karma3 戦争を楽しむ隊員

 攻電即撃部隊ever9は北へ上り、巡回に務めていたが、雨脚は強まっていくばかり。雨を降らす空一面の雲は濁り、薄黒い。まだ昼の4時だというのに陰りの中にいるようだ。


「ちっくしょ! 鬱陶うっとうしいなこの雨! これじゃ飛ばせねえよ」


 激しい豪雨は隊員の視界さえも奪い、前方20メートル付近までしか見えなかった。


「そう愚痴るなよ。まだブリーチャーが来ないだけありがたいと思わないとな」


 渋下康貴しぶもとこうき隊員は後輩である内河大氣うちかわたいき隊員をさとす。


「そうですけど、俺も休みたいですよ」


 ARヘルメットの中にある内河の顔が消沈する。


「自衛隊は仕事してんだぜ? 俺たちが休めるわけねえだろ」


 内河は通信で入ってくる渋下の声になんとも言えなくなる。


「それにほら、桶崎や町戸は文句も言わずやってるぜ」


「いやいや、俺だって一番後輩だったら気ぃ使いますよ。本心では思ってますよ? こういう日くらい休みたいなぁって」


「それじゃ階級下げて新人になればいいんじゃね?」


「え、何言ってんすか?」


 内河隊員は渋下の発言に戸惑う。


「そうすりゃお前は文句言えなくなる。なかなかいいアイディアだろ?」


「それだけは勘弁してください」


 渋下はゲラゲラと笑う。


「ならさっさと終わらせようぜ。あと3時間もすれば交代なんだから」


「はいはい」


 内河は小さなビルの屋根から路面が水没する市街地の道路に降り立つ。大きな飛沫を上げ、状況を窺う。まだ被害は少ないらしい。車が道路を行き交うたびに波打つ。仕事もどうにかできているようだが、走る車は慎重になっているのが伝わってくる。


「異常なし、と」


 内河は通信を本部へつなぐ。


「こちら内河、エリアFクリア」


「了解した。次はエリアMに向かってくれ」


 斎藤司令官は向かってほしい場所を示す。


「はーい」


 内河は司令室の通信を断つ。


「エリアM、か」


 内河の着る機体スーツは飛び上がった。飲食店や美容外科などが入るオフィスビルの屋上に着地すると、また次の建物に飛び移っていく。


 こちらでも浸水被害が出ているが、新潟の被害よりはまだマシな方だろう。それでも最大1メートルほど浸かっているところもあるようだ。住宅1階には泥水が侵入しており、車は浮いてゆっくり流れてしまっている。


 雨は留まるところを知らない。遠くでは雷鳴が空気を裂くような音を響かせている。雲が厚いせいか空が一段と低く感じられる。このまま雲が下がってくるような恐怖を覚える。


 空とは逆に、内河が道を進めば進むほど水位は高くなっていく。この辺りも氾濫しているようだ。避難しそびれた住民は、冷たい雨水に足を浸けながら進んでいる。

 自衛隊もボートを使い、足腰の悪い高齢者を護送している。

 浸水した水の流れはまだ強くないようだが、未だに雨脚が強いこの状況ならば、これから水の流れが激しくなる恐れがある。今のうちに避難しておかなければ、逃げたくても逃げられなくなることは容易に想像できた。


 内河は辺りを見回すが、飛び移れる建物は見当たらない。内河は屋根から飛び降りる。

 激しい黄土色の飛沫が上がる。飛沫は内河自身にもかかってしまう。頭から被った水の冷たさもあるが、水面に浮かんでいた葉っぱや木くずが機体スーツに貼りついて不快極まりなかった。


 内河は膝まで浸かった足を進めていく。水の抵抗のせいで歩きづらい。

 街に浸かる水が道の境界を隠してしまっている。建物の敷地ならまだしも、道の脇にある排水溝や川の場合、足を持っていかれる。生身の人であれば怪我をする可能性もあり、非常に危険だ。


 内河の職務はブリーチャーへの警戒であったが、今はこの悪天候による災害への懸念が強くなっていた。



 東防衛軍管轄内におけるブリーチャーの出没もないことから、司令室は穏やかな様相を呈している。


「斎藤司令官、お茶をご用意しました」


 情報総括員の女性がカップに入ったお茶を差し出す。

 斎藤司令官はお茶を受け取る。


「ああ、ありがとう。住民の県外移送の準備は進んでるか?」


「はい。空自の搬送機が上空に飛び立ったと。避難者の搬送順にも大きな混乱はないようです」


「そうか」


 カップに口をつけ、骨身に染み渡る温かい緑茶に息を零す。


 特に異常もないこともあり、観覧者もよそ見をするほどに退屈な様子だった。

 司令室の中央にある大きな画面を見ることもなく、話に夢中な者もいる。それは西松たちも例外ではない。現に興梠と葛城は洪水での対処法について、あれやこれや話している。


 一方、西松は攻電即撃部隊ever9の隊員のARヘルメットに搭載されたカメラが映す浸水状況を食い入るように見ていた。御園もモニターを見てはいたが、頭に気にかかっていたことがあり、あまり集中できていなかった。

 御園は前に座る西松に目線を向ける。


「なあ、キヨ」


「ん?」


 西松は体をひねって振り返る。


「さっきのことだけどよ」


「さっきって?」


「附柴隊員と話してたこと」


「それがどうかしたか?」


「いや、候補生の時に先生に聞いた話じゃ、こういう酷い悪天候の時はブリーチャーが上陸する恐れはないって言ってたろ?」


「ああー、聞いたことある気がすんなぁ」


 西松は呆けたように答える。


「でも、附柴先輩はから来たんだよな?」


「あん……ん?」


 西松は首を傾げる素振りをしている。御園は察しが悪い西松に呆れ返る。


「だから、ブリーチャーの出没について先生の話と附柴先輩の期待は矛盾してるだろ?」


「あー確かに。北海道の件があったから、イレギュラーが起こると思ってるんじゃないか?」


「ふうん……不謹慎な先輩だよな」


 御園は不快感を漏らす。


「おい、聞こえるだろ」


「気にする必要ないだろ。もう他の人から煙たがれてんの分かってるみたいだし」


「そりゃそうかもしれねぇけど、俺の身にもなれっての」


 西松は苦い表情で御園に悪態を控えるようたしなめた。


 その時、5つに分かれたモニターの左端の小さな画面が『EMG』の文字を示し、不規則な電子音を鳴らす。


「マジかよ」


 御園は唖然とする。


「岩手県沿岸にブリーチャーの大群が接近中!」


「んんっ、攻電即撃部隊ever5に出動要請!」


 斎藤司令官は口に含んだお茶を急いで飲み込み、オペレーターに指示を出す。


「はい!」


「あーあ、ほんとに来ちゃったよ」


 附柴は微笑を浮かべながら立ち上がり、司令室のドアへ歩いていく。


「さあ行こうぜ、西松隊員。お楽しみが待ってる」


「あ、はい……」


 西松は席を立ち、附柴隊員の後を追いかけた。

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