第34話 昇り来る

「ぐぅ……きもちわりい……」


 減速度は加速度に比べて緩やかであったが、座席の方向上、血流が上半身――特に脳へと集中したトッドは強いめまいを起こしていた。

 機械化した目はレッドアウトを起こさないが、その分の血液が脳へと回っているのか、貨物用リフトから降りる足取りはおぼつかなかい。

 地上から五百四十キロ上空の低軌道ステーションは、重力が二割ほど減って体は軽く感じるが、頭だけは二割増し以上に重く感じられる。


「ダディ、大丈夫?」

「肩をお貸ししましょうか?」

「いや、いい。大丈夫だ、一人で歩ける」


 トッドは眉間を押さえながらも、心配そうな寧の申し出をやんわりと断る。

 正直言えば今すぐにでも肩を借りたいが、ステフが拗ねるのは目に見えている。それに父親として大人として、あまり弱いところを見せるのもばつが悪い。


 地上の貨物用ステーションでは人払いがされていたが、低軌道ステーションでは事情が少し違った。

 三ダースを超える運搬用ロボット達が、時間に追われる極少数のオペレータの元でせわしなく動いている。だがオペレータ達は場にそぐわない三人を誰何すいかする事もなく、視線を向ける事もない。

 一様に三人をここにいないものとして扱っている。


「やっぱり凄いな、七大超巨大企業セブンヘッズの影響力は」

「軌道塔の運行に支障の無い範囲、ではありますけれどね。幾らトミツ技研と言えども、セカンドバベルで無理を通すには限度がございますわ」


 自嘲混じりの片笑みを浮かべる寧は、新しく手配した指輪型の端末を起動する。

 トッドやステフにも見えるように大きく投影されたモニタには、低軌道ステーションの地図が大写しになっていた。そこには三人を示す白い光点が、ナビゲーション機能で描かれた線を辿っている。


 それとは別に赤い光点が一つ瞬いていて、7セグメントの数字でカウントダウンが添えられている。

 これは旅客用ターミナルと書かれた区画に表示されていた。


「この赤いのが善市郎か。まだ着いてなかったんだな」

「ええ。出発こそ出遅れましたが、貨物用リフトを使った事で巻き返しが出来ました。今回は私達があいつを待ち構える番です」


 赤い光点を指差すトッドに、寧は頷きながら答えた。


「そりゃあ幸いだ。ひでぇ目にあっただけの事はあったな」


 培養臓器によって強化されたトッドの循環器系は、血流の調整を続けている。カウントダウンの数字から考えると、善市郎が到着する頃にはめまいも多少は治っているだろう。

 負傷――特に無茶をさせた人工心臓の――が無ければ、もっと早く治ったはずだ。


「ねぇねぇ、どこ行けば外を見られるの? ここからだと地球見られるんでしょ?」


 横から投影式モニタを覗き込んでいたステフが、好奇心を隠そうともせずに問いかける。

 元々、ステフは実年齢相応に好奇心旺盛だ。

 それが生まれて初めて、低軌道ステーションとは言え宇宙へと来たのだ。その好奇心を抑えておけるはずもなかった。


 仕事中ではあるが、善市郎が到着するまでまだ時間はあった。

 寧が表示している移動経路には、移動にかかる時間も示してある。それによると、五分十分の余裕はあった。


「一度ロビーを通ります。そこで外は見られますよ。リフトのターミナルとスペースプレーンのターミナルは離れていますから、我々が善市郎と接触する場所はその経路上となりますわ」


 呆れるようなため息をつきながらも、寧はロビーの場所を強調表示する。ご丁寧に表示されていた移動ルートを大回りに――展望の良い場所を通るものに――修正すらした。

 それと同時に二つ目のモニタを投影し、善市郎が通るであろうコースの予測を四パターンも表示する。


「寧は宇宙から地球見たくないの?」

「私は低軌道ステーションにも、高軌道ステーションにも何回か行ってます。見慣れたとまでは言いませんが、その時に何度も見ています」

「それじゃあ見て楽しめるって事だよね。ダディも見たいだろうし、寧も一緒に見ようよ」


 無邪気に言うステフに、寧は目を丸くして足を止める。

 嫌っている事を隠しもしないステフから、まさか誘われるとは思ってもいなかった。

 突然の事に人造人間でありながら、すぐに返事をする事も出来ずに立ち尽くす。


「止まってたら見る時間無くなっちゃうよ? 早くいこっ」


 足を止めた寧に振り返ったステフは小首を傾げ、不思議そうに見つめている。

 その隣ではトッドが小さく微笑みながら、手招きをしている。




 ステフにしてみれば、初めて来た場所――宇宙でテンションが上がり、寧を嫌っている気持ちが後回しになっているのだろう。

 それは寧にも分かっている。


 何度となく二人の前に立ち塞がり、殺し、あるいは捕らえようとしたのは自分だ。

 今を持って、二人への執着は消えていない。

 それはステフには伝えてあるし、トッドも分かっているだろう。


 だが、気まぐれの産物であっても、ひとときのものであってもいい。任務の最中にほんの少しだけ、楽しい時間を過ごしても良いのではないか――二人を見ていると、そう考えてしまう。


