プロローグ2
街は夜に覆われ眠りについていた。
音、光、気配、命を匂わす要素がごっそりと抜け落ち、街そのものが死を迎えたかのようだ。
そんな死んだ街にポツリと呟きが落ちる。
「ウィルソン隔離結界の展開はどうだ」
呟きの主は青年だ。鴉のような黒髪を短く切りそろえ、漆黒の軍服に引き締まった体躯を包んだ軍人然とした男。
路地の暗闇に身を潜めているが、漆黒の装いは自然と迷彩となり姿を暗闇に溶け込ませている。
「あいよこちらウィルソン、結界は順調に作動中だ、派手にどんぱちやっても問題ないぜ」
男からの質問に胸元のコウモリを象ったエンブレムから軽薄な声で返答が帰ってきた。
街が戦闘可能状態だと確認すると男は足下に鈍色の円環法陣を展開し探索術式を起動、包力が大地を伝い対象を感知する。
「探れ、大地の眼(だいちのまなこ)」
世界はあらゆる存在全てをある種のエネルギーで構成されており、それは世界を包む力として包力(ほうりょく)と呼ばれている。
人間を含む全ての命も例外なく包力で構成され、自身を構成する又は自然界の包力を操り術式を展開する者たちを包術師と呼び男もその一人、それも戦闘のエキスパート、軍人である。
円環法陣を通して殲滅対象を索敵、発見する。
(7体、雑魚ばかりだが一体のみ中央広場に構えたヤツの気配がデカイ、大物だな)
「通信終了後10カウントを始めてくれ、強襲を開始する」
「オーライ、サクッと親玉仕留めて来い、そうすりゃご褒美にお兄さんが美味い酒くらいご馳走してやんよ、任せたぜマキナ」
男のコードネームを最後に通信は一旦途絶え、再度静寂が訪れる。
瞳を閉じ意識を更に深く落とす。
「カウント10、9……」
カウントが始まり、呼応するように円環法陣も一層輝きを増していき。
「……2、1、0!」
機巧の術式は起動した。
「神を裁く罪過を背負おう」
瞳から生気が消える。
術式、神殺しの罪過。恐怖、罪悪、痛みなど戦闘から派生する可能性がある感情や理性に制限しを掛け、結果として身体能力のリミッターを解除させる術者干渉型の術式。
この術式に侵された者は神を殺すも厭わない。
瞬時に男の精神は術式に喰らい尽くされ、人間から別の存在へと堕ちた。
コードネームの意味する機械(マキナ)へと。
マキナは対象どもへ向けて疾走、路地から飛び出し、風の如く街路を駆け抜け、殲滅対象とエンカウントする。
(対象捕捉、排除)
前方にドス黒い靄が溢れ出す。道を塞ぐように蠢くそれらは徐々に姿を変え、煌々と紅い眼球で得物を見据える四つ脚の獣を形作った。
穢魔。歴史の影を遡ればあらゆる災害の裏に潜み世界を穢し続ける世界の怨敵。ただ目の前に存在する生命を無差別に襲い喰らい進化する厄介な特性を持ち、その姿は捕食した生命の量に比例し個体特有の形状を露わにしていく。
眼前の個体は雑魚、産まれてまだ捕食を行っていない個体だろう。雑魚であれば空腹に苛まれ獰猛性は強烈になる、マキナは格好の餌に映っているはずだ。
マキナは一直線に穢魔へ迫り、穢魔もまた雄叫びを上げながら機械へ襲い掛かる。
疾走しながら腰部のホルスターから幅広のダガーナイフを引き抜き、逆手に構え対象に向けて滑らせ瞬時に一体を解体した。
「…………」
いとも簡単に異形を排除しおくびにも出さず突き進む、大地の眼が捉える穢魔の反応に向かい、最短距離を。
続く二体目、三体目も次々と下し、四と五体目が同時に遅い来ようとも先ずは一体へ冷徹に八つ裂きをお見舞いする。
そして残る一体は相棒が片付けてくれた。
「射貫け」
エンブレムから詠唱が響き、空から降った一筋の稲妻が穢魔を焼き尽くしたのだ。
ウィルソンの狙撃術式、射貫く雷槍である。
六体目は少しばかり厄介だった。
