karma20 七転八起

 匂い。藍川の意識が戻った時、すぐに感じられた土の匂い。なんてことのない、乾ききった土の匂いだ。うっすらと瞼が開き、割れたシールドモニターが映る。

 しだれかかる機体スーツの重さを感じながら横たわっていた体を起こした。真夜中には相応しくない地震のような音が断続的に耳を打つ。

 出所を探すと、荒廃の哀愁を醸し出す煩雑な物が置かれる敷地で、機体スーツは1人闘っていた。機体スーツのいたるところに傷跡が見受けられる。何度も重たい攻撃を受けなければ、ああはならないだろうと、経験の浅い藍川でも察することができた。


 藍川は苦悶の声を押し殺して立ち上がる。転がっていた鉄筋を持ち、辺りをうかがう。

 琴海の負担を今すぐにでも軽くしたい気持ちは十二分にあった。このまま猪突猛進して生物に向かうのもいいが、あの素早い脚と強烈な破壊力のある拳を使う生物に対し、通用するかどうにも怪しい。

 武器になりそうなものはたくさんあるが、使えるものかどうかという問題もある。敵を焦らせるための何か。様々な方法を持てる頭で考え、澄んだ瞳が捉えたもの。


 空を仰いだわけじゃない。少し上に伸びている黒い線。夜空が暗いために見えにくいが、目を凝らせば確かに宙を真っすぐ駆けている。線が途切れる地点で、柱が地面にしっかり打ちつけられている。

 これで打開できる保証はない。だが数値も出せない可能性に賭けるしかなかった。藍川はすぐさま行動に移す。



 秋の夜にさざめく剛奏ごうそうが幾度となく交わる。迅雷風烈じんらいふうれつの渦で鈍色にびいろの刃がおどり、闇を裂いていく。生物の動きに煽られ、砂塵がわずかに立つも、琴海の瞳に生物の姿が映るのは一瞬のこと。生物が琴海の目に映る時には、いぶした黒の拳がうなりを上げる。

 琴海はそれを弾き、受け流して攻撃へ転じる。大鎌を振るう速度も生物の拳に引けを取らない。わずかな機能を残す機体スーツが、人智を超える狂気的な生物に対抗する体術にまで昇華させていた。


 生物は琴海の大鎌の刃を後ろに引いてかわし、瞬時に姿を消す。琴海は左足を少し引き、大鎌を横に振り上げた。

 向かっていた岩をも砕く拳は逸らされる。すかさず柄の端が生物のこめかみに振られた。逸らされた拳の甲が受け止め、鎌の内曲ないきょくの刃が生物の腰を刈りに来る。

 長身の生物らしからぬ身のこなし。ずば抜けた身体能力が成せるしなやかな回避で地面を転がり、屈んだ状態で機体スーツに正面を向ける。


 生物は屈んだ状態のまま地面を蹴った。行く先は機体スーツ、ではない。建築会社の脇に止められた普通車の下、前輪と後輪の間にある下部を掴み、片手で勢いよく持ち上げた。車は電線を越える高さにまで上がり、回転しながら琴海に降りかかる。


 琴海は前進し、着地点から逃れる。月は影を映す。強靭なまでの脚力は、車が宙を浮いている間に回り込み、宙に放物線を描く車の位置まで飛び上がる。

 生物の蹴りが宙に舞った車を吹き飛ばした。夜空に描いた流れ星からはほど遠い。大きさ充分な弾丸は、武装した機体スーツを覆い隠す。不意に襲った衝撃は全身を駆け巡る。

 反応が遅れた琴海は地面に叩きつけられた。起き上がろうにも車が宙から飛んできた衝撃により、むしばむ痺れが動きを鈍くする。情け無用の追撃。生物の足に迷いなどなかった。拳が固く握られ、渾身の一撃が琴海に迫りゆく。


 地を駆ける長身はもう1つ。精錬された鉄の棒を引き連れ、果敢にも生物へ向かっていた。生物の標的は琴海だっただけに、これには不意を突かれたと形容するに等しい反応であった。

 生物の吃驚きっきょう。鉄の棒が生物に当たる寸前、地面を蹴る生物の足の裏は、力の方向を変える。生物は加速したまま宙を回転し、体を畳んで倒れる琴海の上を通過した。鉄の棒は藍川に期待させた手ごたえを与えず、くうを切った。


「ミズ……ッ」


 琴海は苦痛に顔をゆがめながら上体を起こす。


「まだ動けますか? ことうみ」


「大丈夫に決まってんでしょ」


 声色はいつもより弱々しい。それを指摘するのは野暮でしかない。藍川の口は勇進の音をもって耳朶じだを打つ。


「ことうみ、電線を切っていただけますか?」


「え?」


「その間にわたくしが生物の相手をします」


 聞きたいことは山ほどあった。だが、生物がそんな時間をくれる相手じゃないことは分かっている。

 1つの頼みから推測できることがあるとするなら、藍川の具体的な依頼が、自分たちに勝機をもたらすかもしれないということだけだ。

 たった数秒の間に考えられたことを呑み込み、琴海は首肯した。


 月の輝きに勝る眼光炯々がんこうけいけいとした双眸そうぼうが、2人を射抜いぬく。

 藍川は1メートルほどの鉄の棒を下段に構えると、体を前傾にして走り出した。


 長い戦闘は生物にとって耐えがたい仕打ちである。純粋な欲望が極限まで圧縮されると、怒りという次元を超えた生理反射では収まりきらない。口の中で行き場を失くした唾が地面に落ち、醜悪な煙を立てる。その頃にはもう、生物は遥か先を行っていた。

