チェリーボーイのシャル・ウイ・ダンス

@keneese1976

第1話烏川にて


 あれは蒸し暑くて、うさんくさい、禁断の西洋屋敷での一つの夏のことだった。近所の烏川(からすがわ)河川敷の近くの古い西洋屋敷に幽霊がでるという噂がある。

 僕と河野内凱斗(かいと)はその烏川の河川敷にキャンプに行った。凱斗は昔からの親友だった。凱斗は僕を琉生(るい)と呼び、僕は彼を凱斗と呼ぶ。幼なじみで、水入らずの関係だ。僕は凱斗の家に何度も遊びに行ったし、泊りにも行った。凱斗の母さんも僕のことをよく知っている。凱斗も僕の家に何度も遊びに来て、何度も泊まりに来ている。僕の母さんも凱斗のことをよく知っている。

 僕達は群馬県のある田舎に住んでいた。二人とも二十歳の大学生。でも僕は群馬の大学に、凱斗は東京の大学に行った。凱斗は昔から学業が秀でていたが、家は貧乏だった。夏休みなので凱斗は群馬に帰省してきた。凱斗のエピソードとして、小学校から一緒の奴らはみんな知っていることだが、凱斗が小学五年生のとき、学級委員兼、飼育委員だった。凱斗は正直でまじめな奴だったが、うさぎの餌のためにクラスからみんなで毎月一人十円ずつだしたお金の余った分を参考書を買うため使ったことがあった。凱斗は参考書もなかなか買ってもらえないほど貧乏だった。

「河野内さん。学級委員である人が飼育で集めたお金を自分のものにしていいのですか?」

「みんなのお金を自分のものとして使うなんて学級委員失格じゃないですか?」

 当然クラスのみんなから批判の嵐を浴びた。凱斗は、

「すいませんでした。すいませんでした」

 先生の横の教壇の上でみんなの前で泣きながら謝った。そのとき凱斗はクラスのみんなの前で土下座をしたんだ。僕は凱斗が可哀想で仕方がなかった。

 凱斗は高校進学で私立の慶応大学も合格圏に入っていたが、なんせ家が貧乏だから僕と同じ群馬の公立の学校に入った。その高校では成績は学年トップだった。凱斗より成績が悪かった人でさえ、僕達の中学から四人、横浜の慶応付属高校に入り寮生活をしていたそうだ。彼らは金持ちで私立の高校に入りながらも寮に入っていた。

凱斗は高校のとき、高校の授業料が払えない学生がいる現状の中、奨学金制度の見直しのため、夏休みに横浜で募金活動をしていた。ちょうど僕は群馬から横浜に遊びに行ったとき、凱斗を見つけ、おどかしてやろうと、しばらく離れて見ていた。サラリーマンと思われる、四十代くらいの男が凱斗の募金箱に十円を入れる。たったの十円だ。凱斗は「ありがとうございました」そう頭を下げていた。なんだか不憫に思えた。

僕が凱斗の前に出て行こうとしたとき、あの慶応に入った四人組が凱斗の前に現れた。

「なんだ、河野内じゃねえか」

「お前こんなとこで募金活動してんのかよ。偉いねえ。たくましい」

「誰?誰?」

「ほらあの飼育委員の河野内」

「ああ、河野内。そう、いた。いた」

 四人は皮肉っぽく大笑いをした。

「じゃあ、俺千円入れとくや」

 四人のうちの一人が財布から千円札を出して、凱斗の募金箱に入れた。

「千円も。すごい。たくま。優しい」

「まあ、頑張れよ。河野内」

凱斗は、「ありがとうございました」そんな風に深々と頭を下げた。そのときの凱斗はなんというか、本当哀れで、惨めな姿だった。凱斗の前に姿を現そうと思っていた僕は、凱斗に会わず、その場を立ち去り、群馬の家に帰っていった。

そんな凱斗は今や東京の、東京工業大学の学生だ。国立で難易度的にも慶応を上回っている。僕は群馬の大学に進学した。

そして古屋敷のそばの河川敷で今晩車でキャンプをしに行った。

僕はうまく話をするのが下手というか要点をおさえて話をすることができないが、僕が言いたかったことは、僕と凱斗は大の親友で、世の中、最後には頑張ったものが勝利する。なんてったって凱斗は東京工業大学の学生だ。国立の大学だ。でも親友が国立の大学に入った自慢話の一つくらいしたって罪ではないだろう。二人とも大学三年生だ。

