第21話 魔女の影響

 終端装置T・デバイス

 マクファーソンカンパニーが抱える様々な案件を、物理的な威力を持ってして終結させる為の部署の名だ。

 そこに長く所属する初老の男――善市郎は薄暗い部屋の中、穏やかに細めた瞼の奥で三つの投影式モニタを注視していた。


 トミツ技研の魔女――寧に新型気化爆弾を使用してから、二十四時間が経過しようとしている。今もセカンドバベルの警察機構や警備軍が現場を捜索し、負傷者の救助に当たっていた。

 ニュースで中継されている現場の様子を見ながら、善市郎は事前にシミュレートした気化爆弾のデータを呼び出す。

 予想しうる被害状況と、現場の状況は概ね同一。幾つかの要素以外は満足いく結果であった。


 そもそもとして、気化爆弾は寧を仕留める最後の手段として用意していたが、確実な排除を考えていたアルフはためらう事なく使用した。使わずに仕留められたなら、それに超したことはなかったが、使われたものは仕方ない。

 警察機構や警備軍に潜り込ませているスパイからは、まだ寧の死体が発見されたとの報告はない――これが不満の一つだ。

 例え腕一本であっても入手して、魔女と呼ばれる所以ゆえんを解明し、自社に役立てる事が出来れば最高の結果だ。

 人間であれば原形をとどめている可能性は低いが、相手はトミツ技研の魔女だ。生きている可能性を排除する為にも、死体の発見は急務であった。


 善市郎は紙巻きの煙草を懐から一本取り出し、唇の端に乗せるようにしながら火を付けた。

 そして紫煙を吐きながら気化爆弾のデータを閉じると、データチップの捜索に回した部下の配置と報告を呼び出した。


「ステファニー・エイジャンス……中々手慣れているようですね」


 ステフの動きは長年七大超巨大企業セブンヘッズの暗部を見てきた善市郎から見ても、悪く無いと評価出来るものだ。

 街中に仕掛けられた監視カメラの死角を突き、追えないように、捉えられぬように動いている。トミツ技研の魔女とやりあったと言うのなら、このような事が出来るのも納得がいく。

 ステフの足取りを完全に追いきれない部下達は、未だにデータチップの発見に至っていない。


 今思えば、こちらも捉えるに値する相手ではあったが、今回の案件において最優先するべきはデータの確保。その次にアルフ達がもたらすオメガインテンションの極秘資料。寧の討伐は三番手であり、ステフの確保は更にその下になる。

 気化爆弾で諸共に吹き飛ばしては、トミツ技研の魔女でもなければ原形をとどめている可能性は無きに等しい。


 一本目の煙草をもみ消し、二本目を吸おうか迷っている所に部屋の扉がノックされる。善市郎の返事を待たずに扉を開け、顔だけで覗き込んだのはアルフだった。


「善市郎。ここにいたのか」

「何かありましたかな?」


 考え事を邪魔されても、善市郎の柔和な表情は崩れない。アルフのように表情が動かないのではなく、より柔らかい笑顔を見せて向き直った。


「僕の個人的な伝手つてからの情報だが、悪い知らせがある。今大丈夫かい?」

「悪い知らせなら、特に優先しなければいけませんね……どのような話ですか?」

「トミツ技研が動いている。それも魔女の捜索ではない。魔女がいた時のように動き始めている」


 寧はセカンドバベルにおけるトミツ技研の非合法活動において、その能力からもかなり重要な地位にあった。

 寧――トミツ技研の魔女がセカンドバベルに来てからは、潜り込ませていたスパイやトミツ内部の協力者達は片端から炙り出され、処分されていった。それだけでなく非合法活動においても、終端装置T・デバイスが退けられる事すらあった。

 そのような人物が交戦中行方不明となれば、その捜索に人手が割かれるのは当然の事だ。

 善市郎も自分の伝手を使ってトミツ技研の動きは監視していたが、多数の工作員とそれを束ねる寧を失い、予想通りの混乱が起きていた。その混乱が収まらないうちにデータチップを発見・入手するのが目下の目標であった。


