第16話 寧の問い

「ステファニーを釣る大事な餌を、一時の感情で殺されては困るのです。人間風情にはこんな単純な理屈も分からないのですか」


 呆れたように言いながら、寧はするりと窓から入ってくる。ローファーのつま先が床に触れると同時に、窓は開いた時と同じく音もなく閉じた。


 ステフの言う通り、飛んでるとしか思えんな――寧の動作を間近で見ると、体の動きが単なる運動能力の枠を超えている。重力の軛を取り払ったような動きはステフもよくやるが、それとは全く別種の動きだった。


「お前っ、なんで邪魔を……」


 血塗れの顔で寧を睨み付け、食いしばった歯の奥からミーナは呻いた。しかし寧は半眼に閉じた瞳で冷たく見つめ、自分へと向いた憎悪も些事とばかりに無視している。


「お前、ではありませんわ。寧、という名前があります」


 少しだけ眉を潜め、軽く腕組みをしながらわざとらしく足を踏みしめて、ゆっくりと寧はトッドとミーナの間に割り込んだ。それは短針銃の前に身をさらす事でもあるが、ガウスガンの超音速弾頭すら弾き飛ばす寧にとっては脅威にもならない。


「トッド・エイジャンスを殺せば、ステファニーを誘い出せなくなる。死んだことが知れれば、ステファニーはデータチップを持ったままどこへ逃げるか分からない。アルフからも理由は聞いているでしょうに、怒りに任務を忘れるとはオメガの工作員もこの程度ですか」


 寧の右手がゆっくりと持ち上がり、ミーナの顔に向けられる。指が鼻先に触れると首を仰け反らせたが、体はまだ動かないのか逃げる事は出来ずにいた。体の自由を奪われたまま、単分子ワイヤーの嵐を操る右手を突きつけられて、ミーナは視線を自分が座っている多脚型車椅子に向ける。


「なっ、な、なんで動かないのよっ!? どうしてぇ?」


 脳波検知で動くはずの車椅子は、叫んでも身じろぎしても車輪を数ミリ動かす事すら出来なくなっている。ミーナに出来るのは、動かない体を小刻みに震えさせながら寧の言葉を待つ事だけだった。


 それを見て、寧は目を瞑り小さく首を横に振った。


「魔女たる私を侮らないで戴きたいわ。私が動くなと命じたのなら、それは動かないのです。そして、動けと命じれば――こうなります」


 ミーナの首が震えながら、指一つ動かさない寧の方を向かされ・・・・、再び眼前に指を突きつけられる。更には短針銃を構えていた腕が曲がり、その銃口が持ち主たるミーナの頭に向けられた。


「どうせしばらくは治療で任務も外されるのでしょうし、顔も変えてはどうですか? どんな顔にもなれるように、今の顔を真っ平らにならしてあげますよ。それとも……」


 寧の指が少し下がり、血に濡れたミーナの胸元に向けられた。


「そちらの上司のようにフルボーグにでもなってみては? 首から上があれば施術は出来ますわね? 間違っても銃爪をひいてはいけませんよ。首から上も無くなっては施術出来ませんからね」


 血塗れの顔を青ざめさせて、ミーナは目尻にうっすらと涙を溜めながら懇願する。


「おっ、お願い……やめて、もうこんな事は――」

「しない、と? 」


 言葉を引き取って言う寧に、ミーナは何度も強く頷いた。寧はそんなミーナを鼻で笑いながら右手を下ろした。


「今回は信じてあげましょう。さあ、いきなさい。出来れば二度と私の前に顔を見せない事ですね」


 言い終わると同時に、ミーナの体が一つ大きく痙攣するように震えた。そして車椅子への命令も届くようになったのか、六つの車輪が空転するほどの勢いで回ると、身を翻したミーナはか細い悲鳴を残して一目散に部屋から出て行った。




