第二話 調理風景 その1





 この城にはとても広い厨房がある。

 食堂に隣接したそこは、一人で扱うには少々持て余すモノであった。

 部屋を出た俺は真っ先にそこへと向かう。すると厨房には一足先に、フードではなく黒のワンピースに白のエプロンを身に着けたフーコがやって来ていた。彼女は俺の姿を認めると、表情は変えずに小さく会釈をしてみせる。


「スライ様。改めまして、おはようございます」

「あぁ。フーコの方はもう、準備万端、って感じだな!」


 そして、どこか気合の入った声色でそう挨拶をしてきた。

 なので俺はそのやる気に応えるようにして、そう返答する。フーコは大きくうなずいて、こちらへと深々と頭を下げる。そして、こちらへ向けてこう言った。




「よろしくお願い致します――」――と。




◆◇◆


「それじゃ、まずはその野菜を千切りにして――」

「――えっと。はい、分かりました……」


 俺は右斜め後ろからフーコにそう指示をだす。

 すると少女は慣れない手つきで包丁を動かしていた。カツン、カツンと、不規則なリズムでメロディーが奏でられる。ちらり――覗くと、彼女の表情は真剣そのモノであった。時折、静かに吐き出される呼吸に、少しだけ緊張感を滲ませて。


「ふぅ、でき……ました!」

「よし。よくできました~!」


 やがて、フーコは額の汗を拭いながらそう言った。

 俺は不均等な大きさに切られた野菜をまとめつつそれを労う。そして、次に下ごしらえをする野菜を準備した。彼女は達成感に満ちた表情を浮かべるが、料理はまだまだ始まったばかりである。


「それじゃ、今度はこの野菜の皮をむいてみじん切りね?」


 深呼吸をしているフーコに俺は、アキリアという切ると涙の止まらなくなる丸い根野菜を差し出すのであった。それを見て、少女はその綺麗な瞳を動揺に震わせる。

 さて。それでは、そろそろ俺たちが何をやっているのか、説明をするとしよう。




 ――これは、俺たちの朝の恒例行事であった。

 少し時間を遡るのであるが、俺がこの城に留まるようになった翌日のことである。

 目覚めた俺は、フーコに導かれてこの食堂へとやってきた。そして彼女の作った食事を差し出されたわけである。そこまでは良かった。

 だが、問題はその出された料理である。


『こ、これは……なんて魔物だ?』


 俺はその時、思わずそう言ってしまった。

 何故なら目の前に置かれたそれは、おおよそ料理とは言えない。いいや、言ってはならないモノであったからだった。具体的に描写することも憚られる。何というか、皆様のお目汚しをしてならないという理由で、モザイク模様がかけられそうなモノだった。俺の【能力スキル】よりも、よっぽど【不完全なる】という名を冠するに相応しい創造物であったのだ。


 俺はこの時ほど【人間】という存在の不完全さを思ったことはなかった。

 やはり彼らの言うように【神】という存在はあり得るのだろうか、と。そこまで思考を巡らせるほどに、深刻な事態だった。もし存在するのであれば、この生まれ落ちたモノは、その寵愛ちょうあいを微塵も受けなかったのである。そうとしか、俺には思えなかった。もう何を言っているか自分でも分からないが、そういうことである。


