錯綜混濁(3)
イニジエの旅は佳境を迎えつつあった。
毒にまみれた沼地の果てにある廃村で自身の血脈、古の英雄が残した秘伝の雫を手に入れ、さらに山を突き進み、森を抜け、気付けば草一本生えぬ荒れ狂う更地へと。
その奥の奥。はるか奥から漂う異常な臭気。魔都オリエンである。
もはや人の寄りつく場所ではない。この臭気に当たられただけで大抵の者なら絶命してしまうだろう。ただ一人、イニジエだけがその臭気を免れていた。
勇者の血統。その血が成せる業である。
「さて、いよいよか。長い旅ももうすぐ終わりだ」
ごくりと喉が鳴る。それは恐怖か、はたまた歓喜か。イニジエにはわからない。
ただ一つ確かなこと。それはあの闇に包まれた都市の中心部にそびえ立つおぞましき魔城に魔王――マジクタが君臨しているのだ。
そしてそれを倒す。ぶるると武者震い。
「行くか」
怖じ気がないと言ったら嘘になる。けれどイニジエは歩み出した。
世界の平和と、己の名誉。そして未来のために。
オアシスでの行楽も終え、空に浮かんで執筆再開。もうこっちはどこもまでも順調であった。
「さあいよいよラストだよー」
紡ぐあたしの指先が踊る。たまらない快感。
「案外すんなり行きましたわね」
そう言うスミルナも嬉しそうだった。
「そりゃー、あらすじの通りに進められてるもん。最初の頃みたいなトラブルはないよん」
「楽でいいけど、アレート様からの評価はどうなるのかな?」
リアンが相変わらず鋭い突っ込みを入れる。
どうもこの子はマイナス思考というか、浮かれているあたし達を冷静させてくれる。いいポジションではあるが、ちょっとだけ空気を読んで欲しいかなと思う。
「減点は覚悟しないとダメだろーね」
「となると、わたくしたちの進化は」
「次の世界での執筆だね。あ、次――」
ふと、気付いた。いや、ずっと気付いてはいた。
「どうしましたの?」
「イズミルとも、もうすぐお別れなんだよねー。寂しいな」
そう、オアシスでも言ったとおり、あたしは紙様であり、イズミルは人間なのだ。
この乖離は、どうしようもない。あまりにも高い、身分不相応。
恋心が、急速に消沈していくのを感じる。
「ぁ……そ、そうですわね。改行もできなくなるんですのね」
「うち、メガトン嫌です」
リアンは体を震わせていた。
「…………」
イズミルが沈黙する。彼も、自覚していたのだろう。
そこで気付く、さっきの悪いなという言葉の意味が。
「うち、メガトン嫌です!」
リアンが震えたままもう一度言った。そしての本音に導かれるように、あたしもまた、
「あたしも、嫌だなー……」
そう言ってしまう。いや、スミルナもだ。
「わたくしも……」
「そうか、お別れ、か。となると俺もラタキーアの村に戻る訳か」
ふっとイズミルは天を仰ぎ、遠い目をしながらそう言った。
あたしは必死にフォローの言葉を探す、でも、あまりいい惹句が閃かない。
「住みにくいなら他の村へ住まわせてあげられるよ。トネイロなんてイズミルのこと知らないんだからいいんじゃないかな?」
そう言いつつも、かなり白々しかった。
「トネイロ……か。そうか……」
そしてそれは、正確にイズミルの心をえぐる。
「俺はまた、新たな土地でバカにされる日々が始るわけだ」
「イズミル……」
言葉を選ぶべきだった。もっと言いようがあった。でも、思い浮かばなかったのだ。
イズミルはずっと上を向いたまま、苦々しそうな声を漏らす。
「一方でイニジエは、トネイロまで響くんだろうな、名声が」
「イズミル様……」
リアンがきゅっとイズミルのローブを掴む。しかしイズミルは反応しない。
「世界を本当に救ってるのは、俺らだってのにな」
「イズミル、ダメ。それ以上考えないで」
あたしはイズミルの肩を掴み、強く揺さぶった。
でも、それすら通じなかった。
「お前らはいいさ。紙様なんだから」
「イズミル……」
イズミルはあたしの手を優しく払い、視線を戻した。
「いや、悪かった。さっき弥美とも話したもんな」
でも、視線だけ。
「弥美たちのために、俺は未来バカにされよう」
「そんな言い方……」
「事実だろ? だいたいイニジエを見ろよ。俺のことなんか眼中どころか記憶にもないって様子だぞ。俺なんて所詮そんなもんだ。話題にすら上がらねえんだ」
「イズミル……」
心の中の暗雲が、どんどん黒くなってゆく。それは眼下に広がる闇の帝都オリエンを包む空気そっくりだ。これは――まずい兆候だった。
ふと、イズミルが暗黒によって支配された魔都オリエンを見下ろしながら、小さく独りごちた。
「しかし……だ。魔都オリエン。こんな町だったのか。おそらく俺じゃ永久に見ることはできなかったろうな」
「イズミル?」
不安が増してくる。まるでドラムを叩いたかのようにドンドンと嫌な音を立てて心臓を破裂させようとしている。
「なあ、あの城に魔王がいるのか?」
イズミルの問いに、あたしは引きつった笑みを何とか隠しながら、努めて明るく答えた。
