世界交錯(2)

 その異変は城内でもしっかり伝わったようで、城の震動に連動し、イニジエがはっとなって周囲を見回し初めた。

「な、なんだこの地響きは?」

 流石は主人公。状況適応能力が抜群である。

 一方で本来はモブキャラのイズミルはただ困惑するのみ。ここでも差が出ている。

「きゅあああああっ!」

 しかし、城の外から轟いた甲高い悲鳴に、流石のイズミルも理知を取り戻す。

「悲鳴!?」

「外からだ!」

 先にバルコニー出たのはイニジエだった。だがイズミルもすぐに付いていく。

 イニジエはそんな彼の姿を見て、拳を震わせる。

「イズミル……俺は絶対に許さない」

「もう遅いぜイニジエ。英雄は俺のものだ」

 異変までは察知したが、その内容はまだわかっていないらしい。

 でも、それも時間の問題。

「ん?」「な、なんだ……」

 バルコニーから空の黒さにまず気付く。

「そんな……」「馬鹿な……っ!?」

そして次に気付くのは当然――

「グギャオオオオオオオオッ!」

 うなりを上げる、魔王の姿だった。

 バルコニーは六階。城だけあってそれぞれの階層は通常の建築物よりは高いがそれでも三十メートルくらいだ。魔法の胸元くらいまでの高さしかない。

 でも、わかる。顔が見える。

 巨大で禍々しく、おぞましく、それでいて強烈な――怪物の顔が。

「あれは、魔王――」

 イニジエが即座に剣を抜いた。なんという素早さ。まさに主人公である。

 しかしイズミルはただ怯え、よろよろと後退して壁に当たった。

「どうして……俺が、消したはずだ……俺の魔法で、消滅させた、はずなんだ……」

 その無様さに、イズミルは激昂する。

「イズミル! お前どういうことだ! 魔王を倒したんじゃなかったのか!?」

「い、いや……倒した。倒したハズなんだ……なのに、なんで?」

 魔王は理知を失ったかのように牙を向け、うわごとを漏らす。

「世界を、この世界を、滅す!」

 その性質はどこまでも本気だった。

「く……どういうことか知らないが、やっぱりお前はイズミルだ! イズミルなんかに倒せるハズがないんだ! やはりここは俺が――っ!」

 イニジエはそう吐き捨て、バルコニーから飛び立つ。ここが六階だということを考慮にも入れず、勇敢に。そして剣を向け、魔王に突撃した。

「魔王! 俺が相手だ!」

 それを見て国王陛下がバルコニーに顔を出す。そして、言った。

「おお、イニジエよ、なんと雄々しいのじゃ。流石は勇者ぞ」

 恐るべき手のひら返し。この国王陛下は本当にブレないお方だった。

 しかしそれに突っ込む者などいない。ただただ魔王の禍々しさに怯え、竦むのみ。

「イニジエ……お前……」

 凍りつく空気に白い吐息を漏らしながら、イズミルは瞳をぶるぶると痙攣させる。

 それを見て国王陛下が唾棄した。

「それに比べ、イズミルめ。朕を謀ったな!」

 つくづくブレないお方である。ある意味尊敬に値する。

「い、いえ、そんなことは」

 弁解しようとするが、無駄。

「言い訳は無用ぞ! 誰か! イズミルを捕え……」

 国王陛下が衛兵に命じようとして――

「グギャアアオオオオオオ!」

 魔王の咆吼が城を砕いた。声だけで砕く。それは一息で泰山を砕くとまで喩えられる竜のようだった。がらがらと瓦礫が墜ち、バルコニーにヒビが入るのを見て、国王陛下はそそくさと中へ戻る。

「く、ま、まずい。避難せねば、衛兵! 衛兵! 朕をすぐに助けい!」

 イズミルは助かっただろうか。否。バルコニーの崩落に連れられ下へと転落していった。


 アレート様は墜ちたイズミルには眼中になく、ただじっと魔王に向かうイニジエにだけ焦点を合わせていた。人差し指を指揮者のように振りながら嬉しそうに囁く。

「ほう、イニジエか。さすが主人公だな。魔王を前にして対峙するとは。しかしね、彼では無理だ。彼が魔王を倒せるのはそう設定されているからだ。僕はその鎖を解き放った。もうこの世界に魔王マジクタを倒せる者はいない」

