第28話 Emotion
「トッド……助け、て」
善市郎の精神感応で動きを封じられながら、搾り出した言葉は助けを請うものだった。
自分の口からこんな言葉が出るとは思ってもみなかった。人造人間である自分が凡人であるトッドに助けを求めるなんて、あってはならない事だ。
現れたのがステフなら、間違っても助けを請う事はなかっただろう。
しかしその言葉に嘘はない。
寧を追ってきたトッドの姿を認めた途端、安心してしまった自分を認める間もなく、新しい命令が下された。
「あいつを殺しなさい」
背筋を震わせる悪寒の中、寧の体は善市郎の命令に頷いてトッドへを向き直る。
だがその足は一歩踏み出しただけで止まる。
「でき、な……い。それは、だめ……」
声を絞り出しながら善市郎の命令に抵抗する。
それだけはしてはいけない――その思いが寧の足を止めさせる。善市郎に操られる体が二歩目を踏み出したが、そこで寧の思いと体が拮抗した。
「退くんだ寧っ!」
叫びながら走り寄るトッドは、片足を引きずっている。持てる出力を限界まで引き出れた人工筋肉は、いくつかの箇所で断裂していた。痛覚をブロックして無理に動かしているが、普段の動きが出来る状態ではない。
トッドは走りながら
「使えませんね、魔女も。後でしっかりと
隠れたままため息をついた善市郎は、トッドが近寄るのを待った。
自身の能力に対し、善市郎はこれまで何度となく入念なテストを行っている。間合い、対象の状態や人数、効果の限界、体調による誤差。
それら全てを把握して効果的に使う事で、
同様の能力を使うと思われた寧にすら、善市郎の精神感応は効果を発揮した。
トッド・エイジャンスは腕利きのトラブルシューターだが、所詮はただの人間だ。同等以上に機械化された、フルボーグにも通じる精神感応が効かぬ理由がない。
ただし既に銃器を構えているのなら、絶対に通じる間合いに引き込む事でその効果を確実にする必要がある。
善市郎は自身の精神感応へ及ぼす影響を考えて、非合法工作員としては珍しく一切の機械化や身体改造を行っていない。
肉体能力は初老に達して衰えが来ている事も把握している。
もう前線で働ける体ではないが、それをおしてでも出てきたのは、重要な手駒をいくつも失い、作戦の遂行を自身の精神感応に頼らなくてはならなくなったからだ。
だからこそ確実にトッドを支配しなければいけない。
足音と伝わってくる怒りに満ちた精神の動きで距離を測り、間合いに踏み込んだと確信した瞬間、善市郎は命令を下した。
「動くな」
足音が止まるのを確認し、善市郎は再び廊下へと踏み出す。
予想通りに間合いに入っていたトッドは、その顔を憤怒に歪ませながら善市郎を睨んでいる。
「何、しやがった」
食いしばった歯の間から、トッドは声を押し出した。その隣では一糸まとわぬ寧が涙をこぼしながら、顔を青くしている。
自分が呼んだからトッドまで――その後悔がありありと見て取れた。
「精神感応……超能力というやつですよ。君の体は君の意志ではなく私の意志のものとなりました。さあ、その物騒な物を捨てなさい」
対して穏やかな笑みを浮かべる善市郎は、トッドに武装解除の命令を下す。ぎこちない動きで投げ捨てられた
「もうすぐ君の娘もここへ来るでしょう。
ステフの名前が出ると、トッドの怒りが更に色濃くなる。
さも楽しげにその反応を観察した善市郎は、再び煙草を出して火を付けた。トッドの顔に紫煙を吹きかけながら、いびつに口角を上げてトッドを嘲笑う。
善市郎はやろうと思えば表情の自由すら奪う事が出来るが、あえてそれを好まなかった。
理由は簡単なものだ。
体の自由を奪われ、善市郎の意のままに操られる相手の表情を見るのが楽しいからだ。トミツ技研の魔女が泣いて助けを請う姿など、このような手段でなければ見る事が出来なかっただろう。
