第25話 panacea

「よくあの魔女の信頼を得たものですね。一時的とは言えど組んでいた僕たちには欠片も油断しなかったと言うのに」


 珍しく口を開いたアルフの声には、感心と落胆、そして嘲笑が混ざっていた。


「そりゃお前が隠し事ばっかりしてるからだろうが。あの子の勘が正しかったんだろ」

「トミツ技研の魔女をあの子などと言うとは、無知というのは恐ろしい」

「役職や異名なんぞ知ったことかよ。裏切ったついでに建物ごと消し飛ばそうとしたお前等よりは、よっぽどあの子の方が信頼出来るぜ」


 トッドは血の混じった唾を吐き捨てながら、ガウスライフルに取り付けた高周波振動剣を起動する。弾は撃ち尽くしたが、まだ銃剣としては役に立つ。

 寧が走り去った方向から、何発もの銃声が響く。

 まだ行く先には三体の動力装甲服パワードスーツがいたはずだが、寧が負けるとは到底思えない。


 となれば目下の問題はアルフのみ――トッドがガウスライフルを槍のように持ち替えようとした瞬間、アルフは口を開けた笑顔のまま音も無く間合いを詰める。

 僅かなノイズを立てていた振動剣の音が不意に消えた事で、トッドはアルフが奇襲に使った機能が判別出来た。


 音は空気を伝わる波である以上、逆の位相を持った波に打ち消される。二十世紀から様々な製品で使われてきた消音スピーカーと同じ原理で、アルフは音を消している。

 アルフの消音機能はその精度が極めて高く、壁を壊す音をも人造人間たる寧が感知出来ないレベルに落としている。


 全くの無音の空間で、アルフの拳が繰り出される。

 腰も入ってないただのジャブだが、フルボーグの膂力でなら人間を一撃で撲殺する事も容易い。

 大きく後ろに跳んで間合いを外したトッドは、振動剣をアルフの腰に向けて突き入れる。単分子兵器に比べれば装甲を貫きにくい武器だが、鋼板に突き立つほどの切れ味は持っている。


 しかしアルフはかわす事も打ち払う事もせず、振動剣をその身に受けた。

 その途端、凄まじい電光が走ると突き入れられた切っ先は融解し、大電流によって柄に内蔵された振動子までが弾け飛んだ。

 振動剣が壊れたことで電流がトッドに流れた時間は僅かだったが、それでも動きが一瞬だけ鈍る。

 その隙を逃さず、腰を入れた右フックがトッドの脇腹へとめり込んだ。吐血するトッドをなぎ倒すように右拳を振り切って壁へと叩き付けると、間髪入れず顔面へと左ストレートを放つ。

 危うい所で身を屈めたトッドは、カウンター気味にアルフの顔に右肘を叩き込むが、アルフの体は僅かに揺らいだだけだった。


 密着するようなトッドに、アルフは壁にめり込んだ左拳を引きながら腹へアッパーを入れ、膂力に物を言わせて天井へと打ち上げた。

 肺の空気どころか内臓が口から出そうな衝撃に、トッドは意識を手放しかけるが体を駆け巡る致死量寸前のアドレナリンが、強引に意識を引き戻した。


 ガウスライフルを手放し空いていた右手で、特効薬パナシーアのグリップを掴むと、ホルスターに入れたまま膝を曲げ、太ももで照準を合わせると真下にいるアルフへと16mm徹甲榴弾を発射する。

 至近距離からの高速徹甲弾をも弾くアルフの内骨格も、射手の安全や使い勝手を一切考慮していない特効薬パナシーアの徹甲榴弾を防ぎきる事は出来なかった。

 命中した左腕に大電流が走り、徹甲榴弾を融解しようとするが内包された金属火薬がその電流で起爆。漏電と爆発によって左腕は肘の上で千切れ飛んだ。


 思わぬ反撃にアルフは音を消す事も出来ずに、大きく距離を取り、天井から落ちてきたトッドは片膝を突きながら着地した。


「サイボーグ用の電磁装甲なんざ、よく作ったもんだな。電気代高いだろ」


 血と共に言葉を吐き出したトッドは、不敵に笑った。

 アルフの内骨格に施された装甲は、本来ならば戦車や装甲車と言った軍用車両の一部に備え付けられるような代物だ。

 大電流を蓄えた蓄電器からの放電によって砲弾を融解してしまうが、本来守るべき内部への影響が少なからずある事から、電子機器が様々な兵器の要となっている今では一般的ではない。

