第18話 Awake
ステフは急な雨音に体を丸く縮こめたまま、ゆっくりと瞼を開いた。
雨は見る間に激しさを増し、遠くに見える軌道塔はシルエットすら見えなくなり、隣の建物も薄く霞むほどだ。強い風は滝のような雨を揺らがせ、被っていたレインコートのフードを跳ね上げる。
“
今いる場所は、SADの娼館から三キロほど離れたアパートメントの屋上。熱交換器と大型バッテリーの保管施設が並び、それらを覆った簡易的な屋根の下でステフは三時間にも満たない休息を取っていた。
屋根と言っても強い風に煽られた雨には何の意味もなく、レインコートを羽織ったステフはすぐに全身が濡れてしまう。
「やっと来たかぁ……昨日は予報外れたけど、今日は当たって良かった」
セカンドバベルはその赤道付近という立地や地形の特性から、スコールが発生しやすい。三日に一回は発生するスコールの度に、セカンドバベル全域の排水システムは全力で稼働し、街中の監視システムは水害の監視へと優先的に割り振られる。
そして強い風雨や時折閃く雷は、視線を遮り音を誤魔化す。
これがステフが待ち望んでいた状況だった。
首に提げていたゴーグルを装着し、そこに映る端末から送られた様々なデータを次々に切り替えて動作を確認。二時間近くはこの雨が続くとの予報に、ステフは僅かに口角を上げた。
ゴーグルに映る時刻は体内時計とほぼ同じく、十六時過ぎを指している。約束の時間まであと三時間近くあるが、状況が赦すのならそこまで行儀良く待っている理由はなかった。
ステフはレインコートを脱ぎ捨てると、体に張り付くような、重装甲服の下地にも使われる暗褐色のボディスーツを着た肢体を露わにする。
スキンスーツとも呼ばれる上下一体型のボディスーツは、二ミリにも満たない厚さながら赤外線遮蔽等の対センサー機能を有している。だが本来の用途は装甲服用の下地なので、薄さからすれば丈夫であるが防弾防刃機能は全くと言って良いほど無い。
ブーツや膝当て、腰のベルトに装着したホルスターなどの付属品はあるが、それらは防具というには心許ない。
しかしステフが何より好んでいたのは、薄い故に何も着ていないかのように皮膚の感覚を生かせる所だった。
雨がスキンスーツの上を滑る感触も、火照った体が冷えていく感覚も、重装の装甲服を着ていては分からない。
体の線が出すぎる上に、成長すればすぐに着られなくなるからと渋る
半年以上前に作ったのにも関わらず、全くきつい所がないのには少しばかり気が滅入ったが、作った時そのままの性能が発揮出来ると思い込む事にした。
椅子代わりにしている、二つ重ねた大型の防弾樹脂製トランクから腰を浮かせると、そのうち一つを開けて中に入っていた部品を取り出して組み始める。
可搬性を考えて簡易的に分解されていただけの銃器は、雨の中でも五分と掛からず組み上がり、最後に拳大のバッテリーを二つ接続して完成する。
マクファーソンカンパニー製、口径4.5mm三銃身ガトリングガウスガン。本来は車載兵器の類ではあるが、特製のフレームを使えば重サイボーグなら携行運用出来るようになっている。重サイボーグ以上の膂力を持つ
貫通力を重視した徹甲弾は六百発。十秒も経たずに撃ち尽くしてしまう数だが、この瞬間火力に耐えられる者はそういない。
続けてもう一つのトランクを開けると、二つ折りに畳まれていた銃身を伸ばして、バッテリー内蔵の大型弾倉を装着する。
個人携行可能な
なおこの場合における個人携行可能というのは、重サイボーグや動力のある装甲服の膂力で持ち運べる事であり、使用そのものはメーカーであるマクファーソンカンパニーも言及していない。
滅多な事で使える威力ではないが、
問題は寧だ。
“
