ミッション3:休日逢瀬作戦!!
『今度の休日、君藤先輩の家付近で先輩を待ち伏せしてみて』ーーーー
なんじゃこれ......。いや、そりゃあ休日に先輩に会えるなんて願ってもない幸せだけども?待ち伏せしてみて?で?このあとどうしたらいいの?......っていうかさ、好きでもない女にこれされちゃうとドン引きじゃない?普通なら。
もう一度確認しときますが、
君藤先輩をおとしたいんですよ、私は!!その願いを叶えてくれるためのミッションなんだよね??
なんて不平不満を本人に言えず、ミッション業務を遂行すべく、あゆみくんが指定した場所へと到着した。
昨晩ミッション3の内容を聞いた時にも感じた疑問。
(ここが君藤先輩の家付近?だとしたらなんであゆみくんが知ってんの?)
そんな疑問をあゆみくんに聞くと、なんでだと思う?と、疑問を疑問で返された。わからないから聞いてます。と不貞腐れて呟くもいっこうに返答がなかった。
「あゆみくんにも振り回されてる...」
「にも、ねぇ。...そうだね。俺、あの人にけっこう似てるかもしれないね」
あゆみくんは何もかもお見通しなのだろう。私の些細な言葉さえも咀嚼して、あどけなく言葉を紡ぐ。君藤先輩と同じく、私はあゆみくんにも振り回されていると感じた。多分あゆみくんは、君藤先輩を社交的にしたような性格なのかもしれない。
考え事に耽っていた場所は、ある高級マンションの広いエントランスなのです。
言わずもがなここはーーー
私の大好き過ぎが加速中の、君藤海李先輩の自宅があるマンション、らしい。
以前、家族旅行で某人気テーマパーク内の高級ホテルに宿泊したことがある。まさにあの高級感漂うエントランスそのものが、私の目の前に存在していた。そしてそこからロビーへと導く壁には、自然光が差し込んでいた。そんなとても眩い光景を思い出した。
「ここって、社長クラスしか住めないんじゃない?いくらするんだろう」
「5億」
「...えっ?」
5億というその驚きの額に驚いたのではありません。私の独り言に反応した声の主が、君藤先輩なのか、あゆみくんなのか、”どっちだ?”と迷って判断できない自分に驚いたのです。硬直する私の後方から聞こえたのはーーーあれ?
(本当、どっちだ!?)
「あゆみくん!?」
「誰、それ」
「へ?」
振り返り、私の視界に映ったのはーーー大好きな君藤先輩だった......ーーーー。
(ミスった...。人違いされただけでそんなにも不機嫌になるなんて...。しかし、不機嫌顔もかっこい~♡)
「あー...気になります?」
「別に。けど、誰それ?」
(あれ。けっこう気になっちゃってる感じ??)
「友達です。それ以上の関係ではないです」
「ふーん...」
(それ、白い目ってやつですね...。私を見る目がすごく怖いのですが、まさか疑ってる?)
「じゃあさ、”それ以上の関係”って例えばどんな関係?」
(え。んー......)
フランクな言い方が適切なのか、それとも...。考えあぐねていた結果。
「あの、それは多分...彼氏彼女の仲で...」
「どんな仲?」
「...ハグしたり」
「うん。で?」
「え。...キ、キスしたり」
「うん。それから?」
(えー!もうこれ以上煽らないでぇ~ッ!!)