僕達は河川敷に行って買ってきたビールを出して、チーズ、ミックスナッツ、ピザポテト、そして、ねぎとろ巻きや納豆巻きを出して二人でパーティーを始めた。

「かんぱーい」

 凱斗は言った。

「おい琉生(るい)こんなとこでキャンプをやってて本当に大丈夫かな。例の古屋敷のそばだろ」

「なにどってことないよ。あれは俺達が小学校、中学校の頃のつまらない噂話さ。幽霊なんて出るわけないよ」

僕はそう言った。凱斗は

「ところで琉生、お前大学で彼女できたか?」

「いや、できないよ。凱斗は?」

「彼女なんてできるわけないだろ。東京工業大学は野郎ばっか。彼女どころか、女の子と話す機会もない」

「じゃあ二人とも童貞ってことか」

「そういうことだな」

 凱斗は、

「それにしてもあそこの古屋敷に出ると言われている幽霊なんだけど実在してたって言われてんだよ。それは僕が東京工業大学にいっているときにゼミの先生に聴いたんだけどさ。信用できる話らしいよ。おまけにそのゼミの先生。あの古屋敷のこと知ってるんだって」

「古屋敷を知っている?どういうこと?」

 僕が言うと、

「つまりだよ。ゼミの先生、その古屋敷に幽霊が出るって話まで知ってるんだよ。なんでも江戸時代から伝わる日本の歴史を覆す秘密があるから君にも幽霊の話はできないって。政府にも関係してるって」

「怪しくねえ?その先生。何で大学の先生が幽霊の話まで知ってるんだよ。あれは僕達子供達の間だけの噂話。古くからの迷信だよ。そんなのありっこないよ。何を教えている先生?」

「ゼミで知り合った宗教学の先生。俺があの幽霊屋敷の近くに住んでいました。あの近くの出身ですって言ったら、その先生くいついてね。詳しくそれを教えてくれって」

「宗教学?やっぱり怪しくね?その先生。でも何だか俺も怖くなってきたよ」

 僕が言うと、

「琉生もそうか。俺も少し怖くなってきた」

そして僕は言った。

「ようはその古屋敷に近づかなきゃいいんだろ。あの中に入ることはまずないから」

「そうだな。琉生。あの屋敷の中にさえ入らなければ、幽霊に会うことはない。近づかなきゃいい話だな」

「そうだよ。そうだよ」

 凱斗は

「でもなんか怖くなったら、小便したくなってきた。ちょっと川で小便してくる」

「ああ、気をつけろよ」

 そして僕は一人残された。

 なんだか凱斗がいなくなると、心なしか心細くなってくる。風が、自分が風鈴にでもなったかのように虚しく身体を突き抜ける。夏だからまだ明るいけど、もう夕方七時を回っている。どういうわけか、凱斗がなかなか帰ってこない。

“どうしたんだ。おかしい”僕は思った。

“まさかもう僕達は幽霊の世界に足を踏み入れてしまったのか、凱斗と僕は幽霊の力で引き裂かれたのか”