「情報の確度は?」

「セカンドバベルにいる人物からではないので、多少の劣化はあるだろうが、それでも信ずるに足る確度は持っている」

「……参りましたね。生きていましたか、トミツ技研の魔女は」


 善市郎は眉間の皺を更に深くして考え込む。

 新型気化爆弾は終端装置T・デバイスが持つ兵器の中でも、セカンドバベルに持ち込めた中では最大の破壊力がある。

 もしこれを使用しても寧を殺せないとなれば、人員の消耗を覚悟しての大規模な戦闘も考えなければいけない。


「可能性はある。まさかあの爆発に耐えるとは予想を大きく超えている」


 二本目の煙草に火を付け、善市郎はため息交じりに紫煙を吐いた。

 目の前の男が手傷を与えた上で、気化爆弾を使用していれば幾ら寧と言えど殺し切れたのではないかと、過ぎ去った事にも関わらず考えてしまう。


 全身を機械化していても、保身は大事かね――柔和な笑顔に隠した感情は、実質的な実働部隊として動いていたアルフへの苛立ちだ。

 開いたままの扉から差し込んでくる明かりに目を瞬かせながら、善市郎はアルフを見上げた。


「可能性があるなら、魔女は生きていると考えて動かねばいけませんな。申し訳ないが、君には、ええと、ミーナ君と共に実働部隊に同行してくれないか。ミーナ君はバックアップで構わないが、君には前線に出て貰いたい」

「分かっている。仕留め損ねたのは僕の責任でもあるからね。終端装置T・デバイスの装備は借りて構わないかな?」

「それは構わない。君は将来的に終端装置T・デバイスに組み込まれる予定だ。予行と思って使ってくれ」


 アルフを組み入れる事は、画一的な高い性能を武器とする終端装置T・デバイスには見合わないという意見が内部からも出ている。しかし善市郎は個としての高い性能を組み入れる事で、集団としての性能を向上させるテストケースとして、今回の案件を考えていた。

 そして寧のような個としての性能を突き詰めた相手なら、同じく個の性能が高い駒を当てて戦力を削ってから、終端装置T・デバイス本隊を当てる方法も採れる。


 善市郎、ひいてはマクファーソンカンパニーの思惑は、アルフも感づいてはいるだろう。

 それでも戦力として役立つのであれば、壊れるまで使うだけだ。


「それではアルフ君。現場には話は通してあります。すぐに合流して魔女狩りの続きをお願いしますよ」

「ここでの仲間は戦力として申し分無い。成果を期待してくれ」


 大げさなジェスチャーを残し、アルフは部屋から出て行った。

 一人、薄暗い部屋に残った善市郎は、モニタに映る情報に幾つかの項目を加えながら、二本目の煙草をもみ消した。


「言われる前に動いて欲しいと思うのは、求めすぎですかねぇ。期待しているのですが……勿体ぶると、次は諸共に消し飛ばす事になりますよ」


 三本目の煙草に火を付けながら、善市郎は独り言ちた。




 寧は支社への連絡を終えると、疲れ切ったかのように大きく息をつく。

 当初の予定ではトミツ技研への連絡は行わないはずだったが、マクファーソンカンパニーへの牽制などを考えれば、直接の協力は確保出来なくても連絡だけは入れておく事で三人の意見は一致した。


