第22話 陽動と誘い

「人造人間ってのは、大食いなんだな」


 トッドはフライパンの上できつね色になった八枚目のパンケーキを皿に移しながら、呆れたような視線を二人の少女に投げかける。

 その先には、トッドの言葉が聞こえているか怪しいステフが、一心不乱にポークソテーを口に押し込んでいる。

 向かいに座った寧は仕草こそ物静かだが、手も口も一切止まる事無くトッドが作った料理を食べ続けていた。

 山盛りのパスタに、中央アジア風の炊き込みご飯が大鍋一つ分、キロ単位のポークソテー、常人ならこれだけで数人満腹になる量のサラダ。パーティーでも開けそうな量の食事は、トッドがデザートを作っている最中に大半が消えてしまっている。

 冷えてしまっては美味しくないからと、食べて良いと言ったのはトッドだが、まさか寧までステフ並みの速さで食べるとは思わなかった。


「だって、これ食べ終わったら襲撃しなきゃじゃ――」

「食べながら喋らないでください」


 一応は聞こえていたらしいステフが口を開くが、すぐさま寧にやり込められる。ステフは口を尖らせ睨み付けるが、寧はそんなステフを見やる事もなく食事を続けている。


 同年代の子と喋ってるのは初めて見たな――九枚目のパンケーキの生地をフライパンに流し込みながら、トッドはこれまでの生活を思い返す。

 トッドやその友人達は仕事柄もあって、それなりの年齢になっている。仕事で出会う相手も同様で、ステフに近い年齢の者は皆無だ。

 生活の為とは言え、年頃の子とは全く違った暮らしをさせている負い目は、楽しそうなステフを見る度に感じる。

 友達と言える相手が出来ればと思っていても、今の生活を続けていてはその機会は少ないだろう。


「ダディ、焦げるよ」


 物思いにふけっていたトッドはステフの言葉に我に返り、慌ててパンケーキをひっくり返した。




「ごちそうさまっ。やっぱりダディのパンケーキ美味しいや」

「御馳走様でした。甘い物は脳に良い。それが美味しいものなら尚更ですね」


 二人の少女は同時にパンケーキを食べ終えると口々に礼を言う。

 高価な天然物のメープルシロップは一瓶使い切ったし、他の材料も妥協しない分高くはついたが、満足げな二人を見ていると奮発した甲斐もあった。

 代わりにトッドの食事はまたも高カロリー流動食のみ。しかもダース単位で安売りしていた物で、味は最悪と言って良い。痛覚はブロック出来ても味覚をブロックする機能は、トッドにはついていなかった。

 三本目の流動食を飲み干したトッドは、食器を片付けながら手伝いせずソファに転がっている二人の少女に声を掛けた。


「端末と装備の準備しとけ。洗い終わったら作戦会議だ。時間はあんまり無いぞ」


 だから手伝え、と続く言葉は飲み込む。

 食後の余韻に浸りきっている少女達の顔は、トッドの機械化した目にはとても幸せそうに映ったからだ。




 寧の超能力の回復には偏りがあった。

 建物数棟を文字通り消し飛ばす爆弾の威力を、脳への多大な過負荷と引き換えにして防ぎきったのだ。脳神経へのダメージは本来ならば七大超巨大企業セブンヘッズでの入念なメンテナンスを必要とするほどだった。

 しかし寧はトミツ技研への連絡以上の接触は頑として拒んだ。

 強大な超能力を持ってして七大超巨大企業セブンヘッズの中でも知られた存在になった寧にとって、それを一時的でも殆ど失った状態で戻るのは、銃弾の飛び交う中に出ていくより恐ろしいものとして捉えている。