 以前、任務中に時間を作り、展望台で見た地球の景色は今も忘れていない。

 その時は一人で来たが、今は違う。


「そう、ですね。少し急ぎましょうか」


 寧は微笑みを返すと、小走りに二人へと駆け寄った。




 低軌道ステーションのターミナルは、深夜を過ぎてもまだ何十人もの人が行き来していた。

 二十四時間休む事なく運行されるリフトは、観光客だけでなく低軌道ステーションで働く職員や、様々な資材も運び続けなくてはならない。

 そうでなくては、難しいバランスの上に成り立っている低軌道ステーションや、静止軌道ステーションの運営が破綻してしまう。


 ステフは二人に先立って、人の間を縫うように駆けると、ロビーの展望席へと向かっていく。


「やれやれ……ああ言うとこはやっぱり子供だな」

「仕方ありませんわ。初めてなんですもの」


 苦笑気味に言うトッドに、寧も同意するように微笑んだ。


「ところで、だ。善市郎をどうこうした・・・・・・後に、その後始末はどうするんだ?」


 小さく口の中だけでトッドは呟いたが、それは明らかに横を歩く寧にだけ聞こえるようにしたものだ。

 表情こそ穏やかなものだが、トッドは仕事の詰めを忘れてはいない。


「処理不能廃棄物に混ぜて、貨物用リフトで下へ送る予定です。そのためには、密やかにそれ・・を抱えて、貨物用ターミナルへ戻ってくる必要がありますわ。手段の方はもう手配済みです」


 殺さずに無力化出来る相手でない事は、三人の誰もが分かっている。

 来訪者のほぼ全てが把握されている軌道ステーションでは、誰か一人がいなくなるだけでも大事おおごとだ。

 加えて地上と違い、閉鎖環境の軌道ステーションでは死体の処分も難しい。


 それでも、年に一人二人は行方不明者が発生する。

 もしくはリフトやスペースプレーンには、搭乗した履歴のない死体が発見される。


 曰く、七大超巨大企業セブンヘッズの暗闘の結果。

 曰く、バベルの塔の再現した事による罰。

 根も葉もない噂は流れても、その真相を掴んだ者はいない。

 彼等はセカンドバベルが完成して間もない頃は、世界中でニュースとして取り沙汰された。しかしそれも完成後十年を超えた今では、一部を賑わわせるものの深く追求する者はいなくなっていた。


「手筈は整ってるか。前にもやったのかい?」

「まさか。我々トミツ技研の想定している方法と言うだけで、これまで実行に移した事はありませんわ」


 左側だけ口角を上げ、意味深に寧は微笑んだ。それを見たトッドは深くは尋ねまいと話題を切り替える。


「さて、数分ばかりだろうが、仕事を忘れて景色を楽しむとしようぜ。それくらいは大丈夫だろう?」

「そうですわね。私達も、ステファニーを今だけ見習う事としましょう」


 寧はほんの一歩分だけ、トッドに近寄りながら傍らを歩く。

 ステフの興味は展望席の外に広がる、地球の夜景に向いている。

 少しずるいとは思ったが、これくらいは良いだろうと寧は自分を納得させた。


「遅いよ二人ともっ。ここ凄くいいよ、ほら、足元にセカンドバベルも見えるし」


 ステフは小さく飛び跳ねながら、トッドと寧に手を振った。

 リフトのターミナルは旅客用貨物用問わず、円盤状をした低軌道ステーションの最下層――地球側にある。

 無重力状態となる静止軌道ステーションはともかく、まだ地上の八割ほどの重力を感じる低軌道ステーションでは、展望席の足元に様々なコーティングを施した七層構造の強化ガラスがはめ込まれている。

