第29話 温もり

 ステフの振るう単分子ナイフは、隔壁もシャッターも一様に切り裂いていく。今振るっているのは動力装甲服パワードスーツが持っていた鉈サイズのものだ。分厚い隔壁でも刃渡りが足りなくなる事はない。

 破れたスキンスーツは胸の辺りだけを止血テープで補修してあるが、その下の火傷も骨折もまだ癒えていない。傷ついた肺は呼吸の度に痛みを訴えるが、人造人間の痛覚は過度の痛みを自動で遮断する。

 下手に振るえば数度で切れ味の鈍る単分子ナイフを、最適な扱い方で振るい続ける。ステフの小さな体に染みついた動作は、感情にも体調にも左右されない。

 まだ幼さの残る顔には一切の感情も表さず、ステフは障害となるものを切り裂いていく。

 目標はトッドや寧と合流した時に離れていった気配――善市郎だ。泣きじゃくっていても、鋭敏になっていたステフの感覚は逃げる善市郎を捕捉し続けていた。


 無表情に刃を閃かせるステフの後ろを、一歩遅れてガウスマシンガンを抱えた寧が走り、そこから更に遅れてトッドが続く。

 三人の中で一番傷が軽いのは寧だが、先陣を任せる事をステフは強く反対した。

 それが泣きながらの我が儘なら止めようもあるが、トッドの腕の中で泣き止んだステフは感情の欠片も見せないほど冷静だった。猫のように縦長に絞られた瞳に涙を浮かべながらも、理路整然と最低限の言葉で自分が先陣を切る必要性を説くステフに、二人は頷くしかなかった。




 まずいな、また出会った時に戻っちまってる――以前も幾度か、ステフは感情の抑えが効かなくなった直後、その反動からか至極冷静になった事がある。

 初めてステフと遭遇した時、この世の物とは思えない速さと技量で、危うく殺される寸前まで追い込まれた。その時のステフは今のように表情に感情が殆ど表れない子供だった。そのせいで最初は子供型の機械ではないかと、疑りすらした時もある。

 紆余曲折の末に二人で家族として過ごしていくうち、そうした面は影を潜めていき、快活な性格が表に出てくるようになった。しかし時折感情を暴走させてしまい、昔に立ち戻ってしまう癖はまだ抜けきっていない。


 その銃爪ひきがねは常にトッドだった。

 トッドが負傷した時、トッドがステフを怒った時、今回のように酷い誤解をさせた時。

 二人で過ごして育まれたステフの心は、父親であるトッドの行動如何によって、容易にかき乱され暴走してしまう。

 拠り所としてのトッドが、ステフの中で大きすぎるのだ。


 無理も無い。

 最初はステフが一人で真っ当な暮らしが出来るまでと、お節介とは思ったがトッドが切り出した『家族』としての生活。

 当初は数ヶ月も続けば独り立ちするか、それとも嫌気が差してどこかへ行ってしまうかと思っていたが、予想より遙かにステフは懐いていた。

 これまで家庭を持った事がなく、子供への接してきた経験も乏しい。軍を退役して始めた護身術教室で生徒達と触れあった経験や、仲の良かった友人の子供と接したくらいだ。拙いながらも父親役として過ごしていく中、不慣れな父親に懐いてくれた事に感謝している。

 依存しすぎかと感じる事もあったが、珍しい生まれと育ちからすれば、仕方ない面もある。


 単分子ナイフを振るうステフの背中を見ていると、懐いてくれている娘に、自分は応えられているのかと自責の念が沸いてくる。


「ダディ。そいつ――東洋人ぽい爺がいたら、最優先で殺せばいいのよね」


 手は止めず、振りかえる事もなくステフは尋ねる。

 冷たい声もやはり初めて出会った時のままだ。


「そうだ。だがそいつがデータチップとキーを持っている可能性は高い。手応え・・・からすればサイボーグじゃないようだし、過剰な火力で吹っ飛ばすなよ。ただ殺すだけでいいが、最優先だ。先手を打たれたら全滅しかねん」

