸が少し離れて着かず離れず。

慎太郎、多少の困惑はあるものの、この二人に隠すようなことはないのか、意に介さない。

池を三周、回ったところで、例の祠前に立ち止まり、例によって真言を唱え始めた。

『アノクタラサンミャクサンボダイ。

オンベイシラマンダヤソワカ。』

雅と宗幸には、慎太郎のこの奇妙とさえ思える行動の意味がわからない。

慎太郎の真言が止まって、池の中央に、例の渦が表れた。

と同時に、晴れていた空がかき曇り、八匹の龍が天空より帰ってきた。

自然現象とは、考えられないことを平気でやってのける慎太郎。

雅は呆れたように自身の許嫁を見つめていた。

『慎太郎殿は、すでに八大龍王を手なずけてしまわれたのですか?。』

八大龍王など、手なずけられるものではないことぐらい、宗幸にもわかっている。

しかし、慎太郎が八大龍王を自由自在に操っているようにしか見えなかった。

慎太郎は、何者かによって、池に閉じ込められていた八大龍王の封印を解いただけで、池を住処として龍王が棲み易くして、彼らを呼び戻しただけのこと。

八大龍王にしても、自分達が閉じ込められていた封印を解いてくれた慎太郎に感謝している。

たまたまこの時が、その瞬間だっただけのことで。

この時から、八大龍王は何かと慎太郎の手助けをするようになった。

この日の頭の勤行の時、真言を唱える慎太郎の右耳に、何者かが話しかけてきた。

『龍王池の池底深く封じ込められている八大龍王を助けてくれ。』

慎太郎は、その声に従ったまでのことで、声の主が何者なのかもわかってはいない。

翌朝早く、日課になった勤行で真言を唱える慎太郎。

『昨日はよくぞ、儂の言うことを聞き入れて、八大龍王を解放してくれた。

これまで、斉天大聖がそなたの守護をしておったが、本日只今から儂が、そなたの守護をしてしんぜよう。』

慎太郎は、慌てた。

『お待ち下さい。

あなた様はいったい。』

そう、慎太郎はまだ声の主が誰だかわかっていない。

その時、本尊の毘沙門天立像と慎太郎の間に金色に輝く光の道ができた。

『儂じゃよ、慎太郎。』

声の主は、毘沙門天だった。

『なんと、毘沙門天様が僕の守護神になって下さるとおっしゃるのですか?』

『さよう、儂が守護しなくても、

そなたは、生まれながらに天上人の力を持っているのだがな。』

慎太郎は、もちろん感じている。

『僕は、何者なんですか?』

『そなたは、斉天大聖じゃよ。

だから、妖術や呪術が使えるのじゃよ。』

『毘沙門天様、僕が、斉天大聖ということは、僕は、孫悟空なのですか?』

『その通りじゃ。

だから、筋斗雲が扱える。

知っておるものとばかり思うておったが。』

『ハイ、感じてはおりました。

まだ、子供であるつもりの僕が、大人にもできないような呪文を無意識に。

不思議でなりませんでした。』

実は慎太郎、感じてはいたものの、確信してはいなかったのだ。

この時に、ようやく確信が持てたと言っても、今までと、何ら変わったとは感じない。

何を思ったのか、不意に立ち上がった慎太郎、戸澤白雲斎の部屋に向かった。

『お爺様、俺の守護神、毘沙門様だって。』

龍門館に入学してからは、何事も祖父白雲斎に報告している慎太郎。

『慎太郎。新たに毘沙門様が守護して下さるということは、そなたの身の回りに、何事かの危険が迫っておるのやもしれん。

注意することじゃ。』

さすがに白雲斎は、理解できている。

『お爺様よぉ。龍神池の庵、オイラに住ませて下さい。』

慎太郎の本心は、それだった。


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霧隠 慎太郎 隠れ里 近衛源二郎 @Tanukioyaji

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