第11話 空襲
ステフは窓から上半身を乗り出し、空になった弾倉を投げ捨てながら、ぐるりと首を回して辺りを見た。
深夜の路上には通行人はおらず、走っている車もトッド達が乗った物だけ――SADが乗っていた車は、乗員諸共ガウスガンでスクラップになったばかりだ。
SADの総員は分からないが、逃走開始から今現在まで三人の前に現れたのが九十七人。その殆どを撃ち殺すか最低でも大怪我は負わせている。
ステフはもう癖になっている敵対者のカウントと、“
「あと三十人かそこらかぁ……弾は足りるかな」
新しい弾倉をガウスガンに装填しながら呟いた。
もうすぐ日が変わろうとしているが、追撃の手はまだ止んでいない。中央区画に近づくにつれて激しさは増していた。
追撃者の中にトミツ技研の工作員と思しき者が混じる割合も増えてきた。片手で数えられる数であっても、ただ暴力に慣れただけの者達とは違い、工作員達は的確に車の動きを封じ、三人を捉えようとしてくる。
プラズマカノンのような目立つ兵器は使ってこないが、一般車に偽装した戦闘車両に乗った工作員には手を焼いた。SMGの五十発入り弾倉を一つ空にしてやっと止められたが、車を走行不能にしただけで中身は恐らく無事――ステフはそう予想した。
トッドはナビゲーションの画面を拡大する。投影式モニタの中に映る海――内海と呼ばれる、周辺区画と中央区画を区切る海――に掛かった橋まで、あと三キロもない。
「もうすぐ橋だが、それまでに振り切れりゃあ……」
橋のたもとには警備軍が常駐している。防弾コートも度重なる銃撃で剥がれかけ、弾痕が穿たれた車ではそこで止められてしまうだろう。
かけた金額が金額だけに、トッドの車は走行になんら支障はないが、警備軍がそれを見過ごすとは思えなかった。
「どこかで車入れ替えなきゃねー」
あっさりと言うステフだが、スペアの車両などここらには配置していない。盗む事が前提の言葉を、今回ばかりは
「丁度良いのがありゃいいがな。ステフ、周りはどうだ?」
窓枠に腰掛けて上半身を車の外に出したままのステフは、言われるまでもなく周囲に目を走らせているが、SADやトミツの工作員と思しき車両は見えない。
「今はクリア。そろそろ車替えちゃう?」
言いながら車内に体を滑り込ませようとして、ステフは視界の端に何かが動くのを捉えて顔を上に向けた。
軌道塔の照明を背景に、空から落ちてきたのは東洋人の少女だった。
周囲のビルよりも高くから、つば広の帽子を片手で押さえスカートをはためかせながら、少女は落ちてくる。
視界を拡大したステフと少女の視線が合った。
嗤っている。
少女は自由落下より更に早い速度で落ちながら、空いた手を振りかぶった。
ステフは車内に滑り込むと、ミーナに覆い被さりながら体を強ばらせて叫ぶ。
「ダディ、
不意の叫びにトッドの反応は早かった。
床も踏み抜かんばかりにブレーキを踏み込み、同時にハンドルを切って横滑りし始めた車体を立て直しにかかる。
次の瞬間、トッドは車のボンネットが内蔵されたモーターごと、
「っな!?」
ステアリングの制御部分も削れたのかハンドルの手応えが一気に無くなり、車の挙動は車体の下に配置されたジャイロスタビライザーに委ねられた。
しかしフレームの一部を失った車体は、急制動に耐えきれずに削れた部位から二つに曲がり、同時にねじ曲がったジャイロスタビライザーは車体を制御するどころか、大きく前転させながらはじけ飛んだ。
トッド達が乗った車が火花を散らしながら路上を転がり、止まっていた大型トラックに衝突して上下逆さまに止まる。電子部品が煙を上げながら弾けていく音が、深夜のセカンドバベルに響いた。
寧はそれを見ながら、車のボンネットが削れた辺りに音も無く着地した。
「避けるとは思いませんでしたね」
革靴のつま先が、路上に転がっていた破片を軽くつつく。アスファルトに突き刺さるほど鋭利な断面を持った破片は、小さな音を立てて転がった。
上空からの強襲を行い一撃で運転手を粉砕し、その後に車の制御を乗っ取って停車させようとしたが、急ブレーキで座標がずれてしまった。
この時代の車は可燃物が殆ど無いので燃え上がる危険は少ないが、荒っぽい停車で目的の物が破損していないかが気がかりだった。
寧は鋭利な破片を避けながら、足早に三人が乗った車へと近づく。死んではいない、死ぬような相手ではないと分かっている。
寧を視認しながら反撃しなかったのは、良い判断であった。あそこで反撃を優先し、車がそのまま進んでいたら運転手は粉々になっていただろう。
「ステファニー・エイジャンス。面白い子のようですね」
言うが早いか、寧の左手が車へと向けられる。瞬間、眼前で幾つもの凄まじい火花が散っていき、同じ数だけ周囲のビルやアスファルトに弾痕が穿たれる。
「こうでなくては」
撃たれ続けても左手を前にしたまま歩を進め、火花に照らされる寧の顔はうっすらと嗤っていた。
「ちょっとちょっと、なにあれ。フォースフィールドっていつコミックから出てきたのよあたしも欲しい買ってよダディ」
車が止まるとすぐに車外に出ていたステフは、SMGの弾倉を交換しながら零した。
車から這い出したトッドは、ミーナを助け出しながら横目に襲撃者――寧を見る。
「……コミックのキャラクターを雇うたぁ、流石は日本の企業だ。すげぇな」
冗談で返してはいるが、人間サイズでガウスガンの弾丸をああやって無効化するなど聞いたことがない。
