機巧の心は約束を違える
栄久里 丈太郎
プロローグ
「バカ!」
パンっと乾いた音と共に頰へ熱が走った。
少年は自分の左頬に手を添えた。
痛みはある、だけど涙は流れない。
そんな物はとっくに枯れ尽くしていたからだ。
いつも自分は独りぼっちだと勝手に決めつけていた。
目の前で家族を穢魔(あいま)に殺され、奇跡的に助かりはしたがもはや生きる気力は失せている。
引き取られ先の孤児院でも周囲の声に反応する事は無く、最初は声を掛けてくれていた子供達も自分を遠ざける様になり、いつしかそんな少年は機械の様だと陰口を囁かれ始めた。
機械。言われた事をその通りに遂行し、それ以外自ら動く事はない人形。
皮肉にも枯れたはずである感情の残火が最後の反応をチラつかせ、自分に御誂え向きだと納得出来た。
今日も周りの連中が自分を良いように使おうと掃除当番を押し付けられた所だ。
面白がる虐めっ子達は少年に箒と塵取りを投げつけてくる。
いつもの事だ、何も考えずに動いていれば時間は過ぎる。さっさと動こうとしたその時。
見知らぬ少女が飛び込んできたのである。
「こらー! 年下を虐めんなー!」と声を上げて、虐めっ子を振り払う。
虐めっ子達も突然の事に思わず退散を決め込む。
少女は息を切らせながら少年に手を差し伸べてくれる。
「大丈夫、怪我はない?」
「…………」
死んだ瞳で彼女を見る、確か昨日施設に引き取られた新入りの筈だ。
先ず目を引くのはお日様の様な橙の髪、背中まで届くそれは見るものを安心させる暖かさがあり、翡翠の瞳はどこまでも澄んでいる。
少年とは真逆の人間味溢れる空気を纏った少女だ。
「どうして……」
無意識に声が出ていた。
「助けたんだ」
何故そんな事を聞くのか自分でも理解出来ない。
「どうしてって、君が虐められてたからだよ」
「そんなの関係ないだろ」
「ええ〜それこそ酷くない、助けないでほっとかれるほうが良かったわけ?」
「どうでもいい」
「何が?」
少年の口から言葉が漏れ出していく。
「僕は機械だ、だから優しさはいらない」
「機械って……何よそれ?」
少女が目を見開いた。
「僕のあだ名、みんなそう呼んでる」
「どうしてそんな呼び方されてるの」
「疲れたんだ、何も考えたくない、だから……ほっといてくれ」
顔を逸らし、彼女から視線を外す。
そして次の瞬間。
「バカ!」
パンっと乾いた音と共に頰に熱が走った。
少年は左頬に手を添えた。
痛みはある、だけど少年の瞳から涙は流れない。
もう一度少女に向き直ると、少年の代わりに彼女が泣いていた。
「どうしたんだ、どうして君が泣いているんだ」
「うっさい! 君があんまりにもバカだからだよ、せっかく助かったのに自分から心を殺すなんて、君は大馬鹿だ!」
顔を腫らし、ポロポロと涙を流す少女。
この孤児院は穢魔により家族を奪われた子供が優先的に収容される、彼女もその一人なのだろう、生き延びた喜びも大切な人達を失った喜びも深く知っている。
だからこそ彼女は本気で少年に対し怒り、そして悲しんでいるのだ。
「決めた!」
少女はグイッと涙を拭うと宣言してきた。
「君は私が絶対に笑顔にしてやる、もう機械だなんて言わせないから!」
デタラメな理屈である。要は自分が気にくわないから少年を笑顔にすると息巻いている訳だ。
こんな要らんお節介など無視して良いだろうと分かる。
「……名前……」
だがスルリと言葉が流れ出た。
「僕を笑顔にするんだろ、だったら名前くらい教えろよ」
「いいよ、教えてあげる、私はエリティア・エーヴェルス、11歳よ」
「なんだ年上か」
「へぇ、君は何歳なのかな?」
「10歳」
「なら私がお姉ちゃんだよ、今日からティアお姉ちゃんとお呼びなさい!」
「ならティア姉さんは僕をどうしてくれるんだ?」
「もう、ティアお姉ちゃんって呼んでよ〜」
少年ははぁと溜息を吐き。
「ティアお姉ちゃんはどうしてくれるんだ」
「そうだね、それじゃあ」
エリティアは少年の左頬に手を添えてくれる、今度は叩くのではなく優しく。
「君が独りで辛いなら、心を殺さないと耐えられないなら私が一緒にいてあげる、もう独りにしないよ……それでどう?」
少年は頰に置かれたエリティアの手に自分の手を重ねる。
「そんな事か」
「そんなことでも、実は嬉しいんでしょ?」
「…………」
正直感情に揺らめきは無い、だがエリティアの提案を試してみて、こちらにデメリットも無い。
「じゃあ、一緒にいてくれ」
横目ではなく、自分を真っ直ぐに見つめられるのはいつ以来だろうか。
エリティアの子供染みた拙い提案を無視しきれないのはそのせいかもしれない。
「うん良いよ、それとさぁそろそろ君の名前も教えてくれない?」
「僕の名前は……」
この日以来エリティアは誰よりも少年の名前を呼ぶ存在となった、本物の姉弟以上に寄り添いながら、約束が違えられるその日まで。
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