 そう思ったのも取り越し苦労、凱斗は戻ってきた。だがずぶ濡れだ。おまけに猫を抱えている。

「どうしたんだよ、凱斗ずぶ濡れじゃないか」

「ごめん。川辺で猫が溺れていたんだ。そして助けに行ったら……」

「服どうすんだよ。乾かさなきゃ」

「琉生。マッチ持ってるだろ」

「持ってるけど燃やすものがない。たき火やったって、裸になったら風邪ひく」僕は言った。

「家に帰りたくても、俺達二人ともお酒飲んじゃったしな」

「そうだ」僕が言うと、

「何かいい案が浮かんだのか?」

「いや、でもこれはまずいなあ」

凱斗は、「何だよ。言えよ」

「いや何でもないやめとこ」

「言えよなんだよ」

「なあ凱斗。あの古屋敷あんだろ。あそこの中に暖炉があるらしいんだ。家の中だから服を乾かしている間、裸でも風邪をひかない」

「古屋敷に入るってことか?」

「いやでもいい。君子危うきに近づかず。屋敷には入んないよ。忘れてくれ。自然乾燥」

「でも俺風邪ひいちゃうよ」

「我慢しろよ」

「二人で行こうよ。お前、幽霊なんて迷信だって言っただろ」

「お前の方こそ東京工業大学の先生が実在した人物って言ったろ」

 僕達は二人でしばらく黙った。

 夏だけどもう夜なので冷たい風が吹く。

「行くか」僕が言うと、凱斗も、

「行ってくれる?よし。じゃあ、行くか」

 二人で屋敷の中に入った。ドア付近で、

「押すなよ。琉生」

「えっ。俺なにもお前の背中なんて触ってないぞ」僕が言うと、凱斗は、

「おかしいなあ。今確かに押されたと思ったんだけどなあ」

「気のせい。気のせい。気にしない」

 そうして僕達は屋敷の中に入った。屋敷の中は見事なシャンデリアがある。西洋風の屋敷だ。かなり大きな屋敷なので一歩間違えると迷路になる。中に入ると暖炉があった。薪まである。そのとき電気がついた。

「えっ?何で電気がつくの?電気なんて通ってないはず。ここには人が住んでないはず」

 僕が言うと、凱斗は真剣な顔をして、

「琉生。いいか。よく聴け。俺達はもうすでに幽霊の世界に足を踏み入れてんだよ。もう引き下がれないんだよ」

「怖いこと言うなよ。だいたいお前が子猫なんか助けるから」

「それを言うなって。とにかく暖炉がある。紙もある。マッチで火をつけて」

 僕達は火をつけ、薪を燃やし、凱斗は服を脱ぎ乾かした。

「紙もっと燃やせ」凱斗が言うと、僕はあることに気が付いた。

「紙に何か書いてあるぞ。ええと……凱斗君、琉生君……えっ?何これ」

「何て書いてあんだよ。続き読めよ」

「凱斗君、琉生君。この屋敷の秘密を解決すれば無事帰してやろう。秘密を解決できなければ……」

 そのとき大きな地震があった。

「なんだこの地震」僕が言うと、

「幽霊の仕業じゃないか」凱斗はそう言った。震度七くらいの地震に思えた。そのとき凱斗は言った。「見て」

 凱斗が指差したのは玄関だった。玄関が陥没している」

 凱斗は言った。「どうしよう。帰れなくなった」僕も、

「まさか玄関が陥没するなんて。これやばくねえ。やばくねえ」

 そのときだった。僕達は確かに見た。この目で。現実とうそ話が交錯する気分だった。

「お母さん。一緒にいたいよう」

 僕達が目にしたものは子供の幽霊だった。小学校二年生くらいだろうか。随分古めかしい服を着ている。しかし古めかしいがどこかおかしい。洋風の服を着ている。そして子供はなにかを持っている。聖書だ。と思った瞬間、子供が消えた。

