第35話 異形の靄

「あの気配、ただ事じゃないよ。あたし、先行くよ」


 三人は大きく人目を引かないくらいの早足で、リフトのターミナルへと向かっている。展望席からの景色に見とれていて、乗るべきリフトの時間が迫っている――そんな体を装ってだ。

 そんな中でステフの発した言葉に、厳しい表情で前方を睨んでいたトッドは首を横に振る。


「駄目だ。俺達は全員、一度はあいつ善市郎にしてられてる。でやりあった時よりはマシな状況だが、その分予定外の何かが起こっている。バックアップ無しでやれる状態じゃない」

「偵察だよ偵察っ。何がどうなってるのかだけ確認したら、すぐ戻ってくるって」


 ステフの運動性能は三人の中でも抜きん出ている。特に重傷を負ったトッドと比べれば雲泥の差だ。

 三人揃って行動している今、どうしても二人の少女はトッドに歩調を合わせなくてはいけない。

 それは三人とも分かっているし、戦力の分散が得策と言えない相手なのも分かっている。


 それを置いても、先ほどから低軌道ステーションへと近づいてくる気味の悪い気配は、その正体を確かめない事には何に影響するか分からない。

 不確定要素は山とあるが、その中でも一番予想がつかない。

 善市郎が乗っているはずのリフトから感じられるのでなければ、警戒はしていても優先度は下げられるが――予定通りなら、リフトの到着まで一分も残っていない。

 トッドは僅かな逡巡しゅんじゅんの後、小さく舌打ちをしながら決断する。


「寧、ターミナルの映像が拾えるなら、俺とステフの端末に送ってくれ」

「勿論ですわ」


 寧の指が空中に細かな軌跡を描いた。

 着替えた時に新しくしつらえた指輪型端末は、入力装置としてのモニタを投影し、その上を更に素早く細い指が踊っていく。

 例え一部であろうともセカンドバベルの、軌道塔管理・防衛に関する情報へのアクセスは大きく制限される。それを寧はトミツ技研仕込みの技術やプログラムで強引に突破し、目的とするものを引き出して二人の端末へと送信する。

 寧は周囲に分からぬよう、眼前へと極小のモニタを投影し、トッドとステフもそれに続く。

 それぞれの目に映った映像に、三人は一様に息をのんだ。


 地上からリフトで低軌道ステーションへと来る者は、その大半が観光客だ。彼等は概ね何かを期待した顔つきでターミナルへと降り立つ。

 無重力こそ体験出来ないが宇宙へ来たという、セカンドバベルが作られて十年以上過ぎた今もまだまだ希有な体験がここでは待っているのだ。

 本来はそうした人々が降り立つ場所であるターミナルは、まるで凄惨な戦場のようであった。


 人々は倒れ伏し、その体を激しく痙攣させていた。

 老若男女一切を問わず、極小の投影式モニタに映る人間は一人残らず倒れており、それどころか警備軍の軽量型動力装甲服パワードスーツすら、装甲に包まれた体を床に横たえていた。

 寧が監視カメラを切り替えているのか、次々と視点は変わっていく。だが、そのどこにも無事な者は見当たらない。

 先ほどリフトが到着した第三ターミナルは、乗客も係員も警備軍の兵士に至るまで、何らかの攻撃を受けている事は明らかだった。


「何よ、これ。ガスでも使われたの?」


 低軌道ステーションは閉鎖空間だ。

 もし神経ガスのような兵器が使われたとしたら、その区画に限るが多大な効果を上げるだろう。空気循環システムに、有毒ガスに対応した濾過装置は入っているが、それでも無害化するまでには多数の犠牲者が出るだろう。

 ステフがガスの使用を想像したのも当然のことだ。


「既存のBC生物・化学兵器は一切検知されていません。それに警備軍の動力装甲服パワードスーツは、どの形式であってもBC生物・化学兵器への対応がされています。この短時間で動力装甲服パワードスーツの濾過システムを抜けるガスは、私の知識にもありませんわ」


