karma5 平穏が壊れる轟然
いっそのこと溶けてなくなりたい。そう思ってしまいたくなるほど、輝く太陽は容赦なく光を
玄関を出て、仰いだ空に目を細めた。その間に玄関の明るい茶色の扉が勝手に閉まり、カチッと音を立ててカギをかける。
「今日の天気は晴れ。気温44℃。こまめな水分補給をしましょう」
手首のライフモバイルウォッチが穏和な口調でお知らせをしてくれる。ライフモバイルウォッチをつけた片手でひさしを作り、家の敷地の駐車スペースに入る。屋根のある駐車スペースに入っただけでも幾分過ごしやすい。
氷見野がいつも乗る車は水色の車だったが、車体の形を保ったまま白いゴムに覆われていた。
氷見野は車のキーについているボタンを押す。すると、シューという空気の抜ける音を出しながら、覆っていた白いゴムが車体の底に入っていく。4つのタイヤが姿を現すが、タイヤは地面から浮いている。車体の底の中央の小さな穴から支柱が伸び、平らな円形の
バックからサイド、ルーフと、車体を覆っていた白いゴムが、車体の前の地面に一番近い、車の下部にあるスカートパネルに入っていく。どういう仕組みで車体を丸ごと覆うゴムが、あんな長細いスカートパネルに入っているのかいつも不思議に思いながら発進の準備を見守る。
あまりに高い気温が各地で観測されだしてから、タイヤがパンクする事例が相次ぎ、自動車メーカーがこぞって対策を打ち出した。その1つが熱拡散ゴムシートだったりする。
氷見野には難しい話で、理屈はよくわからないが、車内にこもってしまう熱を70%ほど車内に持ち込ませないようにできるらしい。
氷見野はその効果を実感しているし、それが当たり前であった。
熱拡散ゴムシートを収納し終えた車体は、
氷見野は便利なようで不便な車に乗り込み、エンジンをかける。
「こんにちは。行き先を入力してください」
ハンドルの横にある小さな画面が光った。氷見野は履歴を開き、目的の大型スーパーの名前をタッチする。
「確認できました。全自動運転システムで運転を開始します」
聞きなじみのあるお姉さんの声で、車がお知らせしてくる。氷見野はシートベルトを締め、タッチパネルのOKボタンに触れた。
「車道に出ます。安全なドライブを提供するのは、pless、ナビゲート001です」
お姉さんの声は操作過程を随時お知らせしてくる。
車はゆっくりと車道に出て、道路を走り出す。ハンドルは氷見野の前で勝手に動き、足元のブレーキやアクセルも、見えない誰かが操作しているかのように動いていく。
氷見野の乗った車は大きな道路に出る。何もしなくても勝手に進み、車間距離もちゃんと保っていた。赤信号になれば止まり、横断歩道を急いで渡る通行人にも反応して止まってくれる。経験則で心配なくよそ見ができる快適さ。
全自動運転システムはすべての車に搭載されている。隣を走る車の運転席にいる男性は居眠りをしていた。
全自動運転システムによる死傷者数は国内で年一桁。年によっては0人ということがある。そういう年だったことが報告されると、自動車販売店で安売りセールが開催されたりするのがメジャーとなっていた。
氷見野が小さい頃も、科学技術は驚くほど新鮮に発展していたが、全自動運転システムとか、45度以上の夏とか、ブリーチャーとか、まったく想像してなかった。新しく世界は変わりつつあるのに、自分の住む世界はずっと平行線のまま。それを突きつけられて、ただ哀れな人生を嘆くことしかできない。
人生を変える魔法みたいなものがあればいいのにと、突飛した空想に入り浸る。氷見野は伏し目がちに窓の外を眺めた。
昔懐かしのメロディが流れる店の中、商品をカゴに入れる。
自分と同じ奥様方や学生の行く方向に注意を向けながら、カートを押して移動していく。買わなければならない物だけメモした紙を見ながら、目的の商品を探すのが氷見野の習慣となっていた。
夫から無駄な物は買わないでくれとの注文もあり、対策として必要な物を書き留めることにしている。受付で働いていた頃はそんなことを気にせず買い物をしていたが、今はそういうわけにもいかない。
財産は共有されているため、夫の同意がいるのだ。
懐かしい独身時代。結婚に憧れていた。閉塞感を匂わせる今よりも、過去の独身時代が遥かに蒼く見えた。
氷見野が買い物をしているスーパーマーケット『ホームステーション』、そこから5キロ離れた場所に
緩やかな流れの川であり、長さは約100キロにも及ぶ。ブリーチャー警戒のために武装した自衛隊の巡回地域であり、
タイヤ駆動の戦車や熱感応レーダーが設置されているため、自然の
人々がブリーチャーを目にする機会はそれほど多くはない。ブリーチャーも人間を襲うより、動物を襲った方がリスクは少ないと感じたようで、ブリーチャーに食べられたと思われる魚などが大量に水面に浮かんでいる光景は珍しくなかった。
危険と平穏が共存しているような不安定な日常のはずなのに、
そんな穏やかな時にこそ、忍び寄る魔の手に気づけないものである。
のどかな店内は騒がしさを
アラームを鳴らしていたのは氷見野の携帯も同じだった。立ち止まって携帯を見ると、真っ先にブリーチャーという文字が目に入る。
「ブリーチャーが近づいています! 店内にいるお客様は屋上へ逃げてください!」
切迫した男の叫び声が聞こえてくる。高い商品棚がある通路にいた氷見野は、奥の生鮮品売り場の通路を走り抜ける警備員を一瞬捉えた。
「商品を置いて、屋上へ避難してください!」
避難誘導の声を発しているのはさっきの警備員のようで、声が遠ざかっていく。氷見野は迷ったが、カートを置き去りにして走り出す。
店内にいる他のお客の中には焦りを感じない人もいた。男が怖がる彼女に「ウォーリアゴッドがいるんだから大丈夫だって」と、女性の肩に腕を回しながらゆっくりとエレベーターに向かっている。
エレベーターを使う人は少なくなかった。氷見野はエレベーター前で待っている人だかりを横目に駆けていく。なんで待っていることができるんだろうと違和感を覚えながらも、氷見野は目的の階段へ辿りついた。すると、後ろで悲鳴とガラスの割れる音が混迷して響く。
屋上へ向かおうとしていたお客は思わず立ち止まる。氷見野も立ち止まり、とっさに振り向く。店の大きな通路の突き当たりに焦点が定まる。赤黒い肌とグロテスクなフォルム。大きく裂けた口が突き出て、
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