しかし通じないのは寧だけだ。アルフを含め、人間ならば人造人間の奇襲に対応するのは難しいだろう。補強され機械化された神経であっても、人造人間が産まれながらに備えた神経細胞の速度や効率には及ばない。そうでなくては、ステフのような人造人間が造られる理由が無い。
ステフの狙いは、寧が奇襲を感知し指揮を執って工作員全体が動くまでに、可能な限り人数を減らすこと。
図面や工作員の人数、戦力は頭の中に叩き込んである。予想出来る配置も十パターンは考えてあった。
中に入りさえすれば凡その気配から
ステフは自分の身長ほどもあるガウスカノンを背負うと、少しだけ開いた唇の間から息を大きく吸って、ゆっくりと吐き出す。
深呼吸を繰り返しながら薄緑色の瞳孔を縦長に開き、循環器を意識的に調整して大量の酸素を全身に行き渡らせ、大量のアドレナリンを分泌させる。
スキンスーツ越しに伝わってくる肌の感覚も鋭敏になり、打ち付ける雨粒の一つ一つも、スーツの表面を流れる水の流れも目で見るより細かく分かる。
「……待っててね、ダディ。今迎えいくから」
もう一度大きく息を吸うと呼吸を止めて走り出すと、ガトリングガンを片手にビルの縁から大きく跳んだ。
寧はうっすらと目を開けると、体を起こしながら目を擦った。
寝付きも目覚めも良い方であるが、寝ている時も働かせている超能力によって起こされるのは、いつになっても慣れない。
それも今日はミーナの蛮行に続いて二回目だ。
睡眠時間も全く足りていない。
寧はゆっくりと息を吸いながら意識を集中する。超心理学的な知覚の拡大と併用し、脳裏に現れる映像は未来のものだ。
ステフが来る。
しかもすぐにでも。
正確な時間までは分からないが、恐らく十分とかかるまい。
「時間を守るって事はしてくれないのでしょうか……これでは着替えもシャワーも出来ません……」
「済まんね。うちの娘はせっかちでな」
独り言のつもりで呟いた愚痴に、返事があるとは思ってもなかった。寧は声のした方を向くと、眠たげだった目を見開いた。
「ごきげんよう、トッド・エイジャンス……いつの間にそんなに痩せられて?」
トッドは椅子に拘束されたまま苦笑する。
「ここに来てから、誰も食事を運んでくれないんでね。不健康的にダイエット中って訳さ……ステフが来る前に倒れるかもしれん」
トッドは液晶ガラスに目をやると、そこに映った自分の姿を確認する。
頬は痩け、顎の下の肉もかなり減っている。体を揺すると、拘束具との間に隙間が出来ているほどだ。
トッドの全身にある耐衝撃性脂肪層は、衝撃の分散・吸収だけではなく脂肪組織として重要なエネルギーの貯蓄機能も、通常より大幅に強化されている。栄養の欠乏に際し、トッドの肉体は人工の培養筋肉の分解ではなく、耐衝撃性脂肪層から優先してエネルギーを消費するように代謝調整されている。
一日近くまともな食事を摂っていない現状では、耐衝撃性脂肪層に蓄えたエネルギーがかなり消費されてしまい、見た目だけでなくその耐衝撃性がかなり変化してしまう。
普段から高カロリー流動食を飲んでいるのは、予算の都合もあるが何より耐衝撃性脂肪層の維持が大きな要因であった。
「……そちらの方が良いですよ。普段は太りすぎです」
ベッドから立ち上がった寧は、服の皺を直しながら感想を漏らした。
「元々はこの体格さ。俺も娘と一緒で燃費が悪いもんでね、腹に肉つけてないと倒れっちまう」
常人とは違う価値観を持っている人造人間と言っても、痩せた姿をそれなりにでも評価されて悪い気はしなかった。
「ステフが来るのか」
ため息交じりに言うトッドに、寧はブラウスの襟を正しながら視線を送る。冷たい視線は、外見通りの少女ではなく歴戦の工作員のものだ。
「ええ。ステファニーはあまり約束を守るつもりはなさそうです。トッド・エイジャンス。覚悟は決めておいた方が宜しいかと」
