第3話 ミーナ・レッティ
トッドの運転する車は港湾地区にある倉庫の一つへと向かった。そこはトッドがセカンドバベルに来た当時、格安でトラブルを解決した相手から借りている場所だ。
錆の浮いたコンテナの一つを開けると、そのまま車を入れる。
「んふー……ここ好きなんだよね。オモチャみたいで」
楽しそうに言うステフと対照的にミーナは不安げに目線を彷徨わせる。道中、ステフが懐いたようにくっつきながら世間話をしていたせいで、大分打ち解けたようだったがそれでもまだ心細さはあるようだった。
トッドが車のコンソールを操作すると、コンテナの扉が自動で閉まり空気の抜ける音がしながら、車は床ごと下がっていく。
「最近使ってないセーフハウスだからカビ臭いかも知れないが、長居させるつもりはないから我慢してくれると嬉しい」
床が沈みきると、トッドは車のドアをあけた。車内に流れ込んでくる潮とカビの匂いに、ミーナは一瞬だけ渋面を作る。
車のライトだけが暗闇を照らす中、トッドが明かりをつけていくと、そこはコンクリート造りの広い倉庫のようであった。
「ステフ。換気をつけてこい。最大でな」
ソファを初めとした家具の埃を払いながらトッドが言う。大きな声で返事をしたステフは車から降りると、奥に固まった幾つもの機械のスイッチを入れていった。
「しばらく貴女にはここに隠れていてもらいたい。俺達が安全を確保するか、それとも安全な逃げ道を確保する間だから、数日……長くても十日って所か」
言いながらトッドはエスコートするように車のドアを開け、所在なげにしていたミーナを下ろす。
「私、逃げられれば良いので、貴方たちがあんまり危険な事になっても……」
トッドは自分の胸板を叩き、自分の背中を指さした。穴の空いたアロハはまだ着替えておらず、薄手のジャケットを羽織って穴を隠しただけだ。
「これ以上危険な事ってのはそうはないさ。ところで、逃げた先での伝手はあるのかい? オーストラリアに行きたいと言っていたが」
セカンドバベルに入港する船は主にアメリカ・中国・日本・南アメリカの船が多く、ヨーロッパやオーストラリア行きの船は比較的少ない。特にオーストラリア地理的には近いながらも環境意識の高い者が多く、セカンドバベルを初めとした軌道塔計画への反発も強い。
大国の中では唯一、セカンドバベル建設計画に伴う
「向こうには友人もいるので、そちらを頼ってみます。しばらくしたらヨーロッパの方に戻ってもいいですし、そこまではジョンも追ってはこないでしょうから」
SADはアメリカだけでなく他の国にも構成員がいる大組織であるが、オーストラリアやヨーロッパ方面はマフィアの勢力が強く、アメリカのギャングや日本のヤクザの手は伸びにくいと言われている。
トッドもそれを知っているからこそ、ミーナの予定に異論は挟まなかった。
「ミーナはここにいてくれ。ここから出なければ、設備は好きに使っていい。トイレは向こう、シャワーはその隣だ。食事は宇宙用の保存食しかないが、味はそれほど悪く無いぜ。着替えは……」
トッドは血の繋がらぬ娘と依頼人を交互に見やった。
ローティーンと成人女性の体格を比べるのも酷な話だが、どう控えめに見積もっても、ステフの服がミーナに着られるようには見えなかった。
特に胸の辺りが。
「何よ」
「今から出てくるからその時にステフに買ってこさせる。俺達は街でSADの情報を集めてくるから、良い子にして待っててくれよ」
口を尖らせるステフを無視し、片目を瞑ったトッドとしては
「よろしくお願いします。……お金の事ですが、本当にあの値段で――」
「いいんだ。SADみたいなのを相手するなら、副収入があるからな」
移動中におおよその料金は説明してあるが、トッドは相場なりの値段しか提示していない。マスターに支払った金額を考えればかなり安い。
しかしセカンドバベルでは、凶悪な犯罪者を生かして捕らえた“善意の第三者”には相応の金額が払われる事がある。SADメンバーは幹部ともなれば、賞金が掛けられている事をトッドは知っていた。
これまでもT&Sトラブルシューティングとしての仕事の中で、何度もそうした“善意の第三者”としての収入を得ていたので勝手は分かっていた。
「それじゃいってくるねー。ご飯、美味しいの買ってくるから待っててね」
大きく手を振りながら、まるでちょっとした買い物にでも行くかのようにステフが言った。
数時間前と比べれば明るさを取り戻したのか、ミーナは笑顔で手を振って応えた。
「いってらっしゃい。その間にここ、掃除しておくね」
「ねぇねぇ、ミーナみたいな人がお姉さんとかお母さんだったらいいのにねー」
サイボーグを一瞬で二人も倒す少女は、義父の腕に抱きつきながら言う。
突然の事にミーナの手が止まる。トッドは深く大きく息をつくとステフの頭に手を乗せた。
「ステフお前、そういうのやめろ。迷惑だろ」
「ええー、ダディだって――んぎゅ」
頭に乗せた手で、そのままステフの口を塞ぐ。
「いやぁ、済まんね。こいつ、懐くとすぐにこういう事言い出す癖があって」
「き、気にしませんから。ステフちゃんも寂しい時とかあるでしょうし……」
少し引きつったトッドの笑顔に、一目で愛想笑いと分かる表情が返ってきた。
ステフは口を塞がれたまま何度も頷く。トッドはそんなステフを脇に抱えると話を切り上げ、入るのに使ったリフトとは別の出口へと向かった。
「じゃあ行ってくる。吉報を待っていてくれ」
「またねーっ!」
