錯綜混濁(4)
イニジエは魔都オリエンに辿り着くも、世界からは闇は晴れ、そこにあるのはただの廃村だった。城は崩れ落ち、魔王は消失していた。
「どういう、ことだ?」
イニジエには何が何だかわからない。わかるはずもない。
この世でただ一人魔王を倒せる血統を有する者が、魔王を倒すことが出来なかったのだから。それも破れたのではない。何者かに先を越されてしまったのだ。
そんな馬鹿な話、ありようはずがないのに――
「誰だ……誰だよ、魔王を倒したのは誰だぁ!? 俺の得物を横取りしたやつはどこのどいつだあぁっ!」
イニジエの絶叫が無人となった魔都オリエンに響き渡る。
しかしその声に答えてくれる者は、誰もいなかった。
弥美はがっくりと空の上に膝をつく。
「だ、ダメだった……あらすじに強制力が働いて、ストーリーをねじ曲げられない」
「そ、そんな……」
スミルナはもう顔面蒼白であった。いや、弥美も、そしてリアンもだ。
「じゃあ、この物語はこれから一体……メガトンどうなるんです?」
「わかんない。わかんないよー! イズミルーっ!」
あたしはあらん限りの赫怒を言霊に乗せ、イズミルに激昂する。
だが――いなかった。
「って、あれ? イズミルは?」
きょろきょろと周囲を見回すが、イズミルの姿が確認されない。そんなバカな。ここは空の上だ。遮蔽物なんて……。
「下ですわ!」
スミルナがそう叫んで下を指刺す。
見る。すると最寄りの村の住人たちが一斉にイズミルに囲み、もみくちゃになっていた。
「イズミル様、道中お疲れでございましょう。さ、わが村へお越し下さい」
「歓迎いたします、イズミル様」
「はは、いやあ、これが英雄というものか。しかし俺はこれから王城へ行かないと」
イズミルの鼻は天狗のように高らかに上がり、限りない歓喜に顔を赤く染めていた。
あんな顔、出来たんだ。そのことにぴしっと心にヒビが入る。
「ご安心を、ただいま馬車をご用意いたします」
「本日は是非我が村で一夜をお過ごし下さいませ」
村人たちがかしずきながら誠心誠意イズミルをもり立てる。
そう――魔王を倒した英雄たる、イズミルをだ。
今まさにイズミルは主人公だった。どこから見てもモブキャラ以外の何物でもないイズミルが、あまりにも卑怯な手段で主役の座を簒奪したのだ!
「そうか? そうだな。ははは」
にもかかわらず、イズミルは心の底から嬉しそうに頭を掻きながら馬車の中へと乗り込んでゆく。その姿を見て、あたしはぷるぷると体を震わせる。
「あ、あいつうううっ!」
そんなに英雄になりたかったのか。そんなに主人公になりたかったのか。
既に存在する主人公を踏みにじり、用意されたあらすじを破壊してまで。
そこまでして――彼は英雄に固執していたのか!
失策だった。わかってくれると思っていた。紙様だって縁の下の力持ちという名の立派な主役だということを、理解してくれると信じていた。
あたしたちのために働いてくれると、そう願っていた。
でも、違った。いや、正確には失念していたのだ。
もしあたしたちが帰ったら、イズミルにはどういう未来が待っているかという点を。
そしてそれに、イズミルは耐えられなかったのだ。彼は主役の器ではないから。主人公の格を有していないから。そのくせ、主人公の地位を欲していたから。
おそらくだが、紙様としても主人公じゃないと思っていたのだろう。地の文があたしだからだ。この世に主人公以外の者の一人称小説はそう多くない。
でも、ゼロじゃないのに。イズミルはそれを理解してくれなかった。あたしたちと別れた後のイズミルの生活。その答えを用意できなかった、あたしのミスだった。
空は、どこまでも無神経に蒼く輝いていた。
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