第13話 共闘

 ステフの昂ぶった感覚は、寧や三つ揃いの男だけではなく、この場にいる者達の殆どを捉えていた。


 後ろにいる養父トッドは軽傷。人工心肺から一時的な不調を訴える異音はするが、軋みをあげている右手に比べればまだ無事と言って良い。

 寧は警戒すらせずに歩いて距離を詰めてきている。だがまだ、予想にある寧の間合いにはステフもトッドも入っていない。

 ミーナは瀕死のようだが、工作員と思しき二人の男が応急処置を施しているのが分かる。他に工作員らしい気配は、都合で九人ほど。それが全てトミツ技研の者ということはあるまい――寧の言動から推測すれば、オメガインテンションの工作員もそれなりに混じっているはずだ。


「ダディ。ミーナはどうしたの?」

「裏切った。そこの男が来たらすぐにだ……余程そいつが信頼出来たんだろうな」


 三つ揃いの男は変わらぬ笑顔を顔に貼り付けたまま二人を見ている。

 二人との距離は七メートルと少し。これくらいであれば一足飛びに懐に入れるが、ステフの昂ぶった感覚は男が何なのか・・・・、うっすらとだが察していた。


 サイボーグの中でも、脳を含む神経の一部しか生身が残っていないタイプ――重サイボーグの中でもフルボーグとも呼ばれる特化型だ。

 三つ揃いの男から聞こえてくるのは鼓動や呼吸音、骨や筋肉の軋みは一切無く、モーターやリニアアクチュエーターの僅かな唸り、電磁弁に制御された流体が動く音だけ。


「僕はミーナの上司だからね。信頼はされているはずだ。後で確認してみよう」

「フルボーグはこれだから……そこを普段から把握しとくのが上司ってものでしょうが」


 ステフは悪態をつき、その反応を見ながら男の隙を探す。

 フルボーグには二十二世紀の技術を持ってしても、解決していない問題があった。脳以外を人工物に置換した場合、その脳が持っている精神構造が大幅に変異する確率が極めて高い――つまりは人が変わる。

 脳内ホルモンバランス等を調整していても、感情の鈍麻や理性の喪失など、それぞれのケースに予想出来ない不可逆の変容が現れる。その理由も解決法も分かっていないが、結果として重サイボーグの数に比してフルボーグの割合は極めて少ない。

 そして人間性の変容によって、隙というものの現れ方も常人と変わってくる事を、ステフは経験から知っていた。


 笑顔を貼り付けた三つ揃いの男は、瞬き一つせずその目だけを左右に動かしている。その動きと肌に感じる気配から、男が仲間の位置を確認しているのだと知れる。

 人としての気配は薄いが、それでも感じられる確かな殺気は、ステフとトッドの隙をうかがい、同じ物を狙う寧に先んじようとしていた。


「……なあ、あんた。このデータ、ミーナが約束した残金プラス俺達の安全で買うつもりはないのかい? 今なら確実にデータは手に入るぜ?」


 乱れていた息を整えたトッドが男に問いかける。

 しかし返答は狙い澄ました一発の銃弾。背後から頭を狙ったガウスガンの弾丸を、ステフは振り向くことなく切り落とした。


「ダディ。こいつら殺る気みたいだよ」


 狙われたのが自分でなければ、一足飛びで三つ揃いの男に斬りかかりかねない所だが、一歩一歩と近づいてくる寧の気配を感じると、ステフも冷静にならざるを得ない。


「殺る気……ああ、殺る気さ。古典的に言えば口封じ。業務上の理由で言えば、無駄な支出は削りたいというのもある」


 三つ揃いの男は革手袋をはめた手で顎をさすりながら言う。思案しているようにも見えるが、抑揚に乏しい声は言葉通りの考えしか無い事を表していた。


「ふん……アルフ・リッケンバーグ。“拳闘屋”などと言われるだけあって、それらしい稚拙なお考えですこと」


 口を挟む寧は、明らかに三つ揃いの男――アルフを見下していた。

 対するアルフは首だけを寧に向けると口を開かないまま、少しだけ声に抑揚を込めて言った。


「トミツ技研の寧。魔女の異名は噂以上のようだ。君を捕らえ解析すれば、我が社に多大な利益をもたらすだろう」

「漁夫の利、ですか……」


 僅かに片笑みを浮かべた寧は一度言葉を切ると、少しだけ上げていた顎を引きアルフを睨み付けた。


「人間風情が巫山戯ふざけた事を」


 あからさまな殺気にも、アルフは微動だにせず構えすらしない。


「退いて貰えれば我が社としてもありがたいが、トミツ技研としてもこの機会を逃す選択はあるまい。勿論、我が社としてもここで退く訳にはいかない。我が社もこれは必要なのでね」


