第12話 背後の恐怖

時が止まる世界でエルの背後に立つ者、振り向かずとも誰だかわかっていた。汗が止まらず、身体が震え、視界が霞み、喉が乾き、今にも恐怖で身体が崩れ落ちそうになっていた。静寂な空間がより一層恐怖が増していく。この時間が静止している状態で、シウラや神屋セン、ミカル王女とその周りの生徒、国民達の動きが止まっている中でエルの意識があるのは、背後の者が操作している為であることは言うまでもなかった。幽霊のようにエルの背後に黒いフードを深く被り目元まで顔を隠している女性は現れた。




「…サクヤさん どうしたんですか?地上に降りてくるなんて」

「私がお前に会いに来るのに理由が必要か?」

「…いえ…必要ありません」

「フフッ冗談だ…ちゃんと理由はある」



金縛りにあっているかのような感覚に陥り、逃げる選択すら浮かばず気を保つことで精一杯であった。そしてこの時恐ろしい事に〈威圧〉スキルを使わずにエルの動きを封じているわけではなく、素の状態でいた。威圧していると本人は全く思っていない、なので動こうとすれば動けるが、エルには背後にいるサクヤの他にこの場にはいないがもう1人への闘争心を圧し折られ、絶対に勝てない相手と認識していた。絶対に逆らえない相手であることを…



「…では、その理由とは?」

「うん、3日後…この近くの領地で勇者が現れる」

「……成程、今回はなんですか?召喚ですか?適正ですか?」

「それは自分の目で確認するといい

…言うことがあるとすれば教会絡みということだ」

「……教会っすか」

「そう、お前の嫌いな教会だ」



サクヤがエルに告げたのは近辺で勇者が誕生するとのことだった。世界ではこの事がどれほど吉報なものなのかは見て取れる。勇者は魔王を討ち、世界を救い、悪を打ち滅ぼす存在である。生まれながらに勇者の適正を持つ者がいれは、この世界では無いところから人を召喚し勇者と称える。エルはその人々の認識に不愉快になっていた。例え勇者でも所詮ただの人でありそれ以上でもそれ以下でも無い身を弁えず、力を振りまき、良い気分になり自由気ままに生活しているようにしか見えなかった。

そんな勇者を讃える者や勇者からすれば[和名持ちネームド]は悪にあたる。見た目は同じ人間だとしても人間は[和名持ちネームド]を人間とは思わず、魔物、悪魔、魔人族と同じ扱い、その為子供達の虐めのネタにされている。なので、[和名持ちネームド]は世間からしたら悪なのだ。



「……フッ、どうするかはお前の好きにしろ 生かすなり殺すなりな」

「…わかりました ちゃんと見極めます」

「うん…じゃあ私は行く、やる事があるしな」

「…では、またの機会に」

「ん……その前に」

「?」

「悪戯に力を使う奴らには罰が必要だろう?」



勇者の情報をエルに伝え終わりその場から立ち去ろうとしたが、手をエルに魔法を放った貴族達に向け、エルの視界から見える背後から出された右手を見て、この動作でエルはこの後何をするのかを悟った。エルの背後から黒い靄が出現し貴族達へと向かい貴族達の周りを覆ったかと思えば、掌を上へと向け指を上へ上げる。すると貴族達を覆っていた靄は貴族達の頭上へと上がり球体状へと形作り、再び手を返し掌を黒い靄へ向け…握った。

その瞬間に靄は音も無く霧散し消えた。



「…サクヤさん…そこまでする必要が?」

「言っただろう?これは罰だ 私はこれでも甘いと思っている。」

「まぁ…そうですね」

「じゃあ私は行く 近いうちにまた会おう」

「…はい」

「それと、私の独断でミヨには言っていない

彼奴のエルへの愛情は異常だと私も思うよ」

「…助かります」

「うん……じゃあ」

「………」



直ぐにその場から立ち去るかと思っていた。しかし立ち去る前に必ず行う事をしてからではないとエルの元から離れない事をエルはわかっていた。エルの背後から手が伸び、後ろからエルの右手は左頬を触れ左手はエルの両目を隠すようにしエルの顔を逃さぬように抑え、顔はエルの右肩へとつける。彼女が立ち去る前に行う事はエルを背後から抱き締めた。



「スーッハーッ…スーッハーッ

はぁ…やっぱりエルの匂いを嗅ぐと落ち着くな」

「………」

「すまないな これをしないと落ち着かなくなってしまったんだ」

「いえいえ……これくらいであれば」

「助かるよ 私にとってお前は生きる希望だ

じゃあ少し離れる」

「はい」



気がすむまでエルの匂いを嗅ぎ、満足し音も無く霧が晴れるようにその場から消えた。

それと同時に停止していた時間は進み始めた。



(……サクヤさんアンタも大概だよ)

『変態だ…』

(お前本人の前で絶対言うなよ)



エルの脅威が去ったところでアリスが表へと出てきた。アリスはシウラが神屋センの魔法を上へ流した時、巻き込まれぬようにエルの中へと入っていき、自分は無関係だと行動に出て、事が終わるまでエルの中で待機をしていた。



『あの2人のエルへの依存は異常だね 愛が重いよ…』



愛が重いの一言に思わずエルは納得してしまっていた。そのエルへの愛情が重すぎ、それがエルに恐怖心を植え付けたのだ。



「エル様?」

「ん?…あぁサクヤさん、何処かに行ったみたいだ」

「……え?では先程までこちらに?」

「うん、いつも通り」

「ホッ…そうですか」

「問題があるとすれば…アレだ」



エルが視線を向けた方角には貴族達の姿がありシウラも向けると、大きく目を開き瞬きを数回繰り返して貴族とエルを交互に目を向けていた。シウラには自身の目に映る現実を直視すると驚愕した。



「……重すぎではないですか?」

「……同意見だ」

『まぁ理由はエルに「いちゃもん」つけたからだね』

「それにしても…」

「言いたい事はわかる でも俺達には打つ手がない」

『無理だね』



エルとシウラが会話を進めている中で、王女や神屋セン、周りの生徒達は蚊帳の外となっていた。2人だけが知り、周りはエルとシウラが何を見て何の事を話題としているのか予想すら出来るわけがなかった。



「何が打つ手がないんだ?」

「ん?あぁいたな…忘れてた」

「忘れてたで済むと思うか?

上見ろと言われて上見りゃ何も無いんだからな」

「………上にはもういないが…残していったものは…なぁ」

「…そうですね」

「?」



エルの言われ上を見た神屋センの瞳に映ったのは青い空…何があるわけでもない何も変わらない空だけがあった。見ればわかると言われ、視線を向ければ何も無い。その事に神屋センの不満は爆発したが、神屋センの反応に対しエルの反応はどこか煮え切らない返事が返ってくるだけである。そして神屋センは何とも言えない表情をしているエルの向ける視線の先へと向ける。エルの向ける視線の先にいるのは4人の貴族達である。神屋センは、あの4人の貴族達に何かあるようなのは、王女がエル達の前に現れる前に起きた小競り合いの事で何か言いたげにしていると神屋センは思っていた。しかし力を抑えるのを止めた神屋センの瞳にはエルとシウラが見ているものと同じものが映りその事実に驚愕した。それは魔導師を目指す4人の貴族達の余りにも残酷な現実であった。



「……どういうことだ 魔力が…無い」

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