 寧は表情を硬くしながら、冷静に否定する。

 仕事柄、様々な兵器への知識は常に収集し記憶している。それらの兵器がいつ自分に使われるか、もしくは自分達が使うか分からないからだ。

 その知識の中に、この惨状を作り出せる兵器は無い。

 体格や装備による時間差もなく、感知されやすい爆発などを伴わず、ターミナルという広めの空間を丸ごと処刑場じみた場所に変えられる兵器。

 そのような都合の良い兵器があるのなら、もしくは開発されているのなら、例え他の七大超巨大企業セブンヘッズが作った物であっても、噂くらいは寧の耳に入ってくる。


 何よりも、低軌道ステーション――セカンドバベルの重要区画の一つだ――で、こんな惨状を作り出す兵器を使う者はまずいない。

 例え七大超巨大企業セブンヘッズであっても、例えどんな理由があってもだ。

 もし善市郎が何らかの兵器を持ち込んでいたとしても、ターミナルで使用する理由が思いつかない。


 寧の脳裏に閃く予知は、これまでに無い危険――マクファーソンカンパニーの研究所へ突入するよりも、イージス艦に狙われるよりも致命的なものを、おぼろげに感じるのみ。

 万全の状態なら、意識を集中して詳細な予知も出来るが、まだ寧の超能力はその殆どが使えない。

 努めて表情に出さないようにしながらも、寧は思わず唇を噛みしめる。


「俺達の進行方向にある監視カメラを誤魔化してくれ。こりゃ放置出来る状態じゃねぇ」



 寧に声をかけながら、トッドはターミナルの映像の中で見た、何組もの親子連れ――家族の姿を思い出していた。

 何が起こったかは分からないが、助かる可能性がどれだけあるか。

 それでも、ただのお節介と分かっていても、出来る事はしてやりたい。


 正義の味方を気取るつもりはないが、こんな状況を見せられて何もしないでいるほど、非情にはなれなかった。

 子供を庇うようにして倒れている父親と思しき男の姿に、トッドはどうしても自分を重ね合わせてしまっていた。



 寧の指が再び投影された入力装置の上で軌跡を描く。

 数瞬で投影式モニタの中にグリーンの文字が浮かび上がり、監視装置への欺瞞が完了した事を示す。


「長くは持ちませんが、七、八分は欺けるかと。ただし非常事態に伴って、隔壁が下ろされる可能性は残っています。そうなったら解除には私でも少し時間がかかります」

「分かった――ステフ、絶対に手は出すんじゃないぞ。それが誓えるなら行ってこい」


 ステフは大きく頷くと体を屈め、弾けるように走り出した。

 低重力下での訓練はしていないが、人造人間の身体感覚は二歩目を踏み出す時には地上との違いを補正した。

 軽くなった体とサイボーグ以上の脚力によって、ガウスガンから撃ち出された弾丸のようにターミナルへの通路を駆けていく。


「殺れるなら、いいよね」


 かすかな呟きは、一瞬で遙か後ろに遠ざかっていく。

 危険な、これまで感じた事のない気配。あれをトッドに近づけてはいけない。


 偵察というのは最初から方便だ。

 憂い無く全力を出せるを出せる環境なら、例え善市郎が罠を仕掛けていても負ける気はない。

 その為に、今だけ父も寧も置いてきた。

 今だけはたった一人で戦いに臨みたかった。


 大事な父親と、作られてから初めて出会った同等の存在戦闘用人造人間

 そのどちらも失いたくない。

 だから出来る事を――障害を実力で排除する事を選んだ。




 対BC兵器用のマスクを用意すればよかった――ターミナルに到着したステフは、漂ってくるにおい・・・対して、そんな感想を抱いた。

 倒れている人達の中には、痙攣しながら嘔吐や失禁をしている者もいる。その数は数十人といったところだ。

 ターミナルに満ちた嘔吐物や排泄物のにおいは、空気循環システムのフィルタで今も取り除かれているが、全く追いついていない。

 セカンドバベルの周辺区画、その中でも余程治安の悪い場所でもなければ、感じないようなにおいだ。


「何を使えばこうなるのよ」


 口の中だけで呟くステフは、倒れている人を踏まないように壁から壁へと跳び急ぐ。

 確かに寧の言う通り、神経ガスを初めとした兵器ではなさそうだが、この惨状はそれらの兵器に比肩する。

 しかしターミナルへ来て分かったが、倒れている人達は誰も死んではいない。少なくてもステフの視界にいる人達は、気を失っているだけだ。

