karma8 メタモルフォーゼ

 喧騒とパトカーのサイレンがかすかに聞こえてくる。雷撃が落ちた2階席の一部では、客席の椅子が割れ、破片が飛び散っている。そして、けいれんを起こすように体を細動させている生物が横たわっていた。

 隊員たちは近距離で無防備な生物に撃ち込む。

 西松は靴音がして視線を向ける。黒ぶち眼鏡をかけている葛城は、達成感に浸った笑みを浮かべていた。西松は緊張の糸が解けたようにため息を零す。


「協力に感謝する」


 聞こえてきた声は初動防戦部隊の隊長のものだった。


「いえ」


「じゃ、俺たちはこれで」


 柴田は西松に駆け寄る。


「待て! まだブリーチャーが外にいるかもしれない!」


「大丈夫だって!」


 柴田は隊長にそう言うと、西松の肩に手を置いて顔を近づける。


「ほら、めんどくさいことにならないうちにさっさと行こうぜ」


 西松は隊員たちが囲んでいる生物を見る。生物はぴくりとも動かなくなっているようだ。


「わ、わかった」


 柴田は近くにある2階席の通用口に駆けていく。西松は初動防戦部隊の隊長に会釈し、柴田を追いかける。


 2階席に特殊機動隊の応援が駆けつけ、西松たちとすれ違う。普通の服を着ている西松たちを一瞥いちべつするが、特殊機動隊は新生物と対峙した部隊の下へ急ぐ。

 応援に駆けつけた特殊機動隊と初動防戦部隊の隊長は、現状の把握に話し合おうとした時だった。動かなくなった生物が体を震わせ始める。


「っ!? こいつまだ!」


 隊員たちは2、3歩下がって、椅子があった段差に転がる生物から距離を取る。


「撃て! 撃て!」


 隊員たちは四方八方から生物に向けて銃撃する。

 西松たちは1階へ下りようとするところで銃声を聞き、立ち止まって2階席の通用口に目を向けた。西松たちは顔を見合わせる。不穏な雰囲気を察し、誰が言ったわけでもなく引き返していく。


 皮膚を焼き切るような臭いを漂わせるも、生物は動きを止めない。生物の体は今まで以上に弾力性を増した動きを見せ、体のあちこちから円筒状の突起を出しては引っ込めを繰り返す。

 軟らかい体を揺らすたびに、生物の体は徐々に大きくなっている。


「退避ー!」


 隊員たちは急いで離れる。

 西松たちは2階席に戻ってきて、生物の異変を目の当たりにする。


「何があったんだ!?」


 西松は得体の知れない恐怖を再帰する。


「まだ終わってなかったんだ」


 柴田は苦い表情で呟く。


「もう少し距離を取った方がいい。こっちだ」


 興梠に促され、西松たちは近くの階段を上って、最上部通路の壁に身を潜める。

 隊員たちは下がりながらも銃撃をやめない。

 生物は餅のように膨れ上がり、体長3メートルまでに大きくなる。周りにある座席を破壊しながら大きくなった生物は、ゴムのようだった皮膚を硬くし、突起物も出なくなっていた。


 銃で撃たれても、ぬめり気のある白桃色の表皮に傷や変色さえ見られなくなる。バッテリーの無駄遣いを懸念した隊長は銃撃を制止させた。

 静かになる会場内。生物は巨大化を止めていた。

 ドーム型になった生物の皮膚は粗いブツブツの表面が浮き上がっている。巨大な卵のようにも見える。


「エアバラックスを使います」


 応援に駆けつけた特殊機動隊の隊長は初動防戦部隊の隊長に告げ、髑髏のマークとDANGERの文字が入っている黒いケースを腰のベルトから取り外す。


「エアバラックス!?」


 御園は険しい顔で驚きの声を上げる。


「なんだ?」


「気体を極限まで圧縮して、直線状に一気に放射する時限地雷銃だ。2079事件に使われた地雷式の自動小銃」


「2079事件?」


 御園が説明してくれるが、西松は固まってしまう。


「お前、ほんと歴史苦手だな」


「うるせっ!」


「2079年6月14日にかつてない太陽フレアが起こり、世界中で電磁パルスや停電が相次いだ。GPS衛星にも障害を起こし、ネットや携帯の通信にも影響が出た。3ヶ月以上もの月日を費やし、あらゆる供給ラインが復旧したんだが、携帯やパソコンなどの通信機器の中に入っていたデータは破損していたものもあった。世界経済は混乱し、電子機器を使う世界中の企業や政府は、破損したデータの再採取に追われた」


「それとエアバラックスとなんの関係がある?」


 興梠はいぶかしげに問う。


「不運と言うべきか幸運と言うべきか、データを修復する過程で、EU連合の組織的な汚職が発覚したんだ。民衆の怒りを買い、各地で暴動が起こった。機運に乗じて過激派が集い、EU連合の壊滅と統治を目的としたテロ組織が発足された。そのテロ組織が使っていたのがエアバラックスだ」