ステフがデータチップを渡さなければ、トッドに人質としての価値はなくなる。
そして会話から察するに、ステフは交渉の取り決めを破っている。これがミーナに知られれば喜々としてやって来て、中断された拷問の続きをするだろう。
今度は寧が止める事もない。
「説得が効けば良いのですが……」
独り言のように言う寧に、トッドは目を見開く。この場に及んでも、説得が上位の選択肢に上がるとは思わなかった。
視線に気づいた寧は、ほんの僅かに頬を染めながら顔を背ける。
「ステファニーが説得出来れば、トッド・エイジャンス……あなたが殺される必要が無くなります。あなたの存在はステファニーの制御に重要である、と私は判断しました……私の元にステファニーが来る前提の話ですよ」
寧が言い終えると同時に二人の足元が微かに揺れ、雨音を圧する爆発音が外から聞こえてくる。
その後に続く特徴的な銃声に、トッドは冷や汗が出るのを感じた。
「あいつ、さては一等重装なのを持ってきやがったな……」
トッドが半ば趣味的に買った銃火器の中でも、時折組み立てては眺めて楽しむ用の物が幾つかあった。
「ステファニーはあなたを力尽くで奪還するつもりのようですね。この建物を壊してでも」
言葉を裏付けるように続けざまに響く二つの爆発に、窓にはまった液晶ガラスにヒビが入った。
寧は片手を上げ、指輪型の端末を起動して素早く指揮を執り始める。
口頭では間に合わないと思ったのか、それとも真横にトッドがいるからか、全ての指揮を端末を介して行っている。そして投影式モニタを全て消すと、横目にトッドを見やった。
「私も出ます。まだあなたが処理されないようにしておきますので、ステファニーが説得に応じる事を願っていてください」
寧はそういうと窓を開け、途端に吹き込んでくる暴風雨も意に介さずに、躊躇無く外へと身を投げた。
一人部屋に残されたトッドは、周囲を見回して、寧が潰したはずの監視カメラを視線で探る。
「娘ばっかり働かせるのも悪いよなぁ、父親としちゃあ」
そしてテーブルの上に置きっぱなしだったミーナの忘れ物を見て、寧が寝ている最中に考えた算段を開始した。
「早いなあ」
アルフは投影式モニタを見ながら独り言ちる。
ジョンの部屋に持ち込まれた端末や、幾つもの偵察機器の操作パネルの中で、アルフは顎に手を当てて考え込む。
娼館の周囲に配置した監視カメラや、偵察用の小型多脚ドローンからの映像には、増員した工作員や偽装戦闘車両が撃ち倒されていく姿が映っていた。
狙いの正確さや反撃の速度、またカメラでも追い切れない速度での移動による撹乱、それらを考えると今配置した工作員でも手傷を与えうるかは難しいだろう。
対抗出来るとすれば、アルフ自身か寧のみ。
だがいくらフルボーグでも映像から推測される、大火力の直撃に耐えられる保証は無い。
「寧が出たようです。これで館内にいるトミツの戦力は四人にまで減りました。四人の内訳はトッドの部屋の前に二人、正面玄関と裏口に各一人です」
アルフの横で端末の操作を行っていたミーナが冷静に告げる。その目はアルフの顔をじっと見つめ、何かを待っているようだった。
「そろそろ頃合いかな」
そう言いながら、座っていた椅子から立ち上がると、アルフは拳を振り上げて端末に叩き付けた。一撃でひしゃげた端末の中で記憶装置を鷲掴みにすると、それを一息に握りつぶす。
ミーナは操作パネルに小型の端末を繋ぎ直すと、通信モードを変更する。そして端末に繋いだ端子の一つを、旅行用のトランクほどもある機械に繋げた。
「こちらも準備出来ました」
ミーナの言葉に満足したのかアルフは大きく頷くと、すぅ、と歯を見せて笑った。
「では行こう。魔女狩りだ」
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