第1章 面影との邂逅 1


「該当エリアに出現したのは下位種6体、中位種1体の計7体、殲滅に問題は無くこちらに被害も出ておりません」

トーマとウィルソンは任務終了そのままに上官の執務室に出向いていた。

先の戦闘結果を自分達に背を向けて座る上官に報告する。

書類棚に執務机だけの簡潔な室内は此処を根城にする人物の趣味趣向が伺える。質実剛健、実用性重視、正に軍人と言うに相応しい趣だろう。

「下位種の雑魚は問題無いっすけど中級種のアークデーモンがうろついてたのが厄介でした、今後もし今日みたいな案件が増えりゃこちらの人員も足りなくなるのは見え見えですぜ」

トーマの後を引き継ぎウィルソンが報告と感想を述べた。

明るい茶髪に右耳のピアス、軍服は軽く着崩しており端正な顔立ちも上官の前で有りながら砕けた表情を保つウィルソンは不良軍人だ。

部下二人に背を向けたまま耳を傾けていた上官がこちらに向き直った。

逆立った黒髪に焼けた肌、他の物より装飾を施した軍服は袖を通さず肩がけにした歴戦の戦士ゴドウィン・イングバルト。既に還暦を迎えているにも関わらず静かに威厳を讃える瞳に翳りは見えない。

