第4話 “眼鏡屋”
“
観光客向けの店が入った四階建てのビルの裏手に車を止めると、少し錆の浮いた非常階段を上っていく。
「来なくて良いと言っただろう」
鉄の階段を足音一つさせずついてくるステフに、トッドは呆れながら振り返った。 気配を消すのをやめたステフは腰に手を当てて言う。
「いいじゃん。あたしいれば、今日のご飯代くらいは値切れるでしょ」
「下手にあいつの要求に返事するなよ。てか、お前は口をきくな。調子に乗るあいつを、俺が撃ち殺さないとも限らん」
トッドが掴んだ手すりが軋んだ。冗談で言ってない事は一目で分かる。
「せめてあたしが弾掴める銃でやってね。ダディが人殺しするの、あたしはやだし」
軽く言うが、こちらも冗談で言ってはいない。
しばらく見つめ合った後、トッドはステフに背を向けて再び階段を上り始める。
「つまらん事を言えなくなるまで殴るだけにしとく」
“
ビルの大きな看板の裏側を改装して作られた大きな部屋は、様々な場所に眼鏡が置いてあるか引っ掛けられている。それらは一つとして同じ物はなく、機械化や培養細胞移植による視力矯正が一般化した現在では使う者も殆どいない。
大量生産品としてアンティークとしての価値もないそれらの眼鏡を、その情報屋は好んで集め飾っていた。
「邪魔するぜ」
鍵のかかっていないドアを開けながら、トッドは奥に声をかける。
一抱えもある大型端末を背にしたテーブルの横で、当の“
ワイシャツにスラックスを着て、異名通りに眼鏡をかけた若い男だ。モンゴロイドなのは見て分かるが、年齢もどこの生まれかも知られていない。三十にはなっていないように見えるが、二十歳くらいに見える事もある。語学に堪能で、その言葉遣いから生まれを窺い知る事は出来ない。
「やあ。美しいお嬢さんも一緒にいるようで眼福の至り」
体を起こしながら穏やかな声で言った。視線は半ばトッドに隠れているステフにだけ向けられている。
「何やら物騒な事を話していたようだけれど、出来ればやめてくれないかな。今日の眼鏡は本当に珍しい物なんだ。壊されると困る」
ふらりとセカンドバベルにやってきて、類い稀な情報収集能力と分析能力で情報屋として頭角を現した男だ。自分の住処へと続く階段で話した事なら、部屋の中で話したに等しい。
「ぶん殴られたくなければ、うちの娘に変なことを言うんじゃない」
トッドは勧められる前に“
「要件は三つ。SADのここ最近の動向。ミーナ・レッティと名乗る女の正体。それと、これに記録してある暗号を
ステフは“
「これは残念」
“
「もし俺の許可なくステフの手を握ってみろ。その腕、肩から引っこ抜くぞ」
「怖い怖い。私はまだサイボーグになる気はないんで、やめてくださいね」
低い脅しに“
「料金は通常の支払いで? 美しいお嬢さんが今履いている下着を、この場でくれるのであれば七割引にしますけど?」
これが“
会話の端々に歪んだ性癖を混ぜてくる。ステフはかなり好みなのか、見かけたら必ずこのような事を言ってくる。
トッドがこの手の話を嫌う事を知っていてもお構いなしだ。
「ダディ、ストップストップ!」
立ち上がろうとしたトッドに咄嗟にステフが組み付いた。
トッドも多少の加減はしているが重サイボーグの人工筋肉が弾き出す力を、遙かに細腕のステフは力で抑え込んでいる。
「離せステフ。この性犯罪者、一度シメとかにゃ気が済まん」
「大丈夫、まだ未遂! 言論の自由的に許される範囲! こいつにあたしのパンツなんてあげないから!」
対する“
「美しいお嬢さんの可憐なお口から、パンツという単語が聞けるなんて……よろしい。一割引で引き受けましょう」
大型端末に向き直ると、投影式モニタが八つ一度に投影される。端末上に置いた両手から伝わる脳波による制御で、全てのモニタが同時に幾つもの情報や画像を表示していく。
古めかしい丸眼鏡にモニタの光を反射させながら、“
やっと力を抜くトッドから離れたステフは、べぇっと“
「二割五分っ、まけましょう!」
“
「これが言論の自由で許される範囲か? この仕事が終わったら、俺ぁこいつを海に沈めたいね」
「ま、まだ大丈夫……じゃないかなあ……」
トッドは近くの眼鏡をモニタに投げつけ、取りなすステフの顔も少し引きつっていた。
時間にして十分ほどして、やっと“
「面白い件に首を突っ込んだようですね。生きていられれば、実入りも大きそうで」
勿体ぶる“
「詳細を言え」
