karma5 女同士

 1時間後。


「うっ!」


 氷見野は床に倒れる。仰向けに倒れた氷見野を見下ろす琴海は手を差し伸べた。


「大丈夫? おばさん」


「あ、ありがとう」


 氷見野は苦笑し、琴海の手を掴む。琴海に引っ張られ、上体を起こす。


「やっぱり敵わないな」


「前よりかマシにはなってると思うけど?」


 氷見野は立ち上がる。


「そうだといいな」


「んじゃ、次は誰がやる?」


 足田が次の対戦を促す。


「もう使用時間ギリギリですから、そろそろ出ないと」


 藍川はタオルで汗を拭いながら話す。


「ん? ああ、もうこんな時間か」


「ありがとう。おかげでいい練習になった」


 クァンラットは微笑を浮かべ、感謝を示す。


「お互い頑張りましょう!」


 藍川は意気込んでそう言い、手を差し出す。氷見野と琴海も足田たちと握手を交わした。


 その後、氷見野たちはスパーリングルームを出て、ジムの近くにある自販機でジュースを買い、そばにある休憩スペースにあるテーブルの席に着いた。


「いい運動になったわね」


 琴海は首を右に左にと傾けて骨を鳴らす。


「準備は万端! という感じですかな?」


 調子良さそうな2人は自信ありげに語る。


「そうね」


 浮かない顔で同調する氷見野。

 今日の氷見野の対戦成績は2勝5敗。1勝もできないことが続いた時よりも進歩はしているが、これで試験に受かるのかと不安になる。

 特に藍川と琴海の戦闘を見ていたらより不安になった。2人は一歩も譲らないスパーリングを披露したのだ。スピード、テクニック。足元にも及ばないようなものを見せつけられたら自信を失くしてしまう。


 氷見野は足田たちと一緒に2人の戦闘に魅入ってしまった。この2人には敵わない。そう思わされるほど、藍川と琴海は遥か上をいってる。

 試験は競争ではなく、絶対値に届いているかどうかで判定される。だが、楽観視はできない。候補生の中には10回以上試験に落ち続けている者もいる。

 自信を失くす情報を得たのはつい昨日のこと。気分の上下が激しく、精神的にキテしまいそうだ。受験勉強とかこんな感じだったっけ? と考えるも、比較になるとも思えず思考を止めた。


「なーに落ち込んでんの」


 琴海が氷見野の顔を覗き込む。10代らしい無垢な笑顔が励まそうとしている。


「まあ……」


「落ち込んだってしょうがないでしょ。今ある力を出せばいいのよ」


「そうですよ。ひみゆう氏はみるみる成長しています」


 藍川も励ましてくれるが、どこか視線がおかしい。


「どこ見て言ってんのよ」


 藍川にジト目を注ぐ琴海。


「いえ、色気のある女性の引き締まった体を舐め回してエナジーを蓄えようと」


「どこのエロ親父だよ」


 氷見野は笑うしかない。


「冗談はさておき。ちょっとは気をつけた方がいいよ」


「え?」


「おばさん結構隙あるから。もうちょっと警戒した方がいいって言ってんの」


「おや? 嫉妬ですかな?」


 藍川はしたり顔で琴海を見つめる。


「してない!」


 琴海は氷見野に指を差す。


「いい!? あんまり無防備な姿を見せないこと! わかった!?」


「はい、気をつけます……」


 あまりの気迫に頷く。琴海は気が済んだのか、ジュースパックに刺さったストローをくわえ、ムスッとした表情でオレンジカシスをすする。

 そんなに無防備なことしてるかなと、自分の服に目を向ける。タンクトップは少し谷間が見えるくらい。短パンの下にはレギンスを履いている。上下黒でまとまり、地味な装いになっている。

 自問自答するも心当たりがない。今度から気をつければいいかと思い、琴海の指摘を呑み込む。


「これからどうしますか?」


 藍川は氷見野と琴海に問いかけながらカラフルな迷彩柄のパーカーを羽織り、曇った眼鏡を拭き出す。「んー」と首を傾げつつ考える琴海。


「筋トレはした方がいいと思うんだよね。過度なやつ」


「1週間後に照準を合わせて、フルパワーを出せるようにしとかないといけませんからね」


 氷見野はボーっと2人の会話に耳を傾ける。


「あんた、最初からそのつもりだったんじゃないの?」


 琴海は藍川に疑いの眼差しを向ける。


「わたくしはそのつもりでしたが、ことうみはどうするのかと思いまして」


「1人抜け駆けしようたってそうはさせないんだから」


「抜け駆けしようなんて思ってませんよ。人聞きが悪いですねーことうみは」


 藍川のおちょくってるような笑みは余裕が感じられる。

 体力や勉学においても引けを取らない藍川。本当に羨ましかった。彼女なら攻電即撃部隊everにサラッと入ってしまいそうだ。


「で? おばさんはどうする?」


「え?」


「話聞いてた? 一緒にトレーニングするかって聞いてんの」


「まだ休憩しててもいいですよ?」


 氷見野は一度逡巡しゅんじゅんする。


「2人のペースにつきっきりだと持たなくなりそうだから、私はゆっくりやってく」


「それが一番ですね」


 藍川は同調する。


「じゃ、体が冷めないうちにやっちゃいましょうか」


 琴海は飲み干したジュースパックをゴミ箱に投げる。勢いよくゴミ箱の蓋に当たったジュースパックが、蓋を押して中に入った。

 蓋は余韻もなく元に戻る。喜ぶこともなくジムの中に入る琴海の後に、藍川と氷見野も続く。

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