「消えた」凱斗は言った。

「やばくねえ。やばくねえ。どうしよう。逃げようよ」僕が言うと凱斗は言った。

「いや、俺には東京工業大学のゼミの先生に伝える義務がある。この屋敷の秘密を暴きたいし」

「でも俺は嫌だよ。幽霊なんて。俺一人でも帰る。だいたいお前が子猫なんて助けたりするから。そうだ携帯でレスキュー隊を呼ぼう。一一九と」僕は一一九に電話した。

「ツーツー」

 あれ電話が通じない。

「この電話はある幽霊の力で今現在ご利用できないようになっています」

音声がそう言った。

「どうした琉生?」

「携帯が使えない。幽霊の力で使えないようになっている。どういうこと」

 凱斗は言った。

「いいか琉生。もうお前は早くから幽霊の世界に足を踏み入れているんだ。もう踏み入れているんだよ。」

「そのようだな」そのときだった。僕達は確かに見た。確かに。もう僕らは半ば病的な非現実にどっぷりつかっているようだった。

「ああ、可哀想な我が息子。私達の忠告を守ったばかりに、こんな残忍な仕打ちを。子供までが」

 今度は女性の幽霊が現れた。先程の幽霊の母親と思われる。やはり古めかしい西洋の服を着ている。この女性も右手に聖書を持っている。そうして消えた。僕は、

「やばいよ。やばいよ。何とかして逃げようよ」そう言ったが、凱斗は、

「いや琉生。俺達が助かる道はただ一つこの屋敷の秘密を暴くことだよ」

「屋敷の秘密?」僕が訊くと、

「ただあの幽霊親子に共通していることはだな……」

「聖書。二人とも聖書を持っていた」

「そうなんだ。二人とも聖書を持っていて、俺の東京工業大学の先生が専攻していたのも宗教学。これが偶然の一致と思えるか?」

「いや。なんか、あるね」

二人は黙った。そして一時間くらい僕達はこの謎を解き明かすため語り合った。でも答えは出なかった。

「そろそろ服乾いたようだ」凱斗はそう言って服を着た。

「何かお腹減ってきたな」凱斗は言った。

「何言ってるんだ。こんな時に」僕がそう言うと、

「とにかくのども渇いた。おい。シャンパンでも飲むか?」凱斗は言った。

「こんな古屋敷にシャンパンなんてあるわけないだろ」

「まあ心配するなって」

「だいたい冷蔵庫がない」

「あるよ」凱斗は僕を導いた。どうやらキッチンのようだ。

「ほら」

 そこに僕が目にしたものは冷蔵庫いっぱいに入ったシャンパンだった。

「えっ?うそ?なんでこんなとこにシャンパンが。しかもシャンパンばかりがこんなにたくさん」

「まあそんなこと気にするなって」

「飲もうぜ」二人で一本ずつ瓶を手に取った。

「いいのか」

「ああもちろん」

「じゃあ乾杯」

 僕達は瓶と瓶をぶつけ乾杯した。凱斗はシャンパンを開けずに瓶を振り出した。

「おい凱斗。どうすんだよ。それを」

 凱斗はにやけながら、僕の言葉に構わず振り出した。そしてシャンパンを開けた。凱斗はシャンパンが溢れる瓶を僕の方にかけた。

「おい。やめろよ。服が濡れる」

「いいんだよ」

「野郎。じゃあ俺も」

 僕はシャンパンを手で押さえ瓶を振った。そして凱斗にかけた。

 僕達は二人で笑いころげながら、シャンパンをかけあった。僕は、

「おい、大丈夫か。こんなことしてて。またあの幽霊が出てきたらどうする?」

「俺が出てこないようにとりはからってやるよ」凱斗は言った。

「馬鹿。何でお前がそんなことできるんだよ」

 二人でシャンパンをかけ合い、笑い、宝石のようなシャンデリアの下で走り回った。

 

 いつの頃からだったかなあ。僕達は不本意に大人になって、年だけは二十歳なのに大人になりきれなくて……でもいっちょ前に痛みだけは感じやがる。僕達は芸術家にはなれないよ。上手く自分を表現できないんだ。何もないんだよ。俺達には。笑っちゃうね。本当に今時の駄目な若者だ。

 二十年目の現実逃避。

 もし現実というものを騙せるのなら、今宵は華麗に舞いたい。嘘と分かっている栄光にでもすがりたい。僕達は小さな部屋で膝を抱えて怯えてばかりじゃだめだってことを一番僕達自身が分かっている。