とは言えず。
「......イチャイチャします...」
「ふーん。けっこう願望ある方なんだ」
(ん......。まあ...ええ...。ありますとも!なんて本心は言えるはずないって!...ていうか、先輩って私で遊んでる?弄ばれてる感ありありなんですが...。)
「で?今日は俺を待ち伏せして...何が目的?」
(ミッションのことは言えるはずがないし...。んー......。)
「...好きだから、休みの日でも会いたすぎて、調べて来ちゃいました!」
今度は君藤先輩が少し目を見開き、硬直している。きっとうざがられる。気持ち悪がられる。軽い女と思われる。と思いながらも、自らの発言に責任を持たず、素直に羞恥心たっぷりな発言を連発する自分に、嫌悪感を抱いていた時ーーーー
「......お前はずっと、俺だけを好きでいるって思ってんの?」
ぽつぽつと言葉を紡ぐ君藤先輩。
どうしてそんなことを聞いてくるのか真意がわからないまま、自信を持って返答する由紗。
「もちろん!私はずっとずっとずっとずーっと、君藤先輩が呆れ返るほど好きでいると宣言します!!先輩のことが世界で一番好きなので」
どうしてこんなにもドキドキして、胸が苦しくなるほど君藤先輩のことを好きになれるんだろう。と自分でも感心するほどだ。
「...ふーん。お前ってほんとうぜーな」
そう言って君藤先輩は私に背を向けゆっくりとマンション内へと歩みを進め始めた。
(...ああ、そうですか。あんなにもストレートな”永遠の愛宣言”をしたというのに、君藤先輩の心に響いていませんか...。)
「人はさ、簡単に優先順位を変えれちゃうんだよ」
その声は、ぼそぼそと私の耳へと飛び込んではきたのだが、はっきりと言葉として聴取することは困難だった。
「先輩、今何を言ったんですか?」
君藤先輩は私の言葉を聞くと、立ち止まり、顔を少し後方に向けた。
「...いや、なんでもねぇよ。...凛子いるけど、うち来る?」
「え!?いいんですか?」
「いいよ。凛子、お前のこと気に入ってたし」
感動のあまり、本日二度目の硬直をするはめになる。そんな私を一瞥し、呆れた様子の君藤先輩が、私に背を向けたまま、後ろ歩きで私に近寄る。そして、私の服の裾は、さりげなく君藤先輩の手によって拘束されていたーーーー。
「ぼーっとすんな。行くぞ」
「え、は、はいっ!あの、先輩...裾が伸びます」
「うるさい」
今、道行く人の目に映る私たちはきっとーーーー
彼女を自宅マンションへと強引に連れ込む発情した美少年と、戸惑いながらものこのこついて行く簡単女。に映っていると思うのだが、君藤先輩は平気なのだろうか。
あれよあれよという間に、25階建てマンションの最上階までエレベーターで上がった。エレベーター内で私は勝手に君藤先輩への質問タイムを開催した。好きな人、好きな女性のタイプ等、”好きな〇〇は?シリーズ”はことごとく一蹴された。
「いない」「くだらねぇ」「...さあ」ーーーそんなつれない様子で...。
”究極の女嫌い”という異名を持つぐらい女子との接触が極端に少ない先輩だけど、実は好きな人がいると白状されたら立ち直れない自信があった。だが、つれなくても、いないとはっきりと主張した。そして私はホッと胸をなでおろす。
25階に到着する寸前、私と並列していた君藤先輩が、「前もって言っとくけど」と言いながらエレベーターの壁に背をつけ、腕組みをする。
「はい。なんですか?」
「俺んち、凛子以外に誰かいるかも」
「あー、はい。その場合は先輩のお部屋見学でもーーー」
「その場合は、何されても文句言うなよ」
君藤先輩は私の言葉を遮り、”その場合は返し”をしてきた。
「何されてもって、もしや!!」
君藤先輩は眉間をぴくりとさせたあとそっぽを向き、片方の口角を上げ、意地悪に笑っている。
(いやいや、その仕草にドキドキしたのは否めないけど、答えをプリーズ!!)