 まして軍用車両に比べれば絶縁が劣る、フルボーグの内骨格に電磁装甲を採用するのは半ば自殺に近い設計だ。

 しかし電磁装甲はその特性によって、単分子兵器の刃先に取り付けられたワイヤーを一瞬で焼き切ってしまう。高周波振動剣であっても刃先が溶けてはただの鈍器に過ぎない。

 もし寧が本調子であっても、その武器として単分子ワイヤーを使う限り、アルフはその全てを焼き切ってしまっただろう。


「オメガはバッテリーの技術が抜きん出ているからね。そう高くはつかないさ」


 片腕になっても、アルフは構えを変える事はなかった。胸の高さに右拳を上げ、踵を僅かに浮かせるようにしながら上体を屈める。

 奇しくも初めて対峙した時と似ているが、今はお互いが負傷している。アルフは左腕を失った以外は電磁装甲に傷がついただけ。対してトッドはレーザーで焼けた肺も治らないままに、他の内臓も下手をすれば破裂している。


 前と同じように、アルフはトッドに立ち上がる暇は与えないだろう。

 右手は手首を曲げたまま特効薬パナシーアを撃ったために、アドレナリンでも無視しきれない痺れがある。

 それでも今は、まだホルスターに入ったままの特効薬パナシーアに賭ける他なく、着地しながら抜かなかったのを悔やむ暇も無い。


 気分は西部劇だな――睨み合ったまま、トッドは子供の頃に見た映画を思い出していた。

 アルフの拳がトッドを打ち据えるのが早いか、トッドの特効薬パナシーアがアルフを撃ち抜くのが早いか。

 ゆっくりと息をするだけで、痛覚をブロックしていても胸の違和感は消しきれない。普通に呼吸をしているか怪しいアルフには、呼吸によるリズムが見えない上、また音を消して動き出すタイミングを隠してくる。


 その睨み合いは、予想だにしない所で破られた。

 アルフは腕をもがれ大きく飛び退いた時に、倒れた動力装甲服パワードスーツを背にしていたが、そのうち一体が大きく揺れると、バネ仕掛けのように体を起こしたのだ。


 確かめた訳では無いが特効薬パナシーアの徹甲榴弾は、確実に中身の頭部を吹き飛ばしている。それこそ脳皮質爆弾コーテックスボムのように、首から上は動力装甲服パワードスーツの中で粉々になっているはずだ。

 だがトッドの目の前でそれは動き、あまつさえトッドに向き直って足を踏み出しすらした。


 驚愕の表情を浮かべるトッドに、アルフは右拳を振りかぶりながら突進する。

 隙を突かれた。

 トッドの意識には、押し寄せる後悔と打開策が駆け巡るが、体は極めてシンプルな答えを下した。

 何度も何度も、戦場で、路地裏で、室内で。幾度となく繰り返した動作として、腰に吊した銃を抜き、狙いを定めて撃つ。

 まるで西部劇のように腰だめに構えた特効薬パナシーアから放たれた16mm徹甲榴弾は、アルフの胸に穿たれた僅かな傷――ガウスライフルの高速徹甲弾が融解しながらも付けたものだ――を撃ち抜き、その奥に搭載されていた電磁装甲の要である蓄電器を粉砕した。


 強制的に開放された大電流は、フルボーグの内部を駆け巡り、回路と残っていた数少ない生体組織を焼き焦がす。

 踏み出していた足に流れた電流は、突進の方向を大きく狂わせ、アルフの体は真横の壁に激突して跳ね返ると、トッドの目の前で仰向けに倒れた。胸に大穴を穿たれたアルフは、その顔に笑みを貼り付けたまま、痙攣するように手足を二三度大きく動かしてから止まる。


「今のは、危なかった……」


 倒したはずの、それも頭を吹き飛ばした相手が動くと言う、予想もしていなかった事に完全に意識が持って行かれていた。体が反射的に動かなかったら、トッドの頭は砕けていただろう。

 肩を持って行かれそうな反動と痺れは、今見ているものが幻でない事を示している。

 しかしそれを理解し納得するまでは出来なかった。


 動力装甲服パワードスーツが更に一歩踏み出し、手に持ったままのガウスSMGサブマシンガンを持ち上げた瞬間に、理解は出来ないままに体は動く。

 眼前に倒れたアルフの体を引き起こすと、それを盾にして乱射される炸裂弾から身を守る。電磁装甲こそ動かないが、元より耐久力の高いフルボーグの内骨格は遮蔽物としては優秀だった。

 ぎこちない足取りで一歩一歩と近づいていた動力装甲服パワードスーツは、弾切れと同時にガウスSMGサブマシンガンを捨てると、防御も考えずに突撃してくる。


 動く理由は分からないが、まだ動く敵には違いない。

 アルフの体を投げ捨てながら、特効薬パナシーアを両手で構えて二連射。一発は膝の継ぎ目に、もう一発は真っ正面から首に。

 膝関節を貫いた徹甲榴弾の起爆で右足はあらぬ方に折れ曲がり、首を貫いた弾丸は頭部カバーを吹き飛ばし、動力装甲服パワードスーツは前のめりに倒れる――が、それでも両手を振り回し、這いずると言うには凄まじいまでの速さで突撃を続行する。


