12章 青光信仰
karma1 罪悪の実から流れ出るのは血清
本日は晴天。お祝いの日には絶好の天気だろう。今日くらいは盛大に祝いたいのだが、この先に起こることを考えると、キスはどうにもやるせなかった。
教会の扉は厳重に閉め切られている。本教会では、主殿継承の祭典の準備が着々と進められていた。キスもその準備を手伝い、会場の設営に取りかかっている。
広々とした礼拝堂はいつもよりも煌びやかな装飾が施されていた。宝石類で飾られた修道士の像。それぞれの長椅子の端には、白い大きな花弁のポセチアンの装花が彩りを与えている。像や額縁も、前もって念入りに掃除されているらしく、金の輝き具合が鮮明であった。
修道士たちは教会内を右に左にと移動していく。
「キス司祭」
キスは本教会に身を置く若い信徒に呼び止められる。若い信徒は礼をし、両の眉尻を下げておずおずと話し出す。
「ユヒア様からの
「分かりました。連絡ありがとう」
若い信徒はかしこまった様子で姿勢を正し、頭を下げると来た道を引き返していった。
主殿継承の祭典は予定通り開始される。各支部の教会から修道士たちが集まったため、礼拝堂の長椅子に座れる人はほんのわずか。キスのように役職を持つ者や、一般信徒ながらも奉仕に尽力した者などが優先的に座っている。
それでも椅子は足らず、簡素ではあるが折り畳みの椅子を用意し、足腰の弱い方々が座るよう配慮がなされた。
祭壇の左の演台で、例の
これが終われば、各支部の教会の司祭が演台の前に立ち、新たな主殿となるジャノベールへ祝いの言葉を述べていく手筈となっていた。
キスは異様な緊張を覚え、背中が熱くなっていくのを感じ始める。
この緊張が、誰もが感じる緊張とは別の物であることは自覚していた。教会の敵であると認識しながら、祝意を述べるというのは、心の奥底とはまったくかい離した行為である。
それを自らこの聖なる教会の場で行うことが、果たして神に仕える者として正しいことなのだろうか。心にもないことをしておきながら、嘘八百の言葉をつらつらと口にすることが、神職に務める者として、相応しいことなのだろうかと、混迷に揺れ動く思考を巡らす。キスは罪の念に耐えられず、席を立った。
キスは人目から逃れ、トイレに駆け込む。手洗い場で蛇口に手をかざし、水を出すと、両手で水をすくい、顔に冷たい水を浴びせた。
喉から何か出そうな気がするも、何も出そうにない。気持ちが悪く、得体のしれない悪寒に身震いをする。
顔を上げると、不安に押し潰されそうな自分の顔が映っていた。なんと情けない。キスは弱い自分の表情に幻滅し、洗面台に置かれた自分の手をグッと握る。
教会を存続させるため。信徒を守るため。過ちを犯すジャノベールを善へ導くため。この罪悪感は、多くの信徒が罪を犯した罰である。同じ聖職者である自分も、罰を受ける義務があるとするなら、神への忠誠心に従い、受け入れると言い聞かせた。
キスは自分の両の太ももを一度殴りつける。痛覚は脚の震えを止めた。そして、両頬を二度叩き、表情を引き締めて鏡を見る。凛々しい顔つきを取り戻すのを確認し、キスはトイレを出ていく。
礼拝堂に戻ると、拍手が木霊していた。ちょうど自分の前に祝意を述べる司祭の番が終わったところのようだ。
「それでは次に、徳島支部のキス司祭によるお祝いの言葉をいただきたいと思います」
キスは浅く深呼吸をしてから、肩の力を抜いて祭壇へ歩いていく。キス司祭に向けられた拍手へ変わり、緊張の面持ちのキスが祭壇に上がる。キスは祭壇のすぐそばの壁際にいる、真新しい主殿の服に身を包んだジャノベールに深々と礼をした。そして、司会進行を努めていた司祭に代わり、演台の前へ立つ。
祭服のポケットに入れていた原稿を取り出し、演台に置くと、キスは情感のない口調で嘘の始まりを切り出した。
ЖЖЖЖЖ
緊張の荒波から解放されたキスは、ユヒアから頼まれていた主殿をお呼びに向かう。主殿室のドアの前に立ち、ドアをノックする。
「キスです。主殿継承の本節が迫って参りました」
誰も返答しないし、ドアも開かない。今日はいつも付き添っているジャノベールが式典に出ないといけないため、看護師の資格を持つ修道士の女性たちがいるはずなのにと、不思議に思いながら、「失礼します」とドアを開ける。
部屋の中には執務机と本棚、賞状や記念品などを飾る棚、応接用の黒塗りのソファとローテーブルがあるが、そんな部屋には似つかわしくないベッドが部屋の脇に置かれている。
ちょうど礼拝用の簡易な十字架と、ステンドグラスが飾られている壁の近くにベッドがある。そのベッドに、ミアラ主殿は寝そべっている。
だが、肝心の修道士たちがいない。誰もミアラ主殿を見ていないようだ。ミアラ主殿に何かあったらどうするんだと心の中で憤慨しながら、ミアラ主殿に歩み寄る。
「ミアラ主殿。継承式典のお時間です」
キスは怒りを心の片隅に置いておき、努めて優しく語りかけた。ミアラ主殿は目を閉じたままだ。
「ミアラ主殿。ジャノベール様が心待ちにしております」
眠ってしまわれたのだろうか。キスは困ってしまい、視線を散らす。目についた人工呼吸器の本機。ボタンが4つほどあり、その上に気道内圧や換気量の波形、血圧、酸素濃度などが表示されるモニターがあるが、そのモニターは真っ暗だった。
キスは慌てて人工呼吸器の後ろへ回る。コンセントは抜けており、背面にあるはずのバッテリーは、強引に外された形跡があった。
キスは焦燥に突き動かされていく。
「ミアラ主殿!!!」
キスはミアラ主殿の手を取った。
冷たい。生きている人の体温ではなかった。
「そんな……! ミアラ主殿」
キスはミアラ主殿の頬に触れてみるが、寒さに侵されたような白い顔色や冷たさは、もうこの世の者ではないと告げている。
「誰が、こんなことを……っ」
キスは悲しみ、涙を零した。皺を刻む布団に顔をうずめ、悔しさに
その時、首裏にチクリと痛みが走った。
突然両脚に力が入らなくなる。
焦点が定まらず、視界もぼやけてきた。瞼が重く、開くのもやっとだったが、かすかに感じた気配。それは背後にあるようだ。
キスは意識もからがらに視線を移す。眼鏡の奥から冷たい瞳で見下ろす男は、極細の注射器を持ち、真一文字に口をつぐむ。
キスは激しい困惑に心が移ろうも、意識は深い眠りへ
「ユヒア……様……」
かろうじて上体を保つために、ベッド柵にかけていた手がするりと抜けて、キスは床に倒れた。
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