七夕のミサンガ(遭遇編)

 放課後。


 急なデートのお誘いに一日をそわそわしながら過ごし、お陰様で授業も身に入らずほとんど寝て教員連中に逐一叱られる……まぁ、そんな代わり映えもしないままに終業のチャイムを聞いたのは先程。

 夕溶けの下を歩く言葉数の少ない時間が、かえって何かしらの意味を持っているかのような気がして気が気ではない。


 詰まる所、まさか本当に月叢つきむらは俺のことが好きなんじゃなかろうかなどと要らん期待をしてしまうのだった。

 

 彼女の揺れる後ろ髪を眺めながら暫く歩くと、彼女は唐突に立ち止まり静かに口を開いた。


「着いたわ」


 指差された先には煤けた古本屋が雑居ビルに挟まれてひっそりと佇んでおり、その風貌ときたら記憶に無いノスタルジーを醸し出している。錆の多い看板には『かなえ書店』と書かれていた。

 ここに一体どんな用事があるというのか皆目見当付かないが、なんて言うかデートに来る様な場所ではないということだけは確かだ。


 呆然と立ち尽くす俺を尻目に彼女は軋むドアノブを捻り、店内に足を踏み入れる。俺は慌ててそれに続いた。


「いらっしゃいませー……ってなんや、月叢つきむらちゃんか」


 レジカウンターで文庫本を片手に店番をしていた店員さんが俺達を見るなりそう言った。その反応から見るに、二人は顔馴染みらしい。

 月叢つきむらも明るい調子で言葉を返す。


「今日も遊びに来ましたよ。相変わらずお客さんがいませんね、この店」


「やかましいわ。

 まぁ、言う通り暇やし構わんのやけど。でもたまにはなんか買っていきや。あんた、いっつもお喋りだけして帰って行くやんか」


 悪態を吐き合うあたり、なかなかに親しげである。

 二人のやりとりをなんとなく聞きながら店内を見渡してみた。背の高い本棚は目上げてもその終わりを知れない。一体あの高さの商品はどうやって手に取ればいいのだろうか。


「んで、連れの君は彼氏君?」


 上の空の俺に向けられた声は初対面にしてはフレンドリーである。

 とっさに言葉の意味を咀嚼して見たけれど、漏れたのは月並みな返答になってしまった。


「いや、全然違います」


「そうですよ、今はまだ彼氏彼女の関係ではないです」


 ……含みを持たせる言い方は如何にも月叢つきむらっぽい。

 月叢つきむら曰く素直さの足りない俺にしてみれば、こんな事で一喜一憂するのも面倒くさがっているけれども。


「へぇ、青春やなぁ」


 店員さんは手元の本に目を落としながらニヤニヤと笑った。

 特徴的な方言の彼女の歳の頃は女子大生であろうか、この若さで店主ということもないだろうから、おそらくアルバイトか何かだろう。

 今時で洒落たパーマの当てられたセミロングの髪を搔き上げる仕草はなかなかにセクシーだ。顔立ちも整っており、おまけにお胸も豊かでいらっしゃるなぁ。

 つまるところ、かなりタイプです。付き合ってください。


月叢つきむら、なんか買いたい本でもあんの?」


 喫茶店やファミレスならまだしも、こんな古びた店に来るあたり、あらためてデートと言う文言は信用を失ってしまっていた。

 僅かばかり期待してしまった自分が腹立たしい。常の挙動から月叢つきむら本人を恨むのは時間と労力の無駄であることを俺は知っているから、己を蔑む他無いんだよなぁ。


 ついでに、俺には読書の趣味がないから特に心惹かれるわけでもなくただこの美人の店員さんに出会えたことが唯一の収穫である。


「いえ別に。ここ、本以外にも面白いものがたくさんあるから、是非とも注汲つぐみ君に紹介したいと思って」


 不敵な笑み。

 薄暗い店内でその表情はかなり不気味である。

 正直、来なきゃ良かった。どうも良い予感はしないね。


「なんや、やっぱり何も買わんのかいな」


「まぁそう言わずに。

 雪鳴ゆきなりさん、今日は何か良いものありますか?」


 それが店員さんの名前らしい。雪鳴ゆきなりさんもまたニヤリと笑みを返して「待っときや」と残し店の奥に消えていった。


「どう? このお店は」


「どうもこうも……まぁ、雰囲気はあるな」


 レトロな空気は確かに居心地が良い。それに親しみやすい店員さんもいるとなれば、通い詰めたくなる気持ちもわかる。

 それにしても、本以外の面白いものとは一体なんなのだろう。