「そうだよ。さっきあんたが言ってたイチャイチャってやつだよ」
答えをくれたのは、君藤先輩ではなく。
(出た!あゆみくん!!......そうなんだよねぇ。君、お風呂とかトイレとか私から離れた方がいいと判断した時以外は、私のそばにいるのよね...。トホホ...。)
**
最上階の南向き角部屋だという君藤家に到着。ジャケットの内ポケットからカードキーを取り出し、玄関ドアのハンドル上部付近にかざし、ピロリン♪という音と同時に解錠した。大きくドアを開き、無言だが視線の動きだけで私に入室を促す。君藤先輩のその所作がとてもスマートで、思わず目を奪われた。
「無自覚のさりげなさがさまになっててかっこいいよな。この人って」
あゆみくんも納得の一連の所作だったようだ。玄関に足を踏み入れると、明らかに男性のものだとわかる大きいサイズの皮靴が目に入る。
「あー、いるわー」
感情がこもっていない口調でそう言い、深いため息をつく君藤先輩。当然顔にも感情が現れないのはもちろんのこと、”慣れているから平気感”を漂わせた。
「んもう、クルミはイケメンにしか懐かないんだからぁ~」
「それじゃあ君とも気が合うんじゃない」
「ならいいんだけどね~」
ドアで閉ざされた向こう側にいる男女の仲良さそうな声がダイレクトに耳に届いた。きっと凛子さんの彼氏さんが来てて、クルミちゃんも含め、団欒のひとときを過ごしているのだ。
君藤先輩はその会話に一瞬耳を傾けていたが、ふんっと鼻で笑い、靴を脱いだ。
「君藤先輩...?」
私が声を発した途端、人差し指を口元に当て、しーっという口の形を作る君藤先輩。そして小声の早口で。
「お邪魔しますもなし。直で俺の部屋行くぞ」
するとまた私の服の裾を掴み、誘導された。
(もしかして、裾掴むの癖なのかなぁ。距離が縮まってると受け取ってもよろしいですか?先輩。)
手を引かれながらーーーならぬ、裾を引かれながら、私の前を歩く君藤先輩の柔らかそうな猫っ毛でサラサラな髪に見惚れてしまっていた。
みんなの憧れの的である君藤先輩(別名観賞専門イケメン)の家に突然招かれ、只今先輩の部屋へと連行されていますーーーー。
「いつものことなんだ。俺がちょっと出かけた隙を見計らって、凛子が彼氏連れ込むの」
やはり慣れているらしい。でも、17歳の多感な時期の息子さんには少々酷な環境なのではないでしょうか。凛子さん...。と、心の中がざわつく私なのだった。
君藤先輩の部屋の中に入ると、すぐに目に飛び込んできたのは、一つのブタのぬいぐるみだった。それは巨大で、私の上半身をすっぽりと隠せるほどの大きさだった。
ブタのぬいぐるみが可愛いのはさることながら、このピンクのぬいぐるみが17歳の男の子の部屋に存在しているということが、余計にかわいすぎて、かわいすぎてーーー。
なので素直に、「かわいすぎーっ」と言いながら、ドスッと座り、ブタのぬいぐるみを思わずギューッと抱き抱えてしまった。
その咄嗟に座った場所が、ベッドだということを忘れ、悶えていたのだ。
すると。
「それはあとでやって」と、巨大なピンクブタのぬいぐるみを私から取り上げ、窓際の棚の上にお預けされてしまった。
「そばに行っても、いい?」
「え。...どうぞ」
ここはどこ?ここはベッドです。そして当然、緊張で体が硬直しています。
耳を疑うような言葉が、君藤先輩の形のいい口から飛び出した。そして、じりじりと私に近づき、距離を縮める。ついに私のすぐ右横に座り、沈黙のまま正面を見据えている。私は先輩と肩が触れるかどうかに気を取られ、特に体右半身が硬直する。近すぎる。静寂の中、先輩の息遣いが心地よく聞こえてくる。
やがて右側から服が擦れる音がして、そちらに視線を移す。私を見下ろしていることに驚き、早鐘を打ち始めるーーーー。
その顔に、怒りの色が見える。...なぜだろう。
「......先輩?」
すぐに怒りの表情はーーー悲しみに苦しむ表情へと変化していた。
「本当に友達?」
「え?」
「いや、なんでもない」
(...もしかして、さっきのあゆみくんの件のこと?気にしてるなんてこと、ないよね?)
君藤先輩の言動は、いまいち掴めない。
先輩は幼少期、母親を独占できなかったもどかしさをトラウマとして常に心に抱いているせいで、女性を信用できていないのかもしれない。これは凛子さんも同じような見解だったし、そんな幼い時の寂しい思い出があると知り、私もそう思えた。でも、こればっかりは同じ経験をした者じゃないと完全に理解できないことだ。
さっきのあゆみくんの件で言うと。先輩が私に声をかけたにもかかわらず、告白した私が先輩の自宅前であろうことか先輩の名前ではなく、勘違いで他の男の名前を口にした。よって幻滅され、不機嫌になっていた。私のことを好きじゃなくても、やっぱり女は...と呆れてしまったのだろう。その後自宅に呼んでもらい、そばに行ってもいいかと言い、距離を縮めようとしてくれているのは嬉しいけど、やっぱりうまく感情をコントロールできていない気がしてならない。
それでも。惚れた弱みなのだろうか。少しだけ期待してもいいのかなって思ってしまうーーーー。
「じゃあ、ベッドに入ろっか」
「え?ベッ...ドに!?」
「そう。座るだけで終わりだと思った?」
「はい...」
(こ、これは、夢...!?!)
