第6話 ハニートラップ

 ステフは久しぶりの単独調査に、歌いたいほどに浮かれていた。

 いつもなら調査はトッドと組んで行っているが、今回は話を聞く相手がステフ一人でも情報を得られると踏んで、単独行動の許可を貰っている。

 予定していた買い物は全て済ませ、ミーナに買っていく服には片端から追跡装置トラッカーを仕込んだ上で車に置いてきた。


 癖で足音は消しながら繁華街を気ままに歩き、父親と一緒の時ではちゃんと見られないようなものも気ままに見て回る。

 トッドはと言えば、別口の情報屋――相手の本業は警官だが――の所へ行っていて、合流するのは一時間後。それまでに多少でも成果をあげないと、普段は許してもらえない単独調査をする甲斐が無い。


 “眼鏡屋オプティシャン”から追加で送られてきた情報には、ミーナを探すSADの男達はこの近辺にもいるとの事だ。

 この辺りにはミーナの店があり、戻ってくる可能性を考えてだろう。

 ステフは手に入れた情報を頼りに、ミーナの店を見張っているであろう男達を探す。


 SADのメンバーは体のどこかに、必ずSの字を表す何かを施している。髪型であったりタトゥーであったり、ある者は機械化した体に刻んでいたりもする。

 “眼鏡屋オプティシャン”の送ってきた情報には、それらの画像も添付されていた。


「いつもこれっくらい事務的だと、ダディもあたしも楽なんだけどなぁ……」


 親指ほどの端末から投影されるモニタを見ながら、小さく零した。

 調べられた事実に対し、遊びがなく冷静な私見を付け加え、顧客への判断材料を提供するのが、“眼鏡屋オプティシャン”から送られてくる情報の癖だ。

 例えそれを読むのがステフだけであったとしても、会った時のような巫山戯ふざけた調子は一切ない。

 冗談であっても養父トッドの前では受け答え出来ないし、正直気持ち悪かったりする時もあるのでやめて欲しいと思っている。


 だが、そんな“眼鏡屋オプティシャン”の情報は当てになる。

 細い路地裏から通りを行く人々を眺めている男達は、最近声をかけた女の話をしながらも、必ずどちらかがミーナの店を視界に収めている。

 一人は機械化された腕に、もう一人は顔のタトゥーにSの字がある。


「さぁて、拉致るにしてもどうするかな」


 相手が二人がかりでも負ける気は全くしないが、人目も監視カメラもあるのに手荒な手段は取りにくい。

 “眼鏡屋オプティシャン”の送ってきた情報を読みながらしばし考え、一計を案じたステフは、アロハシャツの前を少し開けて男達に近づいていった。


「お兄さんっ」


 明るく、笑顔で頭二つは背が高い男達に声をかける。

 上目使いに見つめるステフに、二人は面食らったように会話をやめた。


「ねぇねぇ、お兄さん達、あたしみたいなのどうかな? ちょっとあたし、欲しいものあって、どうしてもお金欲しいんだっ」


 聞かれぬように人の切れ目を狙って、養父トッドが聞いたら確実に激怒する猫なで声を投げかける。

 十代前半ローティーンといえど、場所によっては体を売る事もある。そしてセカンドバベルは、そのような事がある場所の一つでもあった。


 ステフは何度か瞬きをしながら視界を少しだけ切り替えて、男達を可視光線ではなく赤外線で視る。

 そしてあからさまな誘いが、少なからず効果を上げているのを確認して微笑んだ。


「欲しいの、なくなっちゃうかもしれないから、そこでいいから……ね?」


 男達は顔を見合わせて笑い、一人がステフの肩に手を置いた。


「ちゃんと買ってやるよ。その代わり、忘れらんなくなっても知らねぇぞ」


 仕事より遊び・・を優先するような、単純な男で良かったと安堵する。

 自分の見目には自信がある。

 セカンドバベルに着くまで、こうして路銀を稼いでいた事もあったし、ステフは自分の容姿が大体の場合に置いて受けが良い事を分かっていた。


「いいよぉ。あ、でもちゃんと二人分ちょうだいね?」


 飛びつくように男達の間に体を入れて、腕に抱きついて胸を押しつける。

 隠し持った単分子ナイフやガウスガンは全てハーフパンツの内側にある。こうしていれば、背丈の差が大きく下半身を触られにくい事を経験として知っていた。


「もしこれからも金欲しいなら、俺達が働けるところ紹介してやるぜ」


 下卑た笑いを上げる男達を見上げて微笑む。


「うーん……お兄さん達が素敵だったら、しちゃおっかな」


