こんな目になって
『忠恩報国の英雄』などと人は俺のことを祭り上げる。
ようやくこの国は戦争に勝って、失われた時代を取り戻していけるのだと王も民も浮かれ上がっているが、そんなわけがない。
もうこの国は攻め込まれて滅亡することが大陸の連中同士の間では締結されていて、いまやるべきなのは報国ではなく売国なのだ。
それでも俺がなぜ戦争に勝とうとしたかといえば、死にたくなかったからだ。
俺は前線にいたから。
そんなに難しいことをやったわけじゃない。
敵の方が多く、攻め込まれれば終わりという状況で、俺は敵国の全滅したはずの部隊が生存しているという情報を流した。これもただ流すのではなく、内密に連絡を取り合っていたスパイ、というより個人的な友人を通して流したので効果があった。
そういう不透明な情報に釣られるな、と指揮官は指示していたはずだが、急に戦争になって徴兵された練度の低い兵士にとって「家族や友人が生きているかも」という情報を知って、しかもそれが信用できる筋のものであり、疑う理由が無ければ乗っかってくる。
あの時はまだ戦況がかの国有利であり、「どうせ勝てるんだったら助けられるやつは助けよう」という考えが脳裏をよぎるのも無理はない。
脳裏をよぎるように俺が仕向けたんだから。
のこのこと友人や恋人の名前を小声で叫びながら進軍してきた部隊を叩き、拷問して情報を吐かせ、そこから先は何も考えずに突っ走った。
結果として俺の部隊は生き延びて、その作戦の真実を知るやつも皆殺しにしたから、祖国で俺は「絶対に負けて死ぬはずだったのになぜか生きて帰ってきたやつ」として扱われた。
薄々、何か黒いことをやったんだろうと思ってはいても、敵国の戦線が乱れるほどの損害を出した以上は裏切りという線は細い。そして戦果を挙げた以上は名誉を与えなければ士気が維持できない。
この五年間で――もう思い出せないくらい遠い昔に感じる――俺は数えきれないほどの勲章を得た。戦争終了と同時に俺は最上級士官に昇進し、再戦が勃発したとしても前線に出ることはもうない。軍部の目を覆いたくなるような暗部をすでに公開された俺は、一兵卒に戻すくらいなら暗殺されるだろう。
死ぬか勝つかの選択で、俺は勝った。
それしかもう、『前線に出たくない』という俺を救う方法はなかった。
俺は自分だけが助かればいいと思った。
誰が何人死のうが構わないと思った。
そのおかげで、生き延びられた。
『弱虫』呼ばわりされていた、この俺が。
故郷は町を挙げて、帰還する俺を迎えようとしたが、俺は拒んだ。表向きは『息子を亡くした母親もいるのだから静かにしてやれ』という気取った文句を書いて手紙で送ったが、内実は騒がれたくなかっただけだ。
列車を降りて、ずいぶん老けた町長は俺の顔を見た瞬間に笑い泣きのような、笑い怒りのような表情を作った。
『おまえの父親はろくでなしだ、だからおまえもろくでなしだ。さっさと死んでこの町から消えろ!』
まだ小学生だったガキの俺にそう言い放った男が、成長し、最高級の羊毛外套に身を包み襟に純金の勲章を七つも八つも付けてはいるが、『自分が知っている、あのろくでなしのガキ』の顔をしているやつを見て困惑するのも無理はない。馬や牛用に寄り分けてあった野菜のストック倉庫を探し出してそのまま齧っていたガキと、忠国報恩の英雄が同一視できないのだろう。そうだろうな。
この町は戦火に見舞われなかった。ただ戦争にいった男たちが何人か帰って来なかっただけの、平和な地区だったから。
戦争なんて、こいつらにとっては手紙で聞く物語に過ぎなかったのだ。
俺が「どうも」と声をかけると、「あ、ああ……ハハ」と町長は用意していたであろうセリフも吹っ飛び、気まずそうにニヤけて、周囲の取り巻きを意味もなく見回した。
せいぜい媚びへつらえばいいものを。
俺はすでにこの町を地区整理に出す書類に署名捺印を済ませているし、この町長が戦時中に軍用品の横領に手を出していたことも秘密警察にリークしている。俺がこの凱旋を終えたらすぐに、この町の名前は地図から消え、この男は全身の皮と肉を剥がされて吊るし首になる。この戦争で失ったものは多く、そして戦争を食い物にしたやつらなんか何人殺したっていいよね、というのが今の国民の総意だからだ。
まだ何か言おうとする『死体』に「失礼」とだけ言って軽く軍帽を持ち上げて、俺は先へ進んだ。
土埃の匂いのする、俺が育った町へと。
なぜ故郷に帰ってきたのかといえば、自分がどれだけ変わったのか知りたかったからだ。
戦争に行ったら自分なんかすぐに死んでしまうと思っていた。だから徴兵された時には死を通告されたのと同じだったし、「女も知らずに死ぬのか、生まれてきて損したな!」とヤジを飛ばされた時は耳まで赤くなった。怒りと恥ずかしさで。
だから必死だった。この五年間。
砲兵になって、大砲の勉強をした。弾道計算も今ではできるようになったし、糧食の補給が尽きた状態で山や森から何を食えばいいのかもわかる。敵国の兵士にコンタクトするルートも整備してあるし、自分の部隊が機能不全を起こした時に誰を消せばいいのかも考案できる。
最初は何もできなかった。
それでも、何人か、もう戦火に飲まれて消えてしまったが、俺の面倒を見てくれた兵士たちのおかげで、俺は生き延びられた。