トーマとウィルソンが所属する師団の総長である。

「報告ご苦労、それで結論は何だ」

低く唸る圧力の有る言葉だ。

「いやだから人員が足りなくなるって……」

「そんなものは最初から不足している。足りないなら足掻け、補えないならば敵の増殖よりも早く殲滅しろ、普段からその様に教えてきた筈だが」

「いや、まぁ総長の口癖はよく覚えてますけど……」

「ならば従え、まかりなりにも軍人であるならばな。シュピルツォイク副団長、お前も上官であるならば部下に規律というものを叩き込んでおくんだな」

「ハッ! 申し訳ありません、この者には改めて指導を行います」

トーマは敬礼を決めながら上官に答える。

「よろしい、二人共もう下がれ」

「ハッ!」

「は、はぁ」

キッチリとした副団長に合わせウィルソンも敬礼し、揃って執務室を後にする。

「……」

「……」

無言のまま二人揃って廊下を出口に向かって歩く。

本日の任務は終了、後はプライベートだ。

「たくよぉ~総長の言うことも分かんだけどよ、もうちょい現場を気遣ってくれてもいいじゃんよ」

「総長のお達しだ、従うしかないだろ」

「だけどなぁ」

げんなりとしながらボヤく歳上の部下である。

「なぁウィルソン」

「あんだよ?」

「喉乾いたな」

「ん、ああ、そうだな」

「それに腹もかなり減った」

「仕事明けだかんな」

勿体振るトーマと相槌を打つウィルソン。

「時間は空けてある、付き合ってくれるんだろ」

「おお!」

トーマより背の高いウィルソンがガシッと肩を抱いてきた。

トーマも175センチとそれなりに長身だが、ウィルソンはそれを超える182センチとガタイは良い。

「あたぼうよ! 今夜と言わず朝までだって付き合ってやんよ!」

「そこまでは良い、調子に乗るな」

トーマの口先は尖っていても何処か嬉しそうである。

「せっせんぱ~い!」

通路でじゃれ合う男二人に前方から駆けてくる少女が見える。

「はぁはぁ、帰られてたんですね、任務お疲れ様です!」

少女は男二人の前で急停止するとキリッと敬礼を決めて見せた。

歳は15、16歳と言ったところだろうか、小柄な背丈に女性士官用の軍服を着込でおり、溌剌とした表情に淡い金髪(オフゴールド)のポニーテールが良く映えている。

「ココウィル丁度良い、頼むこの馬鹿をなんとかしてくれ」

「馬鹿とはあんだよ失敬なヤツだな、ここまで絡んでくれるお兄さんはいねぇぜ!」

「自分でそんな事を言うヤツは落第だよ」

「お兄さんショック!」

ウィルソンが尚も絡んでくるが、トーマはそれを軽くあしらって避ける。

「そうだココちゃん、俺とトーマになんか用か?」

結局トーマに絡みながらウィルソンが聞く。

「ああいえ、トーマ先輩が見えたから挨拶しよと思って」

「なんだよトーマだけかよ、ウィルソン先輩はどうなんだ?」

「はい、どうでも良いです」

「お兄さんショック!」

態とらしく驚きトーマから離れるウィルソンお兄さん。

「やれやれ、そうだココウィルも仕事上がりか」

「そうですよ先輩」

「これからそこの馬鹿と飲みに行くんだが、一緒にどうだ」

「先輩と一緒ですか? 是非ご一緒します!」

「だそうだ、ココウィルも来てくれるんだ、さっさと行くぞ」

「マジでココちゃんも来てくれんのか! よっしゃなら行くぜお二人さん、今日はお兄さんの奢りだぜ!」

一足先に進んでいくウィルソンの後ろ姿を眺めながら、トーマとココウィルは互いに目配せした。

「あれで本当に奢ってくれるんだから」

肩を竦めるトーマに対して。

「本当に良いお兄さんですよね」

ココウィルもクスリと笑んで頷いた。


「ココウィルはどう思う?」

席に腰掛け、手にしたグラスを手で遊ばせながらトーマ。

「どうって何がですか?」

トーマの右隣に座るココウィルはグレープフルーツジュースをちびりと舐めながら続きを促す。

「最近の穢魔の動きについてだ、出現頻度が増え過ぎてる気がする」

「確かにデータに出すなら三ヶ月前の17%は増加してます、それにアークデーモンみたいな中位種の確認も多いですし」

「奇妙な感じがする、穢魔の出現頻度は一定のパターンと数字がここ数十年で崩れる事は殆ど無かった、なのにこの三ヶ月のデータは今迄の動きを逸脱し始めてる、何だか裏で動いてる意思がある様な」

「例の件と噛み合うかもしれない、先輩はそう言いたいんんですか?」

「ああそうだ、もしそうなら捜査を急がないといけない、だからココウィルの権限で捜査許可を出して……」

「はいよ、少年少女達そこまでよ」

トーマが仕事に熱中しそうになった丁度のタイミングで湯気の立つ皿を両手に持ったウィルソンがやって来た。

「オフ時にまで仕事の話してんじゃねぇよ」

手際良くテーブルに皿を並べるウィルソン。

品はイカ墨のパスタ、サラミを乗せたシーザーサラダ、次に運んできたのはチキンの照り焼き、マカロニグラタン、白身魚のフライとラインナップに富んでいる。

確かに私服に着替えた席と考えれば頭の硬い会話だったかもしれない。

「せっかくお兄さんが腕を振るってんだ、ちったぁ楽しめガキンチョども」

「……そうだな、悪いウィルソン」

「すみませんウィルソン先輩、頂きますね」

「おうよ食え食え、俺様特製フルコースだ」

三人は何処ぞの飲み屋にしけこんだ訳ではない。ここはウィルソンの自宅アパートである。独身成年の部屋はワンルームで手狭、四人掛けのテーブルに集まるのが精一杯なのだが不思議と居心地は良いのだ。

仕事明けに飲みに行くと言えば決まって此処に集まり、家主自慢の料理を堪能するのが仲間内でのお決まりだった。

「本当にウィルソン先輩の料理って美味しいでよねー、普段はちゃらんぽらんなのに」

「ココちゃん、なんで俺にはそんな手厳しいのよ」

ウィルソンはトーマの正面に腰掛けながらぼやく。

「それは遅刻サボりの常習犯だからですよ、今月に入って遅刻10回、書類の提出忘れ7回、それからトーマ先輩を遊びに連れ回して私がデートに誘うチャンスを奪ったのが12回ですね、ちゃんとお給料から天引きします」

「ごふっ!」

トーマが口にしていたカクテルで噎せてしまう。

「待てココウィル、最後の項目はおかしいぞ」

「おかしくないですよ、私の恋路を邪魔するのは重罪です、権限行使しちゃいます」

恥ずかしげもなく大胆な宣言をするココウィル。

「おーおー羨ましいねぇ、お兄さん妬けちゃいそう。だけどねココちゃん、お願いだから個人的感情で団長権限を使うのやめて、俺の給料吹っ飛んじゃうから」

年下の上司に割と本気で涙目になるウィルソンである。

軍には一般兵とは違い優れた術師のみを集めた戦闘部隊が存在し、それは師団と呼ばれる。

第一から第五まで編成され、その全てを統括するのが総長ゴドウィン・イングバルトだ。

そして総長直属の師団であり名目上は存在しないとされている特務師団『黒の蝙蝠(シュバルツ・マオス)』。僅か五名で構成される生え抜きの戦闘集団、その師団長こそが今年ハイスクールに上がったばかりである16歳の少女ココウィル・ツヴァイトークである。

「でも私が団長なんて本当は不釣り合いですよ、皆んなの中じゃ一番年下だしトーマ先輩の方が向いてると思うんですけど」

「俺は人の上に立つ器じゃない、副団長のポジションもココウィルのサポートとしてだからやってられるんだ」

ポンっとココウィルの頭に手を置き。

「俺たちの立派な団長のお陰でな」

「せっせっせっ先輩!」

派手に顔を赤らめながら慌てふためくココウィル。

(おーおーこの天然たらしが)

