karma10 平穏を忘れないために

 水族館を回りきって明るいフロアへやってきた氷見野たちは、お土産ブースで品定めをしていた。とは言っても、品定めしているのは氷見野といずなだけ。関原は天体ショーを鑑賞していたせいで首を痛めたらしく、ずっと首の後ろ辺りを気にしながら擦っていた。


 いずなは攻電即撃部隊ever7の増山湊ますやまみなと江藤乃蒼えとうのあに水族館に行くことを知られ、お土産よろしくとねだられていた。しかしそれほど嫌というわけでもなかったので、真剣にお土産を選んでいる。

 また、頼まれたわけじゃないが、氷見野もお土産を選んでいた。イルカの絵が入っているマグカップを手に取り、くるりと横に回してじっくり見ている。なんとなくではあるが、琴海や藍川の好みは知っているため、こんな感じの好きそうだな、という具合に喜んだ顔を思い浮かべていた。

 氷見野はお土産を買い、レジから離れて辺りを見回す。ベンチには携帯に視線を落とす関原、まだ選んでいるいずながいる。氷見野はいずなに歩み寄った。


「どう? はかどってる?」


 いずなは氷見野を一瞥いちべつし、小さな置物や箸置き、ネックレスなどが並ぶ棚に視線を向け直す。


「はかどってるように見える?」


 淡白な返しに苦笑を零す氷見野。いすなの目線が一点に注いだまま動かない。その様子に疑念を持った氷見野は、いずなの表情を覗く。


「私も手伝いましょうか?」


「……いい」


 いずなは立体的なクジラが潮を噴いて、左右に分かれているペンダントを取る。細い鎖の部分を掴み、目の高さにペンダントトップを上げた。クジラのぷっくらした腹の中には、楕円の画枠がわくが浮かび、画枠の上から白い雪が降っているミニ映像が映っていた。


 クジラ自体が小さいため、雪も極めて小さい。だが目を引く輝きが主張しており、いずなもまじまじと凝視していた。

 白い雪は画枠の下に降り積もり、楕円の画枠を通って鼻孔へ流動している様が見て取れる。潮の形をした場所へ流れつくと、白い雪は輝きを失っていく。どうやら光の当て方を調節しないとはっきり見えないようだ。氷見野からは何かが動いている不思議なペンダントくらいにしか見えなかった。


「今日はありがとう」


 氷見野は不意にお礼を言われて一瞬きょとんとしてしまうが、すぐに破顔はがんする。


「ううん、こちらこそ、来てくれてありがとう」


 いずなはクジラのペンダントを手の中に落として握る。


「少しだけ、楽しかった」


「そう……」


 今まで感じていた不安は嘘のように消えていく。代わりに、氷見野の胸の奥が甘く痺れ、いずなとの間にあった見えない壁が薄くなっているのを確かに感じた。


「優」


 いずなは握る手を見つめて氷見野を呼んだ。


「はい」


 うつむき加減になっているいずなはためらいがちに言う。


「やっぱり、選ぶの手伝って。大人の好みがいまいちピンとこない」


「分かった。あでも、私も増山さんと江藤さんの好みを知ってるわけじゃないから、喜んでくれる保証はないよ?」


「それでもいい。不満そうならちゃんと注文しろって言っておくから」


 氷見野は思わず笑ってしまう。


「そっか」


 いずなと氷見野は何にしようかと話し合っていく。仕事以外でほとんど会話をしてこなかった。その時だけは、親子が楽しげに話しているように見えるかもしれない。

 周りからそんな風に見えたら、とおこがましく思うことはなかったが、もし自分に高校生の子供がいたら、こうやって一緒に買い物をしていたのだろうかと、憧れた理想を体験している気がして、氷見野は悦に入るのだった。


 40分後、氷見野といずな、関原は帰途の車中にいた。関原は何を買ったんだとか、海洋生物に少し詳しくなったんじゃないか? という話のネタをいずなに振るが、いずれも長く持つ話ではない。しかし、心地良い疲弊感がもたれかかっていた。

 和みの空気に流れるのは、最近ラジオで聞かれるようになったテクノポップである。車内の雰囲気とは合わないが、ラジオから流れる曲がどんなものであれ、疲弊感が奇抜さを感じさせないために、ただのBGMとしてしか機能していなかった。

 決して3人にとって雰囲気を壊すものではない。現に会話下手な関原に代わって氷見野が話を振り、話題を挙げれば関原といずなが触発されて話しているという様相が繰り広げられていた。時にはいずなが冗談交じりに関原をけなすなど、スロウな会話が穏やかな車内を満たしていく。


