第12話 新手

 銃声を合図に二人の人造人間も動いた。

 ステフはだらりと両手を下げた状態から、左手の単分子ナイフを閃かせ逆袈裟に切り上げた。

 寧はステフの瞳を見つめたまま、その場に帽子を残して大きく一歩下がり間合いを外す。帽子のつばが切り裂かれた刹那だけ顔を曇らせながら、寧は力なく下げた手首をぐるりと返した。

 その僅かな動作だけで、ステフのいた場所が音も無く単分子ワイヤーの嵐に薙ぎ払われ、巻き込まれた帽子が半分だけ残して粉々になる。

 しかしステフはそれより速く跳び退っていた。


 ふわりと落ちていく半欠けの帽子に二人の視線が遮られた瞬間、ステフは帽子の影に隠れるようにガウスガンを構えると三連射。

 三メートル足らずの距離から放たれた超音速の弾丸は、既に左手を向けていた寧の前で火花を散らして弾かれる。


 心の中で舌打ちするステフは悪寒にも似た殺気を感じた。

 寧では無い――判断と同時に弾けるように右へと走り出すと、それを追うように何発もの弾丸がアスファルトを穿つ。


 明らかにステフを狙った攻撃に、ほんの一瞬だけ視線を動かして射手を探す。だがその一瞬のうちに寧はその右手をステフに向けていた。

 細い足に力を込め、更に速度を上げて単分子ワイヤーの嵐から身をかわしながら方向転換。寧の体で銃撃の射線を遮りながら間合いを詰める。


 だが寧は足を動かす事もない。待ち構えたかのようにステフへと左手を向けるだけだ。たったそれだけの動きで、ステフは肌に触れる空気の流れが変わったと感じた。

 寸毫すんごうにも満たない変化を、過剰なまでのアドレナリンを分泌し研ぎ澄まされたステフは察知し、予想通りに発生していた不可視の盾そのものを足場にして寧を飛び越えた。


 こと戦闘において相対的に上を取る事は、優位を確保するのに等しい。しかしその優位は人造人間――寧には通じなかった。


 ガウスガンを構えようとしたステフを見上げる事なく、寧は右手を大きく振り上げる。それに追随して単分子ワイヤーが襲いかかった。

 足場の無い空中では大きく避ける事も出来ないが、ステフの判断は速かった。戦闘用ベストにくくりつけた手榴弾を外すと、寧ではなく迫り来る単分子ワイヤーに向けて投げつけながら体を丸めた。

 起爆までの延期時間を0.2秒に設定された特製の衝撃手榴弾は、その爆風で単分子ワイヤーを吹き散らし、小柄なステフの体を寧から強引に引き離した。


 体を丸めたまま空中で回転し、ふわりと着地したステフはそのまま一跳び分、寧から距離を取った。

 強靱な人造人間であっても至近距離の爆発は痛いが、延期時間を調整した時に爆薬も減らしてある。骨も内臓も感覚器も、無視出来るほどの痛みしかない。


「なんて無茶を……蛍門インメェンの訓練では自殺方法を学ばれて?」


 嘆息しながらゆっくりと寧は向き直り、その傍らで残骸となった帽子が地面に落ちる。爆発で吹き散らした単分子ワイヤーが寧に降り注ぐ事を期待したが、不可視の盾を構えていたのか服に傷すらついていない。


「あたしもあんたも、あんなもの効かないでしょうが」

「それはそうですね。人間以上の存在たる私達が、あれくらいで怪我などするわけありません」


 ステフは五秒にも満たない時間の中で、寧と名乗る人造人間の特性を把握し始めていた。

 反射速度は同等以上だが運動能力はステフには及ばない。

 至近距離で相対したからこそ分かったが、筋肉の緊張度合いとそこから発生する動きの速さはステフほどでは無かった。それに不可解な能力に依存している為か、動きそのものが雑だ。

 攻撃や防御の要は両腕だが、今分かるのは右手でワイヤーを操り、左手が盾を作り出す事くらいだった。仕掛けさえ分かれば対処も出来るが、こればかりはステフの知るどんな兵器とも違っていた。


 だが何より厄介なのは視覚と顔の向きが一致していない事だ。頭上を取っての一撃を入れようにも、寧は的確な距離と方向へ単分子ワイヤーを打ち込んできた。

 恐らく背後であっても同様に対応するであろう。



「人間以上と言っても、メーカーによって差があるものですね」


 寧は片笑みを浮かべたまま両手を大きく広げ、ゆっくりとステフに近づいていく。

 長めのスカートが海風にはためき、その足元では目を凝らせばうっすらと黒い靄のように単分子ワイヤーが蠢いている。


「大丈夫ですよ、ステファニー。貴女は殺しません。私以下であっても、私に近い機能を有する貴女は私の所へ来るべきです。我が社は私や貴女のような者の、本当の生かし方を知っています」