「グギャッウアアゥァアアアァアァゥアァ!」
数回の捕食を行った個体なのだろう、身体能力がこれまでの雑魚より比較的高い。
ナイフの一撃をアクロバティックに躱し、涎の滴る犬歯でマキナの喉元へ喰らい付こうとする。
マキナはダガーナイフで相手を弾き返し、穢魔は宙を舞った。
「射貫け」
再度雷槍が振り下ろされ、貫かれた穢魔は動きを止める。
マキナは一拍の内に片手で穢魔の口を塞ぎ地面へ叩きつけ、首を切り裂き絶命させ、穢魔は霧散し消え失せる。
仮にウィルソンのサポートが無くともこの程度の標的に苦戦は有り得ない。
だが相棒のお陰でより余力を残し戦闘を続行出来る。
「次でラストだ、とっとと仕留めてこいや」
「…………」
仲間の軽口を流し、マキナは変わらず疾走する。
やがて路地を抜け着り、広場へと辿り着いた。
先程まで大物個体の反応が示されていたエリア、しかし対象を目視出来ず、大地の眼にも反応は無し。
隔離結界により広範囲の空間を包囲しているため脱出は不可能、ならば答えはただ一つである。
「……上空に対象を確認、殲滅する」
異形は空に佇んでいた。
「ファァウァアァァァァ」
アークデーモン。人間型でありながら人の倍以上の体躯、背には骨と皮の翼、頭部は牙を剥き出しにする人外を形作っている翼で空を翔る暗色の穢魔。
地上の対象を感知する大地の眼で索敵不可能であったのもそれが原因である。
「対象アークデーモン」
「げっアークデーモンかよ、そいつ俺の術式通らないんだよね~硬すぎて」
「結界の維持に集中しろ」
「りょ~かい、んじゃ後はよろ~」
通信が切れると同時に穢魔の口腔から毒々しい呪詛の光線が放たれ、マキナは後方へのバックステップで回避する。
続けて穢魔は両手の爪から呪詛の弾丸を無数に放ち一方的な殺戮を開始してきた。
マキナは全てを避ける。走り、跳躍し、敵の死角をつきながらひたすらに敵の行動を先読みする。
「サッスガー! そんだけ逃げまわれるたぁお兄さん感心しちゃうぜ!」
呑気な同僚は変わらず無視し、脳内で殲滅パターンを構築していく機械。
(2分の連続射撃後に16秒のインターバルを確認、5秒後に反撃開始)
呪詛の雨が止み、タイミングを見計らってダガーナイフを地面に突き刺した。
しゃがみ込む姿勢となった得物に対しアークデーモンはインターバルを潰すつもりか触れれば鮮血が飛び散る爪と牙を露わにしながら容赦無く急降下を繰り出してくる。
だが対応速度で勝ったのは機械の方だ。
「砕ける大地」
ダガーナイフの表面に鈍色の紋様が輝き、突き刺さった大地が砕け広場全体を崩壊させ、煉瓦や電柱など破片の山を築く。
突然の爆音にアークデーモンは一瞬怯むが急降下を再度敢行する。
しかし僅かな一瞬が致命的な敗因となるとは思いもよらなかっただろう、機械の迎撃はここから始まる。
「穿て……」
術式により砕かれた夥しい破片の山は在ろう事か宙へと浮かび出し。
「瓦礫の礫」
次々とアークデーモンへ飛礫として叩きつけられていく。広場全体が弾丸のとなり穢魔を足止めするのだ。
「グアォウ、アアァアァアア!」
尚もアークデーモンは飛礫の嵐を押し切りながら彼へジリジリと迫り来る。雑魚とは比べ物にならない捕食を繰り返したアークデーモンをたかが飛礫の嵐で殺し尽くす事は出来ない、それはマキナも理解していた。
マキナの術式適正は無機物の破壊および干渉操作を得意とする『機巧』属性であり戦闘向きの種類ではない。本来なら索敵や防衛等の後方支援を任される術師だ。
それでも彼が前戦に送り出された理由があるならば、彼が確実に敵を仕留める戦士だからである。
穢魔は確実に接近してくるにも関わらず機械は冷静に詠唱を始めた。
「殺す為に産まれし哀れな傀儡、朽ちながら抗え……」