 それを聞いて、ステフが抱きついた二人の腕が、体をまさぐってくる。

 今すぐ腕をへし折りたい気持ちを抑えて、ステフは男達と一緒に路地の奥へと進んでいった。




 ある程度進んだ所で、ステフは男達の腕を放して、さっきまでの表通りを背にするように男達へと向き直る。


「じゃあ、脱いでみな。ちゃんと金払える体かどうか見てやるから」


 それを合図と取った男の一人はしゃがみ込み、ステフを視線を合わせながら言った。


「いいよっ。ちゃんと見てね……」


 ステフはアロハシャツのボタンを一つ一つ外していく。胸元や鳩尾、お腹の辺りまでが露わになり――全てのボタンが外れた。


「ほら、そこで止まるなよ。まだ全然見えてないぞ?」

「瞬きなんてしちゃだめだからね……」


 急かす男に微笑みながら両手をハーフパンツにかけて――男達が注目したその一瞬を突いて、視認出来ぬ速度の掌底が、立ったままの男の鳩尾にめり込んだ。間髪入れずしゃがんでいた男に近づくと、こちらも鳩尾に膝蹴りを入れる。

 手応えからして、男達は二人とも養父トッドのような強化皮膚や皮下衝撃吸収層を入れていない。全力で打てば内蔵を破裂させる事も容易いが、そうならないよう、ぎりぎりの手加減はしてある。

 力なく呻くしか出来ない男達の手足に、素早く単分子金属ワイヤーで編まれた対サイボーグ拘束具をかけて地面に転がした。


「お兄さん達、あたしね……お前等の持ってる情報が欲しいの。価値がなくなっちゃう前に、ちゃんと二人分吐いてね」


 ステフはアロハのボタンを留めると、ハーフパンツの中に隠してあった単分子ナイフを抜いた。




 少しだけ回復した男達が大声を出そうとした瞬間、ステフのつま先が再び鳩尾にめり込む。


「てっ、てめ……何も……」

「あたしの事はいーでしょ。あたしが訊きたいのは、お前等の知っている限りの、ミーナ・レッティの情報よ。あいつはお前等から何を持って行った・・・・・・?」


 苦痛に涙目になりながらステフを見上げる男達は、その言葉に揃って口をつぐんで顔を背ける。

 少々かまをかけたが、痛いところを突いたのだと態度で知れた。

 ステフは目だけで笑い、男の前でナイフをこれ見よがしにちらつかせる。


「黙っちゃうんだぁ……? あたしに逆らってもいーことないよ?」


 ためらいもなく単分子の切っ先を男の二の腕に突き立てる。機械化した部位と生身の体の境辺りにするりと入ったナイフは、機械側の神経接続を制御する部品を的確に貫く。

 途端、男の叫びが路地裏に響いた。


 機械化された部位は痛みを感じる事はない。

 だがそれはこの部品を特定の状態で壊された時以外の話だ。人工的に確立された神経の接続を、過負荷を与えるように断ち切られた反動は、血を流すことなく肉を抉るような痛みだけを与える。

 サイボーグというバランスのとれた機械は、そのバランスを崩すだけで残っている肉体への負担が発生するのだ。

 そしてステフはその崩し方を、拷問として使用出来る知識を持っていた。

 男は苦痛に体をねじるが、拘束具によって手足の自由を封じられたままでは、のたうつ事しか出来ない。


「あんまりさ、こーゆーことしたくないけれど、あたしが訊きたい事を教えてくれないのなら続けちゃうよ?」


 のたうつ男を強く踏みつけ、押さえ込みながら冷たく見下す。

 その間も単分子ナイフを弄び、新しく抜いたナイフも加えてジャグリングのように宙を舞わせる。


 苦痛による自白は恣意的な情報を強要しやすい。望む答えを得たいのなら使える手だが、それが真実である保証はない。

 トッドがこの場にいれば止められるだろうが、今はステフ一人きりで、情報を持っているであろう男は二人。

 方法・・の是非を考えなければ、情報を引き出す手は幾つもある。

 それを男達に予告するように笑うステフを見上げ、男達の顔は青ざめる。




 養父トッドのような比較的真っ当な倫理や正義感は、自分にはない――ステフ自身もそれは分かっている。

 廃人製造薬のような麻薬を売ろうと、非合法な手段で娼館を経営して女子供を搾取しようと、はっきり言ってどうでもいい。

 社会通念において赦されない事は、ステフもこれまで何度となく行ってきたし、そのためにステフは存在してると言っても良い。

 もしミーナの言う事が全て真実であったとしても、言葉や態度以上に心配する理由もなく、お金が手に入って仕事としての信用が失われなければ、依頼人がどうなっても構わないとすら思っている。