仕事柄、最新鋭の武器防具は噂レベルでも耳をそばだてている。その中に弾丸を片手で弾き飛ばすような防御兵器の話は混じっていなかった。
「なあ、ミーナ。あれ、なんだか知ってるか?」
「い、いえ……あんな事が出来るような相手は……」
バッグの中の届け物を確認していたミーナに声を掛けるが、答えは否定だった。
ステフのSMGは顔や胸などを的確に狙っているが、電磁誘導で射出される弾丸は一発たりとも寧に当たっていない。
「これが最後の一つ。ちょっと効く気がしないけど」
弾倉を空にしたステフは新しい弾倉を入れるが、トッドはSMGに軽く手を乗せて制止する。
「やめとけ。ここから撃ったんじゃ無駄弾にしかならんだろ」
不可視の盾。
そうとしか言い様がない
「ステフ。さっきお前が見たのはあいつだよな? 車が攻撃を受けた時、大体どれくらいの距離にいたか分かるか?」
僅かばかりの思案の後、ステフは答えた。
「あの速さなら十メートルかそこらじゃないかな。あいつ、空飛んでたのかも知れない……」
セカンドバベルは飛行機械を禁止しているが、人が道具を用いず空を飛ぶ事までは禁じていない。そもそもとして、そんな事が出来る人間がいない。
仮説として、トッドの頭の中で襲撃者の能力が組み立てられる。
車への攻撃からして至近距離は危険である。だが中遠距離ではガウスガンの攻撃が無効化される。そして不確定情報だが、空を飛べる――即ち、地形に左右されない移動が出来る。
「さてどうするかね……」
トッドは逆さになったままの車からバッグを引っ張り出し、中にある戦闘用のベストを着ると、もう一着をステフに渡した。
「ごきげんよう。ミーナ・レッティとT&Sトラブルシューティングのお二方。私はトミツ技研の……寧、と言う者です。今回の作戦において、全権を委任されております」
彼我の距離は十メートルと少し。
足を止めて名乗った寧は前に向けていた左手を下ろした。
「素直にミーナ・レッティとその所持品を全て引き渡して戴ければ、T&Sトラブルシューティングお二方の安全は保証しましょう。私の目的は戦闘ではありません」
戦闘用ベストを羽織ったステフは、SMGを片手で構え直しながら車の影から出る。先の攻撃を考えれば、車が盾になるかどうかも怪しい。
「
ブレーキが間に合わなければ、
「赦す赦さないの話ではありません。死ぬか生きるかの話ですよ、ステファニー・エイジャンス。魔女たる私には勝てません」
ステフは寧が言い終えた瞬間に、空いた手首のひねりだけで単分子ナイフを投擲する。吸光皮膜を施された漆黒のナイフは、弾丸のような速度で寧の首を狙う。
対する寧は同じく手首のひねりだけでそれを粉々にし、飛来する破片をも
「手癖が悪いですね」
「単分子ワイヤー、ね。納得」
寧とステフの声が重なる。
防がれる事は分かっていたが、銃弾を弾く方かそれとも車を削る方で防ぐか――後者なら攻撃方法を見極めようとステフは瞬きもせずに注視していた。
寧はどうした手段かは分からないが、単分子ワイヤーの切れ端を操っている。それも一本二本では無く、物体を粉々に出来るほど大量にだ。
発想は既にガウスガン用の特殊弾頭として存在しており、理由は分からずとも同等の事を手の動きだけでやっている。非常に細く極めて視認し辛い単分子ワイヤーなら、地面にでも撒いておけば夜であればまず分からないだろう。
「ダディ。出ちゃ駄目だよ。こいつ、あたしじゃないと勝てないや」
ステフはトッドにSMGを投げ渡すと、愛用しているガウスガンと単分子ナイフを抜いた。
「あたしの同類だよ、こいつ。何が魔女よ」
「おい、じゃあ……」
ステフは
「あたしの追っ手じゃないよ。元々の発想は珍しかないし、他の
ステフの言葉に、寧の頬が歪み片笑みを作る。
「ああ、やっと出会えた。私以外の、人間以上の者」
寧の紡ぐ言葉には隠そうともしない嬉しさがあった。
だがステフの返答は辛辣だ。寧を睨み付けながら一歩進む。
「人間
「寧、とお呼びくださいな。ステファニー・エイジャンス……いえ、凡人の名付けた名ではなく本当の名前をお聞きしても?」
更に一歩、ステフは足を進める。
「あたしにはダディに付けて貰った名前しかない。それだけが本当の名前だ」
瞬きもせず睨み付けるステフに寧は少し眉をひそめる。
「ステファニー・エイジャンス。あたしが名乗る名前は、それしかない。あんたとは違う」
「……私と同じでしたら、両手足が消し飛んでも死ぬ事はありませんよね」
寧も一歩二歩とステフに近づいていき、十メートルと少しの距離は、すぐに一メートル以下に縮まる。
ステフも寧も、お互いから目を逸らさずに至近距離で見つめ合う。手どころか息がかかりそうなほどに近づいても、二人はお互いを攻撃しなかった。
「トミツ技研謹製人造人間イ=九号。識別名、寧。これが私の本当の名ですわ」
「
片笑みを崩さない寧は改めて名乗り、ステフはトッドやミーナに聞こえぬよう、寧だけに聞こえる小さな声で名乗った。
それを聞き、寧の笑みから嘲りが消える。
「半分ですが、名乗って戴けて嬉しいですわ」
「餞別だよ。殺す前のね」
二人を注視していたトッドは僅かな気配に振り向き、ビルの影から顔を覗かせるSADと思しき男と目が合った。
男が持っていた銃を構えるより早く、トッドのSMGが男を撃ち倒す。
その銃声が戦いの始まりを告げた。
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