「ふん……こうなると分かっていて放置したわね。やはり人間風情は信じるに値しない」


 開きっぱなしの扉を見ながら寧は呟き、右手の指を僅かに動かすと扉は蝶番を軋ませながら閉じていった。


「悪いな。殺される所だったぜ」

「私は私の目的があったに過ぎません。礼を言われる筋合いもありません」


 傍らのトッドが口を開くと、寧は目線だけを投げて寄越した。寧は空いていた椅子に座ると、テーブルに頬杖を突いた。


「ですが、礼をしたいのでしたら、幾つか私の聞きたい事に答えてもらいましょう。ステファニーの事です」

「居場所なら知らんよ」


 唐突に踏み込んできた寧にトッドはきっぱりと答える。

 逃走に必要な物の隠し場所は幾つもあり、そのどこにステフが行くかはトッドもあずかり知らぬ事だ。


「それはどうでも良い事です。あなたがいればこちらに来るのですから」


 寧は目を細めながら続けた。


「トッド・エイジャンス。あなたとステファニーの関係は、ビジネスパートナーとしては密に過ぎる。親子というのは偽装で体の関係等が――」

「馬鹿か、あるわけねぇだろ。子供だぞあいつ」


 言下に否定する。

 一瞬、頭の中に腕利きの情報屋の姿が思い浮かんだが、すぐにかぶりを振って消した。

 顔を伏せ気味にしながら、自分へと言い聞かせるように言葉を搾り出した。


「俺とあいつはただの親子だよ。血は繋がっちゃいないし、出会い方も珍しい方だと思うが……少なくても俺は、どんな生まれだろうとあいつを俺の子供だと思って接してる。良い父親かと言われりゃあ、違うんだろうがね」


 本当に良い父親なら、自分の身で娘をおびき出されるような事にはなっていないだろう。ステフを逃がすための囮のはずが、真逆の結果になってしまっている。

 何よりも、セカンドバベルという人類の英知によって作られた場所にいながら、いくら慣れていても裏社会での生活に引き込むような事を、良い父親ならば絶対にさせないだろう。


 少しばかり前屈みの姿勢で、寧はトッドを不満げに見つめながら眉間に皺を寄せた。


「本当に私の精神示唆も効かないのですね。私が座ってからずっと、あなたは私に全ての真実を話したくなっているはずなのに……魔女の矜持が傷つきますわ」

「そりゃ俺が正直者だからだよ。でもいいのかい? この部屋はオメガの連中もモニターしてるんだろ。俺にはともかく、あんまりネタがばれない方が良いんじゃ無いか?」


 ミーナに殺されかかった時に他の工作員は来なかったが、まさか人質を窓のある部屋に閉じ込めておいて、内部を監視していないとは思えない。


「承知の上で盗聴器も何も動作を止めてあります。お疑いでしたら――」


 寧は軽く握った左手を顔の横に持ってくる。手を勢い良く開くと同時に、部屋のそこかしこで何かが爆ぜるような小さな音がした。


「今物理的に破壊しましたわ」


 頬杖を突いたままの寧は悪戯っぽく笑ってみせた。

 その時に初めて、目の前の少女がかなり整った顔をしている事に気がついた。


「何でもありだな、人造人間は」


 見た目も相当なものだしな――と続く言葉は飲み込んだ。

 相手の外見は十代後半ハイティーンの少女なのだ。トミツ技研の工作員でしかも人造人間相手でも、これを言っては“眼鏡屋オプティシャン”と同類と思われかねない。


「魔女ですのでこれくらい出来なくては」

「超能力者、だろ。なんでそこに拘るんだ」


 心なしか楽しげな寧に、僅かに浮かんだ疑問をぶつけてみる。

 寧は何度か瞬きをしながら不思議そうに答えた。


「少しばかりの外連けれん味を混ぜておくのは、この業界では良い事だと思いません? 人間風情を相手にするのなら特に」


 トッドの同業者の中にも、外連けれん味を効かせた事を言う輩は両手の指では数えきれぬほどいる。トッド自身も時折やる事だが、七大超巨大企業セブンヘッズに属する人造人間が同じ事をするなど想像もしていなかった。