 どうしようもない事実。紙様見習いのあたし達はあらすじに沿ってしか世界を作れないが、アレート様は違う。力の迷邦者であり、世界書を一から書くことの出来る立場にある。

 当然、キャラクターの設定を改変するなど造作もないことなのだ。

「魔王によって、この世界は完全に破壊される」

 アレート様が口をにまぁっと怪しく開いた。犬歯から糸が垂れ墜ち、蜘蛛の糸を想起させる。果てしなく残酷な、死刑宣告。

 イニジエは剣を魔王の腹部に突き刺す。だが、魔王にはなんらダメージを与えるコトはなかった。それところがバリアめいた衝撃波が発生。イニジエは大地に叩き落とされる。

 がらがらと嫌な音が響き、煙が巻き上がる。

 それを見て、あたち達は恨めしそうにアレート様を見た。

「アレート様……」

 その声に気付いたか、凍てつくような視線を持って首だけ振り向くアレート様。

「そして君たちも死ぬ。最後にしっかり学びたまえ」

「アレート様! もうおやめください!」

 スミルナが泣きながら一歩前に出る。

 女の涙。平時ならば強烈な威力を持つ哀願だが、

「上司に向かってやめろとは随分な言い方だね。まあ、どれだけ慇懃な振る舞いをしても死刑は取り消さないよ」

 緊急の元凶たるアレート様にはまるで通じ無かった。まるで泣きたければ死ぬまで泣いてろと言わんばかり。スミルナは崩れ、両手で顔を覆い、鼻をすすらせた。

 でも、それでもスミルナは諦めず、哀願を重ねる。

「アレート様……も、もうどうにもなりませんの?」

 なのに、アレート様は眉一つ動かさずにさらりと、

「ならないね」

 といって、あたし達に背中を見せた。もう話しかけるなということだろう。

 その背中に向けて、リアンが小さく呪詛を吐く。

「うち、アレート様……メガトン嫌い、です」

「結構だ。僕も君のこと嫌いだよ。根暗で、陰気で、だいたいメガトンってなんだい? 気色悪いね」

「う……」

 リアンも涙をこぼし、がっくりと崩れ落ちる。あたしの中にふつふつと怒りの炎が芽生えてくる。なんなんだこの男は? 絶対に安全な位置から一方的に弱者をいたぶって遊んでいる。そのことにひとかけらの罪悪感すら抱いていない。

 許せなかった。元いじめられっ子として、どうしても許せなかったのだ。

「そんな言い方酷いですー」

「君の伸ばす口調も嫌いなんだ。やめてくれないか?」

 アレート様は紙様だ。人の心を解さないわけがない。

 つまり、わかっていて傷つけているのだ。かなりたちが悪い。

 紛れもなくアレート様はいじめっ子だろう。嗜虐心を体に宿らせ、悪意の暴風を撒き散らかして多くの人を傷つける、野蛮人。

 野蛮人は一切振り向かず、ただ右手をばっと横に突き出して、退屈そうに言い捨てた。

「さ、どこへなりと逃げてみたらどうだい? 命乞いもしすぎると鬱陶しい」

「く……アレート様の……アレート様の……ばかあ!」

 あたしは咄嗟に駆けた。殴るためだ。あたしは殴るのは得意じゃない。だから殴り方もわからない。

 それでも、それでも!