自分の両親や、育った町の連中から学んだことなど俺には何ひとつない。戦地で共に剣林弾雨を晒された仲間たちとの思い出だけが、俺を強くした。俺を英雄にした。
生きていて欲しかったやつらは、皆死んだ。炎と鉄の巨大な掌に包まれて。
もう誰も残っていない。
すれ違う連中は、祖先の罪で村八分を食らっていた家の息子だった俺をいじめていたやつらも多い。
さすがにバツが悪いのか俺の顔を見るとすっと家の中に消えていくか、あるいはとんでもないバカなのか「やあやあやあ、これは忠国報恩の英雄殿!」と話しかけてくるやつもいた。まるで俺が相手のすべての罪を忘却したものだと思い込んでいるようだった。
俺は苦笑いしながら相手をしてやった。
だが、たとえどれほど俺に媚びようと、俺は貴様がやった悪と罪を忘れない。
この『戦後』にたどり着いただけでも、おまえら全員罪深いよ。
何人死んだと思ってる。
「実は今、息子が生まれて大変で……」とのたまい続ける農夫に「元気に育つといいな。戦争に連れていける」と言い捨ててその場を後にする。小さな舌打ちが聞こえたが、もう俺はいきなり振り返ってあの農夫の顔面を殴打し護身拳銃で耳たぶを吹っ飛ばすほど短気じゃない。もっと残酷な方法で、人間を苦しめる方法を俺は戦争で学んだ。
人間は地獄に叩き落とせば素直に言うことを聞くようになる。
だから後はどうやって地獄に連れていくかだけ考えればいい。
言葉も愛も理解も情も、必要ない。
苦痛と恐怖と偽りの希望だけが人間をコントロールする上で必要な全てだ。
ほかにない。
生家は打ち壊されていた。
立て看板には『かの国の兵士を許すな!』と書かれているが、こんな僻地まで敵兵が来たわけもなく、食い詰めた誰かが俺の家に隠された野菜でもないかと襲ったのだろう。酒乱だった親父はそのときにブチ殺されたのか、裏手に小さな墓が作られていた。俺はその墓石を蹴り倒した。すごい音がした。
『自分は王族の血を引くものだ、こんな暮らしをするような人間ではない』
親父はずっとそんな盲言を吐いていた。
だが、学のないアイツには理解できなかったのだろうが、その王族の分家というのは国家反逆と領土転嫁でこの国に大損害を与えた一族であり、その落し胤の末裔が俺たちだったとしたら、罪体遡及で根絶やしを食らっていてもおかしくない。
自分の手で自分の首を締めるようなどうしようもないバカだったが、とうとうその知能にふさわしい末路を迎えたわけだ。
墓?
誰も参らない墓になんの意味がある。あの世で夢でも見てろ。
「どうしました……?」
墓石を蹴倒したせいで、近所の誰かが顔を出してしまった。相手をするのが面倒くさいなと思いながら振り返った。
俺もきっと、泣き笑いのような顔をしたのかもしれない。
「――――?」
俺の名前を呼ぶその農女は、俺の母代わりの人だった。
親父が酒で酔って突き飛ばしたせいで実母が死に、飢えていた俺を見かねたその人は時折食べ物をくれた。
この人も夫に虐待されていて、俺に食べ物を分けたことがバレると押し殺した悲鳴が隣家から聞こえてきて、俺は怖くていつも震えていた。
生きていたのか。
それもそうか、と思う。この町は戦火を逃れたのだ。
もしも、ここより少しでも国境に近い町だったら、敵兵に殺されていただろう。
「あ……あ……」
俺が徴兵された時にはまだ黒かった髪が、今では真っ白になっていた。俺はそこで、僻地とはいえこの町にも等しく『貧しさ』が訪れていたのだと知った。
「こんな……こんな……」
老女の手が、俺の襟元の勲章に一切触れずに、俺の頬に触れた。
小さく窪んだ目に涙が浮かんでいる。
俺はそれを見て不思議な気持ちになった。
かつて、すぐに出てきた言葉が、なかなかうまく脳裏をよぎらなかった。ああ、そうだ。
これは『綺麗』という感覚だ。
「こんな目をするようになって……」
思い出す。
俺と老女で、道端の石に腰かけて、握り飯を食べた時。
俺が作った小説をこの人は真剣に読んでくれた。紙を盗み鉛を削ったペンで書いた短い小説。
そうだ。俺はこの人が褒めてくれたから、頑張れたのだ。
王族の血を引くとのたまう親父を否定するために独学で学んだ文字の読み書き。
いつしか俺は物語を紡ぐようになっていた。
こんな世界を否定するために。
もっとよりより世界があると信じるために。
徴兵され、ペンを奪われ、今まで忘れていた。
そうだ。
俺は小説を書くために、戦争を生き延びたんだ。
父親にも町民にも否定されてきたこの俺を、この人だけは褒めてくれたから。
「どうして……?」
老女の潤んだ目に映っている、冷たい顔をした男は、もうなんの光もその瞳に宿していなかった。
鬼に見えた。
冷たい鬼に。
「どうして……」
繰り返し続ける老女に、軽く目を伏せて一礼して、俺はその場を去った。
老女の視線が、俺の外套を貫いて、生肌の背中に突き刺さるのを感じた。
俺は強くなった。もう誰にも負けない。
こうなりたかったわけじゃない。
生き延びるためには強くなるしかなかった。
たとえもう、過去には戻れなくても。
失った全てが永遠に手に入らなくても。
それでも俺は、
生きると決めたんだ。
END
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