 伸ばされたマニピュレータが、特効薬パナシーアを弾き飛ばしてトッドの肩を捉えた。チタンコートされた骨が軋み、引き剥がそうとした手をもう片方のマニピュレータが掴む。

 頭部カバーが無くなり、露わになった中身を見て、トッドは顔を歪ませた。そこには二度の爆発で、首から上が無くなった死体の断面が覗いているのだ。とてもではないがこんな事が出来る状態ではない。


「ゾンビかよ、おいっ!」


 身をよじり抜けだそうとしても、培養した人工筋肉と動力装甲服パワードスーツではまるで歯が立たない。


「いい気味ね」


 多脚型車椅子に乗ったままのミーナは、通路の奥から姿を現すと嬉しそうに声を上げた。


「てめぇもマクファーソンに行ってたのかよ。解雇されてなかったんだな」

「減らず口は首をもげば止まるのかしらね? それともこいつらみたいに、止まらないのかしら?」


 動力装甲服パワードスーツが、その膂力に任せてトッドを床へと抑え込む。少し減っているが三百キロを大きく超える重さと、その膂力に身動きすら封じられてしまう。

 ミーナは多脚型車椅子を近づけると、トッドの顔を満面の笑顔で覗き込んだ。


「再賦活システム。積んでないでしょう?」


 種明かしとばかりに漏れた単語に、トッドは合点がいった。

 元はサイボーグの神経系バックアップシステムとして作られた物だ。

 全身の神経系に配置した演算チップにより、サイボーグの意識が無くなったり頭部に損傷を受けた場合でも戦闘続行や逃走を行うための、機能を限定した第二第三の脳を増設する。これにより生存性は格段に上がるが、外部からの干渉問題を解決しきれずに、今では完全に廃れているものだ。


「私、情報収集だけじゃなくて端末を使う業務でも成果を出しているのよ。だから解雇なんてされる訳ないでしょう」


 嗜虐心を露わにした笑顔のまま、ミーナはガウスガンを抜き、その狙いをトッドの頭に定めた。


「本当はもっともっと楽しい事してから殺してあげたいけど、今は時間が無いの。大丈夫よ、お前の娘は後で楽しい事沢山してから、後を追わせてあげるわね。頭も股もぶっ壊して、世界中にその格好流してあげるのもいいわねぇ。一部の男は大喜びなんじゃないかしら。可愛いものね、あの子」

「地獄に落ちろ、変態め」


 トッドは歯を食いしばりながら睨み付けるが、ミーナにとってはそれも己の優位を確信するだけだった。


「安心しなさいね。本人は頭ぶっ壊れてるんだから、きっと楽しむわよ。父親の事なんか忘れてね――さようなら。トッド・エイジャンス」


 トッドは向けられた銃口を前に覚悟を決めた。

 死ぬ覚悟ではない。

 当面の戦闘を、ステフや寧に任せる覚悟だ。


 通常分泌され溜めているアドレナリンとは別に、トッドの体内には心筋を含む人工筋肉の出力を振り絞るためだけの特殊なホルモンが存在し、培養された人工甲状腺の中に溜め込まれている。

 通常のアドレナリンと比較して、その致死量は十分の一以下。しかも出力を振り絞られた人工筋肉は断裂の危険が高い。

 それを全て体内に開放した。


 人工心臓が激しく脈打ち、桁違いの力が全身に溢れ出す。

 体に食い込んだマニピュレータが肉を抉るのも意に介さず、膂力だけで動力装甲服パワードスーツを持ち上げ、巴投げのようにミーナに向けて投げ飛ばした。

 慌てたミーナはガウスガンの銃爪ひきがねを引くが、動力装甲服パワードスーツが盾になった。

 戦闘向けの神経系強化はされていないミーナは、避けようにも間に合わず車椅子ごと三百キロを超える動力装甲服パワードスーツの下敷きになる。


 しかしトッドの反撃はこれで終わらない。腰の後ろからグレネードを一つ抜くと、徹甲榴弾でこしらえた断面に押し込みながら腕力だけでその場から飛び退いた。

 半秒の後に起爆した対サイボーグスタングレネードは、動力装甲服パワードスーツを内部から焼き焦がし、下敷きになってもまだ息のあったミーナは、焼ける金属塊の下から言葉にならない絶叫を上げた。


 トッドは絶叫を無視して体を起こすと、血を吐きながら胸を押さえた。炸裂弾の爆発で焼けた胸の奥では、尋常では無い勢いで人工心臓が脈打っている。このままでは全身の毛細血管が破れ、心停止すらあり得る。


「くっそ、これ使うハメになるとは……」


 悪態をつきながら、体内の血液フィルタを作動させ致死量を超えるホルモンの濾過を開始する。同時に通常のアドレナリンも濾過されていき、ミーナの絶叫が途絶える頃には、無理矢理抑え込んでいた疲労感に全身に震えが来ていた。


「だが、まだだ――まだ何も終わっちゃいない」


 自分を鼓舞するように独り言ちると、特効薬パナシーアを拾って立ち上がる。

 そしてよろけながらも壁に手を突き、トッドは奥へと向かった寧の後を追った。

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