 七大超巨大企業セブンヘッズから逃げてくるような性格ならまだしも、目の前の少女は今もトミツ技研が振るう暴力の一部だ。


「面白い事を言う子だな」

「寧、とお呼びください……ステファニーとあなたの関係は分かりましたわ。次はステファニー本人が、あなたから見てどのような人物に見えるかを教えて戴けますか」


 寧の興味はステフの持つ人造人間としての能力ではなく、ステフのパーソナリティそのものに向いているようだった。

 性格傾向から戦闘や行動を掴む事は出来るが、寧が目的としているのはそんなものではない気がした。

 今なら会話をする気になっていると踏んで、疑問をそのままにぶつけてみる。


「なぁ、寧。なんだってそんな事を聞くんだ?」

「私の元にステファニーが来た際に、どのような応対ならば彼女がストレスなく過ごせるかの情報収集です」


 少しばかり寧は視線を外し、テーブルに置いたままになっていたミーナが忘れたナイフを指先で弄りながら言った。


「あいつはそんな素直じゃねぇぞ。性格も、強さもな」


 親の贔屓ひいき目を抜きにしても、ステフの能力は単独としては最高と言えた。性格も素直なようでいて、裏社会に慣れすぎてひねている所がある。


「確かにステファニーの性能は私が今まで見た中でも……魔女たる私に匹敵する。ですが私には勝てません」

「随分と自信があるようだな」


 淡々と言葉を紡いでいるのが、確固たる自信を表していた。トッドの言葉に一つ瞬きをした寧は、頬杖をやめて背筋を伸ばすと足を組む。


「最高の性能を最高の環境七大超巨大企業で維持している私。高い性能を持ちながら、あなたの元でなまったステファニー。仮に元の性能が同等であったとしても、これでは私に敵う訳がありませんわ」


 トミツ技研という絶対的な裏付けの元に、寧はきっぱりと言い切った。


なまった、ねぇ。そう思ってると足を掬われるぜ。良い父親じゃねぇが、俺はあいつが生き残れるように色々と仕込んである。あいつはなぁ、寧。お前さんみたいな有利で当たり前の温室育ちじゃあねぇぞ」


 ステフは七大超巨大企業セブンヘッズの一つ、蛍門インメェン工業公司を敵に回すのが分かっていて、それでも自由を選んだ。

 蛍門インメェンの元で任務に就くより、遙かに危険で寄辺よるべの無い生活だ。トッドはその生活の中でもステフが生き残れるように、想像しうる限りの対応を仕込んだ。

 かなり珍しい武器である、対サイボーグ用スタングレネード使用時の行動もその一つだ。


なまっていますよ――だって、ステファニーはあなたを助けにここへ来るのですもの。人を超える為に造られた私と同等の者が、あなたのような凡人をですよ? これをなまったと言わずして何を言うのです」


 寧は淡々と言葉を綴り、小さくかぶりを振った。


「あなたとステファニーに肉体関係があると疑うのも、仕方ない事だと思いませんか。物欲、愛欲、情欲なら分かります。私も向けられた事はありますので」


 見目麗しい黒髪の少女は、声に微かな感情の揺らぎを含ませながら言う。


「私には分からない。あなたはどうしてそれほどまで、ステファニーに慕われるのです? それとも、私が知らないだけで、親子の情というのはそこまでのものなのですか? 凡人であるあなたならば分かります。ですが我々人造人間すら利他的になってしまうほど、あそこまでステファニーの激情を駆り立てるものなのですか? 推測は出来ますが……理解はしかねます」


 僅かに目を伏せながら、寧は半ば独白のようにトッドに問いかけた。


 この子のようになってしまうところだったのか、ステフは――トッドは返す言葉に詰まった。

 人造人間の教育は七大超巨大企業セブンヘッズの基幹システムである超大型量子コンピュータと、それに走っている新世代型AIによって人工子宮内にいる時から行われると聞いている。作戦行動に必要なあらゆる知識は産まれる前から叩き込まれ、ある程度の肉体年齢に設定されて産まれて後は最低限の肉体習熟訓練を経て実戦投入される。