 見せつけるようにハードウェアキーをかざすと、一瞬だけその動きを止めた。その一瞬を逃さずステフは半歩だけ間合いを詰めるが、寧の右手が微かに動いたのを見て足を止める。


「……何をした?」


 アルフは口を開かないまま、僅かに語気を強めて言う。ハードウェアキーを懐に入れると右足を少し下げつつ膝を曲げ、胸の辺りで両拳を構える。

 顔には笑みを浮かべたままだが、寧に対して初めて警戒を露わにした。


「人間風情が私に向かって一丁前な口をきくのがいけないのです。ああ……そちらの部下も全員、止めてありますわ。故に貴方は孤立無援。数の利を宛てにする事は出来なくなりましたわ」


 寧はアルフから視線をずらし、ステフとトッドを順に見やる。そして満足そうに片笑みを浮かべる。


「ステファニー。貴女の御父上は中々に頑固者のようですね。凡俗な人間が魔女の術に抗しうるのは、とても珍しい」


 寧の意識がステフやトッド、アルフ以外にも向いたのは分かった。しかしステフが分かったのはそれだけで、寧が何をし、何を言っているのかは理解出来なかった。

 その答えは、ステフの後ろから出てきた。


「寧、っつったか。今の変な感覚でやっと仕掛けが読めたぜ……超能力者かよ。ちょいと桁違い過ぎて分からんかったぞ」


 トッドの言葉に寧は片笑みを崩し、目を丸くした。


「生きてそれを見抜いたのは貴方が初めてです。どこでそれを?」

昔の仕事上軍属時代、ちょっとした実験に立ち会う事もあったんでな。人間、長生きってのはするもんだ……VKK財団が実在を立証してから、世界中で実験やら確保が行われちゃいるが、七大超巨大企業セブンヘッズでもまだ体系立った成果なんざないだろう? お前以外は、だろうがな」


 2143年において、人間の機械化と並行して発達してきた神経科学は、超心理学分野の事象――超能力をも実証している。ただし持って生まれた才能以外の何物でも無い超能力は、クローニング技術による再現や機械化による補助すら出来ず、実証されただけとの評価が一般的だ。

 実証されている超能力も感情に根ざした不確定さが残っており、またその規模も微々たるもので、とてもではないが寧のように使える者は知られていない。


「ですが、分かった所でどうするつもりです?」


 仕掛けを見抜かれても、寧の態度は変わらない。ほんの少し顎を上げ、細めた目でトッドを見やる。

 崩れぬ余裕と自信は、この場の誰にも対抗する手段が無いのが分かっているからだ。三つ巴に見える状況だが、現時点で寧の優位は動かない。


「さてね。先に手の内を明かすほど、こっちのカードは潤沢じゃないんだ」

「ダディ、どうするの?」


 トッドは辛うじて動く右手で戦闘用ベストのポケットを漁った。

 ステフは少し下がり、トッドの盾となれる位置に動く。肌に感じる気配には二人を狙う殺気が混ざっていない。それがトッドや寧の言う超能力によるものかは分からないが、絶好の機会である事に違いはない。


「なあ、寧とやら。俺の持っているデータ、今なら幾ら出す?」

「ちょっと、ダディ!?」


 この場においても交渉を持ちかけるトッドに、ステフは裏返りそうな声を上げる。


「俺達T&Sトラブルシューティングは秘密厳守だ。お前さんの事が俺達から漏れる事は無いぜ。ちょっとばかり行き違い撃ち合いはあったが、トミツ技研としては目的の物が無事に手に入ればいいんだろう?」


 寧は少し驚いた顔をしながら瞬きをした。


「豪胆なのか、立場が分かっていないのか……度胸だけは凡人にしてはあるようですが」


 持ちかけられた不意の交渉に対し、腕組みしながら答える。


「貴方がお持ちの物はデータのみ。ハードウェアキーが無ければ、当面は無意味なものです。こちらが必要としているのはその両方。交渉材料とするには足りませんわ。それに何より――」


 一度言葉を切ると、片手を頬に当ててステフを見つめる。


「今、こちらが欲しいのはデータとハードウェアキーと、それにステファニー・エイジャンス。その三つです。そのうちデータとステファニーの二つをこちらに渡すのでしたら、貴方の安全及び相応の報酬は私の権限において保証しましょう」


 トッドは皮肉げに片頬を上げ、ベストのポケットに入れたままの手で目的の物を掴む。


「交渉決裂か」

「こちらも疲れているので、そちらが条件を飲んで戴ければ楽でしたわね」


 駄目元で切り出した交渉だが、ステフが要求に含まれていた時点で交渉を続ける気は無くなっていた。

 となれば、今の危うい均衡をどう崩すか――トッドが機会を計り始めた時、アルフは僅かにその拳を下げた。


「ならば、我が社は本件で取得したデータ全ての開示による共有、及びそこの娘を身柄を引き渡そう。データの読み取り及び開示は貴社の施設で行って構わない。この条件ならば乗るかい?」


