人間と吸血鬼の戦争終結から、十年後
吸血鬼と人間の共存する村というのは、基本的には届け出が必要になる。
まず一級貴族の位にある吸血鬼と人間の二名が村長として連名で契約書を取り交わさなければならないし、お互いの種族に害が及ぶ際は相手の種族側につき、自分の種族を始末しなければならない。
その盟約を破った際には、両陣営から執行官が派遣され粛清が開始される。
吸血鬼が太陽を克服し、人類が吸血鬼に対する自衛能力を一定水準まで高めてから、こういう共存村というのはたまに発生するようになった。
なまじ、第一陣で立ち上げた村が成功を収めたために、「意外となんとかなるんじゃね?」という安易な考えが広まったことが俺は問題だと思う。
吸血鬼は原則として人間と同じ種族ではない。
そして、吸血鬼が吸血衝動を鎮めるためには家畜の血ではなく人間のそれが必要になる。
つまり、吸血鬼側は吸血衝動を抑圧しているだけであり、原理原則としては人間を喰い殺したいという願望を持ち続けている。
最初の村を立ち上げたやつは俺の友人だったが、「うまくいくとは、実はあんまり思っていない」と零していたことがある。
「じゃあ、なぜ共存なんか始めたんだ」
「誰かがやらなきゃ、何も変わらないと思ったんだよ」
確かにヤツは社会を変えた。
成功例が一つあれば、乗っかるやつも出てくる。
そこにあまりにも巨大な理想と願望を積み重ねて。
エディスもそういう女吸血鬼の一人だった。
吸血鬼禍に見舞われた大地は呪われ、月は赤くなる。
乗りつけた車を降りて、もう鍵をかけなくても誰も俺の車を盗まないことを思い出した。なんなら鍵は挿しっぱなしにしておく。
寒かった。
外套を深く身体に巻きつける。周囲の家々から火の気は消えている。この寒さで飯炊きもせずに普通に誰かが暮らしているとは思えない。
左手に掴んだ剣だけを携えて、俺は町の中心に続く坂道を歩き始めた。何度か顔を出したことがある。この町の教会は丘の上にあった。
エディスは言っていた。
自分は人間が好きだと。人間たちと生きていけるのなら、この生まれ落ちた時から身を焦がす呪いと立ち向かえる。そう満面の笑顔で俺に言った。
嘘くさい笑顔だと思っていた。
本当に人間が好きなら構わないが、結局のところは、『人間とうまくやれる自分』を演じたかっただけじゃないのか。
おまえは本当に人間と暮らしている時に、安らぎを感じられたのか。
俺たちの仲間は大勢、人間に殺された。俺たちもまた、太陽を克服するまでは大勢の人間を殺してきた。
うまくいくと思うのか。
俺は、人間といても、誰といても、
安らぎなんて、これっぽっちも感じられなかったよ。
エディス。
教会の扉は半開きになっていた。周囲に突っ伏して身悶えしているゾンビどもは眷属の成り損ないだ。
俺はもはや人間ではないそれらを蹴りのけながら、教会の中に入った。
神なんかいるわきゃねぇだろう。
でなければ、なんで十字架の下で、泣きながら吸血鬼が子供の死体の喉元を貪り喰ったりするんだ。
俺たちが、そんなに重い罪を犯したというのか。
誰か教えて欲しい。
なんで俺が、こんな現場の後始末をしなければならないのかを。
「エディス」
振り返った金髪の女は、十年前に会った時と何一つ変わっていなかった。
違うのは、決壊した堤防のようにびっくりするくらい大量に頬を伝う涙と、赤い果実にかぶりついたように口元を染め上げた鮮血だけだった。
「ギィ、聞いて。おいしいの」
「そうだろうな」
「この子、私が引き取って育ててたの。戦災孤児で、賢くて、優しい子だったのよ」
「そうだろうな」
「ずっと我慢してたのよ。我慢できると思ってたのよ」
「ああ」
「でも、ダメだった……」
エディスは手の中の遺骸を見下ろした。
「ほんのちょっと、気が緩んだの。最近疲れてたし、考えることも多かったし、あちこちに山賊は出るし、村人同士のイザコザもあったし、友達は会いに来てくれないし、そうあなたもねギィ、誰も来てくれないし、誰にも話せないし、相談できないし、相談したところで助けてくれるわけじゃないし、私がなんとかするしかなくて、自分が強くなるしかなくて、だから我慢して、でも」
「もうやめろ」
「やれると思った。やれると思ったのよ」
「わかってる」
「私の何がいけなかったの?」
エディスが拳を握りしめ、掴まれた子供の遺骸が人形のようにひしゃげた。それでもエディスは手を緩めなかった。
「私、頑張ったのよ。みんなが幸せになれるように、頑張ったのよ」
そうだろうと思うよ。
だがお前はどうしようもなく、根っからの吸血鬼だった。
お前の正体は、優しい村長さんなんかじゃなく、俺と地獄のような戦場を駆け抜けた戦士だった。
戦場でしか生きられないやつが、人里に降りたことが間違いだったんだ。
人間は俺たちを理解してくれない。
俺たちが普通に顔を合わせて挨拶する時でさえ、相手を喰い殺してしまおうかと脳裏によぎるということを知識としては知っていても経験としては知らない。
それは、人間が吸血鬼じゃないからなんだ。
吸血鬼じゃないやつに、俺たちのことなんか、わかるわけねぇんだよ。
だから、これまで多くの人間を殺すしかなかったんだ。俺たち吸血鬼は。
エディス。
俺はあの戦争が、終わって欲しくなんかなかったよ。
人間を根絶やしにするまで、続けたかった。
お前は違うのか?
「ギィ、……私を斬るの」
「ああ、斬るね。
戦争が終わって、俺に残った仕事がこれだった。
同族狩りをするなら、人間の生き血を分けてもらえる。
俺は衝動が強い。どう頑張ったって抑えられない。
こうするしかねぇんだよ」
エディスが口元を歪めて笑った。
「あなたともあろう人が……自分自身と戦いもせずに、諦めるの」
「俺は、自分自身を傷つけて、抑圧した先にあるのは、『正しさ』に喰い殺される末路だけだと知ってる」
今まで大勢見てきた。
誰一人としてこの呪いからは逃れられない。
俺もお前も。
誰一人。
「もし、あなたについて、また人間と戦争をする……と言ったら、見逃してくれる?」
「もし、そう言ってくれるというのなら、十年前に言ってほしかった。
もう、遅い」
静かな時間が流れた。
間合は一瞬、俺の方が速かった。エディスだって分かっていたはずだ。
自分の中にあった信念の正体は、類稀なる優しさなんかじゃない。
ただの『甘さ』だったと。
新鮮な生首が一つ転がる音がして、
俺の仕事は終わった。
かつての仲間の虚ろな眼を見下ろして、思う。
俺たちは、好きで生まれてきたんじゃない。
END
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