「分かった。頭だけ吹っ飛ばすね」


 トッドは腹にめり込ませた拳の感触から、善市郎はサイボーグではないと当たりを付けていた。防具越しではあったが、耐衝撃性脂肪層や皮下プレートを殴った感触ではなく、サイボーグであっても戦闘用に調整された体ではあるまい。

 今三人が持っている武器なら、どれを使ってもただの人間のような手応えしかなかった善市郎を殺せるだろう。


 だが善市郎は希代の超能力者だ。

 寧の精神感応を物ともしないトッドも、一時的にだが自由を奪われた。同様に抗していたステフも、善市郎の間合いに入れば精神感応の餌食になりかねない。

 くわえ煙草でにやつくあの男、あのおぞましいクズの言いなりになるステフ。想像するに怖気おぞけが走る。


 善市郎の能力と危険性はステフにも言い含めてある。

 人造人間の死角に入り込むなどにわかに信じがたいが、寧がやられた事がステフに通じないと考えるのは楽観的に過ぎる。


 ステフは隔壁を前にして構えた単分子ナイフを止め、振り返らないまま後ろの二人へと言葉をかける。


「この向こう、気配がかなり多い。殺気も凄いし待ち構えられてる」


 寧の調べた情報によれば、隔壁の向こうは中央区画へと向かう貨物鉄道の地下ターミナル駅だ。初期からセカンドバベル設計に組み込まれている専用輸送機関は、外部の都合を考えずに中央区画、ひいては軌道塔への物資輸送を行える。

 このまま善市郎に逃げられれば、中央区画にあるマクファーソンカンパニー支社どころか、大気圏外の静止軌道ステーションに逃げられる危険すらある。まだ善市郎が地上にいるうちに、データチップとハードウェアキーを奪い返さなければトッド達の負けだ。


「人数はどれくらいだ?」

「ざっと四十九。向こうからの振動で音が聞こえにくいけど、動力装甲服パワードスーツが十五はいるはず」


 精神状態が昔に近くなっていても、ステフの能力が落ちる事は無い。

 逆に、寧が言う『鈍った』状態から離れて、以前の――七大超巨大企業セブンヘッズ時代の――ステフに近くなる。

 そのステフが言うのだから、敵戦力の見積もりに間違いはないだろう。


 トッドが寧を見やると、同意するように無言で頷いている。二人の推測が同程度のものなら、まず間違いはないだろう。

 だが引っかかる事が一つだけある。


「善市郎の気配は分かるか?」


 ステフは善市郎の気配を追ってここまで辿り着いた。

 隔壁の向こうにいるのは明らかだが、問題はその位置だ。

 精神感応に二十メートルかそこらの間合いがあるのは確実だ。配置によっては一方的にやられかねない。

 肩越しに振り向いたステフは、少し困った顔で鼻先を指で掻いた。


「ごめん、ここに入るまでは分かったんだけれど、今はなんか変なの……揺らいだって言うか……おおよその位置は分かるけど、いつも通りの精度じゃないよ」


 ステフの気配察知は調子さえ良ければ、壁の向こうの相手でも正確に把握出来る。その距離もゆうに数百メートルに及び、レーダーじみた性能を発揮する。

 そして今のステフは、精神状態の変化はあれど地上での大規模な破壊でたかぶり、その能力は十全に発揮出来る状態だ。

 ステフ自身もそれは分かっている。

 だが脳裏に閃く気配の感触が、隔壁の向こうに行ってしまった途端に大きく変化したのだ。相手の意識が途切れたのではない。揺らいだとしか表現しようがない、初めて感じる変化に困惑を隠せなかった。