君藤先輩の口からそのような言葉が飛び出すなんて...。にわかには信じ難い。
「さっきお前が言ってた、”それ以上の関係”で実行可能なイチャイチャってやつ。する?」
「は?はい!?」
(先輩が、壊れ始めましたぁーっっ!!!)
「あ、あのっ!先輩すみませんが、心の準備をしてきますので、次の機会に実行していただけませんか?」
プッと吹き出し、破顔する君藤先輩。ようやく心からの笑顔を見ることができた私は、ほっと胸をなでおろした。
「お前って、俺の期待値を遥かに超えてくるよな。本当、うぜーな」
(あれ?うぜーと言いながら笑ってるし。うざいけど、許せるうざさなの?それに、期待値ってことは、何か期待してくれてたの?
んー...。やっぱりいろいろ理解不能すぎだ。)
君藤先輩が最初にベッドの中に入り、人ひとり横に入るスペースを作り、そこをぽんぽん軽く叩いた。私に入ってくるよう促したのだ。とうとう先輩はベッドに横たわり、早く来いと視線だけで訴えてくる。
恋人関係になり、恋焦がれる視線を向けられているーーーと、危うく勘違いしてしまいそうになる。そばにいたいと思ってもらえた私と君藤先輩の関係性って一体...?自惚れそうになる自分のことはさておくことにした。
そして、仕草や視線の動きで促すことが本当にスマートで、さまになるなぁと君藤先輩に釘付けになっていた時。
「ねえ、由紗さん。気持ちのないセックスされてもいいの?先輩は女の躰に飢えた獣だよ」
(何を根拠にそんな意地悪なことを言うのよ!)
「何を根拠って、そんなの俺も男だからわかるに決まってんじゃん」
(えぇ!?...いや、年頃の男の子なんだもんね。そりゃそうだよね...って、え!?私の心の声が聞こえるの?)
「そうだよ。特殊能力の持ち主だからね」
(そうなのね...。)
「話が逸れたけど、男は自分のモノになったら豹変するんだよ。だからさ、あまり男を甘く見ない方がいいよ」
「はいはい、わかりました。小言は帰って聞くから今は見逃してよ。あゆみくん」
あゆみくんが出てくるタイミングが悪すぎた。いや、私が我慢するべきだった。心の中での対話に徹するべきだった。小声だったが我慢できずに声を発してしまい、どうかしてるにもほどがあった。
「......は?お前。また他の男のこと考えてる?」
「あ...先輩今のは...」
「もういいよ。そんなに”あゆみくん”のことが気になるなら今すぐ帰っていいよ。俺本気で言ってるから」
早口で捲し立てられた。初めて見る先輩の姿だった。怖くて体が震え上がりそうになったが、必死に堪えていた。
「私は、君藤先輩しか好きじゃありません」
そう言うと、君藤先輩は私に向けている鋭い視線を天井へと移し、小さくため息をついた。
「...それでも、やっぱり女は信用できねぇよ。恋をすると女は厄介な生き物になるけど、お前は特に厄介で面倒かもな」
幼い頃、母親不在の寂しい日々を過ごす中で、君藤先輩が幼ながらに悟ったこと。
【恋をすると女は厄介な生き物になる】ーーーー
そのことを、あゆみくん絡みによる誤解の果てに、凛子さんではなく、私にも投げかけてきたのだ。
本当にバカな自分に嫌気がさす。信頼をなくす瞬間をまざまざと見せつけられ、私はその場に立ち尽くす。先輩は何も聞きたくないと言わんばかりに、私に背を向け、布団を深く被った。
それでも、私はこのまま帰るわけにはいかない。
「君藤先輩。言い訳になるかもしれませんが、そのままの状態でもいいので聞いてください。...あゆみくんという男の子は、さっきも言ったように、私のお友達で、架空の人物なんです。幻想というか、妄想なんです...。当然理解できませんよね。イタい女なんです、私!」
あゆみくんに対する本当のことは正体不明なだけに、先輩に打ち明けるわけにはいかないと思った挙句、なんだかとても曖昧な言い回しになってしまった。
掛け布団が体にまとわりつき動きづらそうだったが、再び上半身を起こし、私の方へと視線を向けた君藤先輩は、相変わらず険しい表情をしている。