「完璧だね」


「お前は上から目線だな」


 御園は葛城の屈託のない笑みにげんなりする。


 特殊機動隊の隊員は巨大化した生物に近づく。ケースを開き、ケースよりひと回り小さいエアバラックスを取り出す。

 平たい箱のエアバラックスには四側面に真っすぐ切れ目が入っている。上面には三角マークが記されていた。その三角マークの底辺側の側面を軸に、箱が少し開いた。

 角度30度ほど開いて上下に分かれた箱。下の箱側面の端から円面状の小さな緑色の光が出てくる。緑色の光は更に範囲を広げ、少しずつ黒い物質に変わっていく。

 光が上の箱に触れると、三角マークふちが光った。上の箱の側面が一部溶けてゲル状になる。ゲル状になったものは見えない溝でもあるように円を描いていく。下の箱を中心にして綺麗な円ができると、三角マークが塗られたように光って滅する。三角マークの部分だけ穴が空き、中からニョキニョキと銃口が出てきた。


 エアバラックスは分厚い円面を下にして地面に置かれた。開いた箱は土台の上でひさしのように立っている。片側は平べったい1本の柱となり、もう片方は円面より少し浮いた盾となった。簡易的な防楯ぼうじゅんといったところだろうか。

 土台の中で回転音を鳴らし始めた。回転音はどんどん大きくなる。エアバラックスから伸びる銃口の向きがかすかに動く。生物に照準を定める。


 その時ドーム型の生物がビクッと動いた。すると、厚い皮膚が少しずつ上がっていく。体中を覆っていた白桃色の皮膚が、ドームの上の一点に向かってゆっくり吸い込まれる。

 ロールカーテンのように上がっていく厚い皮膚の下から、太い脚が覗いていた。

 ブリーチャーとはまた違う脚や腰のシルエット。思いもよらない生物が生まれようとしていると、誰もが悟っていく。

 

 初動防戦部隊の隊長は危険を察知し、銃撃の号令を出す。銃声がやかましく鳴り出した。

 エアバラックスが銃撃できるまで敵に攻撃させないよう耐える意図があった。だが、生物の体は特製の銃弾を弾き、更にはブリーチャー用に作られた光弾銃もまったく効いていない。

 ゼリーのような皮膚が徐々に上がっていき、変貌した生物の姿が隊員たちの目に映る。銃撃をしていた隊員たちは顔を強張こわばらせ、中には号令もないのに銃撃をやめて腰がひけてしまう隊員もいた。


 西松たちも生物の形態の変わりように絶句する。表皮は彫刻刀で彫られたようなごく小さな山と谷を作る。

 細かい筋を持って作り上げられ、蝋を頭から被ったように全体を赤黒く染め上げていた。ところどころ髭みたいなものが顎のラインについている。

 丸まった臀部、胴、背中、肩、腕、首に頭。それは人の形としか見えなかった。しかし、隊員たちの銃弾をもろともしない表皮は、ブリーチャーの皮膚の硬さとは比べ物にならない。

 一部の隊員は、特殊な鋼鉄に撃ち込んでいる手ごたえさえ感じていた。


 臆する隊員の心を反映するように、会場は不気味な静寂に侵されていた。ただ1つ、唸り声を空気に重ねていたエアバラックスが射撃を開始した。

 厚い何重もの細かい空気の層を球体にして発射する。大きさはパチンコ玉、速度は弾丸にも勝る。生物はよろめいたが、すぐに体勢を立て直し、脅威となる床のエアバラックスに顔を向けた。

 生物は鬱陶しそうに片手で一払いすると、エアバラックスは射撃をやめて破裂した。


 隊員たちは粉々になったエアバラックスを目の当たりにするも、生物がどんな手を使ったのか見当もつかない。隊員たちは後退しつつ銃撃を続ける。

 生物はのそりと重そうな体を動かし、両手を前に出して床につく。

 足と腕に大きな起伏はなく、真っすぐ地面に下ろされる。重厚な肉つきが威圧感を与え、細過ぎるがゆえに、瞳の見えない目が隊員たちを見回していく。

 生物を覆っていた厚い皮膚は気色悪い動きを見せながら、首の後ろにできた穴に入っていった。


 戦慄する状況に悪寒を覚え、黙り込んでしまう西松たち。危機感のない素振りで辺りをうかがうゴリラのようなガタイの生物は、強者の振る舞いそのものだ。

 特徴的な大きく裂ける口から濃密な紫色の唾液が見えている。首から上をけいれんさせ、首を左右に動かす。肩がぱっくりと筋肉の形を見せており、うかがい知れぬ異様さと、すさまじいパワーを備えているように感じられた。


 初動防戦部隊の隊員たちは長期の戦闘により、弾丸の代わりとなるバッテリーを使い果たしそうになっており、隊長に報告が上げられる。

 苦境に立たされていることは西松たちにも届いていた。

 タイプの異なった新生物の変化に恐れをなし、思うように体を動かせない。

 会場を包み込む悪魔の瘴気しょうきに呑まれていくような錯覚。自分たちの判断が本当に正しかったのか自問自答するも、この状況から逃げるという選択肢が、果たして可能なのかもわからなかった。


 過酷な惨状を前に、警告を鳴らす脳の指示に従いたくなるのを尻目に、柴田の動きが西松の目に入る。柴田の手には警棒がしっかりと握られていた。柴田の目に怯えなど見えない。


「俺たちの出番だ」


 柴田は小さく呟いた。悪寒が体中を駆けずり回っている4人のことを気遣う余裕もない柴田は、「先に行くぞ」と言って別行動を取り始める。


「柴田!」


 呼び止めるも、柴田は屈みながら1人で最上部通路を進んでしまった。


 御園は嘆息たんそくする。


「もうやるしかないらしいな」


 柴田を放っておくわけにはいかない。4人に共通した答えだった。恐怖に震える体を武者震いだと誤魔化し、この受難を乗り越えると意を決した。

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