karma6 殺戮マーケット
肉眼で捉えた瞬間、凍りつくような寒気が氷見野の体の毛穴を引き締める。
ブリーチャーは床を跳ねるように走り出す。奥からどんどんブリーチャーが現れ、ギャー! といびつな鳴き声を発して猛然と向かってきた。
氷見野は恐怖に背中を押されるまま、悲鳴を伴う声たちと共に階段を駆け上がる。
店の中に乱れる音という音。物が壊れる音、悲鳴、ブリーチャーの鳴き声。
悲鳴の中には独特の音色を持ったものもあった。それは決して気持ちいいものではない。聞けば不快な感覚が頭の中で転げ回り、鼓膜にこびりついて取れなくなるような悲鳴だ。死んだ人がいると、見なくても悟れる異様な悲鳴が店内に反響していく。
3階まで駆け上がった氷見野。足がもう重くなってきた。屋上に向かっていた人たちの後になんとか続いていこうとする。
その時、目の前を走っていた男の体が一瞬にして消えた。鈍い衝突音が2回鳴った方向に目をやると、男は左側の奥の通路で倒れている。氷見野は反射的に止まってしまう。同じように走っていた人も、氷見野と同じく立ち止まり、絶句していた。
「はっ、あぁっ!!」
中年の男性は右を見ながら後ずさっていた。同じ方向に目をやった者たちの顔も、恐怖に染まった。
様々な反応をする避難者の中で、氷見野はそちらを向くことをためらう。その事実を認識したくなかった。でも、そこにいると分かる。人のものではない、息づかいが鳴っていたのだ。
息を殺し、
つぶつぶとした鱗のような物が見える体、開いた背中からはぬめり気のある液体が垂れている。触手の下で氷見野たちを
ブリーチャーと店内で出くわしてしまった氷見野たちの中で、1人の男が突然逃げ出した。ブリーチャーの背中から立ち昇るいくつもの触手が一斉に動き出す。
入り乱れる触手の間を抜けるように、氷見野たちはバラバラに逃げていった。
洋服が集まるエリアへ逃げ込む氷見野。
物にぶつかろうが止まったら最後。脳を食われる。
崩れた髪も気にせず、荒い息を引き連れ、当てもなく目の前に見えている通路をひた走る。つんざくような叫び声と激しい物音、機械的な避難警報、店内に響き渡る機械的な音声放送。周囲から鳴り合う音という音が狂騒を生み出していく。
目まぐるしく景色が変わりゆく中、左方向に目をやった。触手は氷見野の背に伸びてくる。ハンガーラックにかかった洋服を薙ぎ倒し、華奢な生体に迫ろうとする。
視界の端で、触手に捕まり、天井付近まで飛ぶ人や他のブリーチャーの下敷きになる人までいた。
さっきまで一緒に逃げていた人が、力なく倒れている姿は見るにたえない。自分を重ねた妄想が脳裏に掠める。
氷見野は柱越しにブリーチャーが回り込もうとしているのを捉えた。氷見野は右に視線を振って、向かう方向を変える。すると奥に黒い扉が見えた。スタッフが出入りするバックヤードにつながっていると思い、氷見野は全力を振り絞る。
しかし、太い触手は商品棚を吹き飛ばした。氷見野の体は飛んできた商品棚にぶつかり、倒れてしまう。
食器は冷たい床の上に散らばって破片となり、傾いた商品棚が氷見野に覆い被さっていた。
氷見野は重なり合った商品棚の隙間から這って抜け出す。どこが痛いのかわからないほど、体のあちこちに熱を伴う痛みが襲ってくる。氷見野は痛みをこらえ、這ったまま少しずつ移動していく。
遠くでは未だに激しい物音が聞こえてくる。それが誰によるもので、何の音なのか、考える余裕もない。氷見野は、迫るブリーチャーの脅威とこの場所から一刻も早く逃れることしか考えてなかった。
腐敗していく感覚の中、夫の顔が浮かんだ。今氷見野が頼りにできるのは、夫しかいなかった。恐怖に堕ちた世界から抜け出せる扉はもうすぐ。
痛みに耐え、床に這いつくばった体を起こそうとする。一気に扉まで駆け抜けようと足が準備に入る。その時、氷見野の体が浮き上がった。
「やあああぁぁぁああああっ!!」
視界が回り出した。顔が下に向き、体が振られていく。
氷見野は宙づりの状態になる。2メートルほど下ではブリーチャーが口を開けながら、氷見野を見上げていた。赤く細い舌が、氷見野を待ちわびるようにブリーチャーの口から出ては入りを繰り返している。
氷見野は駆け上がる恐怖を覚え、涙声で離してと何度も叫ぶ。他のブリーチャーも集まってきて、掲げられた食糧が自分のものだと主張するのように、仲間同士で奇声を上げていた。
自由になっている足でどうにか絡まった触手を解こうとするが、片脚に絡みついた触手はビクともしない。
すると、他のブリーチャーの触手が氷見野の体や首、足と絡まり、締めつけられた。体が軋み、息もできなくなっていく。涙が滲み、視界がぼやける。
これで終わると実感した。
もう終わりでいい……。抱えていた苦しみも消して、すべてを終わりにできると思えた。
おぼろげな意識の中でかすかな鈍い音を聞く。床に触れる感覚が氷見野の下部に伝い、目を開ける。影。光を塞ぐ物があると知った氷見野の瞳が焦点を定めていく。
氷見野の前に立つ人型の機械は、大きな体に紫と白に配色された装甲に包まれていた。丸みを帯びる1つ1つの体の部位。くびれた腰や手足などがはっきりとしており、丈夫そうで大きな体にどこか安心感に浸れた。
2メートルから3メートルほど人型の機械が振り向く。顔全体を覆う薄く黒いフェイスシールドの中に、幼い少女の顔がうっすらと見えた。
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