『いけない。このままでは……』


 だが、とにもかくにも。そんな混沌の中でも確かなことはあった。

 それとは、この状況を放置していては、いつか俺の胃袋が崩壊しかねないということ。事実、恐る恐る口にしてみると瞬間、見たこともない景色が脳裏をよぎった。

 そしてその直後、舌への強烈な刺激によって意識が舞い戻ったのである。俺は思った――よもや、この食事が先代魔王の真の死因なのではないか、とさえ。


 要約すると――このままでは死ぬ。

 真綿で首を絞めるように、無自覚に、殺される――と。




「よし。じゃあ俺は他の食材の準備をしてくるから……な?」


 そんなわけで、俺は立ち上がったのであった。

 幸いアル村やルインの孤児院で、最低限の調理法は修めてきている。少なくとも、フーコ一人に調理させるよりはマシだと言えるモノが作れるはずだった。

 そのはず、だったのだが……。


「……ちょっと待て、フーコ。いまお前、何をしようとした?」


 俺が言い聞かせるように声をかけて、目を逸らした――その瞬間である。

 スープを作るために用意していた鍋に向かって、少女が紫色をした謎の粉末を投入しようとした。その決定的場面を、俺は視界に捉えたのである。


「何のことでしょう……?」


 さっと、紙に包まれたそれを隠したフーコ。

 普段と変わらぬ淡々とした、しかしどこかすっとぼけたような声色でそう言いながら、彼女はこちらから目を逸らした。あからさまに怪しい。見るからに怪しい。

 そんなわけだから俺は即座に少女の背後に回り込み、ブツを掠め取った。


「あっ……!」


 するとフーコは小さな声を上げて、俺のことを見上げることとなる。

 そして、恨めしそうに瞳を潤ませた。だがしかし、俺はその精神攻撃に屈することなく、厳しい言葉で叱責することとする。次いで、紙に書いてある文字を読み――。


「あっ、じゃない。なんだよ、これ………………、試験薬……?」


 ――固まった。

 なんだろう。いま、物凄く興味をそそられる文字があった気がした。

 え、なに? 筋力増強、って。それってつまり、そういうことだよな。この薬はつまるところ、俺にとっては夢のような代物なのだろうか。


 そんなことを考えていると、だ。

 トドメを刺すようにして、フーコがこんな風に言ってきた。


「返して、いただけますか……?」――と、上目遣いに。


 無意識だった。

 俺は極めて自然に、その包装紙を返していた。


「それでは、失礼しますね?」

「あっ……」


 言って、フーコは紫の粉末を鍋に投入。

 その瞬間に同色の湯気が、キッチンいっぱいに広がった。即座に鼻にツンとした刺激がやってくる。目からはアキリアのそれによるモノとは、比べものにならない程の涙が溢れ出してきた。視界が歪んでいくと同時に、だんだんと眩暈が……。


「スライ様――こちらの品で、目をお隠しください」


 そんな俺を見かねてか、我が従者は中空に手を突っ込み何かを取り出した。

 そして、それをこちらへと差し出してくる。なにやら透明な、しかしガラスではない何かで目を覆うような何かだった。細い革の紐で固定する仕組みとなっており、同じモノを装着した少女の見よう見真似で、とりあえず装備する。


 なるほど。これなら、ひとまず失明の危険はなさそうだ。

 ――って。そうじゃなくって……!


「フーコ、さっきの粉は……」

「離れてください! ――きますっ!」


 即刻、調理を中止させなければ――そう思った矢先だった。

 少女が珍しく、そう叫んだのは。


「はい……? 離れろって?」


 呆然とその言葉を繰り返す俺は、フーコの視線の先を見る。

 すると、そこには――。


「…………へ?」


 ――化け物が、いた。

 その身はスライムよりも液状で、不整形。

 肌と表現して良いのか悩まされるそれは、粉の色をさらに煮詰めたような黒紫。全身から紫色の煙を立たせる姿は、おおよそ表現に値する言葉を持たなかった。

 この世界には早すぎる何かだ、と――そう、脳が警鐘を鳴らしていた。


「行きますよ、スライ様!」

「は、え!? ちょっと待って、行くって何!?」


 が、そんなことは関係ない。

 そう言わんばかりに、勇敢な声を上げて少女は中空から杖を取り出した。それを構えて、さも当然のように何らかの呪文を口にする。

 俺はとりあえず拳を構えて、臨戦態勢を取るのであった。



 





 ――なぁ、これだけは言わせてくれないか。
















 料理って、何かとエンカウントするイベントだったっけ……?




 

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