 殴りたかった。一発どつきたかった。しかし、ぴたりとアレート様に触れる一ミリ前であたしの全身は石像のように動かなくなってしまった。

 アレート様がちらりと視線だけを送ってくる。

「おっと、僕に暴力とはね。まあ、不老不死たる紙様に暴力なんか通じないんだが」

 直後、あたしはぺっと吐き捨てられるかのように地面に叩きとされてしまった。

 痛みはない。紙様だから傷はつかない。でも、指一本触れることなく大地に投げ飛ばされたことのショックが心にずきりと痺れを与えた。

 でも、こんな所で怯えているわけにはいかない。

「……イズミルーっ!」

 あたしは叫び、バルコニーから墜ちたイズミルに向かって走り出した。

 イズミルはいた。瓦礫を背もたれにへたり込んでいる。あんなに高い所から墜落しても傷の一つも見当たらない。勇者であるイニジエならわかる。魔法が使えるからだ。

 しかしイズミルの場合は――そうか、改行か。咄嗟に改行を使って衝撃を無効化したな。

 本当にいつの間にか改行を使いこなしている。彼は中々に賢い。

 イズミルはあたしに気付くと、がっくりと肩を下げ、情けなく吐露した。

「……弥美。す、すまん。どうしてこうなったんだ……俺は……俺は」

 ぱぁん! とあたしは間髪入れずにイズミルの頬を張った。

「……弥美」

 打たれて赤くなった頬を押さえながら、イズミルが瞠目する。

 そんな彼にあたしは激昂する。

「言い訳はいい! 魔王を倒そう」

 しかし、イズミルは視線を逸らした。

「……無茶言うなよ。俺の改行魔法で死ななかったんだぞ? それ以外俺には何も……」

「ぐちゃぐちゃ言わないの! やるの! やらないの世界もろとも君たちもあたしたちも死んじゃうんだよっ!?」

「なんで、お前らまで。お前らは関係……」

「うるさい! あたしらはいい。帰ればいい。でも、あんたたちは死んじゃうんだよ! いいの!?」

 あたし達まで死ぬということは教えなかった。プレッシャーを与えたくないからだ。あくまでも自分の立場だけを彼に意識させる。彼に、立ち上がって貰うために。

「いいわけ……ねえだろ」

 瞳にはまだ光が宿っている。いける。

「よおし、なら戦おう! イニジエだけじゃ勝てない!」

「…………」

 そんなことあるもんか。目がそう言っていた。

 今のイニジエは主人公としての補正を失っている。チューンナップされた魔王は文字通り五十メートルの怪物であり、モブキャラ同然のイニジエに勝つ見込みはゼロだ。

 奇跡のように低い確率とかそういうものではない。絶対的なゼロだ。

 アレート様がいる限り、イニジエに奇跡は起こらない。

 だからこそ、イズミルの助けが必要なのだ。

 何故ならイズミルはバグが使えるから。イニジエのように規定された能力じゃない、紙様ですら予期し得ない、対策し得ないバグを彼は持っている。

 だからこそ、奇跡は起こりえるのだ。

 あたしはイズミルの頬を掴み、無理矢理視線を合わせながら問いかける。

「ねえイズミル。あんた主人公になりたがってたよね? 英雄になりたがってたよね?」

「あ? あ、ああ。そうだが……それが……」

「今まさにそのチャンスじゃんかー!」

「なに?」

 ぴくりと、イズミルの眉が潜んだ。あたしは続ける。叫ぶ。

「今、まさに、この瞬間こそ! イズミルが横からかっさらうんじゃなく、正面から、堂々と、主人公になることのできる、唯一無二の大チャンスじゃんかよー!」

「弥美……」

 嘘じゃない。断じて嘘なんかじゃない。イズミルのバグこそが魔王を倒す唯一の手段。他の誰にもできないことをたった一人の人間には出来て、そのお陰で奇跡を起こす。

 それって主人公以外には不可能な芸当なのだ。

 モブキャラでは未来永劫、どの世界書を引っ張ってきても発生しない現象なのだ。

 完膚無きまでにモブキャラのイズミルに与えられた一つのエラー。これが彼を正式な主人公の座に導く!

「どうするの? このままモブキャラとして死ぬ?! それとも」

 あたしはくわっと目を見開いた。

「イニジエから主人公の座を、堂々と奪い取る!?」

 しかしイニジエは何も言わない。

 その態度が、あたしを苛つかせた。

「言っとくけどね、あんたに主人公補正はない。イニジエしか持ってない! でもそのイニジエの補正も今となっては通用しないの!」

「な、何故?」

「理由はいい! どうでも! とにかく、今しかないの! 今だけが、主人公の座が完全に空位なの! イニジエから主人公補正が切れた今こそ、あんたが主人公になることの出来る最初で最後のチャンスなんだよーっ!」