「お疲れ。もうすぐダディも戻ってくるから、戻ってきたらご飯食べてから行動に移るよ」


 ステフは水の入ったボトルを放り投げると、自分のボトルを開けて一息にあおった。

 今トッドはステフが隠したデータチップの回収と、食料品を含む必需品の買い出し、そして他のセーフハウスや倉庫に隠した装備の回収に出かけている。

 安全を考えればステフが出かけるのが一番だが、今居るセーフハウスに何か起こった時に確実な対応が出来るのもステフであった為に、トッドが出る事になった。


「あ、ありがとう……」

「ねぇ。ほんとにあんた、今何も出来ないの?」


 寧がボトルの口に指をかけたところで、ステフの問いがその手を止めさせる。

 ステフはまだ寧の言葉を信じ切れないでいた。

 人造人間の治癒能力は骨折も内臓破裂も神経系への傷も、栄養と休息さえあれば急速に治癒する事を自分の体で知っている。


「今ならダディいないよ。ほんとの事言ったら?」


 ステフの手はだらりと下がり、いつでも単分子ナイフを抜ける位置に動く。半眼に開いた瞳は、ソファに座ったままの寧を射るように見つめた。

 受け取ったばかりのボトルをテーブルに置き、寧はゆっくりと立ち上がる。

 どちらも殺気を発していないが、瞬き一つしない二人の間では緊張感が高まっていく。


 先に仕掛けたのはステフだ。

 ボトルを手放して単分子ナイフを抜くと、数歩の距離を一瞬で詰め、喉を狙って切っ先を繰り出す。

 体を半身に捻ってナイフをかわした寧は、突き出された腕を掻い潜るように死角から顎を狙った掌底を放つが、それはステフの左手に止められた。膂力に勝るステフは左手で掴んだままの手を強く引き、寧の体を引き寄せる。

 だが寧もそれは予想していたのか、近づいたステフのホルスターからガウスガンを抜き、その銃口を脇腹へと押しつけた。しかし寧は何を思ったか銃爪を引かずにガウスガンを投げ捨てた。

 寧の手から離れたガウスガンはグリップから金属端子が飛び出すと、空中で凄まじい放電を発して床に落ちる。ガウスガンを奪われた時のために仕込んでいた罠を、寧は完全に見抜いていた。


「起きた時と比べれば、多少は回復しています。ですが今出来るのは極短時間の受動的な予知……勘の域を出ないものだけです。これではあなたと同じくらいの事しか出来ませんわ」


 耳に息が掛かるほどの距離で囁かれ、ステフは背筋を小さく震わせた。

 どちらも殺す気は欠片もなく、全力も出していないトレーニングに等しいものだったが、確かに超能力を抜きにしても寧の能力はステフに近いものがある。


 殺すなら治らないうちか――寧の危険性を排除しきれないとなれば、いつかはやりあう事になる。それがマクファーソンカンパニーを退けた後であれば望ましいが、場合によってはトッドに止められてでも殺さなければいけない。

 寧は内心で決意を新たにしているステフの顔を見つめながら、僅かに首を傾げた。


「ステファニー。あなた……トッド・エイジャンスの事を愛しているのですか?」


 思っても見なかった言葉をぶつけられ、人造人間ではあり得ないほど――常人のように体がこわばってしまう。

 その一瞬の隙を突かれ、体を押しつけてくる寧を押し返す事も出来ず、ステフはナイフを取り落としながらソファに押し倒された。車をも投げ飛ばせる人造人間が、まるで外見通りの少女になったような対応しか出来なくなっている。


「当たったようですね。超能力は使えなくても、隙だらけになった事から考えれば分かりますよ」


 口を開いても言葉は出ず、寧の下でステフは唇をわななかせる。まっすぐにステフを見つめる寧の表情にはからかいも嘲りも無い。


「ちっ、違っ、違うっ! あたしは……」

「どこが違うのです? トッド・エイジャンスは、私の目から見ても良い人物であると思います。そのような相手と長く時間を共にしているのなら、親子の情ではなく、愛欲や肉欲に至るのもあり得ざる事ではないと思いますが」


 必死に声を出そうとするが、うわずってしまう。対して寧は冷静に静かに、これまで考えないようにしていた事を突いてくる。

 答えないという選択肢にまで頭が回らなくなったステフは、顔を逸らしながらぽつぽつと途切れがちに口を開いた。


「あ、あたしは、ダディにしか優しくしてもらったこと、ないんだ。だから、多分……愛してるとか、そういうのじゃないんだ。ダディはとってもよくしてくれるけど……あたしの事、ほんとに娘って思ってくれてるから、だから……愛してるって言っても、そういうのじゃない……」


 しどろもどろに言葉を繋げるが、自分でも何を言っているか分からなかった。


 トッドの事を愛してるかと問われれば、肯定しか出来ない。

 ただし、ステフが誰かにこのような感情を抱いた事は今まで無く、この感情が父親に対するものなのか、それとも一人の男へ向けたものなのか、自分自身でも判断がつかないでいた。