 それを強要する事は、トッドにもステフにも出来なかった。


 だが今使える唯一の超能力が予知であった事は、三人にとって幸運であった。

 こと戦いの場において物理的な強さよりも重要視される情報。それを未来から汲み取れる予知能力は、データチップとハードウェアキーを揃えるために最も有用と言える。

 トッドは寧の前に大型の投影式モニタを持ってくると、そこにセカンドバベル全域の地図を映し出した。


 深呼吸をしながら寧はゆっくりと瞼を閉じる。ややあって、閉じた目を開きながら右手でモニタを操作すると、ある場所を拡大した。


「間違いないんだな?」

「ええ。魔女の名にかけて、ここにキーはあります。具体的な場所はこの地図では指定しづらいですが、現場にいけば詳しく指定出来るはずです」


 寧が示す場所は、セカンドバベル周辺区画の西二十二ブロックにあるマクファーソンカンパニーの研究所だ。

 ここはセカンドバベルにある研究所としては最大の物で、大都市に匹敵する面積を持つ西二十二ブロックは、丸ごとマクファーソンカンパニーの所有地となっている。

 その中からたった一つのハードウェアキーを探し出すのは、とても三人で出来る事ではない。


「罠じゃないでしょうね?」

「そう思うのは勝手ですが、私は私の矜持にかけてここにあると言う他ありません。信じるかどうかはお任せします」


 まだ寧を信じ切れないステフは疑いの言葉を向けるが、きっぱりと言い切られるとそれ以上は何も言わなかった。取りなすようにトッドはステフの頭を撫でながら“眼鏡屋オプティシャン”へとデータを送信し、ハードウェアキーの行方に関しての情報を回すように依頼する。

 “眼鏡屋オプティシャン”がトッド達の置かれている状況を監視していたのは聞いていた。性格上も状況の性質上も、解決を見ずに監視を打ち切るとは思えない。であればマクファーソンカンパニーの動向も追っているだろうと踏んでいた。


「時間は無いが少しは情報の裏は取るさ。疑っちゃいないが、情報の確度は上げといて損は無い」

「それは私も望む所です――ところで、この服はあなたの趣味と考えて良いのですよね?」


 寧は話題を切り替えると、傍らに置いてあった服を広げて見せた。

 いつまでもトッドの服を着せておく訳にもいかないからと、補給がてらに購入したその服は、いわゆる学生服の類であった。

 真っ白い長袖のブラウスにプリーツの入ったチェックの吊りスカート。丁寧にも胸元を飾るリボンまでついている。トッドも名前だけは知っている、セカンドバベルにある有名な高校の制服だった。


「……駄目か?」


 まだ脂肪分に栄養が戻ってないせいで精悍な印象のある顎を撫でながら、トッドは眉根に皺を寄せた。

 自分が着るラフな服装かスーツ、もしくは戦闘用に使われる服なら知識はあっても、ステフや寧のような少女が着る服の知識は全く無い。

 その中で、以前ステフが街中で見かけて可愛いと言っていた記憶を頼りに、寧のような少女が着てもおかしくなく、それでいて指定にあうものを探したのだ。


「スカートとブラウスが良いと指定したのは私ですが、こういう物が来るとは私も予知出来ませんでした」

「注文通りの物で、仕立ても悪くなさそうなのはそれくらいだったんだ。済まんが今はそれを着てくれ」

「いらないならあたしが着るから寄越せっ」


 寧は手を伸ばすステフから制服を遠ざけ、取られないよう胸に抱いた。


「メーカーを指定しなかったのは私の手落ちです。トッド・エイジャンスの趣味であれば、しょうがあるめぇ、って事です」


 トッドの言い方が余程気に入ったのか、寧はまた悪戯っぽく繰り返した。受け取って貰えたトッドは安堵したが、ステフは一人駄々をこねるように足をぱたぱたと振り回して声を上げた。