口を塞ぐ手を払って、ステフはミーナに大きく手を振る。
二人の姿が分厚い鉄扉の向こうに消えると、ミーナは大きく息をついた。
ステフに向けていた笑顔は消え、細められた目は冷え切って、油断なく視線だけ動かして周囲を見回す。そして抱えたままのバッグに手を入れると、隠していた対監視機器を出して起動した。
脳波探知式スイッチで設定を書き換ると、ミーナは監視機器に流すための動作を撮るため、宣言した通りに掃除を始めた。
「ほんと、いつから掃除してないのかしらね」
濡らしたウエスを絞りながら、思わず口をついて出た言葉は、まごうことなき本音であった。
セーフハウスを出る時に車を替えた二人は、来た時とは別の道を選んで繁華街の方向へと向かった。
「ステフ。お前どう思う?」
二十一世紀半ばには一般化している自動運転を嫌っているトッドは、ハンドルを切りながら助手席のステフに声を掛ける。
「ミーナの言う事って話なら、七割くらいは嘘かな」
ステフは窓の外を見やったままあっさりと答えた。その瞳は横長に開き、視界を最大限に広げて周囲を警戒している。
「ミーナは色々と反応が違うね。アルコールの分解効率も高めだし、座席の沈み方も身長から推測出来る重さより深め。何より襲撃時の対応があれ、慣れてる対応だよ。体があんまりこわばってなかったし、ほんの一瞬だけど反撃考えてたんじゃないかな。ダディが庇った時、引っ張り倒さずに済んでたじゃない」
「俺とお前の意見が一緒なら、まず間違いないだろうな」
「何で仕事受けたの? ギャングの撃ち方はミーナを殺そうとしてたの間違いないけど、多分嘘ついてないのはそこ位だよ?」
半ば呆れ気味のステフは座席の上で膝を抱えた。トッドは左手の指を三本立てる。
「受けた理由は三つ。まず一つは金。半分は勘だが、ミーナが俺達に隠している秘密は金になると思ったからだ。二つ目はSADの稼ぎ方が気に食わん。一般人を食い物にしすぎる。しかもガキまで被害にあってるとくれば、痛手を与えとけば他の組織に潰されるだろ」
SADの息がかかった娼館は、話によると殆どが合成麻薬で身を持ち崩した女ばかりだと聞く。そこにはセカンドバベルに連れてこられた者もいれば、
様々な年齢、人種から目を付けられてしまった者達が、SADの下で働かされていた。
トラブルシューターのような稼業をしていれば、自然と耳に入ってくる情報の中、何度となくトッドを苛立たせる類の話だった。
「もう一つは?」
「最後の一つはあれだ……俺達を利用しようとする奴への警告だ」
ステフはトッドの顔を見つめる。
「俺達を騙して利用しようとしても、俺達は決して騙されず、利用もされず、踏み潰して利益を得る。真っ当な依頼なら勿論完遂する。こういう仕事にはそうした実績と噂がないと次が続かないし、何より使い捨ての便利屋にしようとする奴らが現れるからな。馬鹿な仕掛けを考える奴らは適度に潰しておかにゃならん」
目を細めてステフは楽しげに笑った。
「正義の味方だか悪党だか分からないね、ダディは」
「悪党は向こうの方さ。善良なトラブルシューターを騙そうって言うんだからな。ほら、見てみろ。掃除どころか――」
セーフハウスに大量に取り付けた監視機器を呼び出し、投影式モニタに映し出す。そこには部屋を熱心に掃除するミーナが映っていたが、モニタの端には赤く点滅するマークが光っていた。
ミーナを案内したセーフハウスは疑わしい依頼人を案内し、目の届かない所で何をするかを監視するための場所だ。設えた監視機器が何らかの干渉を受けている場合、このように警告のマークが出るようにしてあった。
「デコイを噛ましてやがる。結構良い物持ってるな」
つぶやきながら操作すると画面が切り替わり、今度は比較的大型の携帯端末に向かって何かをしている姿が映る。
「ステフ。操作代われ。前に教えたのは覚えてるだろ」
車通りが多い道に出たところで、トッドは監視機器の操作をステフに任せる。周囲の監視はしながら片手で器用に操作をし、監視装置に干渉している偽の情報を次々に引き剥がしていく。
「どこかに連絡取ってるね。暗号化が解除出来ないから何言ってるかは分かんない……」
投影式モニタに流れていく文字列は今現在、ミーナがどこかへ送っているものであった。
仕事柄、一般的な暗号化技術で加工された物なら、解除出来る機器は揃っている。しかしミーナが使っているのは、それらとは比べものにならない高度な暗号化技術であった。
「ログだけ全部持ち出せるようにしとけ。後で“
出てきた名前にステフはあからさまに顔をしかめる。
「ダディ、あいつ嫌いじゃん。いいの? またぶん殴らない?」
「好き嫌いだけで仕事は出来んよ。速さならあいつがここらじゃ一番なのは否定しようがない。時間があれば別の奴に頼むがな……」
以前、思わず手が出てしまった時の事を思い出し、トッドも渋い顔になる。
しかしステフに卑猥な事を言った以上、仮にも父親を名乗ってる身としてその報いは即座に拳で支払わねばならない。
「会うのは俺だけでいくから、お前は近くで買い物でもしてろ。食料やミーナの服は買わなきゃならんし、時間があれば
「あたし行かないと、馬鹿みたいな料金ふっかけられるじゃん。あたしも行くよ、あいつの言う事は気にしないしさ」
冗談と本気の境目が分かりにくい男の顔を思い浮かべ、トッドは大きなため息をついた。
「俺が気にするんだよ」
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