 寧の後ろでは、トッドがSADやトミツの工作員と戦っているが、銃声の中にあっても寧は穏やかに、親しみすら込めて言った。

 嘘は混じっていない。

 ステフの目や耳、匂いや肌に伝わる言語化出来ない感覚が、その言葉が寧にとっての事実であると言っている。


「今投降すれば、トッド・エイジャンスの命は保証しましょう」


 この言葉にも嘘は感じなかった。だからと言って、頷く事は出来ない。

 ステフは抑えきれぬ怒りを視線に込めて、寧を睨み付ける。


「ダディを、あたしとの交渉材料に使うな……ダディを侮辱するなら……赦さないっ!」


 ステフは単分子ナイフを逆手に持ち替えると、短く息をつき寧の間合いに飛び込んだ。




「くそっ、めんどくせえっ!」


 七人目を撃ち殺しながら、トッドは毒づいた。

 壊れた車と自分の体を盾にしてミーナを守りながらでは、ステフへの加勢にもいけない。

 ステフを撃った奴は片付けたが、問題は寧と名乗った少女だ。


 人造人間。

 国際法により厳格に規制されている、人の遺伝子から作られた人を超える能力を持った存在。デザイナーベビーの極限とも言える、人の望みのままに性能を向上させ産み出された者。


 トッドはステフから、その生まれを全て聞いている。そしてその能力がどこまで並外れているかも知っていた。

 ならばこそ、加勢して寧の注意を少しでも逸らさなければ、ステフとてどうなるか分からない。


 ミーナもトッドの影から電磁式の短針銃ニードラーで応戦しているが、工作員と言っても彼女は潜入捜査や暗殺に向いているのだろう。正面切っての戦闘では牽制程度の腕しかないようだった。

 ミーナの銃撃に怯んだ相手に、トッドが追撃を入れてやっと八人目の死体が路上に転がる。


「トミツの奴は、どこだ?」

「も、もうトミツの工作員は彼女だけでは……?」


 つぶやきながらトッドは周囲を見回し、両手で短針銃ニードラーを構えたまま、ミーナは不安げな視線を辺りに向ける。


「まさか。そう都合良く行くなら苦労はないぜ」


 これまで現れたのは全員がSADの構成員と思われるアフリカ系の男ばかり。日系企業だから東洋人を雇う訳では無いが、装備にしても質にしても、とてもではないが七大超巨大企業セブンヘッズの工作員には思えない。