 それを問うよりも早く店員さんは小さな包みを手に戻ってきた。


「お待たせ! 青春真っ只中のお二人にぴったりの一品があったわ!」


 鮮やかな色の……紐? 彼女の手には濃い紅色と浅葱色の紐がそれぞれ一本ずつ携えられており、裸電球がそれを照らしていて、それを覗き込みながら月叢つきむらは尋ねる。


「これは?」


「これはな、『七夕のミサンガ』や」


 得意げな表情で彼女は言った。

 新学期を迎えたばかりの世界にはまだ少しばかり早い名前だ。


「これはそれぞれ対になってて、二人がそれぞれ願いを込めて身に付けておくもんや。

 ただ、普通のミサンガと違うところは、自分の願いを相手のミサンガに込めること。

 それに、別にちぎれんくても願いが叶うところ。

 あと大事なのは、願いは相手によって叶えられるものやないといかんってこと……くらいやな。

 つまり『ふたつでひとつ』って事と『願いが叶う』ってところが七夕を連想させるから『七夕のミサンガ』ってわけ」


 なるほど、確かに納得である。言い得て妙なネーミングだ。と手の平をくるりと回してみた。

 だがしかし。


「なんていうかそれって……」


 まるで恋人どうしが使うためにある様なアイテムだな。

 そう言おうとして途中で飲み込んだ。どうして俺が月叢つきむらと恋人になどなろうか。先程までの勘違いも相まって急に恥ずかしくなる。


「どう? 二人にぴったりやと思うけど」


 正直くだらないおまじないだと思った。セールストークとしては聞き応えがあったものの、肝心の商品に魅力が足りない。

 月叢つきむらの言うには拍子抜けである。こんなもん今時、小学生でも信じやしねぇだろ。付き合いたての阿呆なカップルがイチャイチャする為にあるようなもんだ。


「買います」


 あ、買っちゃうんだ。


 毎度ありーとの景気の良い返事と引き換えに二本のミサンガを手に入れた月叢つきむらは、浅葱色のそれを俺に手渡して言った。


「はい、あげる。今日付き合ってくれたお礼」


 断る間も無く押し付けられたそれを見つめている間に、彼女はさっさと対になる紅色のミサンガを手首に巻いてしまった。

 彼女の行動の真意を深読みしようとして俺はそれを身につけるのを躊躇う。


「付けてあげるわよ。手首を出して」


「え? い、いや俺は……」


 断る暇なく華麗な手際で固結び。なんだろ、手錠を掛けられたような気分だ……。


「似合ってるわよ、注汲つぐみ君」


 物凄く小っ恥ずかしい。お揃いのアクセサリーなど、年頃の俺にしては些か荷が重い。重過ぎる。


注汲つぐみ君が名前で呼んでくれますように」


 早速、月叢つきむらは願い事をしている……って言うか口に出しちゃうんだ。

 チラチラ見るんじゃないよ。これじゃミサンガの効能にかこつけた脅迫だろうが。


「叶ったら良いなぁ、月叢つきむらちゃん」


「はい。ここのお店のモノだから、きっと叶えてくれるはずです」


 雪鳴ゆきなりさんもなぜだかノリノリである。

 ……うわぁ、二人してめっちゃ見て来るよ。冷や汗が首筋を流れるのを感じた。


「あ、ありがとう月叢つきむら、大切にするよ……」


月叢つきむらちゃん、願い事叶うと良いなぁ」


「そうですね、叶うと良いですね」


 ……あぁ、詰みだこれ。


「す……すさみさん、ありがとうございます」


 もう、こうする他ないだろ。

 折れたよ、ついでに心も折れた。


「ふふ……早速叶いました。流石ですね、雪鳴ゆきなりさん」


 くそ……俺をからかってそんなに楽しいのか。

 しかし、俺にも願い事を掛ける権利がある。だってこれは二本で一対なのだから。

 そうなれば、その願いは決まっているのだ。


「あ、言い忘れとったけど、二人のお願い事は同程度のものやないといかんからな」


 ……そうですか。


『俺で遊ぶのはやめてくれ』と言う願いはきっと、彼女の名前を呼ぶことなんかよりよっぽど大きな願いに違いない。彼女の願いが叶ってしまった今、そんな願望が聞き入れられる可能性は無いに等しかった。


 そんな大事なルールは先に言っておいてくれ、ぬか喜びしちゃったじゃんか。


 笑顔を携える月叢つきむら すさみを眺めながら、そう肩を落とした。



おわり

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