 凱斗は酔っぱらってきたのか、きざなことを言った。

「シャル・ウイ・ダンス?」

「おい、お前酔っぱらってんのか?」

「なあ、琉生シャル・ウイ・ダンス?」

「はっはっはっ面白しれえや凱斗」

 僕達は二人ででたらめなダンスを踊った。

凱斗は言った。

「俺達大学三年生だってのに、結局童貞で終わったな」

「何言ってんだよ。まだまだこれからだよ」

「なあ琉生。高校のときの、あの音楽部のセレナちゃんて子どう思う?」

「ああ、そう、髪のサラサラしたお嬢様。最高に可愛いね」

「どうしたい?あの子と」

「手をつなぎたいね。そうしてキスをしたい」

「俺なんかもっとすごいこと考えてるよ」凱斗は言った。僕は、

「どうするんだよ?」

「あの子に俺のあそこしゃぶってもらいたい」

「お前すごいこと言うなあ。あんなお嬢様に。どうしたんだよ。今日はお前らしくないぞ」

「そうして出そうになる前にな……」

「おい。よせよ。らしくないぞ」

「言わせろよ」

「おい本当よせよ。本当らしくないぞ」

「想像だけは自由だろ」

「おい、よせったら」

「いい思いさせてもらって、出そうになったら今度はセレナのあそこにぶっこんでやる。最後までいってやる」

「はっはっはっすげえよ凱斗おまえどうしちゃったんだよ」

「はめをはずしてやるんだよ。ぶっ飛んじゃおうぜ。とことん。ぶっ飛んじゃうんだよ。とことんな」

 一生に一度しかない青春。今宵は華麗なる舞踏会。二人のチェリーボーイが生意気なステップを踏んで、宝石のようなシャンデリアの下で、でたらめなステップで踊る。

 その頃の僕達は曖昧だった。いろいろな意味で曖昧だった。でも僕達は生きているんだ。

「なあ、凱斗僕達は生きているんだ」

「そうだな」凱斗は野獣のような鋭い目で無言の返事をした。

「大学卒業まで、まだ一年以上ある。どっちが先に童貞を捨てれるか競争だ。凱斗。俺達はまだまだチャンスはあるだろ。東京工業大学だってチャンスはあるだろ」

「そうだな」凱斗は小さくそう言った。しけた花火のように本当に小さく、「そうだな」とポツリそう言った。

 その後も凱斗が踊り、スマホで凱斗をパシャパシャとった。

「あとでFBにのせる。タイトルはシャル・ウイ・ダンスだ」

 僕達は踊り疲れて、二人でゴージャスな絨毯にしゃがんだ。そのとき凱斗は言った。

「何か聴こえる」

 僕は、「えっ?俺には何も聴こえないよ」

「こっちだ琉生」そう言って凱斗は僕を導いた。僕は、

「何で、お前がそんなこと分かるんだよ。今日の凱斗なんだかおかしいぞ」

 僕の言葉に構わず、凱斗は洋室に案内した。僕達が洋室で目にしたものは小さな棺だった。

「ここに、棺がある。開けてみよう」凱斗は言った。

「大丈夫か?凱斗」

凱斗は棺を開けた。そこには子供の骸骨と思われるものがあった。僕は言った。

「これ先程の子供の幽霊の骸骨じゃないか。手の辺りに聖書がある」

「多分そうだろう。琉生隣の部屋へ」凱斗は隣の部屋へ僕を導いた。そこにも棺があった。凱斗はその棺も開けた。

「今度は大人の骸骨。先程の女性かな」凱斗は棺に手をかけ、

「そっちもって」そう言った。

「いいのか凱斗」

「いいから、もって」

 二人で大人の骸骨が入っている棺を子供の部屋に持って行き、隣り合わせにした。

凱斗は「これでよし」そう言った。

そのときだった。凱斗の様子がおかしい。目つきがいつもの凱斗じゃない。凱斗が声を出す。凱斗の声じゃない。子供の声だ。

「お兄さんたちありがとう。やっとお母さんと一緒だ。ありがとう」

「おい凱斗」僕が言うと、今度の凱斗の声は、女性の声だった。

「青年たち、ありがとうございます。やっとわが子と一緒になれました。私達はクリスチャン。江戸時代のクリスチャンでした。寛永6年徳川秀忠のもと、私達は踏み絵というキリスト教を根絶させようという風習により、クリスチャン狩りにあいました。私は子供に、キリスト教を深く教え込んでいました。そうは言っても、私は自分の命が大事。踏み絵のとき、それを踏みました。しかしなんということでしょう。わが子がその踏み絵を踏まなかったのです。そして、処刑されようとしたとき、私は、『私の命を差し上げますから、この子だけは助けてください。私が身代わりになりますから、この子の命だけはどうか……』そう言ったのですが、我々は幕府に二人とも惨殺されました。そして、二人別々に葬られました。二人は棺に入れられましたが、どういうわけか、我々は別々の部屋へまつられました。今日あなた達、青年が来てくれたことは、我々にとって本当に幸いです。ありがとうございます。玄関は戻しておきました。本当にありがとうございました。どうかお帰りください」

