第一話 それは、とても平穏で





「――さま。起きてください、スライ様……?」


 自分の名前を呼ぶ少女がいた。

 それに応えるように目蓋を持ち上げると、不鮮明な視界の中に、白き従者の姿が。ベッドに仰向けに転がった俺のことを、彼女は覗き込んでいたのだ。

 白き少女――フーコは今日も美しい。何の脈絡もなしに、そう思ってしまった。


 俺の姿を映す、左右で色の異なる瞳。ガラスのような透明感を持つそれは、こちらが気を抜けば今にも吸い込まれてしまいそうなモノだった。肌はその滑らかな髪と同様で、白磁のようである。細やかであるそれに、俺は無意識に手を伸ばしていた。

 ほんの少しの反応があり、しかし俺のそれはすぐに受け入れられる。彼女の頬は柔らかく、以前に繋いだアル村の少女の手を思い出させた。


「おはようございます、スライ様」

「あぁ、おはよう。フーコ」


 そう、静かな挨拶を交わす。

 俺の手に細い、小さな手を重ねた彼女は小さく微笑んだ。

 朝の一幕。フードを身に着けた少女との間には、このように優しい時間が流れるのが常であった。麗らかな日が差し込むこの部屋の中で、それはなおいっそうに、尊いモノであるように思われる。


 元は先代の魔王が使用していた一室。

 そこにあるベッドは、人間の姿に【変身】をしている俺には大きすぎるモノであった。基本的に物に執着しない性格だったのだろうか。いま、俺が寝そべるそれ以外には調度品らしきものは見当たらなかった。本当に、寝るためだけの部屋。

 その寂しさもあってか、ついフーコに一緒に寝ようか、と言ってしまった。

 しかし、そうすると彼女は――。


『――ふあっ!? ス、スライ様は何と破廉恥なことを!!』


 と、何故か顔を真っ赤にしてそう素っ頓狂な声を上げたのである。

 あぁ、確かに。アル村やルインでも、男女の部屋は基本的に分けられていた。感情に乏しいフーコも人間は人間だ。その辺の感覚は失われていないのかもしれない。

 もしかしたら、別の理由もあるのかもだけど――ううむ。今の俺には理解出来そうにない案件であった。まぁ、とりあえずは置いておこう。


 今はそれよりも、である。

 まずは起きなければ。そして――また、一日を始めよう。


「それでは、ワタシは外でお待ちしておりますので」

「あぁ、いつもありがとうな。フーコ」


 言って、名残惜しそうにフーコは正面にあるドアから部屋を出て行った。

 俺は身を起こして、一つ伸びをする。――よし、だいぶ目も覚めた。分身であるこの肉体の動きも、問題ない。俺はベッドから降りつつ、ふと窓の外を見た。

 そこには、一面の森が広がっている。いいや、ここだけではない。

 この城は、深い森の中に建てられているのだ。


 よって、外部からここを訪ねてくる者は少ない。

 時折、先代の魔王と交友があった魔物がやってくるだけ。

 そのため平生は、俺とフーコの二人だけの生活であった。静かな暮らし。静かな毎日。それを享受しながら、俺の心は次第に緊張から解き放たれるのを感じていた。



「……っと。そんな感慨に耽ってる場合じゃなかったな」



 俺はそこまで考えて、フーコが待っていることを思い出す。

 そして、一言そう口にすると、ゆっくりと外へと向かって歩き出すのであった。





 これが、ここでの一日の始まり。

 何の変哲もない。そんな、俺とフーコの一日の始まりであった――。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る