 ゲストを迎えた社会的な深い話が終わり、余韻に浸った言葉が簡単に述べられた後、ラジオMCは少し詰まって切り出す。


「えー、先ほどお伝えした茨城県北部地域で発見されたブリーチャー襲撃の続報が入ってきました。日本防衛軍報道室からの情報によりますと、今回上陸してきたブリーチャーの群れはほぼ駆除されております。なおブリ―チャー1体が茨城県常陸太田ひたちおおた市周辺を北上しており、現在初動防戦部隊、特殊機動隊、攻電即撃部隊everが駆除にあたっています。周辺住民のみなさんはくれぐれもシェルターから出ないでください。シェルターに入れず、建物内に避難されている方々も、外に出ないようにしてください。各自治体の……」


 氷見野といずな、関原は自然とその内容に聞き入っていた。話を聞く限り、それほど深刻な状況には至っていないと感じられ、結果は簡単に予測できる。

 いずなは小さく欠伸をし、携帯に目を向けた。



 その頃、茨城県に上陸したブリーチャーに対応している攻電即撃部隊ever5の西松清祐と勝谷篤郎は、住宅地に入り込む1体のブリーチャーを追っていた。


 ブリーチャーは逃げ回り、通りがかった住宅や車を破壊していく。大きな交差点に進入し、突っ切ったブリーチャーは道路の上に線路が横切るトンネルに入ろうとしている。

 西松はしめたと思い、通信を送る。


「勝谷! 前に回り込んでくれ! 俺が動きを止めるから、お前がトドメを刺せ!」


「知るか」


「はあ!?」


 勝谷は歩道の端に立つ柱を電磁銃剣で斬ると、それを片手で軽々と持ち上げて投げる。案内標識を持つ柱が緩やかな曲線を描きながら飛鳥ひちょうし、トンネル内に入った原種のブリーチャーに向かう。


 大きなトカゲの体をしたブリーチャーの背中が両扉式に開き、触手が飛び出した。いくつもの触手が打突や薙ぎ払う素振りを見せる。

 10本の触手をやみくもに振り回せば、3、4メートルある飛ぶ柱に当たる。元々不安定なフォルムの柱が別方向から力を与えられた時、ブリーチャーにダメージを与える前に殺傷する力を失っていく。


 それは勝谷も計算済みだった。ブリーチャーの触手がまたたく間に斬られ、触手の間を縫って出てきた機体スーツが、推進力を失った柱を空中で掴む。

 ブーストランで前に飛び上がった力のままに、ブリーチャーの背中に向かう機体スーツ。勝谷の目は触手が飛び出す背中を捉えていた。機体スーツは柱を振り下ろす。機体スーツがブリーチャーの背中に乗ったと同時に、いびつな音を発して柱が刺さった。瞬間、ブリーチャーの絶叫がトンネル内に響く。

 それはほんの一瞬。立て続けに起こった激しい閃光と爆発音にかき消された。ブリーチャーの体は道路の真ん中でぐったりと倒れる。


 西松は勝谷の下へ流すように駆け寄る。


「なんで合わせなかったんだよ」


 西松の声がデジタルの色味を持って、勝谷のARヘルメットのスピーカーに再生される。死体となったブリーチャーの上に立つ勝谷は、ARヘルメットのシールドモニター越しに顔を向ける。


「合わせる必要なんかねえだろ」


 勝谷はブリーチャーから下りる。


「あんな特攻するより、挟み込んだ方が確実だろっ?」


「意味のねえ策略に付き合うなんざ御免だ」


「お前1人でやってんじゃ……」


 勝谷が西松の言葉をさえぎって語気を強める。


「いいか!! よく覚えとけ。俺は無意味な作戦に乗る気はねぇし、お前の指図は受けねぇ!」


 勝谷は顔を突き合わせ、西松の胸を人差し指で差しながら強調するように自身のやり方を教え説いた。

 言いたいことを言い終えた勝谷は、さっさと来た道を歩いていく。

 西松は呆然と勝谷の背中を見送り、嘆息するのだった。



 任務を終え、シャワーで汗を流した西松は、身軽な服に着替えて更衣室を出る。


「ふーさっぱりしたぁ」


 ボストンバッグを肩にかけて廊下を歩いていると、


「西松」


 突然呼び止められて後ろを振り返る。


「ああ、お疲れ様です。蓬鮴ほおごり隊長」


「これから時間あるか?」


 蓬鮴は神妙に尋ねる。余計に強面の顔を強調していた。今でも少し緊張するが、だいぶ慣れた方だ。


「はい……特に用事はないっす」


 西松は内心驚きを持ちながら答える。


「お前に話しておきたいことがある。重要なことだ」


「え、それって……」


「ここじゃ話づれぇ。場所を変える。ついてこい」


 そう言うと、蓬鮴は西松を追い越して歩いていく。西松は生唾を飲み、不穏な雰囲気を感じながらも蓬鮴の後ろをついていくしかなかった。

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