 このまま放置すれば、嘔吐物で気管が詰まってしまう者も出るだろうが、救助している時間はない。


 あの気配・・までの距離は五十メートルほど。まだ停まっているリフトの中から出ていないようだ。

 旅客用リフトは貨物用と違い、景色を楽しめるように積層強化ガラスの窓が多くしつらえてある。

 リフトにとりつければ最高だが、視線さえ通る位置に接近出来れば中の様子は探れる。


 また達人の記憶マスターズ・メモリーを使うか――

 自分の気配を意のままにする機能を使えば、目視ですらステフを認識するのは難しくなる。使用中の速度は落ちるが、この距離なら問題はない。


 尖らせた唇の間から息を吸い込み、意識を集中し始めた時、ほんの僅かな殺気を感じてステフは大きく身をひるがえした。

 途端、ターミナルに広がる惨状とは無縁に、トミツ技研製の高機能食品の宣伝をしていた大型の投影式モニタが大きく歪み、その投影装置が耳障りな振動を起こして弾け飛んだ。

 それと同時に届いた特徴的な甲高い音は、指向性殺傷用音響兵器スクリーマー特有のものだ。


「ちょっ、何々!?」


 即座に瞳孔を横長にして視野を広げると、乗客と共に倒れていた警備軍の兵士が、上体を起こしてライフル状の機械をステフに向けていた。

 待ち構えられたかと舌打ちするが、それにしては様子がおかしい。

 その表情は軽量型の動力装甲服パワードスーツに隠れて見えないが、構え方はまるで素人だ。遮蔽を取る事すらせず、震える手で狙いを定めようとしている。

 身の危険と警備軍に敵対する危険をはかりにかけ、ステフは単分子ナイフを投擲する。

 ナイフは的確に指向性殺傷用音響兵器スクリーマーの振動子とバッテリーを貫き、小さな爆発と共に兵士が倒れ伏す。

 そのまま兵士は起き上がることもせずに体をよじり、手足をばたつかせる。その機械じみた動きに、ステフはわずかに足を止めていぶかしむ。


「自立型の軍用ロボット……? 警備軍で採用はされてないはず――」


 言い終える前に、総毛立つようなおぞましい気配が、自分の方を向いたのが分かった。

 瞬時に腰を落としたステフは、倒れている人々の間を縫うように走って、手近な柱の陰に身を隠す。

 だがおぞましい気配は、柱をすり抜けるようにその手を伸ばしてきた。

 肌に伝わる気配の感触に、ステフは反射的に単分子ナイフを抜いて、振り向きざまに切りつける。


 だが大振りの格闘用単分子ナイフは、柱を覆った鉄板を切り裂いただけ。

 気配の手――それは赤黒い靄だった。

 鋭い一撃を受けて揺らぎもしない靄は、手の様な、動物の顎のような形を取ってステフへと迫る。


 ステフの直感は、その靄が極めて危険な――プラズマカノンの爆炎よりも――ものだと告げる。

 追撃を入れる選択肢は即座に取り消し、単分子ナイフを構えたまま這うように身を低くして一気に距離を取る。

 その間に片目だけ視界を切り替えて、赤外線や紫外線を捉えてみたが、それらには一切の反応が無い。匂いも音も全くしないまま、赤黒い靄は逃げるステフを執拗に追っていく。

 しかしステフは肌に感じる気配を追って、赤黒い靄の根元・・へ――おぞましい気配へと走りながら、スカートの中から引き抜いた小ぶりのナイフを振りかぶる。


「そこぉっ!」


 全力で投げつけた単分子ナイフは音速を超え、旅客用リフトの外殻を貫いた。

 宇宙空間での運用を前提としたリフトの外殻は、赤外線も殆ど通さず人造人間と言えども視覚では内部は判別出来ない。

 だが気配の揺らぎは雄弁に、手傷を負った事を示している。


「悪い予感はしてたけど、やっぱりなぁ……」


 彼我の距離は二十メートルを切った。

 ここまで近寄れば、おぞましい気配が何なのかは視線が通ってなくても十分に分かる。

 大きく変質してはいるが、その気配は地上で追いかけた相手――善市郎と同じ感触がある。となれば、赤黒い靄の正体も推測は出来る。


 ステフは視界を可視光線のみに切り替え、瞳孔は横長にしたまま視野を維持。

 意識はリフトへと向けたまま周囲を探ると、そこかしこに倒れた人達から、まるで魂が抜け出るように赤黒い靄が立ち上った。

 靄はおおよその人型となり、頭にあたる場所をぐるりと巡らせると、ステフに向き直る。


 赤黒い靄はおぞましい気配を放っているが、まさか人間の中に潜り込んでその気配を誤魔化すとは思いも寄らなかった。

