第17話 報酬

 アルフとの通話から二時間、追跡や捜索の手は無かった。

 出来るだけ監視カメラを避けて移動しているが、それも完全とは言いがたい。共同溝を使えばカメラは避けられるが、それを読まれて奇襲を受けた後に繰り返す事は出来なかった。

 ステフは自分が気づいていないだけかと何度も疑い、炙り出すように動いてみたがそれらしい行動をする者は見当たらない。

 拍子抜けではあるが、余程相手は自分達の張った罠に自信があり、ステフが必ず来ると踏んでいるようだ。


 まだ約束の時間まで十時間以上あるが、準備や多少の休息を考えればそれほど猶予は無い。

 そして最適な準備をする為にはまず情報――蛍門工業公司でもトッドの元でも仕込まれたやり方が、ステフの足を“眼鏡屋オプティシャン”の仕事場へと向けていた。




 地下鉄や非合法のタクシーを乗り継ぎ、目的の場所へ辿り着いたステフは音も無く鉄の階段を上っていく。

 “眼鏡屋オプティシャン”は入り口の脇に置いてある、大型端末の筐体に腰掛けたままアイスコーヒーを飲んでいた。見送る時でもないのに、日のあるうちから外にいる“眼鏡屋オプティシャン”を見るのは久しぶりだった。


「やあ、美しいお嬢さん。昨日ぶりだね」


 待ち構えていたかのように、黒縁眼鏡を押し上げながら柔らかい笑みを向ける。


「今回は何を聞きたいのかな? ミスター・トッドの居所は……もう知っているか」

「……どこまで知ってる?」


 ステフは足を止めると、抑えきれぬ怒りをはらんだ声で問いただす。

 “眼鏡屋オプティシャン”は動じた様子もなく眠そうな目を瞬かせ、アイスコーヒーの入ったグラスを揺らした。氷をグラスの中で踊らせながら、いつもと同じ調子で答えた。


「大体、かな――私にも都合があってね。申し訳ない事だが、美しいお嬢さんの動向を追ってはいたんだ」


 再びグラスを揺らすと、氷が心地よい音を立てた。残っていたアイスコーヒーを飲み干し、唇を湿らせると続けた。


「だが、私が掴んだ動向をトミツやオメガに回したりはしていない。そこは誓うよ。私の目的はそこじゃあない……ここで立ち話もなんだ。中で話さないかい?」


 立ち上がった“眼鏡屋オプティシャン”は、扉を開けながら振り返る。そして微笑みながら一つ立てた指を空へと向け、つられてステフも空を見上げる。


「今はオメガの目・・・・・はこちらを向いていないが、いつ美しいお嬢さんの捜索に使われるか分からない。部屋の中の方が安全だと思う」


 ステフの目は昼間にも関わらず、上空三万六千キロメートルの静止衛星軌道にある、セカンドバベル軌道ステーションの姿を捉えていた。ステーションの周囲に立体的に組まれた太陽光発電システムが、大輪の花のようにも見える。

 セカンドバベルに流れ着いた当時は、物珍しさもあってよく空を見上げていたが、監視カメラの存在を養父トッドに聞いてからは、綺麗だと思った静止軌道ステーションを見上げる事も少なくなっていた。