「まずはミーナ・レッティと言う女の話からにしましょうか。彼女はこのセカンドバベルでアクセサリーショップを開店し、その後SADのジョン・ロイドの女になった。気になるのはね、彼女、ここに来る前や来る時の公式な履歴がありません」
おどけるように肩をすくめる。
「どの船でいつ来たかも分からない。密航者はセカンドバベルに山といますが、彼女は店を開く時にありもしない情報が載った公式な書類を出して、正規の手段で店を構えていた。ちょっと用意や手際が良すぎる。書類なぞ出さなければ良かったものを」
“
「そこで繋がってくるのがこの暗号。
トッドは
「申し訳ないが、暗号の完全な解読にはしばらくの時間がかかります。なので私見と推測が混じりますが……彼女、どこかの企業と繋がっているでしょうね。暗号の送付先はかなり迂回していましたが、西アジアからヨーロッパ方面という所です。これも詳細が判明し次第連絡しましょう」
不確かな事を言っているが、この短時間でそこまで判別させているのはかなりの腕だ。ネットワークセキュリティは日進月歩で進化している。様々な追尾・対追尾プログラムが溢れている中で、ここまで出来る者はそういない。
トッドが腹立たしいのを我慢しても、ここへ来た理由だ。
「ミーナについてはそれくらい? SADについてはどうなの?」
少し身を乗り出してステフが言うと、“
「美しいお嬢さんに急がされるのも、また嬉しいものです――SADは現在、ほぼ全構成員を使ってミーナ・レッティの捜索をしています。娼館の運営やら麻薬販売すら疎かにしてですよ。息をするように麻薬を売っている彼らにしては、極めて、極めて珍しい事です」
“
「そこで彼らの動きに注目してみましたが、統制……いえ、行動に明確な指針がある。お二人が溜まり場で襲われた件、あれもそこに至るまでの動きにブレが少なかった」
トッドもまずそこが引っかかっていた。
あの時はまだミーナへの疑いに確証はなかったが、今となっては企業と繋がっているような人間が、ギャングの追跡をあそこまで振り切れないと言うのは明らかにおかしい。
トッドはソファの背もたれに体を預けて問う。
「SADの裏には何がいる?」
「トミツ技研」
「今回の件、たかがギャングとやりあうだけじゃ済みそうにありませんね。トミツ技研の工作員に動きが確認されています。人数としてはごく少数のようですが、あそこの工作員はしつこいですよ」
トミツ技研。
日本の四国に本社を置く、
超大型量子コンピュータの接続計画がなければ、セカンドバベルの建設や世界中で使われている幾つもの先進的な技術がまだ無かったと言われている。そう考えると間接的にであるが、セカンドバベル建設において最大の功労者とも言える。
その資金力を背景にした工作員は、
「ふぅむ……確かに面倒だが、金にはなりそうだな」
トッドは顎に手を当てて思案する。
運が悪ければ、死ぬ。
そこまで行かずとも、命があるだけで儲けものとなる可能性もある。
しかしトッドは口の端を上げ、笑う。
勝算がない訳ではなかった。
「ダディ?」
「どうやって金をふんだくるか考えてただけだ。お前が心配する事はない」
「心配はしてないよ。だって、あたしのダディだもん」
問いかけるステフの頭を撫でると、華のような笑みが返ってくる。
「いい、とてもとてもいい笑顔ですよ、美しいお嬢さん」
横合いから飛んできた“
自慢げにトッドは笑った。
「俺の娘だ。当然だろ」
情報料を支払い、追加で分かった事があればすぐに連絡するという約束を取り付けた二人は、“
「ミスター。今回は最悪、
どこか遠くを見るような視線がトッドに向けられる。
“
「俺一人なら逃げるんだがなぁ」
外に目をやったトッドは、夕暮れの空に目を細める。
「ガキに父親が逃げる所見せるのも、少しばかりばつが悪い。日頃、偉そうに父親面してる分は頼れる所を見せるのも、父親の務めってやつだ」
「美しいお嬢さんを悲しませないでください。彼女は良い子だ。とてもミスターに懐いている」
強がり混じりの本音に、柔らかく微笑む“
「言われんでもよく知ってるよ。だから頑張らにゃいかんのさ。父親は娘を守るもんだ……話がないなら行くぜ」
階段の下から、ステフが呼ぶ声が聞こえてくる。
「ええ。幸運を」
手を振る“
階下に止まった車が走り去るまで“眼鏡屋”はそれを見送っていたが、踵を返すと独り言ちた。
「
その言葉は、一陣の海風に吹き散らされていった。
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