「相手が相手だからな。気配を誤魔化すすべも、俺らとは違うのかも知れん。ステフは全力で善市郎を狙え。他の奴は俺と寧が受け持つ」

「……ダディ、無理しないでよ。立ってるのがやっとじゃないの?」


 トッドの方には目を向けないまま、ステフは呟くように言う。

 たかぶった人造人間ステフの知覚力は、間近にいる人間の体調ならそれこそ医療用センサーのように調べ上げる。

 炸裂弾による火傷や傷は、止血テープを貼り付けていてもまだ血が滲んでいる。チタンコートされた骨は胸骨を中心に数カ所が折れ、いくつものヒビも入っている。アルフにレーザーで貫かれ焼かれた肺も治っていない。それに一体どんな無理をしたのか、右上腕と左大腿部の人工筋肉が断裂している。人工心臓の鼓動も一定しておらず、耐衝撃性脂肪層もいつもの厚みからはほど遠い。

 重サイボーグではあっても人造人間でないトッドは、完治に月単位の時間を要する重傷を負っている。今すぐに非合法の病院へ駆け込むのが最善手であり、戦闘の続行など到底無理な体調だ。


 大事な父親が戦える体調でない事は、泣きながら抱きついた時から分かっていた。

 だからこそ昔を思い出すように、人造人間本来の性能を発揮出来るように、自分の精神を律していた。トッドが好ましく思っていない状態なのを知っていて、自分の暴走した感情を鎮めるのも兼ねて、今だけでも昔に戻ろうとしていた。

 トッドを守れるように、親子のどちらかが死なないようにだ。


 止めて止まるような父親じゃないのは、ステフもよく知っている。

 それでも口を突いて出てしまった言葉に、トッドは首を横に振ると、ステフの頭の手を乗せて少し手荒くなで回した。埃にまみれた癖の無い髪をくしゃくしゃにされながら、ステフは穏やかに笑うトッドの顔を見つめる。


「自分の娘や同世代の子供に後を任せて、じゃあ俺は帰るなんて訳にゃいかねぇよ。あのゲス野郎が死ぬのを確認するまで帰れるか……俺はお前と一緒に家に帰るって決めたんだ」


 トッドの言った言葉に嘘は無い。

 しかし全てを表してはいなかった。


 満身創痍のトッドが無理を押してでも前線に立とうとしているのは、ひとえに善市郎の存在がある。

 理由は分からないが――寧が評したように頑固だからか――トッドは至近距離で善市郎の精神感応を受けていながら、自力でそれを振りほどいた。

 加減をしていたとは考えにくい。

 ガウスガンや単分子武器を持った重サイボーグと、生身の人間が至近距離で相対するのだ。力におごって手を抜いてしまえば、死は避けられないものとなる。


 もう一度同じ事が出来るかと言われれば、トッド自身にも分からない。だが一度でも精神感応を振りほどいた事実は、善市郎の動きを牽制する事にも繋がる。

 ブラックジャックにおける見せ札のようなものだ。

 こちらの手を推測させ、相手に選択を強いる。そこに迷いがあれば付け込む隙にもなる。

 隙を突くのは自分で無くても良い。

 幸い、味方は自慢の娘。そして同等の能力を持つ寧までいる。例え僅かであっても、隙さえ作ればなんとでもなるだろう。


 最悪、金は入らずとも良い。

 ただし、必ず娘と家に帰る。

 これだけは譲るつもりはない。

 自分の軽率な行動で泣かせてしまった娘に、しっかりと詫びなくていけない。いつものように無茶な要求をしてくるだろう。しばらく食事が高カロリー流動食になるかも知れない。

 それでも、娘の無茶な要求やわがままに付き合うのは、いつしかトッドにとってもかけがえのない時間になっていた。まだまだ教えたい事も伝えたい事も山ほどある。

 それを手放す気はない。




 ステフは一瞬だけ見せた笑顔をすぐに消すと視線を外した。

 家族と一緒に家に帰る。

 その思いはステフも同じだ。

 大好きな父と一緒に帰って、お腹いっぱいにご飯を食べて眠りたい。今日くらいはベッドに潜り込んでも怒られないだろう。

 その為にはいくつもの障害を切り裂いて、事件を解決しなければならない。それに何よりもう一人の人造人間、寧をどうするかも決まっていない。


 視界の端ではガウスマシンガンを携えた寧が、口をつぐんだまま二人のやりとりをじっと見ている。

 その視線に込められた感情には覚えがあった。

 人造人間としての知覚で観察するまでもない。

 蛍門インメェン工業公司の任務で、テーマパークへ行った時。モントリオールの地下街でテロリストの痕跡を探していた時。にわか雨に降られたトロントの街中で連絡を待っていた時。