 だがトミツの工作員が見当たらないのなら、ステフの援護に――思考が切り替わろうとした時、トッドとミーナをハイビームの明かりが照らし出した。

 咄嗟に機械化した視覚が光量を抑えて、対象の輪郭を映し出し拡大する。


 人も歩かぬ深夜のビル街で、その車は一見無関係なただの大型セダンにしか見えなかった。

 しかし街灯を反射して光るつるりとした質感には見覚えがある。ただの装飾や汚れ防止目的では無い、相応の金額がかかった防弾コートの輝きだ。


「畜生っ、ここでまた偽装戦闘車両IFVかっ!」


 トッドはミーナを抱えると、一目散に盾にしていた車の影から出た。

 セダンはボンネットの一部を開き車載型ガウスライフルを展開すると、数秒前まで盾にしていた車に大穴を穿ち、地面を耕しながら射線に二人を捉えようとする。

 間一髪のところで、トッドはガラスを壊しながら手近なビルの中へ転がり込み、何発もの弾痕が壁に穿たれた。


「あんなもの何台投入する気だよ」


 毒づきながらもトッドの動きは早い。

 抱えたままのミーナを下ろすと、戦闘用ベストから単発型の電磁射出グレネードランチャーを取り出し、SMGの下部に接続する。

 装填してある弾頭は30mm成形炸薬弾。手持ちの火器ではこれが最大の火力だ。


「効いてくれりゃいいがな」


 ステフならば電磁射出式のSMGだけで偽装戦闘車両IFVと戦えるが、トッドが同じ事を出来るかと言えば、場合によるとしか言えない。


 単純な能力や精度でトッドはステフに及ばない。

 普段は軽口で返しているが、こればかりはただの人間に機械を入れたサイボーグと、遺伝子段階から戦闘に特化された人造人間の決定的な違いだ。

 これを覆し、初めて会った時にステフを止められたのは、培ってきた経験と機転、そしてちょっとした賭けに勝った結果だ。


「ミーナ。ちょいとばかり荒っぽくなるが、ついてきてくれよ」


 返事を待たず、トッドは階上へと走った。


「ええ、あともう少しですものね」


 ミーナの呟きはトッドの耳には届かなかった。




 偽装戦闘車両IFVはモーターの微かな音を響かせて、トッド達の隠れたビルの前へ移動する。

 搭載されたカメラには、上司である寧と目標の一人であるステフの戦いが映っている。普段ならば援護射撃を行う所だが、今回は寧に強く止められていた。

 ぬ=十八番の識別番号を持つ工作員は、ハンドルを持つ手の力を少し緩める。


「あの人とやりあえる奴なんて初めて見たぞ……」


 魔女と自称する上司は指揮はしていても、現場に出てくる事は滅多に無い。しかし現場に出た時は圧倒的な能力で相手を蹂躙する。相手が重サイボーグや外骨格兵器であってもそれは変わらなかった。

 弾丸をも避け、人の心を見透かしてしまう魔女。

 セカンドバベルで働くトミツ技研工作員の中では、決して逆らうなと言う文言と共にある種の伝説になっていた。


 ぬ=十八番が意識を寧に向けていたのは十秒も無かった。

 車体に着弾する数発の弾丸が、防弾コートを抉り積層カーバイト合金の車体に火花を散らせる。


「そんな玩具でこいつが落ちるか」


 ハンドルから検出された脳波に従い、車体の至る所に搭載されたカメラが敵を察知し、その姿をフロントガラスへと投影する。

 そこに映っていたトッドは、上面への射撃でも装甲を撃ち抜けないのを見て頬を歪めていた。


「お返しだ」


 偽装戦闘車両IFVの車内と言う安全圏にいる余裕が、ぬ=十八番と呼ばれる男の顔に笑みを浮かばせる。

 脳波で操られた二丁のガウスライフルが、トッドのいた辺りに十数発の弾痕を穿ち、車の屋根や周囲に外壁やガラスの破片が降り注ぐ。

 癖で車体の損害チェックを行った時、ぬ=十八番は眉間に皺を寄せた。自己診断プログラムは、先の射撃がほぼ同じ位置――直径二センチの範囲に収まっている事を告げている。

 その事実が工作員としての冷静な思考を取り戻させ、改めて今回の敵が手強い相手である事を認識した。


 ぬ=十八番は赤外線感知と音響感知を最大限に作動させ、隠れたトッドの位置を捜索する。寧が決着をつけるまで遊んでやろうと思っていたが、そこまで余裕を見せていたら足をすくわれかねない。


 投影式モニタに映るトッドの位置は、先ほど現れた窓際付近。熱遮蔽膜や音響位相変換のような欺瞞の痕跡は見当たらない。

 ぬ=十八番はトランクに内蔵した十二連五十口径マイクロミサイルを起動可能にすると、内蔵されたミサイルにトッドの位置と熱パターンを送信する。

 一発が辛うじて人間を吹き飛ばす程度の威力しかないが、それが十二発、弾種は全て自立誘導の徹甲炸裂弾。

 ドローンほどの誘導性能はないが、曲がり角の一つくらいは自動で曲がって目標に突き刺さり内部で爆裂する。戦闘用の重サイボーグであっても耐えられる威力ではない。


「ごきげんよう、っと」


 何度も聞いた寧の口癖が口をついてでる。

 車体後部から展開した発車筒が十二発のマイクロミサイルを発射したのと、銃を構えたトッドが窓枠を蹴って落ちてくるのは同時だった。




 偽装戦闘車両IFVの後部からせり上がってきた物を、ミーナから借りたコンパクトの鏡越しに見てトッドは瞬時に覚悟を決めた。

 膝を深く曲げ、窓の外へと飛び出しながらグレネードを射出する。

 その反動で姿勢を崩すトッドに十二発のミサイルが直撃するが、最終加速が終わっていないミサイルは強化皮膚に浅い傷を残しただけで全て弾かれた。


 至近距離での爆発を防ぐために、一般的なグレネードランチャーやマイクロミサイルには全て起爆可能になる距離が設定されている。その内側でなら、ただの質量弾に過ぎない事をトッドは知っていた。