「ダディ、今度あたしにもあれ買ってっ! あたしもあれ着たいっ!」




 赤道付近に位置するセカンドバベルにおいて、日出も日没も一年を通してほぼ同じ時刻になる。

 静止軌道上の太陽光発電と四機の融合炉を併用した電力が、常に安定して供給されるセカンドバベルは他の都市と比べて照明が多く配置されている。

 それに機械化技術や監視技術の革新によって、昼夜を問わず様々な場所に監視の目が置かれていても、やはり夜闇は潜入に絶好の機会であった。


 時刻は二十二時を五分ばかり過ぎた所で、トッドは車の窓をわずかに開けて車内に夜風を通した。

 今乗っている車は見かけこそただの三ドアハッチバックだが、偽装と速度の向上を念頭に置いた改造を施され、車外から中を見ても液晶ガラスで加工された映像しか見ることが出来ない。勿論違法改造だが、仕事柄気にしない事にしていた。

 西二十二ブロックの研究所から、中央区画へと向かう専用の貨物鉄道の線路脇に車を止め、三人は車内で作戦の最終打ち合わせに入っていた。


「寧。詳しい場所はまだ分からないか?」

「映像は浮かぶのですが、そこに至るまでの道が分かりません」


 投影式モニタに映し出された周辺地図を見ながら、助手席で律儀に制服に身を包んだ寧は首を横に振った。研究所までの距離は直線で二キロほど。偽装を施してあっても、これ以上近づけば警備員が巡回するルートに引っかかってしまう。

 監視カメラは“眼鏡屋オプティシャン”に追加料金を払って、一時的に囮の情報を流しているのでしばらくは誤魔化せるが、それも長くは持たない。


「もうちょっと近寄れば分かるの?」


 後部座席のステフはスキンスーツの上にベストを羽織り、折りたたんだガウスカノンを抱くように座りながら問いかける。


「場所が近くなればなるほど、時間が近づけば近づくほど、私の予知は精度が高くなります。今の私があなた方を追い込んだ時のような精度で予知するには、研究所への潜入が必須となります」


 冷静な自己分析を交えた返答に、ステフは後ろの荷室へと目をやりながら大きく息をついた。


「それなら作戦通りにやるしかないね。派手にやるから後はよろしく」


 狭い車内でステフはガウスカノンを背負うと、腰の後ろに小型のグレネードランチャーを吊す。そして荷室から引っ張り出した、長さ一メートル半、直径四十センチ以上もある六角柱状の金属筒をガウスカノンに並べて背負った。


「それは何です?」

「ないしょ。場合によっちゃあんたに使うかもだからね」


 寧の問いかけにステフは舌を出しながら答える。

 この六角柱はステフの持ち物の中で、一番使い勝手が悪い代わりに一番凶悪と言って良い代物だ。あまりに使い勝手が悪すぎて、先の強襲では選ばなかったほどだ。

 重装備の警備員や終端装置T・デバイスとの戦闘が予想される今でなければ、引っ張り出す事もなかったであろう。


「気をつけろよ。情報が入り次第連絡は入れる」


 後部座席を振り返ったトッドは、手を伸ばしステフの頭を優しく撫でた。

 掌の下で微笑みながら小さく頷くと、その表情を引き締める。


「じゃあ行ってくるね――寧、あたしがいない間にダディに手ぇ出したら殺すからね」


 最後に釘を刺しながらサンルーフを開けて飛び出すと、凄まじい速度で研究所へ向けて走り去っていく。


 作戦の概要はシンプルに二段階。

 陽動として先行したステフが敵主力を引きつけている間に、トッドと寧が研究所へと潜入しハードウェアキーを確保する。寧の超能力が戻っていれば陽動を受け持つのに申し分無かったが、目覚めて二十四時間以上経った今も使える超能力は限定的な予知のみ。

