karma9 失われた友達
氷見野はウトウトしながらお店を出る。最後らへんは寝そうになってしまった。
藍川や琴海たちはまだ中で施術中だ。近くに三角錐のモニュメントがあって、そばにベンチがあると琴海から聞いていた。そこがいつもの待ち合わせ場所らしい。氷見野は不慣れな場所を見回しながらうろ覚えの方向に歩いていく。
「氷見野さん!」
視線を向けると、ベンチに腰かけた西松が手を振っていた。氷見野は安堵し、行き交う通行人の間をすり抜けて近寄る。
「もう終わってたんだ」
「おう。俺はみんなと違って体の筋肉は柔らかい方だからな。コリとかあんまねぇんだよ」
「そうなんだ」
「座ってようぜ」
「うん」
氷見野は西松の隣に座る。
「あの人、色々すごいね」
「ああ、モリバね。morimoriGenki店の社長だ。口は悪いけど、腕は確かだから」
「優しそうだった」
「ふふ、いい人なのは間違いねぇな」
会話が止まる。西松は上体を反らし、通路の中心にある高いモニュメントを見上げていた。
3メートルものモニュメントは、宝石のように透き通る白を潤沢に纏う。白く細い草が山なりに垂れて、モニュメントを囲むように
帰宅ラッシュと重なっていることもあって、四方から人々が行き交っている。
高校生のカップルが立ち話を楽しんでいたり、待ち合わせに遅れている友達にイライラしている若い男が、携帯を見ながら独り言を呟いていたりと、多種多様な面々がモニュメントの周りにいる。
こういう場所で過ごすのも久しぶりだ。普通の暮らしが当たり前だった。ここにいる人たちと何も変わらない。ささやかな日常の中で、嬉しさや楽しさを感じながら、共感し合って求め合う、そんな1人でしかなかった。
今ではすべてが訓練の日々。忘れ去られようとしている以前の穏やかな世界を手に入れるために、立ち上がったのだ。そのためには、当たり前の幸せを捨てる必要があった。きっと、その年齢でしか楽しめないものだってあっただろう。
もう充分楽しんだ。思い出せば、耳を塞ぎたくなるような恥ずかしくも甘酸っぱい恋もしてきたし、親友だった子たちともなんてことない話をして、放課後にいろんなところへ遊びに行った。
誰もが見たことのある氷見野が通ってきた道の中には、他人が聞いてもなんの新鮮味もない思い出ばかりが転がっている。
自分とのつながりを大切に思ってくれていた人たちと、一緒に泣いて笑って、歩んできた。ここにいる人たちだって、そんな思い出を胸に抱いて生きているのだろう。
つながりはこの地面の上にだってあるはずだ。住んでいた街にだって、思い出が転がっている。そこに思い出を持った人が生きていれば、思い出はずっとその場所に残る。
今のままじゃ、きっとつながりは切れてしまうし、つながることもなくなってしまう。つながることで、出会えなかった喜びや楽しさはあったはずだ。忘れられてしまう前に、広がる世界をその目で見たいし、見続けてほしいと思った。
「氷見野さん」
「なに?」
西松は立ち上がり、氷見野に向かって微笑んだ。
「何か飲んでく?」
西松は自動販売機を親指で差す。
「そうだね」
「あー大丈夫大丈夫。俺が買ってくるから」
西松は両手を突き出して立ち上がろうとした氷見野を制する。
「じゃあお金渡すね」
「奢りに決まってんじゃん。ジュースくらいなら払えるし」
「けど、悪いわよ」
「少しくらいカッコつけさせてよ。何がいい?」
「じゃあ、お茶で」
「オッケー。ソッコーで買ってくっから」
西松はそう言って自動販売機に駆け出していった。あんな息子がいて、あんなこと言われたら嬉しくなっちゃうのかななんて、大人になっていく息子の成長をしみじみと感じるお母さんの気持ちを想像してみる。
含み笑いが氷見野の表情を染め、若さあふれる背を氷見野は見つめていた。
それにしてもみんな遅い。自分が出る時にはまだ大半が残って施術を受けていたけど、そんなにかかるのかと不思議に思う。スタッフの人からは綺麗な背筋をしていると褒められた。ヨガのおかげらしい。
西松がペットボトルのスポーツドリンクを飲んで歩いてきていた。
「はい。氷見野さん」
「ありがとう」
買ってきてくれたお茶を受け取り、蓋を開ける。
「氷見野さんって、訓練校に入ってもうどれくらいになるんだっけ?」
「えっと……半年たつかたたないかくらいじゃないかな」
氷見野は飲もうとしたペットボトルを止めて答える。
「そっか。じゃあもう半年たたないとテスト受けらんねぇな」
「清祐君はテスト受けられるんでしょ? 今度の8月だっけ?」
「ああ、期間だけで言うならな。そこでなんとか受かりたいけど、正直ギリギリなんだよねぇ。テストを受けられるかどうかさえも厳しいっていう現状よ」
西松はおどけるように肩をすくめる。
「その若さで訓練校に入って、ブリーチャーと戦おうとすること自体すごいよ。誰にでもできることじゃない。清祐君と同じ歳くらいの私だったら、きっと普通に暮らしていようって思うもの」
西松はペットボトルを横に置いた。
「そうだな。そうしていた方が、安全だってわかってるよ。でも、誰かが戦わなきゃ、いつまでたっても終わらねぇんだ。そのうち、自分の隣にいるはず人まで消される」
西松の表情と声色に影が見えた。
「何かあったの?」
「ここにいる人たちと変わんねぇよ。何かを失って、長くて寒い冬を過ごして、春を待ってる」
西松はまた透き通る白いモニュメントを見ていた。モニュメントの中には何もないが、そこにあるように何かを見ている。
「俺たちは元々5人でつるんでた。まあ、きっかけは馬鹿みたいな話さ。噂の興梠を知ってタイマンを張ろうとしたんだ。だけど、俺を放って興梠がひったくりを追いかけて、ブリーチャーに襲われたりしてタイマンはお預け」
西松は懐かしむように微笑む。
「ブリーチャーを倒したの!?」
「ああ、ブリーチャーとの戦い方なんて知らなかったからめっちゃ苦戦したけど、運良くなんとかなった。そん時に、俺たちはウォーリアだって自覚したんだ。御園と興梠とはそこで仲良くなった。ブリーチャーが日本でも話題になってたから、ウォーリアだってことは秘密にして、ノコノコやってきたブリーチャーを倒すヒーローみたいなことをやろうって言い出してな」
周りの話し声やお店へ誘うオリジナルの音楽などが鳴っているが、氷見野の耳は西松の発する言葉に集中していて、ほとんど聞こえなくなっていた。
「ヒーローごっこしてるうちに、俺たちと同じようにウォーリアであることを秘密にしている葛城に出会って、ブリーチャーから人々を守ってる柴田とも出会った」
「柴田、さん?」
「中学は別だったけど、俺たちと同じ学年だった。あいつは、親友だった」
西松の表情は悲しげに笑みを含んだ。光の彩りに湧くモニュメントがぼんやりと滲んでいく。かの残酷な記憶を思い起こすには、これくらいの加工が必要だった。
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