 起爆可能距離をゼロにするような物好きは、トッドやステフのようなごく一部に限られる。

 そしてトッドの撃ったゼロ距離起爆可能なグレネードは偽装戦闘車両IFVのボンネット――先の銃撃で傷ついた箇所に命中して爆発。数千度のメタルジェットが積層カーバイト装甲を貫通した。

 次の瞬間、内蔵していた弾薬に誘爆したのか、偽装戦闘車両IFVはその前部が吹き飛び、爆風に煽られたトッドは再びビルの一階へと飛び込んだ。


 空中で方向転換した五十口径マイクロミサイルが、目標を追尾しきれずに大破した偽装戦闘車両IFVの周囲に着弾していく。

 その光景を見ながら、トッドは体を起こした。


「くそっ、こんな馬鹿な事、もう二度とやらねぇぞ……この仕事終わったら、対車両武器だって揃えてやるからな」


 弾を撃ち尽くしたSMGをグレネードランチャーごと投げ捨てると、懐からガウスガンを出して構えた。

 体中が痛むが、それを理由に休んでいる時間はない。


「大丈夫ですか?」


 階段を駆け下りてきたミーナが声を掛ける。


「なんとかな。そっちは無事なようだな……悪いがもうちょっと付き合ってくれ。うちの娘が悪い奴にさらわれそうなんでな」


 痛む体に鞭打つ為に、トッドは人工臓器に常時溜めていたアドレナリンを開放する。効果時間が切れればかなりの疲労が襲ってくるが、今はそれを厭う暇も余裕も無かった。

 大量のアドレナリンが痛みを消し去り不調を誤魔化すと、トッドは深く息をついて、壁に隠れながら表通りを覗く。


 まだステフは戦っていた。

 足を止めた寧の周りを飛び回り、隙を探しては攻撃を繰り返している。娘を戦わせておいて加勢の一つも出来ないのでは、養父と言えど父親を名乗るのもおこがましい。

 トッドは壁に体を預けるようにしてガウスガンを構え、狙いを付ける。

 そこに背後から冷たい声がかけられた。


「彼女は諦めましょう」


 振りかえるより早く、ミーナの指がトッドの腕に触れ、目も眩むような放電が放たれた。


「く、な……っ」


 スタンガンどころではない電流に、手足が痺れ呂律ろれつも回らなくなる。

 大電流に指先が焦げ、煙を上げる左手を振りながら、ミーナは片膝をつくトッドを見下ろした。

 麻痺させる目的ではなく電気による殺傷用の兵器。それを機械化していない腕に内蔵するなどまともではない。絶縁処理をしていても、埋め込んだ手が使い物にならなくなる危険すらあった。

 しかし痛みを消しているのか、ミーナは笑顔すら浮かべている。


「ごめんなさい。依頼は現時点で破棄します。これまでありがとうございました」

「そういう事だ。済まんね」


 いつからいたのか、ビルの奥に三つ揃いのスーツを着た男が立っていた。

 笑顔の張り付いた顔は柔和にも見えるが、それが作られた顔だとトッドは直感した。


「先ほど、私の仲間と連絡が取れました。そして合流も今出来ました。お二人は得がたい戦力であり、私の要求を金額以外の面で満たして戴けましたわ。残金はこちらでお支払い致します」


 ミーナの構えていた短針銃ニードラーがトッドの額に向けられる。合金製の針を至近距離から超音速で大量に撃ち込まれれば、打たれ強い重サイボーグの頭骨でも貫通するだろう。

 銃口を前にして、トッドは少しだけ俯くと肩を震えさせた。


「やはり怒っていらっしゃいますか? ですが当初の予定では最初からこうする手筈だったので――」

「甘ぇよ」


 言葉を遮りながらトッドは、ガウスガンに内蔵した単分子ナイフを展開。腕を振り上げミーナの肘を切り飛ばすと、返す刃でバッグの肩紐を切り裂いた。


 裏切られるとすれば、追っ手を振り切ってミーナの安全が確保され、優位な状況に持ち込んでからだと思っていた。それが仲間が来たからと裏切るタイミングを早めるなど、トッドからすれば笑い話にしかならない。


 電気を使った攻撃はサイボーグにとって危険な物の一つだ。最悪、人工心臓を初めとした生命維持器官が止まりかねない。

 だからこそミーナはその手に高電圧の兵器を埋め込み、トッドは電気による人工筋肉の麻痺を軽減し機能停止を防ぐ絶縁層を皮下に入れていた。

 一時的に力は抜けたが、数秒で回復していたトッドは笑いを抑えきれず即座に反撃へと移ったのだ。


 痛みを消しているためかミーナの対応も早かった。落ちていく自分の腕から短針銃ニードラーを掴むが、一瞬早く伸びたトッドの手がバッグを握りしめると射線を遮るように掲げられた。