 これが一番、地球とそこから伸びる軌道塔を一望しやすいと評判で、深夜を回った今もロビーの中では人が多い場所だ。


 軌道塔のたもとから夜の海へと放射状に広がる、セカンドバベルの地上部分の明かり。それが緩やかにたなびいた雲間から覗き、まるで地球を見ながらにして星空を見ているような錯覚を覚える。

 少し視線を動かせば、本当の星空の切れ目――宇宙空間に浮かぶ地球の丸みも見て取れる。


「ステフ、あんまり飛び跳ねるなよ。ガラスが割れて地球に落ちるぞ」

「ダディよりは軽いから平気だよ。それにあたしがちょっと飛び跳ねても、割れるような造りじゃないでしょ」

「スカートの中、見えますわよ」


 呆れ気味の寧に言われ、慌ててステフはスカートを押さえる。見られて困るのは下着よりも、スカートの中に隠し持った単分子ナイフだ。

 幸い足元のガラスには反射低減コートが施され、反射で見えてしまう事はない。

 しかしステフのように、何度も飛び跳ねては直接見られてしまう可能性はある。


「す、スカートって殆どはいたことないし……」

「その長さでも、あまり激しく動くと見えてしまいます。私のように何か超能力で押さえているのではないのですから、お気を付けなさい」

「それであたしとやりあった時は見えなかったんだ――何か隠してないか気にしてたんだけど、膝辺りまでしか見えなかったのよね」


 初めて会った時を思い返しながら、ステフは合点がいったとばかりに何度か頷いた。

 そんな少女達のやりとりを見ながら、トッドは僅かに苦笑する。


「今だけは、少しの間だが景色を見ようぜ。折角ここまで来たんだから――どうした?」


 二人の少女は、トッドの言葉が届いていないかのように気配を変えた。その視線は真下から伸びる軌道塔へと注がれている。


「寧。分かる?」

「ええ。悪い予感・・もしますわ」


 張り詰めた声に確認し合う二人。

 人を超えた感覚を持つ人造人間の二人は、明らかに動力装甲服パワードスーツに囲まれている時よりも緊張している。


「何か感じるのか?」

「トッド。作戦は大幅は変更を余儀なくされる可能性が高まりました。あれが見えますか?」


 寧が指差す先を、機械化した目を凝らして最大望遠で見つめる。そこには低軌道ステーションへと昇ってくる一台のリフトが辛うじて見えた。


「ありゃあもしかして――」

「時間的に目標が乗っているリフトです。私の予知と――この気配から推測すると、少々危険なものが近づいていると考えられます」

「少々なんてものじゃないよ。こんな遠くから分かる気持ち悪い気配、あたし初めてだよ」


 少女達に遅れて数十秒後、トッドにも二人の言う気配が感じられた。

 それ・・に近いものを、二十年近く前にメキシコの紛争へと出兵した時に感じた事がある。

 二世紀前から続く麻薬戦争の延長線にあった紛争は、市街地だけでは無くまだ原初の姿をとどめているジャングルにも広がっていた。


 二十二世紀になっても西洋文明をはね除けるかのように広がる、樹木の海としか言いようのない深いジャングルの中。機械化した目の光量増幅や赤外線視覚を稼働させても、まるで何かに飲み込まれたような感触すら錯覚させる夜闇。

 その中でトッドは奇襲によって部隊からはぐれ、正式採用されたばかりのガウスライフルを携えながら夏の夜をさまよっていた。


 機械化された耳に届くのは、ジャングルに棲む様々な動物の鳴き声や吠え声。それらが混ざり合って、原始的な夜闇そのものが喉から絞り出したような声となっていた。

 声の主は、まだ若い――それでも既に歴戦の兵士であったトッドを、じっと狙っていた。

 そうとしか感じられなかった。

 その時に感じた気配は動物的でありながら、トッドの既知からは大きくずれたものだった。


 それは一晩中に渡って、つかず離れずの距離からトッドを狙っていた。手にしたガウスライフルの重みも、頼りなく感じたのをよく覚えている。

 戦争用の重サイボーグであっても、隙を見せれば死ぬ――その気配にはトッドに強く直感させるほどの威圧感を持っていた。


 明け方に部隊と合流するまでの一晩限りではあったが、何度も紛争地域へと出兵した中で、その時ほど危険を感じたことはなかった。

 それと同質、しかも凶悪さとしか表現出来ないものを大きく増した気配は、三人の足元から凄まじい速さで近づいていた。


「やっぱり特効薬パナシーア持ってくるんだったわ」


 トッドの軽口に、二人の少女は沈黙をもって肯定した。





 二人の人造人間ステフと寧が気配を感じる、十分ほど前。善市郎はリフトの座席に身を沈めたまま、荒い息をついていた。

 強いめまい、指を動かすことも辛いほどの脱力感。

 何度となく使ってきたリフトで、このような事になるのは善市郎にとっても初めてだった。


「課長、お気を確かに。もうすぐ低軌道ステーションへと到着致します。到着後は一度、我々の提携している病院へと参りましょう。この体調ではスペースプレーンでのフライトは無理です」


