世界交錯(3)
魔王マジクタはあまりにも巨大になりすぎた。そしてアレートのチューンナップに脳漿が耐えきれず、いくつかの細胞が破砕。理性はおろか怜悧な判断すら出来なくなり、かろうじて細々と言葉を紡ぐのが精一杯。それももう時間の問題だった。
そんなすっからかんの知能では理解できないこと。蘇る際に大地を砕きに砕いたため、地盤が緩み、魔王の数万トンという重さに耐えきれず――ずぶずぶと沈んでいった。
「グギャアアオアオオオ!」
悲鳴にも似た咆吼。だが無駄だ。何が起こったのかを冷静に判断するほどの脳みそを、今の魔王は有していない。破壊されてしまったから。
だから為す術もなく木偶のように、底なし沼と化した大地に囚われ、その体躯を沈めていった。気付けば五十メートルの巨体は胸元にまで下がり、心臓がイニジエやイズミルの射程圏内にある。
よし、成功だ。あたしは即座にイズミルに指示を出す。
「イズミル、改行を使って、こいつの魔法をバグらせる!」
「まかせろ!」
ばっとイズミルが両腕を前に出す。その姿を見て、イニジエは不思議そうに首を傾げた。
「か、かいぎょう?」
「まあ見ていろイニジエ。これが俺の――魔法だ!」
イズミルの改行。これで決まりだ!
と、思った――刹那。
「ゲムラゲ」
魔王の口から呪詛。同時に全身からとぐろを巻いた大蛇のような炎が顕現される。
「――な?」
炎の先端が蛇の牙となり、イズミルとイニジエ、そしてあたし達の元へと襲いかかってくる!
「ぐ、ぐあああああっ!」
イニジエが咄嗟に防御魔法を張ったが、効果は薄かった。当然だ。補正が斬られたためだ。イズミルが悲鳴を上げ、ローブを燃やしながらゴロゴロと転がり出す。あたしたちは慌ててイズミルを昇華した。火傷は浅いが、ダメージは深い。
「イズミル! ど、どうして?」
改行が、発動しなかった。その疑問に、アレート様が天から答えた。
「無駄だよ。僕は切ったと言ったはずだ。イズミルの魔法なんかとっくの昔に処理してる。君たちも最初からこうすればよかったんだ」
「そんな――ど、どうやって」
「ああ、知らなかったのか。教えてあげればよかったかな。しかし君たちはどうにも劣等生でね。教える気も起こらなかったんだ」
何て、こと。やはり単純な小説作成能力を上回る正真正銘の全知全能を相手にするには、イズミルでは荷が重ったか。
「ともあれ、イズミルもイニジエもただのモブだ。魔王マジクタに傷一つつけられないよ」
「そんな――」
絶望が、理知を取り戻したイズミルに遅う。だけど、あたしは諦めない。
「ならスミルナ! 台詞を切って!」
台詞を斬れば、呪文は生まれない。
「わ、わかりましたわ」
なのに――
「ゲムラゲ」
――そんな、バカな!?