円環法陣が眼前に出現し、奥からギギギッと鈍い駆動音が聞こえてくる。
「騎士(デウス)、対象を排除しろ」
礫を押し切ったアークデーモンの爪が迫り、夥しい血液が広場を汚した。
但し悲鳴を上げたのは機械では無く穢魔の方だ。
「グギャウァ!」
マキナに迫った右腕を法陣から突き出た刃が斬り伏せたのだ。
危機感を感じたのかアークデーモンは上昇しマキナを警戒する様に旋回を始めた。
法陣から現れた刃は徐々に全体を露わにしていく。
這いずり出てきたのは一体の機械人形だった。両手に鋭利な長剣を携え、甲冑を象った外見をした鈍色の戦闘機械。
包術師は一定の力量に到達すれば自らの魂の形を具現化し召喚し使役できる、その名を護神(ごしん)と言う。マキナの魂の形にして最強の兵器こそが騎士デウス、幾多の敵を葬ってきた刃である。
「行け、仕留めろ」
主人の命により機械人形が臨戦態勢に入る、背部のスラスターから焔を吹きながら上空へ飛び出した。
アークデーモンは迎撃しようと口と爪から呪詛の弾丸を撒き散らす。
「礫よ」
瓦礫の礫が正確無比に呪詛の弾丸全てに直撃し相殺する、一弾たりともデウスに触れる物は無い。
アークデーモンに接近したデウス。左の刃が胴体を捉え袈裟斬りを見舞う、重火器どころか爆薬すらも通さない穢魔の皮膚を切り裂き致命傷を負わせた。
「ガァアアアアアアアア!」
アークデーモンは逃亡の為更に高度を上げようとする。
「縛れ、瓦礫の楔」
しかしマキナが唱えた術式に操られ破片が鎖状に連なり対象を絡め取り、大地へと叩き落した、包力で編み上げた鎖は強く硬く穢魔を拘束する。
「始末しろ」
地上に降り立ったデウスはガチャリガチャリと音を立てながら対象に歩み寄ると、淡々と両の刃を振り上げる。
「グウァウア、ブバアアアア!」
尚も抵抗を続ける哀れな穢魔。
その首に刃は振り下ろされ。
「ガァ……」
一言を残し絶命させた。体は霧状に霧散していき、風に流され欠片も残さず消滅。
「……神への罪禍を償おう」
機械は神殺しの罪過を解除し、エンブレムを介し戦友へ戦闘終了を告げる。
「任務完了、ウィルソン引き上げるぞ」
「……なぁお前、無理してんだろ」
「何の事だ」
「冷たいねぇ、声と言い戦い方と言い徹底的に冷てぇよ。神殺しの罪過が効いてる間は心を殺せても、本当は穢魔を始末した事が辛えんだろ」
「……」
無言が彼なりの、ウィルソンへの返答だった。
「この後空けとけよ、お兄さんが優しく慰めてやっから、また後でなマキナ」
ブツリと通信が途絶え、更なる沈黙が広場に漂う。
「……マキナか」
デウスの胸に手を翳し、彼はぽつりと自身のコードネームを呟く。
戦場において敵に一切の慈悲を与えず殲滅する姿、正に殺戮機械の如し、故にマキナ。
彼の戦い様から付けられたコードネームは彼の相棒と相まって知る者からすれば畏怖の対象となっていた。
本人もその名で呼ばれる事は本来の自分と任務中の自分を切り離す意味でも受け入れている。幼い頃の呼び名と似通っているのも何かしら嫌な縁があるのだろう。
神殺しの罪過も所詮は術式、効力も消え始めれば心に暗い感情が押し寄せ始める。
「俺はどうして戦えるんだろうな、こんなに嫌なのに、辛いのに、どうしてだろうな……」
機械人形が応える事がないのは分かっている。それでも彼は本音を垂れ流すのを止められなかった。
「決まってる、約束の為だ。絶対に皆んなは護るから、だから見ててくれよ、姉さん」
応えない機械人形にだけ聞こえる決意の言葉を口にして、トーマ・シュピルツォイクは胸の内から溢れる嘆きに堪えるのだった。
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