 個室となったファーストクラスの中で、向かいに座った護衛の一人が眉間に皺を寄せながら進言した。

 護衛の手には、善市郎がはめた腕時計型端末と同期した、手帳型の端末が握られている。

 身体の機械化を一切していない善市郎は、バイタルモニタを兼ねた腕時計型端末の着用をマクファーソンカンパニーから命令されている。監視の意味もあるが、何より集団としての能力を重視する社風から、指揮官である善市郎の体調等は周囲に把握させておく必要があった為だ。


 怒れるトッドの拳を受けた善市郎は胃や脾臓、小腸と言った複数の臓器が損傷していた。

 腕時計型端末に仕込まれた止血剤の自動投与や、移動中に追加した細胞賦活剤では内臓からの出血を止めきれず、本来はリフトへの搭乗など出来る体調ではなかった。


「だっ、黙りなさい……一刻も早く、本社に届けなくては……」

「それは私どもが――」

「私が、やると、言っているのだ」


 吐き気を催す血臭混じりの息をつきながら、絶え絶えに言葉を紡ぐ。

 喉にこみ上げてくる血を飲み下し、顎を大きく動かしながら呼吸を整えようとするが上手くいかない。


 今では終端装置T・デバイスの指揮官として、後方での業務が多い善市郎も、若い時には生身ながら前線に出ていた時期があった。その時に何度かは負傷し、業務から離れた事もある。

 その経験からしても、ほぼ無防備で受けたトッドの一撃は、老年に近づいた善市郎が受けるには致命的なものだと分かる。単結晶抗弾繊維の防具を着けていても、車にはねられたような衝撃は止められなかった。


 時間さえあれば治療を優先したいが、その時間が無い。

 今を持ってトミツ技研の魔女は健在だろう。それにステファニー・エイジャンスのような、人造人間と思しき化け物も殺せたか確認出来ていない。


 時間をかけてしまっては、次に昇ってくるリフトで追いつかれてしまう。

 世界に名だたる七大超巨大企業セブンヘッズ。その中でも最大のマクファーソンカンパニーに所属する自分が、ここまで追われる立場になろうとは思ってもみなかった。

 鎮痛剤で痛みこそ鈍っているが、重い感覚のある腹に手を当てながら、善市郎は天井を見上げた。


 トッド・エイジャンス。

 たった一人の年老いたサイボーグ。

 そんな男が、苦労して引き入れたアルフとニーナを殺しただけでも大きな損害だ。だがそれだけに留まらず、トミツ技研の魔女をも支配した精神感応を、無理矢理に打ち破るなぞ想像の埒外だった。


「あいつさえ――いなければ」


 善市郎の精神感応は、終端装置T・デバイスをも薙ぎ倒す寧にもステフにも通じた。

 寧は完全に支配下に置き、ステフは幻影により動きを封じられた。

 手順さえ違えば、三人を制圧する事は可能だった・・・のだ。


 腕が立つとは言っても、トッド・エイジャンスは年老いた――型落ちのサイボーグだ。

 軌道塔の警備軍にも納入している最新鋭の動力装甲服パワードスーツを、二ダースもぶつけてやれば、どうにでもなったはずだ。

 エイジャンス父娘を軽んじ、七大超巨大企業セブンヘッズでも知られた工作員である、トミツ技研の魔女に注力しすぎた代償は大きかった。


「あいつさえ殺していれば……」


 息苦しさに歯を噛みしめる事も出来ない中、善市郎は怒りに震えていたトッドの顔を思い浮かべていた。

 薄れそうになっていく意識を、トッドへの怨みで賦活する。


「あいつ、さえ……っ」

「課長っ!」


 声を上げた護衛が手にした端末からは、立て続けに警告音が鳴り響き、投影式モニタの表示は善市郎のバイタルが危険域に入っている事を示す。

 しかしそれら全てが雑音とも感じられないほど、あと半歩と迫った死を前にして善市郎の精神は異常なまでに集中していた。


 最初の異変は善市郎の吐き出す、血臭混じりの息に現れた。

 赤黒い靄が蒸気のように、善市郎の口から立ち上る。

 個室の中にいた三人の護衛は、善市郎が血を吐いたのかと錯覚したほどだが、それが空気に混ざって薄くなるのを見て、揃って機械化した目を瞬かせた。


「何だ今のは――」


 善市郎の隣に座っていた、護衛の男が思わず口を開く。そして続けて起こった二つ目の異変に、すぐさま口を押さえた。

 まるで粘土でも頬張ったかのような感覚が舌を圧し、それが重さを増しながら胃の腑へと流れ込んでくる。喉に内蔵された対ガスフィルタも飲食物濾過機構も、流れ込んでくる何かを止める事が出来ない。