 ある夜、ステフが寝しなに言っていた事を思い出す。まるで工業製品のようだと、その時のトッドは感じていた。

 しかし人造人間と言えど、取り巻く環境には多数の人間がいる。その影響を取り除く事は難しく、ステフもそうした中で蛍門工業公司からの脱走を決意するに至った。


 もしステフが脱走を決意しなかったらどうなっていたのか。

 何度か頭をよぎった疑問の、一つの回答がここにあった。


「その家庭による、としか言えん。親を憎み殺した子も居れば、子の命を金と見なす親も居た。だが、子を庇ってガウスガンに前に飛び出した親も見た。俺みたいなサイボーグでもないのにな」

「子を庇った親は……?」


 銃を相手にした事がある者なら誰でも容易に分かる事を、今の寧はあえてトッドに尋ねた。


「死んだよ。庇った子供と一緒に。敵はすぐに取ったがな」


 分かりきっていた答えに、寧は僅かに目を伏せた。軍属時代の苦い記憶を思い出しながら、トッドは寧を見つめた。


「俺が思うにな、親からの情ってのはどこまでその子を祝福出来るかだ。育てる苦労は山とあろうが、産まれてくるだけで、そこにいるだけで、親にとって子供ってのは祝うべき愛おしいものなんじゃないかと思う。子からの情は、それに対するものだ。注がれた愛情への子供からの答えだよ」


 今まで家庭を持った事もなく、養女を引き取り育てている経験しかないトッドだが、自分なりの思いを口にした。

 これが普遍の事実とは欠片も思っていないが、今のトッドが感じ、答えられる事はこれしかなかった。


「もし子供が親の愛情へ情を持って答えるのなら、それはその子に真っ当な愛情が注がれ、情を受ける事がどういう事なのかを知っているからじゃないかと思う。ステフの奴は……珍しい生まれをしているが、そこが分かっているんだろう。仮にも親の立場としちゃ、嬉しくもあり……申し訳なくもある」


 寧はじっと、言い終えたトッドの顔を見つめている。

 ややあって寧はゆっくりと口を開いた。


「ステファニーがあなたから見て、どのような人物なのか分かりました。彼女は人造人間でありながら、私とは違う……凡人のような考えをするのだと再確認出来ましたわ。やはりステファニーが私に勝てる道理はないですね」


 その顔には笑顔も何もなく、冷たい無表情があった。


「……そうか。まあ、結果はすぐ分かるだろ」


 懐柔しようと思ってはいなかったが、寧の返答を聞き、トッドは少しばかり悲しくなった。


「聞きたい事は聞けましたが……ここで私が離れると、あなたと言う餌をオメガの粗忽者そこつものが損なってしまいかねませんね。さりとて、下手に私の部下を配置しても防ぎきれるか……」


 テーブルに両手をついて寧は立ち上がる。そして足音高く部屋を横切ると、軽い音を立ててダブルベッドに倒れ込んだ。


「おい、どうした?」


 一瞬、お互いの立場も忘れてトッドが尋ねた。


「寝ていた所を無理に起きたので眠いだけです。なのでここでしばらく休みます。ああもう……ちゃんとクリーニングしてあるのでしょうか。臭いが残ってますわね……起きたら着替えないと……」


 ベッドに顔を埋めたままの寧はくぐもった声で答えた。


「寝ていても、私の知覚はこの建物と周囲全域に張り巡らせてあります。私がここにいる限りにおいて、トッド・エイジャンス、あなたの安全は魔女たる私の矜持にかけて保証され……ステファニーがくるまでは無事にはいられます」


 うつ伏せのまま顔だけをトッドに向けた寧は、瞼の落ちそうな目で見つめる。


「では、ごきげんよう……」


 そのまま目を瞑ると、すぐに寝息が聞こえてくる。


「寝ちまったよ……」


 目の前の光景をどう捉えて良いか分からず、トッドは小さく声を上げた。

 もし数時間前に寧がアルフに言った事を知っていれば、トッドは更に混乱した事であろう。

 拘束具で首から上を除く全身が動けないトッドは、大きく鼻から息をつくと、ダブルベッドの真ん中で寝息を立てる少女に小声で言った。


「おやすみ。もし夢を見るんなら、良い夢をな」

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