 まだ警戒こそしているが、アルフの意識は寧だけに向けられてはいない。


「我が社かトミツ、そのどちらかが情報を独占出来るのがお互いにとってベストなのは分かっている。だが破損の可能性を考えれば、ここで手を組む選択肢もあるのではないかな」


 寧は腕を組んだまま横目にアルフを見ると、小さく楽しげな笑い声を上げた。


「まさかまさか、ここでオメガから妥協案が出てくるとは。では――」


 言葉を遮るように、トッドがポケットから出した物を投げつける。緩い放物線を描く円筒状の物体に対し、四人の反応はそれぞれ素早かった。

 ステフは事前の訓練通りに目を閉じながら背後のトッドを抱えあげ、寧は左手を前に向けながら右手を返し、アルフは両腕で顔を庇いながら機械化された目に瞬膜を下ろす。トッドは短針銃ニードラーを寧に向かってフルオートで叩き込み意識を逸らそうとする。


 投擲から半秒の後、それは炸裂し、周囲に凄まじいまでの閃光と耳を聾するばかりの轟音を放った。

 マクファーソンカンパニー製の対サイボーグ用スタングレネード。機械化した視聴覚は前世紀のスタングレネードを無効化するが、マクファーソンカンパニーはそこで別方向の兵器を開発するだけでなく、既存の物を更に強化するという手段を取った。

 単純な化学反応のみで機械化した目を対閃光防御機能ごと麻痺させ、反応中に発生し続ける音は機械化された聴覚を一時的にシャットダウンさせる。

 焼夷弾の如き高熱を発生させてしまう弱点はあるが、サイボーグを一時的にでも無力化させるという目的の前では些細な事だった。


「ちっ!」


 寧の舌打ちは爆音にかき消された。

 単分子ワイヤーでスタングレネードを粉砕しようとしたが、ほんの僅かに間に合わず、閃光と轟音を発生させ続ける白熱した火球にワイヤーを叩き込んでしまった。

 単分子ワイヤーは比較的熱に強いが、武器として使う場合はその細さが災いして耐久性が低い。一千度を超える火球に触れたワイヤーは、羽毛より儚く燃えて塵となっていく。

 加えて至近距離での爆音は寧を持ってしても防ぎきれず、頭の中を揺さぶるような音圧に集中が乱れる。引き戻しが遅れた単分子ワイヤーの大半が燃え、周囲を詳細に観察出来る超知覚能力も集中していなければノイズが乗る。

 脳裏に浮かぶ超心理学的な視覚の中で、ステフとトッドはかなりの速度で離れていく。

 同じ人造人間であってもステフと寧は大きく違う。

 神経系の強化に特化され、その副産物として超能力を得た寧と、おそらくは戦闘全般においての身体強化を目的とされているステフ。

 戦闘における地力が違うのか、仕掛けた側の利はあれどステフもスタングレネードの影響を受けているはずなのに、その動きは一切の遅滞もない。


「これは、なんとしても手に入れなければいけませんわね……」


 訓練はしていたのだろうが、迷いのない動きに反応速度。寧にすら捉えられない動きすら行えるもう一人の人造人間を前にして、寧の興味は執着に近いものへとなっていた。


「アルフ・リッケンバーグ。貴方の条件、飲みましょう」


 火球が弱まり、それに先んじて轟音が収まってくると、まだ寧への警戒を解いていないアルフに言う。

 フルボーグのアルフならばスタングレネードの効果を軽減出来たはずだが、二人を追う事はせずその場を動いていない。


「ではまず僕の部下の……拘束を解いて戴きたい」

「もう解いてるわ」


 アルフは両手を下ろすと端末を取り出し、部下への指示を出す。それを見ながら、寧も残った部下へと指示を出し、トミツ技研とオメガインテンションの一時的な共同作戦を伝える。


「ところで、何故貴方は二人を追わなかったのです? オメガのフルボーグの性能、それほど悪くはないでしょう」


 寧は頭二つ分は高いアルフを見上げながら問いかける。対して、アルフは革手袋をはめた指で顎を撫でながら答えた。


「まだ返事を貰っていないのに、君に背を向ける愚行は犯せない。提案が受け入れられなかった場合、ここで決着を付けてからでないとお互い動けないだろう」


 当たり前と言えば当たり前の答えに、寧は小さく笑った。


「それはそうですね。ですが我々はもう手を結んだ」

七大超巨大企業セブンヘッズを敵に回して生き延びられる者はいない。この当たり前の事を、彼等に教えなくては」


 二人の工作員は、トッドとステフが逃げた方向を見て、一様に笑みを深くした。

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