 イズミルは紙様として主人公だと言い続けた。しかし彼は信じてくれなかった。

 ならいい。それはもういい。だったら今度は――物語の主人公になってしまえ。

 イニジエを押しのけ、本当の主人公になれ。

「…………」

 イズミルがわずかに震えたのがあたしの手に伝わってくる。

 それは紛れもない――奮起。

「さあ! 行くよ!」

 あたしはがばっと立ち上がり、イズミルに向けて手をさしのべる。

「……わかった。主人公に、なれるんだな」

「そう! 本当の、絶対の、正真正銘の! 主人公に!」

 それを聞き、イズミルものっそりと立ち上がる。

 何でもっときびきび立たないのか。そのことに苛立ちがさらに募る。

 その理由を、イズミルがぼそっと呟いた。

「でも思うんだ、主人公って、お前じゃねえの?」

「違う! あたしは地の文を司ってるだけ。一人称小説の語り手だからって主人公ってわけじゃない! 一人称でも他の人が主人公な例なんていくらでもある!」

「弥美……」

「勘違いしないで! 主人公はイニジエだった。この物語の主人公は最初から最後までイニジエのはずだった。でもあんたが主人公になれるのは……今だけ!」

 世界は残酷だ。紙様によって生まれながらに人生の大半は確定されてしまう。

 主人公に生まれた者はずっと主人公としての人生を歩む。モブキャラに生まれた者はずっとモブキャラ。それをイズミルは承服しなかった。できなかった。でもどうしようもなかった。紙様によって決められた運命があるから。

 だがその運命という名の前提が今、壊れた!

 イズミルだって主人公になれる千載一遇のチャンスが舞い込んできたのだ。

 成功者はいつだって好奇を逃さない。

「わかった! 行くぞ弥美!」

 それを――イズミルはついにわかってくれた!

「うんっ!」

 あたしは力強く頷く。すると、空からスミルナとリアンが下りてきた。

「わ、わたくしも!」

「うちも」

「よおし、みんなで魔王退治だよ!」

 体長五十メートルがなんだ。元々主人公補正がなきゃかすり傷一つ与えられないよう設定されている化け物だ。補正が切れた今、体長なんてどれだけあっても同じだ。

 つまりあんなのただのハリボテでしかない!

 スミルナとリアンが同時にぐっと拳を握る。

「アレート様を倒さないとわたくしたちも終わりですものね」

「うち、アレート様、メガトン嫌いです」

 あたしも続いた。

「そう、あたしだって大っ嫌いだねー! 人をいじめて喜ぶ人、あたし大嫌い!」

 そして――疾駆。地面に叩きつけられながらも賢明に起き上がるイニジエの元へと全速力で駆けつける。

「イニジエ!」

 イズミルが叫んだ。

「イズミル!? お前、どうして……てかその女たちは?」

「お前を英雄にはさせねえ」

「そんな理由で……どこまでも卑しいなお前は。しかしどうするんだ。お前に魔法なんか使えるのか?」

 イズミルはふっと不敵な笑みを浮かべ、イニジエの前に立つ。

 そう、主人公だった男の前に立ったのだ。モブキャラが、主人公に昇格するために。

「使える。一つだけ」

 イズミルは誇らしげに胸を張り、ローブから顔を出す。その様はまさに、主人公。

「何?」

「お前に出来ない魔法を、俺は一つだけ使えるんだ!」

「な、なんだかわからないが、まあいい。なら行くぞイズミル!」

「おう!」

 イニジエは頷き、早速とばかりに突撃する。

「喰らえ魔王! 俺の剣を受けてみろ!」

 剣がきらりと光の軌道を生み、魔王の足を斬る――はずだった。

「愚かな」

 魔王がかすかに残った理性を振り絞りながらそうこぼす。

「な……き、効かない。そんなバカな!?」

 その驚愕は至極当然のものだ。主人公たるイニジエにはどうして魔王にダメージが通らないのか理解が及ばない。紙様であるあたし達とは違ってそれを聞こえはしないだろうが、アレート様が空の上から解説する。

「効くわけがないんだよ。補正は切ったからね。君の攻撃は何一つとして通用しない。今のイニジエはそこら辺に転がっているモブキャラと同じだ。無論、イズミルもね」

「声? なんだ、あれは……?」

 どうやら聞こえるには聞こえたらしい、イズミルが天を見上げた。

 あたしがぽんと肩を叩き、注意を戻した。

「あんなのはいい。魔王を倒すよー」

「弥美!」

 スミルナがこちらを覗く。

「わかってる! 地の文をいじる!」

 あたしは人差し指を伸ばし、万年筆を作る。

 そして――紡いだ。

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