 ミーナが躊躇した一瞬を突いて、トッドはガウスガンを二連射。ミーナは右足と腹を撃たれ、血を吐いてくずおれる。


 だがミーナの体が床に伏せるより早く、三つ揃いの男は間合いを詰めていた。

 仲間であるはずのミーナの体を払いのけながら左手を伸ばし、革手袋を嵌めた指をバッグに食い込ませた。

 二人の男が一つのバッグを掴みながら一瞬だけ睨み合う。


 トッドの見立てでは、三つ揃いの男はトッドと同等かそれ以上に、全身を機械化した重サイボーグだ。しかも銃を使わずに飛び込んでくるとは、余程近接戦闘に自信があると見える。

 立ち上がる余裕は無い――片膝をついたままのトッドは再び腕を切り飛ばそうとするが、三つ揃いの男はそうはさせじと腰を入れた左ストレートを放つ。


 攻撃か防御か。

 一瞬の葛藤の後、トッドはガウスガンを持った手で男の拳を受け止める。

 ガウスガンは手の中で砕け、それでも痛烈な左ストレートの勢いは殺しきれず、トッドはバッグを引きちぎりながら表通りの半ばまで吹き飛ばされた。


 まるで砲弾でも手で受け止めたような威力に、トッドは息を詰まらせる。

 狙われたのが胸だったからこそ、皮下プレートや耐衝撃脂肪層、チタンコートされた胸骨が内臓破裂だけは防いでいた。

 しかし受け止めた手は骨こそ無事なようだが、痺れていて当分は使い物になりそうにない。


 三つ揃いの男は手元に残ったバッグの中身を検分すると、親指ほどのハードウェアキーをつまみ出した。


「データはそちらか」


 トッドが手に残ったバッグの切れ端に目をやると、そこにはミーナの使っていた端末と共に、データチップが入っていた。


「さあて、どうしようかね」


 トッドはデータチップと端末をベストのポケットに荒っぽく突っ込むと、ガス式の短針銃ニードラーを抜き、チップのある辺りに銃口を押しつけた。


「俺の頑丈さは見ただろ? 狙撃で頭を吹っ飛ばしても、銃爪ひきがねを引くくらいは出来るだろうぜ」


 三つ揃いの男は、ガラスを踏み砕きながらビルを出た所で足を止める。


「交渉が望みかね。それにしては、君の手札は……弱い」


 男が言い終えると、一発の銃弾がトッドの太ももを捉えた。抗弾性を高めた体は弾丸そのものは通さなかったが、衝撃そのものを消すには至らなかった。

 足を震わせるトッドに、三つ揃いの男は口を開かぬままに言った。


「そのカードは今の君が持っていても意味が無い。有利なのは僕だ」


 苦笑するトッドは、男の言葉を否定する事が出来なかった。




「新手、ですか……あれは面倒な男が来ましたね」


 寧はステフから視線を外し、トッド達を見る。

 ステフは単分子ワイヤーの嵐を躱しながら位置を変え、トッドと寧を視界に収める。

 燃えさかる車に照らされたトッドは、セカンドバベルには似合わぬ三つ揃いを着た男と対峙していた。

 その男が敵だと分かったのは養父トッドの足が撃たれ、膝が崩れようとする姿を見て笑っていたからだった。


 それを見た途端に、ステフは全身が頭の髄まで冷えていくのを感じた。そしてその冷たさが全身を貫くような痺れに変わる。

 一瞬棒立ちになったステフに、寧は手心を加えるつもりはなかった。手を大きく振って、単分子ワイヤーを足めがけて叩き付ける。


 だが単分子ワイヤーはアスファルトを大きく削っただけで、駆けだしたステフを捉える事が出来なかった。

 速さが上がった訳ではない。

 動き方が変わった。それだけで、視界によらず周りを知覚出来る寧が、ステフを刹那の間見失っていた。


 ステフはそのまま寧の間合いから抜け出すと、三十メートルもの距離を一秒足らずで走って養父トッドの元へと駆け寄った。

 両手に武器を構えながら、ステフは養父トッドを守るように立ち、三つ揃いの男に怒声を叩き付ける。


「お前っ、あたしのダディに何すんだっ!」


 それを見ていた寧は、少し赤らんだ頬に手を当てる。


「貴女にも、貴女だけの機能があるのですね……とても、素敵ですわ」


 寧はまるで見とれているような、熱っぽさが籠もった視線をステフに注いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る