「は?......いもしない男と友達?だからさっき、誰もいもしない空間に向かって話してたの?......ほんと理解不能。イタすぎもいいとこだな」
あゆみくんのことは、ここまでを言及するに留めておきたかった。やむを得なかったにしろ、先輩についた嘘には変わりないわけで。だから嫌悪感に押し潰されてしまわないようにするために、私は決意し、決行した。
君藤先輩のことが大好きすぎて、大切すぎてーーーー
「ぅぐっ...!」
意を決し、君藤先輩をぎゅっと力強く抱きしめた......ーーーー。
片膝をベッドにつけて、勢いよく先輩へとダイブしていた。 それはまるでいつぞやのクルミちゃんを彷彿とさせるダイブだったに違いない。小さい動物と人間では、体に受ける衝撃が違うことをお忘れなく...。
「骨、折れたかも。あん時のクルミどころじゃねぇわ。マジ痛てーよ...」
「すみません...」
そして、”ずっと好きでいます宣言”に次ぐ、本日2度目の宣言をした。
「君藤先輩の心の傷は、私が癒します」
想いが込み上げてきて、泣きそうになる。私のその言葉を聞いた君藤先輩は、ぎゅっと先輩を抱きしめていて顔が見えない私に「なあ」と 話しかけた。
「凛子がなんか言った?」
「...別に。人は誰でも1個や2個心に傷ぐらい持ってて当たり前じゃないですか。私も多分3個はあります。その中の1個は君藤先輩の目の前で派手に転んで、子ブタちゃんのパンツを見られたことですが...」
「ふっ。くだらねぇな。お前の傷ってのは」
ここでようやく君藤先輩の体を解放した私は、先輩の顔を見て驚いた。冷たさを取り払ったその表情は、今までに見たことがないほど柔らかく、優しい笑顔だった。
「俺さ...。小さい頃は必要以上に母親とベタベタくっついときたい願望があったんだよ」
君藤先輩はいつもの少し冷たそうな口調ではなく、物腰の柔らかい口調で話し始めた。私に少し心を開いてくれた瞬間だったーーーー。
「...蘇るんだ。あの頃の寂しかった記憶が。もう寂しがる歳じゃないけど、なんでだろうな。未だに恋しい気持ちが込み上げてくる…」
心の空虚感が未だに埋まらないのかもしれない。
「勝手にきれいごとを言いますが、私はこう思うんです。凛子さんは決して先輩を見放してたわけじゃないって。そりゃあ先輩が母親を恋しく、そばにいて欲しかった時にいない時もあったかもしれませんが、一人じゃなかったんじゃないですか?おじさんおばあさんがいてくれませんでしたか?」
「...いてくれた」
「お二人の存在があったからこそ、凛子さんは君藤先輩を安心して預けていたんだと思います。子供はストレートな愛情表現をしてくれないと愛を感じ取れなくて寂しがる生き物ですよね。私も、ていうか、誰もが皆そんな経験してますから。だけど、先輩は未だに寂しがってる...。だから凛子さんに正直に言いましょう。あんたの若気の至りのせいで、一生分の寂しさを経験させてもらったよって」
「お前、カウンセラーかよ」
「え!心の拠り所にしてくれます?」
「調子に乗るな」
「君藤先輩。高校生もストレートな愛情表現を好むでしょ?私ならきっとご希望に添えると思いますが、いかがですか?」
(何をぶっちゃけてんだ。私はーっ!!)
「俺、お前のこと...」
「...は、はい」
いつもの冷たい飄々とした君藤先輩に戻ったと思ったが、再び少し表情が曇った。
「お前のこと...明るくていいヤツだと思う。でも、簡単に気持ちに応えることはできそうにない」
「...はい。それは仕方ないです!それに、すぐ陥落しちゃうと、”最も靡かない男”が”案外簡単な男”だと思われちゃって、先輩の価値が下がりかねませんからね」
玉砕した。正気ではいられないと思った瞬間、思ってもいないことを言ってしまっていた。そうです。私、思いっきり強がってます。猛アタックの末の失恋。結構こたえてます...。
「でもこの人、由紗さんに甘えてたよ。さっき」
(そ、そうよね。ベッドでくっつく手前だったよね。って、あれはあゆみくんが邪魔したから...って、人のせいは良くないか。ま、一歩前進ってことで良しとしよう!それに、いいこと教えてくれたんだし、ありがとう♡あゆみくん!!)
