karma5 悪い予感は覚え積もる

 それからキスは挨拶回りを終え、主教会から去ろうと、自身の教会支部で身を置く修道士たち数人を引き連れて教会から出たところだった。


 「キス司祭」


 キスは門の手前でゆったりと振り向く。

 ユヒアは駆け足を緩め、一息吐くと、「間に合った」と口を零す。

 キスは引き連れていた修道士たちの間を縫い、ユヒアの前に出る。


「帰っておられたんですね。ご無沙汰しております」


 キスは会釈する。修道士たちも続けて頭を下げていく。


「会えて嬉しいよ」


 ユヒアは短い黒髪を手櫛てぐしで整えながら、爽やかな微笑を向ける。


「ご挨拶にまで走って来られなくても、他の者に呼び止めさせてもらえればよろしかったのに」


「人に頼むより私自ら向かった方が早いと思ったからね」


 すると、ユヒアは後ろにいる修道士たちを見回し、キスの白い平服へいふくをなめ回していく。一通り見て、ユヒアはクスッと笑う。


「立派に成長されたな、キス司祭」


「これも、ユヒア翼祭よくさい方のご指導ご鞭撻があったからでございます」


「うん。だが、君が神に奉仕する姿勢は、同胞たちのき模範だった。君が司祭になったのも、そういった積み重ねによる必然だよ」


 エミリオを含める修道士たちは、内なるキスに対する敬意の念をくすぐられ、頬を緩ませる。


「ああ、そうじゃなかった。キス司祭、今度2人で話したいことがある。来週の金曜日の午後、空けておいてくれないか?」


「何か、大事な話ですか?」


「それはその時に」


 ユヒアはフランクに笑みを浮かべてはぐらかす。


「待ち合わせは“コスモス”だ。詳しい時間はまた連絡する」


「分かりました」


「んじゃな、同士」


 ユヒアはきびすを返して教会の中へ戻っていった。


「ユヒア様とは本当に仲がよろしいのですね」


 エミリオは温かな眼差しでユヒアを見送りながら呟く。


「ああ。私が教会に属して間もない頃から世話をかけてくれた」


 そう言いながらも、キスに笑顔はない。空は厚い雲がかかり、ゴロゴロと不吉な音を鳴らしていた。




 数日後、キスは習慣となっている神への祈りに従事していた。自身の教会にある礼拝室のバラ窓とその下にある十字架を前にして、ひざまずき、ブツブツと呟いている。


 日和がいい今日は、礼拝室の照明は使わなくとも、壁の上部にある窓から差し込む光さえあれば、礼拝室を見通すことはいとも容易い。

 クリーム色に仕上げられた壁紙が礼拝室の中を囲っている。壁のそこかしこには、神々しい絵が描かれていた。


 教会の礼典れいてんに出てくる炎心えんしんの神、ヤーテが炎心えんしん顕現けんげんさせるつるぎを高々と掲げ、生気を失くした民に、つるぎの先に現れた炎心えんしんの光を浴びせている姿といった一場面など、1つ1つが実に素晴らしい絵であり、絵画展でも開けてしまうんではないかと絶賛する地元住民は多い。それ以外に目立つ装飾などはなく、慎ましい室内であった。


 神へ献上する言葉を静かに述べていくキス。精神を深淵へ運び、崇高な世界の境地から発せられる、未知の信号を待ち続けるのである。乞うのではなく、待ち続けるのだ。

 何もないのであれば、そのままで良いと知る、あるいはまだ届いていないと知るのである。聖霊を磨き、ひたむきに修道を歩むことこそ、神に仕える者の務め。そう信じていたキスは、日々奉仕にいそしむのであった。


 静かな礼拝室は音もなく、時が流れていく。はたから見れば、キスはまるで生きた像であっただろう。時間にして2時間。ずっと同じ体勢であれば、膝や腰を痛めてもおかしくはない。

 長いこと同じ体勢でいられるのは、もちろん慣れによるものもあるが、姿勢をゆがめないよう筋肉を鍛えて自身の健康を保っているからに他ならなかった。だが、時が止まってしまったかのような時間は、唐突に断たれる。


 キスの頭に一瞬現れた。それはここへ訪れた一般信徒への啓示でも、弟たちへの啓示でもない。


 すると、今までにない頭痛がキスを襲った。額を貫いて刃を差し込まれたような痛み。キスは驚きのあまり後ろに倒れ、尻餅をついてしまう。動揺に揺れる瞳は、バラ窓から現れる光に向けられていた。


「神よ、これは一体……!」


 キスは神の逆鱗に触れてしまったのかと思い、怯えに喫する。しかし、それは少しずつ変化していく。内なる清き御霊みたまの感覚が正し、神から授かった言霊ことだまを呑みこんで、要約を成していく。


「警告……でございますか?」


 脳裏に焼きついたを再生すると、キスの六感はそう感じていた。

 これが何に対する警告なのか。その時のキスには分かりようがなかった。

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