 駆け引きする気も起こらない。本能のままに目の前の障害物を蹴散らすかのごとく、荒々しい拳が傷だらけの機体スーツに向かう。しかし、突き出された鉄の棒がそれをはばむ。


 顎を突き上げられ、のけ反る生物の体。ARヘルメットの認知処理が機能していない中、藍川は異界の速度に対応した。

 反射できたのは、機体スーツの親和律と動作性がまだ人の領域を超えた処理機能を保持しているから。

 ウォーリアから発せられる電場に起こったわずかな変化と、生物が出した速度と間合いを瞬時に見極めた才能所以ゆえんである。そうでなければ、藍川の狙い通りの箇所に、棒の先が当たることはなかっただろう。


 動きを捉えられた生物は、意図せずして上体を反らすこととなったわけだが、この一瞬の隙は異界の速度で戦闘を繰り広げる者たちにとって致命的な隙である。


 鉄の棒が生物の顔を殴った。体の軸が傾く。間髪入れず、生物の横腹がへこむ。骨身に応える連続攻撃により、生物の体は地面に倒れる。

 数メートル吹き飛んだ生物に容赦なく畳みかけようと、藍川は駆けていく。

 生物とて死にたくはない。生きるための戦いで惜しみなく発揮される闘争本能が、ダメージを負った体を極限まで高めた。


 生物は伏せた状態から飛脚を見せ、ショベルカーの上に乗ると、唾を吐いた。噴霧された唾が枝垂しだれを作り、藍川の行く手をはばむ。だが生物の動き出しが早かったのもあり、噴霧された唾に対して障壁にはならなかった。

 焦りを感じた生物の行動が防戦であることを悟るまでもなく、ほころびに鉄槌を下しにいくと、夜の色彩と月明かりが魅せる黒い暴挙が生物を追いかける。


 殺伐に艶めく濃霧のような倍音ばいおんが近くで鳴っているのも無視して、琴海は藍川と生物の戦場から少し離れた場所で電線を吟味ぎんみする。

 戦場となっている建築業者の資材置き場と電線の配置を何度も見てはシミュレートしていく。少しずつ、藍川がやろうとしていたことを掴めてきた。


 道路と資材置き場の境界付近に立つ電柱のそばで、琴海は見上げる。感じるわずかな電磁気。外灯はついていないが通電はしているようだ。

 琴海は電柱から少し距離を取る。後ろに下がり一呼吸。大鎌を上に掲げ、真上で刃の面が横になる。地と水平になった大鎌は、琴海の手によって回り出す。徐々に回転は速くなっていく。残像が見えるほどに、琴海の頭上で回転する大鎌は、夜空に浮かぶ満月のように大きな丸を描いた。


 琴海は前に出した膝を曲げ、走り出す。頭上に大鎌と共に、電柱に向かっていく。そして、電柱の手前で琴海は一度回転した。体の回転に合わせて鎌を下ろし、横に振り切る。三日月の刃が電柱を強引に切り裂いた。電柱は傾き、資材置き場の地に倒れる。

 琴海は大鎌を右手に持ち直し、背中に回す。大鎌は背中にピタッと貼りついた。


 琴海は倒れた電柱に近づく。倒れた電柱と電線で繋がる、道路に沿った電柱と、敷地の外灯も傾いている。宙に伸びていた電線も斜めになって繋がれたまま。

 琴海は倒れた電柱と道路沿いにある一番近い電柱とを繋ぐ電線を見下ろす。すると、琴海は左肩を掴み、手でグッと後ろに押した。機体スーツの肩甲骨辺りからラグビーボールのような形の銃器が出る。背面に沿って左肩に乗り、カチッと何かにハマる音がした。

 銃器の一端には銀色の鋭角があり、鋭角は脱皮するように殻を繋げて先端を伸ばす。上下左右の首振りをして、目標である電線に向いた。

 銀色の先端部はゆっくり赤くなり、小さな光弾を放つ。直径2ミリの光弾は連射され、電線に浴びせていく。数秒のうちに電線は切れた。


 琴海は倒れた電柱をまたぎ、左右の足の間にゆとりを持たす。琴海は両膝を曲げる。上体を前に倒し、足の間にある切れた電柱を両手で抱える。その体勢のまま、琴海は前に視線を投げた。視線の先では藍川と生物が死闘を繰り広げている。

 琴海はじっと待った。タイミングを計りながら、好機であるその時を。

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