「いや、ときめいてる感じの話し方キモいよ」
(私さ、結構あゆみくんのイケボ、君藤先輩のイケボとかぶってて好きだよ♡)
「だからさ、”ときめきしゃべり”やめてくんない?」
「はーい♡あ...」
「由紗さん、バカすぎる...。声に出してるし」
だけど、さっきの不機嫌そうな顔とは打って変わって、顔力を失った呆れ顔の君藤先輩が存在していた。
「また”あゆみくん”?」
「え...。はい...」
「...お前の妄想っていうか、想像力ってすごいな。お前は気付いてないだろうけど、少し前は泣きそうな顔してたのに、もう笑ってる。俺には到底理解し難いけど、あゆみくんのおかげなんだろうな」
君藤先輩の指摘は当たっていると思った。あゆみくんの言葉に振り回されがちだが、結局最終的に元気をもらっているのも確かだ。
私の恋を応援し、成就させる目的で、いわば過酷とも言えるミッションを私に遂行させるために、なぜか私の元にやって来たあゆみくん。この”正体不明の応援者”がいなければ、君藤先輩を遠目で傍観する日々が永遠と続いていただろう。
君藤先輩にあゆみくんは妄想の中の人物じゃなく、実在する人物だと知らせたら...。きっともっと到底理解し難い状況になるわけだから、混乱させてしまうだろう。だから、言いたい気持ちはやまやまなのだが、やっぱり言えない。
「君藤先輩、今日は帰りますね。振られましたが、収穫もありましたし」
振ったことによる気まずさもあったが、”収穫”と聞いて思い当たる節があったということも付加され、君藤先輩は頭を掻きながらバツが悪そうに顔を背けた。
「...そう。じゃあ送るよ」
「いえ。大丈夫です。先輩、今日は少し疲れてるでしょ。だから休んで欲しいです。ここで失礼します」
「...お前気ぃ使いすぎじゃねぇ?ま、気をつけて帰れよ」
「はい。お邪魔しました」
先輩のドアを開けると、そこにはビックリ顔の凛子さんが立っていた。
「ごめんね。立ち聞きするつもりはなかったんだけどね...」
「あ、お邪魔してました」
「えー、もう帰るの?もしかして、イイ仲になっちゃった?」
「なわけねぇよ。彼氏は?」
「うん。もう帰った」
「ふーん」
「...海李、少し話さない?」
「...わかった」
そうだ。心を割って話をすることが大事だということを、私は知っている。家族だから照れもあってなかなか心を割って話をすることを避ける傾向があるのかもしれない。でもそれは解決への遠回りになると気付いた日から、私は家族に胸の内をさらけ出そうと決めた。それがお互いに喜ばしいことだと思うから。きっかけは些細なことだったけど、遅かれ早かれ、人はそのことの大切さに気付くのだ。そして、君藤先輩もこのあと、そのことに気付くだろう。
君藤家をあとにし、すぐにあゆみくんを呼んだが応答がない。
(もう一度今日のお礼が言いたかったのになあ...。またでいいけどさ。)
何もかもお見通しのあゆみくん。この時も、もちろん私のそばにいることはわかっていた。応答がない理由はわからない。でも、声からしてきっとあゆみくんも同世代だ。いろいろ感情の変化もあるはずだ。
(ね。あゆみくんもいろいろと大変なんだよね。)
あゆみくんはこの時、自分自身の言葉に後悔の念を抱いていた。
応答なしの理由は、そのせいで余裕を失っていたからだった。
(その通り。大変だよ..。あんたに心掻き乱されて、助けるはめになっちゃったし...。)
あゆみくんのなぜか落胆しているようなその心の声もため息も、私には届かなかった。
『でもこの人、由紗さんに甘えてたよ。さっき 』ーーーー
(なんであんなことを...。応援したいわけじゃないのに、見慣れない由紗の泣きそうな顔を見た途端、勝手に言葉が…。由紗が悪い。もう絶対心を鬼にするからな...。)
夜にはまたいつものように、私の耳元にイケボくんの指令が届いたのでしたーーーー。
「明日のミッションは...」
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