 トッドの元に転がり込んで一緒に仕事を始めてから、それまでのステフからは理解の埒外な行動も取るトッドを間近に見てきた。今もそれは変わらないが、分かるのはそんな養父トッドだからこそ、自分の命を奪いかけたステフを養女にしてくれたのだろう。


 ステフは、そんなトッドについていきたいと思っている。

 拾ってくれた恩を返したい、そして出来れば同じものを感じたい――これまでゆうに三桁に届く人間を殺してきたステフが、初めて他人に対して抱いた感情だった。




 ステフが考え事をしたのはほんの一瞬、時間にすれば半秒もないくらいである。

 意識を逸らしたつもりはないが、男達の視線がわずかだが今まさにステフからずれていくのに気がつく。


 刹那、ステフはナイフを宙に放り上げたまま、男達が見つめるものから離れるように地面を蹴る。

 地面から壁面を蹴って奥の脇道に飛び込んだ時、背後で放電音と悲鳴が上がった。


 聞き覚えのある悲鳴と音に、ステフは何があったのか理解した。

 マイクロ波ディスラプターと呼称される、近距離での対人殺傷――暗殺を含む――に特化した兵器だ。細胞内の水分を加熱・沸騰させる為に、生物であれば致命的な傷を与えうる。効果範囲内に金属があれば放電が発生するので、サイボーグに使用するとこのような音がする事をステフは知っていた。


 新しい単分子ナイフを取り出して、よく磨かれた刃を鏡代わりにして角から覗き込むと、SADの二人はぐったりと倒れ、その代わりに見知らぬ男が一人立っていた。

 その手には円筒状をした武器。少し歪んだ鏡面では細かい所までは見えないが、恐らくは軍事産業の雄、七大超巨大企業セブンヘッズの一つであるマクファーソンカンパニーが製造している携行型マイクロ波ディスラプターであろう。


 ステフは以前使った・・・・・記憶から、およその射程や効果範囲、電力のチャージにかかる時間を思い出して対処を考える。


「今すぐ出てこい。悪いようにはしない」


 ナイフのブレードに写る男は、マイクロ波ディスラプターを下ろしながら声を掛ける。

 男からの投降勧告がチャージ時間を稼ぐ方便なのはすぐに分かる。

 ステフも以前同じ事をした事があった。

 自分なら撃つ――その確信があるからこそ、ステフは鏡代わりのナイフをしまい、ハーフパンツの中に隠してある小型のガウスガンを抜いた。


「出てこないならこちらも手荒に扱わざるを得ないぞ」


 角の向こうから足音が近づいてくる。踏みしめるような足音は、カウントダウンを兼ねているのだろう。

 だがその音に、ステフはほんの僅かな違和感を感じた。

 直感が罠だと言っている。

 ステフは自分の装備を頭の中で再確認し、取れる手段を模索した。

 手にはガウスガンが一丁。装弾数は3.3mm弾が二十発、予備弾倉は無し。単分子ナイフが格闘用二本に投擲兼用が六本。さっき逃げる時に置いてきた二本は回収不可能だろう。