 数と質で押してくるマクファーソンの非合法工作員と、互角以上にやり合えるのは寧を抜かせば同じ人造人間であるステフしかいなかった。


「全く、ませた事を言うようになったもんだな」


 サンルーフを閉めながら苦笑するトッドを、寧はじっと見つめている。何か言い出すかと思って言葉を待ったが、寧はただ見つめるだけだ。


「なんだい? 何かついてるか?」

「トッド・エイジャンス。私が手を出したらどうしますか?」

「大人になってから出直してくれ」


 制服姿の少女には似つかわしくない誘いを、あっさりと断る。だが寧は眉をひそめて食い下がった。


「私の肉体年齢は17歳に設定されています。セカンドバベルの法律上、あと一年で成人を迎えるのですよ」

「そりゃ法律上の話だろ。君ら人造人間は肉体年齢と実年齢が離れてるんじゃないのかい? 『産まれてから』何年経ったか言ってみてくれ」


 ステフの肉体的な年齢は十四歳だが、実年齢はその半分にも満たない。そこから判断しての言葉だったが、僅かに返答に詰まる寧を見るにトッドの予想は的中していた。


「製造されてから、三年になります。ですが製造中から様々な知識や経験はすり込まれ、肉体年齢も成人に近い設定です。それではいけませんか」


 人造人間である寧は強化樹脂で作られた人工子宮の中にいる時から、トミツ技研の持つ大型量子コンピュータに接続されて、製造過程の中で人造人間として必要な知識を技能を学んでいる。圧縮された学習期間は、実時間では半年だが寧にとっては十年以上の時間に等しかった。


「いけないに決まってるだろ。頭ん中に色んな知識を突っ込まれてたって、17歳の体で産まれてたって、俺から見りゃ子供だよ。実際に、表沙汰に出来ない世界だけじゃなくて、色んな物事を見て知って経験してから、誰に手を出す出さないは決めるもんだろ。大人なら、もうちょっと考えてから聞くもんだ」


 言い終えるとハンドルを握り直して車を発進させる。ステフの足ならもう数分で研究所への突入が開始されるはずだった。

 混乱に乗じての潜入をするのに、現場に間に合わなければ話にならない。


「……やはり、凡人のような考え方は私には分かりません。真似をしてみても、あなた方のような考え方は私にあわないようです」


 落胆したような暗い声を上げながら寧は俯き、スカートの裾を強く握った。

 出かけていた時に何があったか、寧が何をしたかはステフから聞いていた。てっきりステフをからかっているのかと思っていたが、そうでない事は今の言葉で分かった。


 自分と同じ人造人間が、自分なら取らない行動をしている。

 その理由を知り、出来れば理解しようとしていた。

 その為に捕らえられたトッドに質問をし、二人きりになった時を狙ってステフやトッドに疑問をぶつけたのだ。


「ステフだって俺んとこへ来てから、色々あって今のステフがある。それが成長ってもんだ……と、俺は思う。一足飛びにやるものじゃないさ」


 半ば無意識に手が伸びると、大きな掌が寧の頭をそっと撫でた。

 突然の事に掌の下で寧は目を丸くし、一瞬遅れて助手席にいるのがステフではなく寧である事を思い出したトッドは、慌てて伸ばした手を引っ込める。


「あ、いや、すまん。悪かった。ステフのつもりで撫でちまった。悪気はないんだ。勿論下心もない」


 養女になった当時のステフを思い出すような寧の言動に、思わず頭を撫でてしまった。早口に幾つもの謝罪を並べるが、寧は口元に手を当てて小さく微笑みを返した。


「トッド・エイジャンス。凡人のような考え方は分かりませんが、ステファニーがあんなに笑う理由は、少しだけ分かった気がします。何となくですが、嬉しいものですね、これは」


 寧が指している事に思いを巡らせる間もなく、前方でまるで爆撃でも受けたかのように続けざまに炎が上がった。

 研究所に突入したステフが陽動を始めたのだ。


「急いで潜入せにゃならんな。でないと研究所が更地になりかねん」


 素早く思考を切り替えたトッドに寧も頷く。


「行きましょう、トッド。キーを壊されては困りますもの」


 研究所の敷地までは数百メートル。促されるようにアクセルを強く踏み込み、シートに体を押しつけられながら警報の鳴り響く研究所へと更に急ぐ。

 トッドがファーストネームで呼ばれたことに気づくのは、しばらく後の事であった。

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