また、炎。今回もイニジエの魔法で何とかしのいだが、モブの魔法ではどうしたって限度がある。あたしたちの紙様としての補正があっても熱く、そして痛かった。
それを見ていたアレート様がつまらなそうに呟く。
「台詞なんか切らせないよ。紙様はここにもいるんだよ? 君たちなんかと違って、一人で改行、台詞、地の文、句読点の全てを操れる紙様がここにね」
「アレート様……」
あたしは片膝をつきそうになるのを何とか堪えながら、憎しみを乗せて彼の名を言った。
「う、うち……」
「リアンにいたっては所詮句読点。あってもなくても何の問題もない木っ端だ。ああ勿論だが、君たちは今紙様としての補正を切ってある。魔法の攻撃を受ければ、死ぬよ」
そうだ、その通りだ。アレート様は強い。強すぎる。
古今東西ありとあらゆる物語の中でもトップクラスに強い。
そしてそんな彼によって改造された魔王がうなりを上げた。
「グウウウウウオオオオオオオ!」
地響き。衝撃波。空気の爆裂だった。
「ひ、ひゃああああっ!」
物理的な衝撃が、あたし達の体をナイフのように切り裂いていった。
と、ずしゃりと嫌な音を立て、スミルナが前のめりに倒れる。
「スミルナ! ひ、ひどい傷……そんな、あたしたちは不老不死」
「切ったと言ったろう? 切れば君たちは人間に戻る。力の迷邦者を舐めてはいけない。君たち紙様見習いより遙かに全知全能の存在なんだよ。僕より上位なのは夏御蜜柑だけさ」
なんて、チート。こんな化け物に勝たなきゃいけないなんて、無理ゲーなんてレベルじゃない。プログラミングされてない世界は理不尽のみで構成されていると言わんばかりだ。
「さて、世界ごと焼き払え、魔王マジクタ」
「グギャオオオオオオオオオッ!」
魔王の咆吼。そして大地が――燃えだした。
いや、大地だけではない。空が、木々が、山が、暗雲が、川が、海が、橋が、瓦礫が、全て燃えたのだ。
まるで紙切れを燃やすかのように、不燃物の全てが物理法則をねじ曲げて発火し出す。
瞬く間に世界は炎に包まれていった。
遠くから悲鳴が聞こえてくる。カタストロフに為す術もない、モブキャラたちの悲鳴が。
スミルナは倒れながら涙声でぽつり。
「世界は……世界はもう、終わりですの」
それに元気づけられるだけの根拠を、あたしはもう用意できなかった。
「無理、だよー……もう、どうにもならないよー」
「うち……何の役にも……メガトンごめんなさいです」
みんながみんな、一様にくずおれる。
ぼんやりと周囲を見渡せば、黒い空と、赤い国。
「あ、ああ燃えている……城も、ラタキーアの村も……荒野さえも……」
全てが、赤一色に。その炎をものともせず、アレート様だけが淡々と口を開く。
「燃えるよ。まだまだ燃える。大地のひとかけらすら許しはしない。ミクロの単位で全てが灰となるんだ。世界は炎に包まれる」
厳然たる事実。避けようのない悲劇。
イズミルは涙をぬぐい、膝をつきながらイニジエに向けて小さく頭を下げた。
「イニジエ……すまねえ」
だが、イニジエは――イニジエだけは、立っていた。
「いいんだ」
彼は軽く苦笑する。
「あ?」
「イズミルが役立たずなのは今に始まった事じゃない。それに――」
ちゃきっと剣を魔王に向ける。
「こういう絶望的な状況でこそ、勇者は戦うんだ」
「イニジエ……お前」
イズミルの瞳がぐらぐらと揺れる。炎のようにぐらぐらと揺れる。
そして、泣きながらこぼした。
「お前、やっぱり主人公だわ。俺とは違う」
そう、器が違う。イズミルはやっぱり主人公の器じゃないし、イニジエはどこまでも主人公の器なのだ。土壇場での精神力の差は、あまりにも開きすぎている。
イニジエが駆ける。
「はあっ!」
狙いは心臓。大地に沈んだ魔王の急所に向けて――突きを放つ。
だが、カキンとまるで鉄にでもぶつけたみたいな硬質な音だけが響いて、魔王には血の一滴すら流れなかった。
「く――か、固い」
器だけは主人公。本来ならここに補正があった。だから魔王にダメージが与えられる。
しかし、今は――
「無駄だよ。そんな剣いくら突いても皮一枚削れない。蚊が刺したほどにも感じない。そうだろ、魔王マジクタ」
「ウオオオオオオオオ!」
魔王の千里を砕く咆吼。全世界を覆う炎が竜巻となって荒れ狂う。
それを見て、アレート様は嬉しそうに肩をゆすった。
「はは、もうすっかり理性が切れたか。いいよ。どんどん壊れろ。その壊れた頭脳で世界の全てを焼き払ってしまえ!」
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