「さあ、どうぞ」


 開けたままの扉を前に改めて誘われると、それを断る理由が思いつかない。

 ステフは“眼鏡屋オプティシャン”の背中を睨み付けながら、後に続いて中に入っていった。




「改めて聞くけれど、今日は何を聞きたいのかい?」


 いつものソファに体を投げ出すように座った“眼鏡屋オプティシャン”は、肘掛けを枕にしながら黒縁眼鏡を外し、縁なし眼鏡をかけながら問いかけた。

 無防備にだらけきった姿は隙だらけで、どこかの工作員か何かには決して見えない。ステフはソファを勧められたが黙殺して話を切り出す。


「まずはダディの正確な居場所。それにトミツ技研の寧、オメガのアルフって名乗る工作員の詳細。あとはダディの居場所――SADの娼館にいる戦力を全て知りたい」

「報酬は? いくら美しいお嬢さんの頼みでも、ただでは引き受けられない。割引のご相談には乗りますが」


 “眼鏡屋オプティシャン”は眠そうな瞳のまま、僅かに眉を動かす。ステフは一つ唾を飲み込むと睨み付けながら口を開く。


「あたしの体をやる。先払いでもいいし、どんな事でもしてやるからさっさと情報を寄越せ。あたしはダディを助けなきゃいけないんだ」


 この手の情報料は全額前金か即金でなければならない事は、何度となく養父トッドから教えられていた。しかしミーナから受け取った前金は、まだ全額が養父トッドの口座の中だ。

 ステフが今動かせる金額は、相場を考えてもかなり低い。小遣いというにはかなりの額を貰っていたが、これまでの金遣いの荒さが災いした。

 養父トッドが聞けば絶対に怒られるだろうが、“眼鏡屋オプティシャン”が求めそうなもので、情報料代わりになりそうなものは自分の体しか思いつかなかった。


 だが意を決しての提案に、当の“眼鏡屋オプティシャン”は渋面を作った。


「私はそこまで要求した事はありませんよ。そもそも――人造人間に生殖能力はないでしょう?」


 言い終える前に、単分子ナイフの切っ先が縁なし眼鏡を両断しつつ眉間に突きつけられた。


「お前、どこまで知ってるんだっ!?」


 抜く手も見せずナイフを構えるステフは、息もかからんばかりに顔を近づけて怒鳴った。切っ先が肌に触れるまで一ミリもなく、殺気を込めた視線を叩き付けられながら“眼鏡屋オプティシャン”は全く動じていない。


「大体、と言ったじゃないですか。美しいお嬢さんが人造人間である事は以前から知ってましたし、トミツ技研の人造人間と戦って決着がつかなかった事も知っています。あれはとても厄介な工作員です。殺せなくても気に病む事はありません」


 “眼鏡屋オプティシャン”は瞬き一つせずにステフの目をまっすぐに見つめ、一本立てた指で眼前の単分子ナイフを指差す。


「本当に情報が必要なのでしたら、これは引っ込めてください。私は脅しで正しい情報を渡すような事はしませんし、拷問をしても同様です。ミスターを助けたいのでしたら、力に頼りすぎる交渉以外も覚えた方が良い。逆効果にしかならない相手もいます……私のようにね」


 素顔の“眼鏡屋オプティシャン”は毅然とした態度を崩さず、穏やかな声で諭すように言った。

 ステフは食いしばった歯の間から息をつくと、ゆっくりとナイフを下げて、ハーフパンツの中の鞘に収めた。


「……ごめん。頭に血が上ってた」


 二歩ほど下がり、素直に頭を下げると含み笑いがステフの耳に届いた。


「しおらしい姿も悪く無い……報酬の話はまた後でしましょう。時間はそれほど無いでしょうしね」


 “眼鏡屋オプティシャン”は片手で向かいのソファを指して勧め、今度はステフも素直に従った。テーブルに置いてあったメタルフレームの眼鏡をかけると、幾つものケーブルが這う天井を見上げながら話し始めた。


「あの腕利きトラブルシューターが女の子を、しかも相当な腕を持つ子を引き取ったと聞いて興味がわいたのです。サイボーグ化するには微妙な年齢で、少女型フルボーグでも無い……私は人造人間の存在を以前から知っていたので、その方面から調査し推測をした結果、美しいお嬢さんが人造人間であると言う結論に至りました。それだけの話です」


 “眼鏡屋オプティシャン”は小型の端末を指先で操作すると、日本地図を映した投影式モニタが現れ、それがトミツ技研の社章に変化する。更に一瞬の後に寧と思われるかなり粗い画像が表示された。

