karma3 光は閉ざされる

 バラ窓とステンドグラスは光を反射し、苦しむ罪人を照らす。

 神に責められる痛みを感じる余裕はなかった。キスの口から零れていく水。それは顎を伝い、青を基調とした祭服を濡らしていく。キスが座る椅子の周りは、飲みきれなかった水が散らばり、大きな水たまりを形成していた。


「ぶふっ!」


 顎を上げられ、修道士たちの指が強引にキスの口を開かせている。更には歯の間にまとめた布を入れられており、どうやってもキスは聖杯から流れ込んでくる水を口に入れなければならない。

 唯一拒否できる行為は喉奥を閉じることだけ。だが、聖杯が傾き過ぎて、鼻孔にまで侵入してくる。そうなればどうなることか、神に対し反逆を示す裏切り者に制裁を加えてきた修道士でなくとも、想像するに容易い。


 礼拝堂の玄関から祭壇まで真っすぐ続く赤い絨毯は、水を吸って濁った色をしていた。

 周りで見守っている修道士たちは未だに光白聖清こうはくしょうせいの歌を響かせている。目の前の信徒の魂が悪しき情操から救われますようにと、両手を合わせて祈りを捧げていくのだ。


「ゴブッ、ブファッ!!!」


 聖杯の水が尽きた途端、修道士たちの押さえつける手を振り払うほどの力で頭を下げ、口の中の水を一気に吐き出した。


「オッッフォッ! オッフォ、オッフォッ!!」


 キスはおもいっきり咳き込み、大きく両肩を上下させ、深い息をしていく。顔や服はずぶ濡れになり、瞳孔は濁っていた。


「苦しいか、キス。ミアラ主殿が死に絶える間際には、その何倍もの苦痛を受けながら逝かれたのだ」


 ジャノベールは涙をこらえながら頭を下げているキスに語りかける。

 キスは視線を逸らす。キスたちがいる場所まで、聖杯を持った修道士たちがまだ列を成していた。


「さあ、神から授かった厚情こうじょうを喜んで受け取るがいい」


 不規則な呼吸と、もうろうとする意識の中、キスはこのまま死ぬかもしれない恐怖に打ち震えている。しかし、誰にも助けを求めようとはしない。

 神に救われた命であり、人生を捧げると誓いを立てたこの場所で、最期を迎えることができる。これは有りがたいことであると、こんな身に余る光栄な場を設けてくださった神に感謝した。それしかできなかった。


 もちろん、感謝だけではない。私的な思いとして、神がくださった未来の使命を果たせないことが悔しいばかりであった。それは自分がその役目を果たすだけの人物ではなかったと、認定されてしまったから。怒りを向けるべきは自分自身であると知っていた。

 神に救いを求めていい人間ではないと、キスに審判が下ったのが、この結果なのだ。


 キスの顔が修道士たちの手によって少し上に向けられ、また無理やり口を開けられる。ジャノベールは大きな聖杯を修道士から受け取り、キスに近づいていく。

 冷酷なまでに無表情を極めた顔で、ジャノベールはキスの前に立って見下ろす。キスのすぐ下に見える杯の中にたまった水は、1リットル以上はありそうな量。キスの目がしっかりと捉えた水は、微細な振動を水面に表している。その振動が、ここに立ち込める怒りを吸収しているみたいだった。


 無防備な口へ聖杯が迫っていく。キスは眉間に皺を寄せ、目を瞑った。


 すると突然、礼拝堂内の照明が消えて真っ暗になる。

 歌はざわつきへ変わっていく。


「おい、なんだこれは!」


 ジャノベールは狼狽うろたえる。礼拝堂の中は目を凝らしても見えないほど、暗闇に包まれていた。キスも何事かと困惑を浮かべ、周りを見渡すが何も見えない。

 礼拝堂の3メートルほど上の壁にある大きな窓から月の明かりさえあれば、多少は見えただろうが、今日はあいにくと雲が月を隠していた。光を失った部屋では思うように動けず、慎重な足取りで照明のスイッチへ向かわなければならない。


 キスは状況を見守るしかなかった。ただ、電気が勝手に切れるなんてことは早々にない。不安と戸惑いが交錯していく者たちは、キスと同じく照明がつくまで下手に動くことができなかった。


 その時、どこからか奇怪な音が鳴り始める。何かが噴き出す音。異様な音に怯える者たちの声がぽつぽつと暗闇で反響していく。


「な、なんだ!!?」


 キスのそばで衣擦れの音と共に、誰かの動揺の色を持った声が聞こえた。


 キスには何が起こっているのか把握することはできない。水責めの拷問を数十分ほど受けたキスには、まだ冷静に考えられる余力を取り戻せていなかった。

 騒然を生んだ一端がキスの肌に触れる。濡れた肌についた冷たいもの。それは間違いなく水ではないと、肌に触れた瞬間にわかった。キスのスキンヘッドの頭に絶え間なく降り注ぎ、滑り落ちてくる。それが唇に触れた時、ほんのわずかに口の中に入った。

 苦味を持ったマズさが舌を刺激する。決して口にしていいものではない。キスの頭はすぐにそう判断した。


「これは!?」


 ジャノベールは顔や髪についたそれを手で触れる。人差し指と親指で挟むと、指がぬめり気を纏っていると感じた。その指を鼻先に持っていく。爽やかな匂いが鼻奥へ入り込んだ。


「泡!? スクリンプラーか!」


 ジャノベールは沸々と湧き上がる怒りを滲ませた。

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