怒りも悲嘆も絶望も、その個人が持つ全てを支配した証として、善市郎は仕事の一環を超えて楽しんでいた。
「安心してください。ステファニーには我々の元で、楽しい生活が待っていますよ。ちょっと体を調べたり躾ける事はあるでしょうが、なに、子供の順応性ならすぐに慣れてしまいます。君は安心して――」
だらりと下がっていたトッドの指が握りしめられると、煮えるような怒りが拳に込められる。
寧が裸だったのは、この男のせいだ――魔女と呼ばれる人造人間であり、トミツ技研の中でも知られた工作員であろうと、トッドからすれば一人の子供だ。子供を辱めて楽しむ善市郎の毒牙に、
五十年近いこれまでの人生でも、数度しか感じた事のない激しい怒りが、支配されていた体を無理矢理に突き動かす。
「黙れっ!」
人工筋肉が断裂する音が右腕から響くのも構わず、トッドは怒鳴りながら握りしめた拳を善市郎の腹に叩き込んだ。抗弾繊維のボディアーマーを仕込んでいようが関係無く、チタンコートされた骨を積層カーバイトで補強した拳は手首辺りまでめり込む。
今出せる全力で拳を振り切ると、善市郎は血を吐きながら、まるで車にでもはねられたかのように、廊下を転がっていった。
「このクズがっ!
ぎこちなくはあるが、体の自由は戻りつつある。
寧の精神示唆を物ともしないトッドでも、善市郎の精神感応を防ぐ事は出来なかった。だが寧に比べればそのかかりは浅く、怒りに任せて支配の鎖を引きちぎった。
その反動か、右腕はしばらくまともに動かないだろう。
「危ないっ!」
片足が踏ん張れないトッドは引き倒され、その上に寧が覆い被さった。
一瞬遅れて横合いの壁が爆ぜると、トッドのいた位置を数十発の弾丸が通過した。そのうち数発が寧の背中をかすめて肌を引き裂く。
寧は背中の痛みを無視して、倒れこんだ姿勢のままトッドを抱いて這うように走り出した。
ステフに比べれば劣っていても、人造人間の運動能力は人間を大きく超える。百キロを超えるトッドを抱いたままで、弾幕をすり抜けながら二十メートルを超える距離を走り抜け、曲がり角へと身を投げる。
善市郎が殴り飛ばされた時に、寧の体を支配していた精神感応も途切れた。じっとりと汗をかいた肌にへばりつくような、精神感応の
「何発当たった? 大丈夫か?」
「かすっただけです。すぐに治ります」
一糸まとわぬ寧に覆い被さられたままトッドは声を上げ、寧はこともなげに答えたながら身を起こした。
露わになった肢体を間近にして視線を逸らしながら、咳払いを一つしてから口を開く。
「悪いな。助けるつもりが助けられちまった」
「助かったのはこちらです。あなたが来なければ、私はあいつにどんな事をされていたか……」
胸と足の間を手で隠しながら寧は背を向けた。その背中には爪痕のような傷が四つ、肉を引き裂いて刻まれていた。
弾幕は二人の隠れた角を今も削っているが、その威力からすると相手の装備はガウスライフルより大型の機関銃だろう。
微かに聞こえる独特の駆動音は、
今ある武器はトッドの足首に収められたガウスガンが一つと、単分子ナイフが一本。グレネードが三発のみ。
「さて、どうするかね。治療しようにも時間がねぇな」
ガウスガンを抜きながらぼやき、寧を見ないようにしながら曲がり角へと近づく。弾幕が激しすぎて覗き込めないが、駆動音からすれば相手は近づいてきてるのは確かだ。
人造人間に止血剤の投与は効かずとも、せめて止血テープくらいは貼ってやりたいが
「済みません、データチップは――」
「いいさ。その格好見りゃ分かる。ただでさえひでぇことさせられたんだから、あんまり気に病むんじゃない」
寧の謝罪をぶっきらぼうに遮り、腰のグレネードに手をやった。