 薄いピンクの検査衣を着た寧は誰かと話しているのか、撮影者には気づいていないようだった。


「寧……彼女はトミツ技研四国第一研究所で、脳細胞を含む神経強化型人造人間として製造されました。本来は超能力制御型ではなく、高速の思考とその分割による統率・指揮型だったのですが、作成時に参考の一つとした大脳ニューロンマップの問題か、あのような力を得るに至りました」

「ちょっとちょっと、なんかその言い方だと――」


 差し挟まれた言葉を気にすることなく、“眼鏡屋オプティシャン”は話を続ける。


「私は彼女を造るにあたって動員された技術者の一人です。先ほど言った都合とはこの事ですよ」


 今にも寝息を立てそうなくらい弛緩しきった姿勢のまま、“眼鏡屋オプティシャン”はこともなげに答えた。


「人造人間を知っていた理由と、美しいお嬢さんの動向を追った理由、どちらもお分かり戴けましたか。私もね、トミツ技研とは因縁浅からぬ仲で、出来るだけトミツ技研には所在を知られたくないのです」


 ステフはゆっくりと首を縦に振った。

 部屋のそこかしこに投影式モニタが現れ、様々な情報や映像が止まる事なく流れていく。“眼鏡屋オプティシャン”はそれらを眺めているだけに見えるが、モニタをよく見れば流れていく情報は複数並行してかなりの速さで纏められていく。

 ステフなら目で追える速度であるが、人間が行っている事とすれば相当なものだ。


「寧は人間とは比較にならない超能力を得た。念動、超常的な知覚の拡大、精神感応とそれを応用した機械への干渉、そして何より……限定的ながら予知能力まで備えてしまった。それがどのような物かは知っているね?」


 寧が見せた能力、行動の裏付けは取れた。だがこれだけでは攻略の糸口にはまだ遠い。

 これまでステフが目にし、戦った相手の中でも寧は別格だった。


「弱点とかはあるの?」

「弱点、か……時間や手段を限らなければない事もない」


 歯切れの悪い言葉にステフは苦々しく眉をひそめた。ようは今取れるであろう手段では、寧の弱点を突けないと言っているのだ。


「私が知っているスペックでだが、彼女の能力限界はまず予知、知覚拡大、精神感応、念動の順番で訪れる。完全な能力限界を迎えさせるには、万全の状態から二時間以上、絶え間ない攻撃を続ける必要があったのですが……出来ますか?」


 ステフは頬を引きつらせながら首を横に振る。

 死角から放った至近距離のガウスガンを容易に防ぎ、重装の装甲車でも粉砕しかねない攻撃を放つ相手に、弱まっていくと言っても二時間はかなり厳しい。

 ソファに横になったまま“眼鏡屋オプティシャン”は腕を組み、小さく唸りながら考え込む。


「他に思いつくのは、超能力……特に予知を長時間使い続けた時の強い頭痛くらいか。集中力は大きく削がれるが、いつどのような条件で発生するかはデータが揃っていなかったので答えるのは難しい。インターバルや鎮痛剤の使用で抑える事も出来るからね」


 共同溝で遭遇した寧は、確かに頭を押さえて苦痛に耐えていた。思えばあれが千載一遇の機会だったのかも知れない。

 だが養父トッドとの約束があった。

 準備も整わない状況で奇襲され、もし逃げられるのが一人ならステフが逃げる。親子で話し合って取り決めた約束の一つだ。


「……覚えている限りのデータをあたしの端末に送って。そこから何か探してみるわ」

「そう言うと思って、データは今入力をしているからすぐに送りますよ。私は戦闘に長けてはいないからね……美しいお嬢さんなら、私には気づかない何かが分かるかも知れない」