 凱斗はそう言うと、ふっと我に返った。「あれっ俺どうしたんだろう」

 またいつもの凱斗の声に戻った。

「憑依?」僕はそう言った。

「なんか分からないけど俺にも先程の子供とお母さんの言ったことが頭に残ってる」

 玄関を見た。どういうわけか陥没していたはずの玄関が戻っている。携帯も元に戻っているようだ。二人で無言でその屋敷を跡にした。僕は、キャンプ場までの帰り道、

「俺達いいことしたな。全くお前が子猫なんか助けるから。でもいいことしたな。幕府の踏み絵。無残な歴史。確かに政府に関係している」

「ああ琉生。今までありがとう」

「えっ?なんだよ。もう夜の十一時だ。車の中で眠らないか」

「ああ、そうしよう」凱斗は言った。そして、

「じゃあ、俺後ろのシートで寝てるぞ」凱斗がそう言った。

「ご自由に」

「俺はさっきの屋敷で撮った写真をFBに載せるぞ。今日の凱斗凄かったもんな。本当今日のお前少し変だぞ。FBに写真載せるからな。タイトルはシャル・ウイ・ダンスだ。いいだろ?」

「ご自由に」

 僕は先程の酔っぱらってダンスを踊った凱斗の写真をを載せようとした。おかしい。

「あれっ?なんだこの写真。お前を撮ったはずの写真なのに、お前が写っていない。屋敷が写っているだけだ」

 そのときだった。携帯の電話が鳴った。母からだった。

「もしもし?琉生?琉生なのか?お前は無事なのか?」

「なんだ母さんか。どうしたんだよ」

「よかった無事だったのか。本当心配したよ」

「なんだよ母さん。どうしたんだよ?」

「母さん悲しいよ。凱斗君。わが子のように可愛がってきたのに」

「何言ってんだよ。母さん」

「凱斗君。本当いい子だったよ。あの子が学級委員で飼育委員で、餌代を参考書にあてたけど、母さんしっかりあの子のこと見てたよ。この子なら必ず大きくなる。立派になるって。あの時は母さんも悔しかったよ。本当にあの子はいい子だったよ」

 僕はただ聴いていた。

「あの子は募金活動をやっていたことも、母さん我が子のように見てきたよ。そして東京工業大学に入ったとき、母さんも嬉しかったよ。人生これからだって時にね」

「母さん本当何言ってるんだ?」

「川で溺れている猫を助けるなんて凱斗君らしいよ。本当母さん悲しいよ。これから素敵な女性と出会って、結婚して、人生これからだって時にね。結局あの子は女性を知らずに逝っちゃうんだね。凱斗君女性を知らずに逝っちゃうんだね。母さん悲しいよ。ニュースでもやっているから、ラジオをつけてごらん」

 僕はラジオをつけるため車のエンジンをつけた。

「本日、群馬県の烏川で、東京工業大学三年生の学生河野内凱斗君二十歳が川で溺れているところを発見され、病院に救急搬送されましたが、病院に運ばれた時、すでに死亡が確認されました」 

 僕は眉をしかめた。

「この東京工業大学の学生河野内凱斗君は川で溺れていた子猫を助けようとしていたと思われ、子猫は岸辺に辿り着きましたが、河野内青年は助からず……」

 僕は徐々に眉間にしわを寄せた。キャスターが、

「本当。残念なニュースです。若い命が絶たれてしまって……」

 得心のいかぬ琉生は眉をしかめながら、ゆっくり後部シートを振り向いた。

「なあ凱斗……」

 琉生が振り向いた先は虚しくも空のシートがあるだけだった。

琉生は徐々に今起きていることが認識されつつある。

「ハア、ハア、ハア」

 呼吸がだんだん、激しくなっていく。

「ハア、ハア、ハア。ハア、ハア、ハア」

 先程のダンスを踊る凱斗を思い出す。チェリーボーイのダンスを思い出す。

「ハア、ハア、ハア」

 飼育委員として頭を下げる凱斗を思い出す。募金活動で千円をもらい、頭を下げる凱斗を思い出す。

「ハア、ハア、ハア。ハア、ハア、ハア」

 そしてまたシャル・ウイ・ダンスとでたらめなダンスを踊る凱斗を思い出す。

「ハア、ハア、ハア、ハア、ハア、ハア、かいとー」

 河川敷でただ、琉生の嗚咽だけが虚しく響くだけだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チェリーボーイのシャル・ウイ・ダンス @keneese1976

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る