服も武器も無くしているのに、データチップだけ持っているとは考えにくかった。隠して隠せない事はないだろうが、その暇があるとも思えない。
対サイボーグ用スタングレネードは残り一発。単純な爆発力を持つグレネードでは
投擲のタイミングを計っていたトッドは、ぼろきれとなって体にまとわりついた服の裾を引っ張られ、肩越しに振りかえる。
「私がやります。あなたから預かったものは私の責任において取り返します。やらせてください」
足を内股に閉じて片手で胸を隠したままの寧が、裾を掴んでまっすぐにトッドを見つめている。その瞳はまだ潤んでいるが、揺るぎない決意に満ちていた。
「相手は機関銃だぞ。まともに近寄れんし、この豆鉄砲じゃ弾かれる」
その豆鉄砲で立ち向かおうとした事はひとまず棚に上げておく。寧は胸を隠していた手で涙を拭うと、わずかに左の口角を上げる。
「私は魔女ですよ。豆鉄砲一つでもあれば、
傷ついた分の強がりもあるだろうが、トッドも自分が限界に来ている事は分かっている。痛みはブロック出来るが、飛来するグレネードも撃ち落とせる精度での射撃が難しい。
手早くガウスガンを持ち替えると、後ろの寧に差し出した。
「任せた。済まんがバックアップは厳しい。弾は
「十分で……来ますっ!」
ガウスガンを受け取った寧は、脳裏に閃いた予知に従い鋭く警告を発した。
途端、小型ロケットで加速した
その手に持つのはトッドの推測通り
神経強化型人造人間の反射速度は、戦力の差とその対策を瞬時に弾き出し実行に移る。
ガウスマシンガンの銃口が二人を捉える前に、機関部に内蔵されたコンデンサと薬室に二発の弾丸を叩き込み機能を完全に破壊する。
人型の
両足を可動式の肩部装甲に引っ掛けながら大きく足を開いて、装甲同士の隙間を更に広げる。飛び込んでくる破片を防ぐ程度の装甲は肩関節にも施されているが、直接電磁射出兵器で撃たれる事は想定されていない。的確に両肩の関節を撃ち抜きながら、左手を頭部装甲に引っ掛けて僅かに持ち上げる。
首の後ろに開いた一センチにも満たない装甲の隙間。そこへガウスガンの銃口を突きつけて三度
うなじの辺りから入り込んだ弾丸は、
まずは一体目――寧が視線をずらすと、そこには廊下の奥から小型ロケットを吹かして突進してくるもう一体の
まだ仲間が寧の下にいるからか、ガウスマシンガンは構えていない。その代わりに大型の単分子ナイフ――鉈と言って良いサイズ――を振り上げていた。
近接戦でも人造人間は
足場にしていた
寧の瞳は、突進してくる
血を吐きながら憎々しげに寧を睨む善市郎と寧の視線がぶつかった。
この不可解な硬直は、寧も精神感応で頻繁に使う手だ。
距離のせいか、それとも善市郎が怪我をしているせいか分からないが、止まったのは一瞬だけで動く事は出来る。しかしその動きは常人並みに鈍っていた。
避けられない。
寧の思考速度は鈍った体と対照的に、いつも通りの速度でこれから起きる事を予想した。
念動の盾が出せれば単分子兵器の一撃は容易に弾けるが、この段になっても超能力は回復していない。
四メートル、三メートル。
避けられなくても、倒さなければ――思考速度に自分の体が追いつかない歯がゆさを感じながら、寧は空中でガウスガンを構えようとする。
その銃口が
分かっていても、行動を止める気はない。
覚悟を決めた寧の眼前で、天井を撃ち抜いて一発の砲弾が
28mmにもなる大口径の対戦車砲弾は
着弾の衝撃で大きくバランスを崩した
鈍った体でなんとかバランスをとって着地すると、善市郎の視界から外れようと、床を蹴ってトッドへと飛び込んでいく。
傷だらけの胸板で寧を受け止めたトッドは、端末の通話をオンにして叫んだ。
「ステフっ! 降りてこい!」