 言うが早いかステフの端末が微振動し、データの受信を告げた。


「ありがとね。アルフや敵戦力は調べるのに時間かかる?」

「まさか。一度はこちらに来ると思って、もう調べてありますよ」


 ステフの目の前に投影されたモニタには、交戦中のアルフが銃を構えた男にその拳を振りかぶっていた。


「アルフ・リッケンバーグ。彼はオメガインテンション生え抜きの工作員だ。重度のフルボーグであり拳による近接戦闘を得意としています。フルボーグだけあって極めて頑丈で、確度の高い情報ではないですが、単分子兵器による攻撃を物ともしなかったと言う話すらあります」

「何の冗談よ。あたしでも防げないのに」


 単分子ワイヤーや単分子ナイフと言った、分子間に滑り込む武器を防ぐ手段はかなり少ない。僅かながらも発生する摩擦により貫く前に止まる事はあるが、それもかなりの厚みが必要となる。人間サイズの装甲でそこまでの厚みを持たせているとは考えにくい。

 それこそ寧のような不可視の盾ならば防げるのだろうが、アルフまで使えるとは考えにくい。


「流石にオメガインテンションを相手に、アルフの身体データを盗み出すのは難しい。噂の真偽は実地で確かめるしかないでしょう。現地の情報はこちらにあります」


 投影式モニタの情報が切り替わっていく。街路に設置された監視カメラからの映像のようだが、どれもかなり遠距離からのものだ。しかし多重の補正をされ解析されて表示されているので、見る分に不都合は無い。

 そこに示された情報によれば、現場にいる工作員は合計三十四人。トミツ技研の工作員が寧を含めて十六人、オメガの工作員がアルフとミーナを含めて十八人。戦闘車両が建物の外に三台で、全てが偽装型。


 ミーナまでいるのなら好都合ね、探し回る手間が省けた――目では情報を追いながらも、ステフの心の中は冷えていく。

 一度は隅に追いやっていた殺意が再び頭をもたげる。


「娼館の現時点での図面は手に入りませんでしたが、建築当時の図面はセカンドバベルのデータベースから抜き出してあります。外見上の変化はありませんが、用途を考えると内部は工事が入ってると見て間違いないでしょう」


 大写しになった図面がモニタの中で組み上がり、六階建てのアパートメントとなっていく。

 それらの情報がステフの前で一つに纏められていき、ステフの端末へと送信される。


「お求めの情報はこれで全てです。敵戦力は今も監視をしていますので、リアルタイムでそちらにお送りします」


 端末に届いたものを確認すると、ステフは少し迷いながら、ゆっくりと言葉を綴った。


「ありがと……報酬、どうする?」


 後回しにはしていたが、ここまで情報を受け取った以上、支払うしかない。踏み倒したりすれば、これからの仕事に大きく差し支える。


「今回は美しいお嬢さんに免じて、特例で後払いとしましょう。ただし必ず払って貰いますよ。ミスター・トッドと二人で、終わった後に来てくださいね」


 遠回しに生きて帰ってこいと言われて、ステフは大きく頷いて微笑んだ。


「早めに戻ってくるから、利子はつけないでね」

「考えておきましょう――さ、他にも準備があるのでしょう? まだオメガの目は地上に向けられていません。動くなら今のうちですよ」


 新しく投影されたモニタには、どこからデータを引っ張ってきたのか、静止軌道ステーションから見た太陽光発電システムが映っていた。


「分かった、ありがとねっ!」


 ステフは癖で音も無く気配を消して“眼鏡屋オプティシャン”に近づくと、腰を屈めてその頬に軽く口づけをした。

 突然の事に目を見開く“眼鏡屋オプティシャン”に、歯を見せて笑いかける。


「報酬には足んないけど、今出来るお礼だよっ」


 それだけ言うと、ステフは駆けるように“眼鏡屋オプティシャン”の仕事場を後にした。


「ふむ……今回は半額でもいいですかねぇ。ミスター・トッドに理由を聞かれたら殺されそうですが」


 端末と眼鏡に埋め尽くされた部屋の中、“眼鏡屋オプティシャン”はステフの唇が触れた所を軽く撫でながら独り言ちた。

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