 人型となって現れた靄の数はざっと三十。大元の気配に近寄ったつもりが、すっかり囲まれている。

 だが考えようによっては前よりやりやすいとも言えた。

 超能力はその起こり・・・が分かりにくい。それが靄という形を取ってくれるのなら、格段に対処しやすくなる。


「どうやったか知らないけれど、まさかここまで追ってくるとは。他の二人も来ているのだろう? どこにいるんだい?」


 心の底から楽しそうな声。

 声を聞いたのはこれで三度目だが、間違いようが無い。

 傷を負った左腕をだらりと垂らした善市郎は、土気色をした顔に柔和な笑顔を浮かべて、赤黒い靄を纏いながらリフトの搭乗口に現れた。


「さあね? データチップとキーを渡したら教えたげるわよ」


 善市郎には寧のような防御手段は無いはずだ。

 ステフが右手に持った単分子ナイフを投げつければ、例え体に機械を入れていてもそれで決着する。

 それを押し止めているのは、善市郎が身に纏った靄と視線が通った事ではっきりした匂いだ。


 善市郎からは、生きている人間の匂いがしない。

 腕にはステフが投げたナイフによるものらしき傷はあるが、血の溢れ方も僅かに違和感がある。

 ロボットと見紛う外骨格式サイボーグであっても、今の善市郎と比べたらまだ気配もなにも人間らしさを残している。

 まるで、再賦活システムで動かされる死体と向かい合っているような、人間とは思えない感覚。靄の発する気配がなければ、善市郎にも再賦活システムが入っていたと勘違いしていたところだ。


「君の脳に聞いてもいいんだよ? でもそうすると、そこらのみたいに廃人になるだろうし、出来れば答えて欲しいんだがなあ」


 口角を上げて、善市郎は嗤う。

 自分が引き起こした事を、倒れている者達を見下ろして、心から楽しんでいる顔だ。

 身に纏った靄が形と濃淡を変え、嗤う善市郎の顔を戯画化したような姿となる。

 ステフは仕事も細かな事情も抜きにして、善市郎という男に吐き気がするような嫌悪感を抱いた。


 蛍門インメェン工業公司にいた時も、そこから逃げた後も、様々な犯罪者と出会い、時には殺してきた。

 その中でも、善市郎は指折りにいけ好かない。

 正義の味方を気取るつもりはないが、生かしておくにはその性根が危険過ぎる。


「……いいから死ね」


 スカートをまくり上げるようにして、太ももに巻き付けた鞘から三本のナイフを引き抜く。

 だが手首の返しだけで投げつけようとした瞬間、射線にいた人達が一斉にバネ仕掛けのように跳び起きる。


 ステフの投げる単分子ナイフは、人体の二つ三つは容易に貫く。

 人間の盾など本来無意味であるが、口から泡を吹き、善市郎には廃人と言われていても、無関係な人達を傷つけるのは躊躇してしまう。

 その隙を突き、周囲から赤黒い靄が一気に襲いかかる。


っきしょうDamn it


 悪態をつきながらも、矢継ぎ早に襲い来る靄をかわしていく。

 敵ならば、殺せる。

 ただの障害ならば力で排除出来る。

 しかし今、善市郎との間に立ち塞がっているのは、赤黒い靄の犠牲者だ。彼等はまだ生きている。

 彼等が死ぬような事は、今のステフには出来なかった。




 仕方の無い犠牲コラテラル・ダメージと割り切るのは簡単だ。

 七大超巨大企業セブンヘッズにいた時も、命令通りに割り切ってきた。

 でも今のステフが彼等を犠牲にすれば、トッドは叱りもしないし目的の達成を褒めてくれるだろう。

 人造人間であるステフに出来ないのなら、仕方のない事だと分かってくれる。

 それでも心の内で悲しむ事は分かる。

 父はそういう――甘い人間だ。


 だから好きになったのだ。

 軍人上がりとは思えぬ甘さも、人造人間である自分を受け止めてくれた優しさの一部だ。

 だからこそ、優しい父が悲しむ事はしたくない。

 体を売るだの強盗するだのを冗談で口にしても、実行する気は毛頭無い。仕事でない時に、ついつい父を試すような事を言ってしまう悪い癖だ。

 無関係の人達を犠牲にするのは、そんな冗談では済まされない。


 複数の人質の中にいるテロリストを殺すくらい、七大超巨大企業セブンヘッズにいた時に何度もやっている。

 今回はその時より少々厳しいだけだと、ステフは気持ちを切り替えて両手に持った単分子ナイフに力を込めた。

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