ウィルソンは可愛い団長が改めてトーマに撃沈したのをビールを傾けながら眺める。

「えっと! そう言えばさっきの続きですけど、トーマ先輩は例の件をもっと捜査したいんですか!」

全く隠れていない照れ隠しのつもりかココウィルは話題を変えるつもりらしい。

「そうしたい、俺はレネゲートを追って行けば穢魔の動きにも迫れると踏んでいる」

「やっぱ気になんのか、あのテロ組織が?」

ウィルソンが茶化す様子もなく聞いてくる。

「ああ、過去の事件からもレネゲートが穢魔の活動に関与してる可能性は捨てきれない、あの組織は異常者の集まりだ」

トーマはグラスを握る手に自然と力が入っていた。

「穢魔は元々死者の魂が現世を彷徨い続けた結果穢れて変異を起こした言わば自然災害だ、だけどレネゲートの連中は穢魔を戦争の道具にしようと人道から外れた研究に手を染めている、見過ごすわけにはいかないだろ!」

「10年前の事件は酷かったらしいですね、より強力な穢魔を造る為に人体実験の被害者200人を超えて、実験体の暴走による事故も相当な二次被害を生んだとか」

「総長も甘いんだ、残党が存在するのに殲滅対象を穢魔に優先している、大本から叩かないと事態は収束しないのは分かりきってる筈なのに」

「トーマが言うようにレネゲートを追うってのは間違ってないだろうな、だけどあの組織も10年前にゴドウィン総長が殆ど壊滅させたじゃねぇか、残党は今もどっかに隠れてるらしいが穢魔をどうこうするなら効率が悪くねぇか、お前さんらしくねぇぜ」

会話を聞きながらビールに口を付けていたウィルソンが口を挟む。

「そんな事はない! あの組織を壊滅させれば穢魔だって!」

「その根拠は? レネゲートと今回の穢魔の増加を関連付けて、10年前にほぼ崩壊した組織にそんな力が残ってると仮定出来る根拠は何処にあるんだ?」

「それは……」

「無理すんな、今日の戦闘だって術式で心を殺さないと戦えないくらいなんだろ? 過度な執着心は自分を潰すぜ」

ウィルソンはトーマの皿にサラダを盛ってくれる。

「そっそうですよ、ほらこれでも食べて下さい、美味しいですよ」

ココウィルもチキンを取り分けてくれた。

トーマは仲間二人の気使いにフォークを伸ばして口に運ぶ。肉汁とサラダの新鮮さが口の中で溶け合い旨味が広がる。

「美味い」

「当然、俺様の料理だ」

「トーマ先輩、先輩の事情は知ってますけど耐えて下さい……ご家族を殺されたんですよね、レネゲートに」

団長からの問いに無言で頷くトーマ。

「ホームを……俺が居た孤児院も暴走したレネゲートの穢魔に襲われて、しかも半数近い子供達をその場で穢魔に豹変させられた、許せるかよ」

「目の前で穢魔にされたか、酷え話だ」

ウィルソンも相槌を打つ。

「その事件については私も資料に目を通してます、だけど悔しい事に先輩の苦しさを想像するしか出来ませんでした、団長として不甲斐ないです」

ココウィルは改めて背筋を伸ばし、年上の部下を見据えた。

「レネゲートを追うのも大事ですが、今は出現した穢魔を討伐しないとそれこそ10年前の様な被害が街に出てしまいます、これは黒の蝙蝠団長としての命令です」

ココウィルは芯の通る落ち着き払った声音でトーマを諭す。年下とはいえ団長としての威厳は確かに宿っている。

ギリっと奥歯を噛み締めた後冷静になったのか、トーマは返杯とばかりにココウィルのグラスにジュースを注ぐ。

「……団長命令なら仕方ないな、ココウィルに諭されるのもこれで何度目かな」

「え~と通算で61回目ですね」

「おいおい数えてるのか?」

「トーマ先輩の事でしたら何でも覚えてますよ、誕生日も血液型も昨日食べた晩御飯だって、ちなみに生卵をトッピングしたカレーでしたよね、いくら好きだからって三食カレーを一週間はどうかと思います、しかも、焼き茄子、生卵、トマトとトッピングを変えながらの三角食べも如何なものかと」

「ちょっと待て、何でそこまで知ってるんだ!」

「乙女の秘密です」

「オーオーモテる男は辛いねぇ、ピーピー」

吹けもしない口笛を口で言いながら茶化すウィルソン。

「たくっ勘弁してくれよ、これじゃ安心して酔えない」

「そもそも酔わないで下さいよ、トーマ先輩も大人なんですから」

「まま、ココちゃん固いこと言わず俺に免じて、ね?」

「じゃあペナルティはウィルソン先輩のお給料から天引きしておきます」

「ココちゃあぁあぁぁあん!」

友人と後輩のコント染みたやり取りを見て。

「ぷっはははははは!」

トーマはこの日初めての笑い声を上げていた。

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