 両手で喉を押さえて必死に吐き出そうとするが、喉の中で蛇のようにのたくる何かは動きを止めない。


「トッド……エイジャンス。あいつさえ……」


 顔を真上に向け、血走った瞳で天井を見上げる善市郎の口からは、言葉と共に赤黒い靄が濃さを増して流れ出す。

 靄は例え護衛達が機械化した目の補正システムを、全て使ったとしても正体を見抜く事は出来なかっただろう。

 赤黒い靄は、護衛達の意識の中にしか存在していないものだった。


 精神感応による脳内へと投影される幻影。

 寧の知覚から善市郎の姿を隠し、ステフに善市郎の幻を見せた能力。

 赤黒い靄も護衛達の体内へと入り込もうとしている何かも、死の間際にある善市郎が無差別に使っている精神感応の産物だ。


 これまでは幻影を見せる時は幻影のみ、精神への攻撃を試みる時は攻撃のみと、今のように混ぜて使う事は出来なかった。

 それが死を前にした集中力と、トッドへの怨みによって善市郎の精神感応は一段階進歩したのだ。


 だがもう護衛達は自分達に起こっている事に、考えを巡らせる余裕が無くなっていた。

 重サイボーグである護衛達は、指が食い込むほどに強く喉を押さえて苦悶している。

 口からみぞおちの辺りへと潜り込んだ何かは、背筋を駆けるように頭へと狙いを定めて這い上ってくる。

 痛覚の遮断も意味を成さない。

 機械化された目の奥で、閃光手榴弾が爆発したような輝きが立て続けに発生し、固く閉じた瞼の間から涙が流れる。


 重サイボーグ達の必死の抵抗も意に介さず、何かは彼等の脳へと到達すると、その自我へと巻き付き――砕き、飲み込んだ。

 その途端、護衛達の屈強な体は一つ大きく痙攣すると力を失った。


「ああ、これは――良い。至極、良いものだ」


 天井を向いていた善市郎は首をうなだれながら、静かになったファーストクラスの個室で呟いた。

 その目は血走ってこそいるが、僅かに生気が戻っていた。


 これまで精神感応で相手の精神を探り、壊した事は幾度もあった。

 だが精神を食う・・のは初めてだ。

 支配するのでも壊すのでもなく、人の心を自らの糧にしまう味は、独特で何にも代えがたいものだった。


 気づけば、こみ上げる吐き気は少しだが治まっている。トッドの拳がめり込んだ腹の重さも和らいでいた。


「まだまだ、足りんなぁ」


 鬼気迫る獰猛な笑みを、皺の増えた顔に浮かべた善市郎は、精神感応でリフトの中にいる精神の反応を探る。

 深夜便であっても、常に軌道塔で運行されるリフトはほぼ満員だ。

 数十人の精神がそれぞれに様々な思いを抱えて、もうすぐ到着する低軌道ステーションの事を考えている。


 善市郎は大きく息を吸うと、肺の中の空気を搾り出すようにして赤黒い靄を吐いた。

 音も無く泉のように湧き出る靄は、壁を素通りしてファーストクラスからビジネスクラスへとリフトの中を広がっていく。

 防音の効いた個室の中でも、僅かに届く悲鳴に耳を澄ませながら、善市郎は片端から精神を砕き咀嚼し、飲み込んでいく。


 大きく足を投げ出して、恍惚の表情を浮かべる善市郎の足元では、三人の護衛達が小さく痙攣を繰り返している。その体の下では、まだ善市郎の腕時計型端末と繋がった手帳型端末が、小さな音を立てていた。

 投影式モニタは消えてしまっているが、端末の小型モニタには心停止を告げる文字が激しく点滅していた。


「食い散らかすのは行儀が悪いが、この味を知っては止められんね……あの三人は、どんな味がするのだろうねぇ」


 鼓動を止めた自らの心臓に気づく事なく、善市郎はうっとりとした声を上げた。

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