リアルタイムで送受信を行う通話は、敵に位置を補足される危険性が極めて高い。しかしここに至っては、位置を知られようと構わない。
トッドの叫びに答えるように、一つ二つと凄まじい音と共に砲弾で開いた穴を中心に、天井にひび割れが広がっていく。
「ダディ!」
叫び声と共に、ガウスカノンを構えたステフが天井を打ち破って落ちてくる。
床までの高さは三メートル弱。
一秒にも満たない落下の中、ステフの目は瞬時に状況を確認し、廊下の奥に二体の
片手で構えたガウスカノンで、銃を持った
そのまま最後の砲弾を使い切ったガウスカノンを捨てると、八十キロを超える物体を投げた反動でトッドの待つ曲がり角へと飛び込んだ。
気の
気配を頼りに善市郎達の方向を睨むと、排熱が終わり待機モードになっていたブラストピラーを構えた。
敵までの距離は二十メートル強。十分にブラストピラーの間合いの中だ。一秒足らず重粒子を放てば、それだけで敵は蒸発する。
「そいつは使うな、データチップは向こうにある!」
鋭い制止の声に、ステフの手が止まる。
本能に刻み込まれた命令よりも、
そして、最愛の父の腕の中に飛び込もうと向き直ったステフは、そこに先客がいる事を認識し、表情を凍らせた。
敵の気配が離れていく事は、頭の片隅で分かっている。だがそんな事は
言いようのない怒りと、悲しさと、驚愕を次々に顔に浮かべたステフは、感情にやり場に迷った末に涙を浮かべて大声で叫んだ。
「なんで……なんで寧が裸なのよっ!? それでなんでダディが抱きしめてんのよ!? 説明してっ! あ、たしっ、あたしだって……そんなのしてもらったことないじゃんかあっ!」
衝動の開放は、ステフの中では極めて感情的な面もある。それを理性で抑え込んだ反動は、感情の暴走という形で現れてしまった。
障害の排除にすら頭が回らず、その場にへたり込んだステフは、寧を引き剥がすどころか幼子のように大声で泣き始めた。
泣き出したステフを前に二人は慌てて離れ、トッドは泣きじゃくるステフの頭に手を置いて優しく撫でた。
「すまん。成り行きとは言え、お前にゃきつかったよな……寧を受け止めただけで、やましい気持ちがない事だけは信じてほしい」
ステフが寧を
それがトッドの安全のためでもあり、父を思う娘としての嫉妬でもあるのも分かっていた。事情はあれど、それをステフが飲み込めるかどうかは別問題だ。
多感な娘の前で、誤解を生む行動をしてしまったのは、父親としての自分の落ち度だった。
トッドは空いた手でステフを抱き寄せると、あやすように背中を撫でた。腕の中のステフは小さな肩をふるわせながら、細い腕でトッドを抱きしめ返す。
「わかってるよお……ダディ、うそいってないのわかるもん。でもでも、あたしもしてもらったことないこと、されてるのみるの、やだよぉ。とられちゃうのやだぁ……」
人造人間の超常的な知覚力は、鼓動や体臭から感情の動きを推し量る事も出来る。
ステフには、トッドが嘘を言っていない事も、自分が誤解している事も分かっている。それでも一度暴走した感情を止める術は、
二人を見ていた寧は、そっと自分の胸に手を当てた。
感情を全く抑え切れていないステフは、戦闘用の人造人間としては論外の存在だ。無防備な今、もしステフを殺す気なら容易に殺せるだろう。
娼館でトッドに言った通り、ステフはトッドと出会い一緒に過ごす事で、人造人間としては致命的にその性能が
けれども幼子のようにトッドにしがみつくステフを見ていると、胸が締め付けられるようだ。
申し訳なさと、無視出来ないほどの羨望。
私も鈍っているのかも知れない――そう思いながらも、寧は感情を露わにして、それを受け止めて貰っているステフを羨ましいと思った。
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