 ショーウィンドウや鏡に映った自分は、時折ああいう目をして周りを見ていた記憶がある。


 羨ましいのだ。

 自分が持っていないものを持っている者。それを近くで見てしまうと、人造人間も人間と変わらずああ言う目をしてしまう。

 セーフハウスで言っていた事は、寧の本心だったのだと今更になって思う。

 ステフは運良くトッドと出会えたが、寧にはそのような相手はいない。

 メーカーは違っても数少ない人造人間同士。近い存在だからこそ、余計に羨望を感じてしまうのだろう。


 これまで何度となく、ステフはトッドと出会えた事を感謝している。口に出した事もあれば、ハグするだけだったり、伝えていない時もある。

 一緒にいてくれる事、家族になってくれた事。

 トッドへの感謝は、何度伝えても伝え足りない。一緒に過ごしている限り、ずっと絶え間なく自分の内から沸いて出てくる。


 ステフは今、改めて感謝を伝えるために選んだのはハグだった。

 単分子ナイフを離して、細い腕を父の大きな体に回して自分の体をくっつける。赤く染まった止血テープの痛々しさを間近に見ながら、額を軽く父の胸板に当てた。

 突然の事に面食らいながらも、トッドの太い腕はそっとステフの小さな体を包んだ。


「一緒に帰るからな。最後まで気を抜くなよ」


 降ってくる言葉にステフは頷いた。

 時間にすれば十秒もないハグの後、離れ際に目の端に入った寧は二人から視線を外して顔を伏せていた。


「私の準備は出来ています。あなた方の準備が終わり次第、突入出来ます」


 ごめんね、寧――感情を消したような声に、ステフは心の中で謝った。見せつけるつもりはなかったが、どうしても今は父の温もりが欲しかったのだ。

 気に入らない所はいくつもあるが、共感する所もある。


 大事な家族の温もり。

 ステフが持っていて、寧が持っていないもの。かつて、ステフも欲しがっていたもの。

 寧はステフの性能が鈍ったと言っていたが、そうではない。

 七大超巨大企業セブンヘッズの元では手に入らなかった、大事なものが手に入ったのだ。自分が持つ性能や機能の使い方、使うべき理由が分かっただけだ。


 それが欲しいと言う、寧の気持ちも分かる。

 寧にもステフのような出会いがあれば良いとは思うが、大事な父を渡すつもりは無い。

 独占欲は強い方だと、ステフも自分自身で理解している。


「俺の準備はもう良いぜ。ステフ、いけるか?」

「大丈夫っ、いけるよ」


 ステフの頭を軽く撫でながら言うトッドに、ステフは大きく頷いて答えた。

 単分子ナイフを拾って構え直すと、横目に寧を見ながら強い調子で口を開く。


「隔壁に穴開けたら、あたしが一気に行く。寧、援護は頼むね。グレネードやミサイルくらい撃ち落とせるでしょ」

「当たり前です。魔女の矜持にかけて、十全の援護と防御を提供出来ますわ。トッドの事は私に任せて、あなたは後顧の憂いなく攻撃に専念を」


 顔を上げつついつもの調子で答えた寧は、片側だけ口角を上げてみせる。少なくても表面上は普段通りに振る舞えるほど、落ち着いている証拠だ。

 ファーストネームだけで呼んだ事は、後でトッドに問い詰めるとして、寧がここまで言うのなら安心出来る。


 隔壁に向き直ったステフは、尖らせた唇の間から息を吸い、止める。

 瞬き一つにも満たぬ間に、三角形の軌跡を描いて単分子ナイフを振るう。

 力を込めていた右足で、切り抜いた隔壁を蹴り飛ばしながら、ステフは目にもとまらぬ速さで突入した。

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