 一緒に居たい。頭を撫でて欲しい。役に立ちたい。

 それらの感情について時間のある時に調べてみても、しっくりくる答えは見つかっていない。

 トッド以外によく話す相手もいないステフが、誰かに相談する事も出来ずに抱え込んでいた事を、どうしてか寧はこのタイミングで突いてきた。


「自分でも分からない、と? ステファニー。本当にあなたは、人間のような考え方をしているのですね」


 頬を赤らめて小さく頷くステフを、寧は瞬きもせず見つめる。


「少しばかり、あなたの得た経験……生活が、羨ましくなります。真似したくはないですし、出来る訳ではありませんが」


 寧の口から出るとは思ってもみない言葉が、また綴られた。

 目を丸くするステフの眼前で寧は首を傾げる。


「トッド・エイジャンス。彼と私は少しだけ話をしました。その中で彼はとてもあなたを思いやっていました。その分、あなたの性能はなまりましたが……そのはずなのですが、性能の低下と引き換えに、機能とは違う何かを手に入れた気しているのです」


 まるで口づけでもするように、寧の顔が迫った。


「私はそれが欲しい。手に入らないのなら、それを持つあなた達を手に入れたい。こればかりは、超能力が使えない今も変わりません……これを隠してはフェアでないと思うので、言っておきます」

「諦め悪――あなた達?」


 言葉の不意打ちで消えていた敵愾心てきがいしんがまた沸き立とうとした時、寧の言葉に疑問が浮かんだ。


「そう。今の私が欲しいのは、ステファニー。あなただけではない。トッド・エイジャンスも私が欲しいものに含まれる。どちらかが欠けても、私の欲しいものではなくなってしまう」

「データチップだけじゃなくて、あたし達まで欲しいなんて欲深ね」


 言いながら眼前の寧を睨み付けたが、返ってきたのは微笑みだった。


「データチップの確保は任務です。あなた達は……私個人が欲しいのですよ、ステファニー」


 とても受け止められる類ではないが、好意と言えば好意なのだろう。

 柔らかい微笑みは、大半の男なら一目で心を奪われるのではと、同性のステフですら思ってしまうほどだ。

 この微笑みをトッドに向けられる事を想像して、背筋に悪寒が走った。身の危険だけでなく、娘としても寧をトッドから遠ざけねばいけない。

 息を吸い込み、口を開きかけたステフに、思わぬ声がかかった。


「何……してるんだ?」


 両手に荷物を抱えたトッドが、引きつった顔でソファで倒れている二人を見つめていた。

 トッドは気配を消す事に長けていて、ステフであっても偶に捉えきれない事がある。それにしても荷物を持ったままで、部屋に入るまで気づかない事はこれまで無かった。


「ちょ、寧っ!? あんたどいてよ!」

「そんな、押さないでくださいっ」


 喚きながら間近にあった寧の顔を押しやり、慌てて居住まいを正す。寧も乱れたシャツの裾を直しつつ、ステフの横に並んで座った。トッドはそんな二人に背を向け、両手に持った荷物を下ろして整理を始めた。


「いや、いい……娘の趣向に、親が口を出すのは無粋だからな。だが、出来ればでいいが、俺がいない時にしてくれると、男親としては嬉しい」


 盛大な勘違いをしているが、さっきまでの姿を見たら見間違えてしまうのも無理は無い。


「寧、あんたダディ戻ってくるのわかんなかったの?」

「知ってましたよ」


 口の中だけで問いかけるが、返ってきた答えはさらりとした肯定。涼しい顔でステフを見やり、声を抑える事なく胸を張って続けた。


「私は私の気持ちを伝えたかったのです。隠しておくのはフェアじゃありません。トッド・エイジャンスにも聞く権利はお有りですもの」

「……似たような産まれで思う所はあるんだろうが、そういうのは男親としちゃ受け止める覚悟ってものがまだ無いんだ。聞く権利の行使は少しだけ先延ばしにさせてくれんかね」


 二人に背を向けたまま、キッチンに材料を並べ始めたトッドは、天井を見上げながらぼやくように言う。


「違うんだってばーっ!」


 非協力的な寧に頼らず、トッドが納得するまで事情を説明するのに、ステフは十分以上も一人で話続ける事になった。

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