 男が持つ武器はマイクロ波ディスラプター以外もあるだろうが、これだけあれば軍用の重サイボーグでも仕留める自信はある。

 ステフは舌舐めずりをするように唇を濡らす。


 SADの男達と違い、あの男は必ず何かを知っているだろう。そうでなければ、諸共にマイクロ波ディスラプターで殺しにかかる理由に乏しい。

 今の目的からすれば、絶好の相手がやってきたものだ。

 濡れた唇を細めて、音も無く息をつく。そして口角を上げながら吸う。

 ぞくりとする緊張感に背筋を震わせて、ステフは笑った。


「これが最後の警告だ。出てこなければ、撃つ」


 その一言を銃爪に息を止め、細い両足に力を込め、跳んだ。

 助走無しの垂直跳びで六メートル。常人どころか下半身を丸ごとすげ替えたサイボーグでもなければなし得ない跳躍。

 その脚力で隠れていた五階建てのビルの最上階付近まで蹴り上り、そのまま壁を横へと駆けて男の頭上をとる。


 そこでステフは足音の違和感が何であったか分かった。

 男の位置はナイフを鏡代わりに覗いた所から殆ど変わっていない。合成した足音が近づいているように人工声帯で放送し、距離感をずらしていたのだ。


 だが男にとってもステフが出てきた高さは予想を上回っていたのか、マイクロ波ディスラプターを向ける動作に僅かな遅れがあった。

 その隙を逃さず、ステフはガウスガンを連射する。

 男も神経を強化しているのだろう、反応は早かった。逃げ場の無い路地裏で下がる事はせずに、敢えて前に走って射線を切りに来る。


 ステフはぶんっ・・・と左手を振るい、三本の単分子ナイフをほぼ自分の真下へと投げ落とす。

 サイボーグならあり得る速力を計算に入れて投げたナイフは、閉じゆく罠のように男を捉え、そのうち一本がマイクロ波ディスラプターを手首諸共切り裂いた。


 普通の相手ならばここで大勢は決するが、しかし男は諦めなかった。逆の手をステフに向けると、掌が二つに分かれて銃口が現れた。

 銃口の奥に灯る白い光に、ステフの余裕は一瞬で消える。片手で持っていたガウスガンを両手で構えて残る全弾をフルオートで叩き込む。

 3.3mm弾は男の右足と右肩、そして左掌の銃口を撃ち抜き、銃身で充填中であったプラズマの暴発が肘から先を一瞬で吹き飛ばした。


 プラズマカノンとも言われる、焼夷弾代わりにも使われる兵器の暴発だ。大量の電力を消費するが、その威力は人間一人くらい一射で炭化させてしまう。銃身も焼けてしまうので構造の大半を使い捨てにするような癖のある兵器だが、威力だけ見れば凶悪と言って差し支えない。

 ステフは連射の反動を身を捻るように逃がし、そのまま十五メートル近い高さから落下すると、男の前に音もなく着地した。


「聞きたい事あるんだけど、喋るなら悪いようにはしないわよ?」


 さっき言われたばかりの言葉を返しながら、格闘用に作られた幅広の単分子ナイフを抜き放つ。

 SADに雇われた市井の用心棒という事はあるまい。

 マイクロ波ディスラプターもプラズマカノンも、セカンドバベルの下では殆ど見る事もなく使われたという話も耳にする事はない。こんな物騒な物を振り回すようなのは、七大超巨大企業セブンヘッズの関係者――それも非合法な工作員と相場は決まっていた。

 “眼鏡屋オプティシャン”の情報が正しければ、トミツ技研の工作員であろう。


 両腕が使えず、片足も壊れた男はステフを間近にして目を見開く。


「……君はどこの者だ? ノースシーか、それともマクファーソンの者か?」


 細身の少女、それも食事中でなく黙っていれば美少女と言われる事もあるステフを見て、男は思い当たる節があるようだった。

 だがそれが逆にステフを僅かに苛立たせる。


「訊いてるのはあたしよ。七大超巨大企業セブンヘッズがどうとかはあんたが喋る事で、あたしが言う事じゃないわ」


 冷たく言い放つとナイフを振りかぶる。

 トッドには腹時計と揶揄されるステフの精密な時間感覚は、セカンドバベルの警察機構が戦闘の音を聞きつけてここに到着するまでの時間を算出する。

 戦闘が始まってから三分と経っていないが、最小の到着時間を考えれば余裕は殆ど無い。


「あたしね、あんまり気が長くないからさ、喋る気が無――」


 一歩、ステフは足を進めようとした時、男は項垂うなだれた。

 観念したとも見える動きに、言いようのない予感を感じて即座に跳び退る。

 男の頭が爆ぜるのと、ステフが顔を庇うのは同時だった。


「っの、馬鹿っ!」


 悪態をつき、奥歯を強く噛みしめる。

 脳皮質爆弾コーテックスボム。危険な任務に従事するサイボーグが稀に搭載している自爆装置の一種だ。

 脳を内蔵した記憶補助装置ごと吹き飛ばし、あまつさえ尋問者を道連れにしようとする厄介な罠。


 自爆してでも情報を守ろうとする者が、手持ちの物に足がつくような情報を入れているとは思えない。

 ステフは悔し紛れにコンクリートの壁がひび割れるほど強く殴りつけた。

 そして長居は無用とばかりに踵を返し、落としたナイフを拾って路地裏を駆けた。


 道から道、道から壁、壁から壁へと駆けて、遠くから近づく警察のサイレンを聞きながらつぶやく。


「ああ……もぉ。ダディになんて言おう……」


 情報が得られなかったのは悔しいが、何より養父トッドに失敗した事を言わなければいけないのが悔しかった。

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