「そうだよー。魔王マジクタ。あれを倒してこの暗黒を打ち払い、光を点すのが物語の目的。そしてイニジエの未来」
「そうか……魔王はあの城の玉座にいるわけだな?」
一度引き金を引いた以上、大丈夫だと信じる。
あたしは作った明るさをサーフボードに、会話という波を乗り切ろうと試みる。
「ううん、いないよー」
「なに?」
「最上階にいるのは影武者で、本物は地下にいるよー」
この不安はどうやらあたしだけのものらしく、スミルナとリアンは至って平静を保って突っ込んできた。
「よくあるパターンですわね」
「ほんとひねりないね……うち、やっぱりこの物語メガトン嫌いです」
「もうみんなうるさいなー! これしかなかったの! 仕方ないの! 原点回帰!」
スミルナがジト目であたしを射貫く。
「その言葉言えば何でも許されると思ってません?」
リアンも眼鏡を直しながら厳しい口調であたしに詰め寄る。
「うちの知ってる限りだとその原点とやらが出来るよりずっと前にもっとメガトン壮大なのいっぱいあったような」
「たとえばー?」
リアンは人差し指を天にかざし(まるであたしみたい)、意気高らかに答えた。
「ムーンゲートを操り時間を移動することが出来る魔女ミナクスは太古の地球である伝説の時代に拠点を構え、歴史に介入して全面核戦争による世界の破滅を成し遂げる。これを修復するため異世界ソーサリアへ召喚された地球人であるアバタールは幾多の時代と太陽系を駆け巡ってミナクスを倒す手がかりを探す、とか」
……それってさ。
「それぞ真の原点ですわね」
「うんうん」
てかそれ2だし! 初代じゃないし! 二人とも満足そうに頷くんじゃないよ!
「うるさいなー! いいでしょ、そんな壮大な話世界書にありません!」
「あると思うけど」
リアンのナイフのような一言。
「取られちゃったの! 他のチームに! 先に!」
「はあ」
「ま、いいですけどね。次の世界はもっと壮大なのお願いしますわ」
「わ、わかってるよー! もう!」
さて、この会話で不安は少し緩和されただろうか。
いや、ダメだ。ドンドコドンドコさらに激しさを増してくる。何? この不安?
「何の話かこれっぽっちもわからん」
イズミルからはなんの表情も読み取れない。いつものように疑問符を投げかけてくる。
あたしは微苦笑を浮かべながらどうどうと手を前に出した。
「あ、いいのー。イズミルは気にしないでー」
ドンドコドンドコ。ダメだ。不安が酷い。どんどんどんどん膨れあがる。
お願い、何事もありませんように。
「そもそも弥美」
「なんだよースミルナ。まだ何か言うつもりー」
てか気付いて。この不安に。何か、何か危険。
「魔王、か……」
背中からイズミルの声。何、不安が、不安が――
「あそこに、あの地下に……いるわけか」
イズミルが一言発する度に、どうしようもない不安が。もう、喉まででかかっている。
「魔王……イニジエに倒される運命の、魔王……」
止めなきゃ。あたしはスミルナの話を無視し彼の方を向く。
お願いやめてとなんの根拠もなく言おうとする、その直前!
「弥美、悪い。なんか、我慢できなくなってきた。お前の夢、叶えてやるはずだったんだが……お別れで、俺の未来は真っ暗で、俺だけが貧乏くじを引いて……そんなの」
イズミルの顔が、般若になった。
「耐えられない」
「え? ち、ちょっとイズミル?」
や、やっぱり――っ!
「どうしましたの?」
スミルナは気付いていない。どうして気付いていないの!?
もう、限界が突破されたってのに!
「俺が、俺が倒せば……俺が……英雄……」
「ち、ちょっとイズミル!? ダメだよ! 早まっちゃダメ!」
あたしは必死にイズミルを正面から抱きしめる。後ろからではダメだと判断したためだ。
それでようやくスミルナとリアンが気付いてくれた。遅いよ!
「だいたいイズミルじゃ魔王を倒すことはできませんわよ」
「イズミル様、メガトン落ち着いてです」
フォローしているが、まだ危機感が足りない。だから――
「倒せないか、そうだよな、俺じゃ魔王は倒せないわな」
イズミルは笑顔を浮かべられるのだ。そう、笑顔。今まで見たこともないような、狂気に歪んだ笑顔。三日月のような口元。満月のような瞳。なんだ、この顔。
壊れた人間がさらに壊れた、ズタズタの笑み。
「そーだよ。落ち着いて。さ、イニジエを導こ?」
あたしは震える。それは紛れもない――恐怖によって。
「本当に倒せないのか?」
「え?」
「世界を……圧縮すれば……」
ヤバイ! 何かとんでもないこと考えてる!
「え? い、イズミル!? ま、待って! ダメっ!」
あたしは抱きしめる腕に力を込める。
「イズミル! 何を……っ!?」
スミルナも気づき、後ろから抱きしめた。頼む、止まってイズミル!
「え、え? ふぇ? うち、なんのことかメガトンさっぱりです」
そう言いつつもしっかりとローブを引っ張っている。
この三つの鎖で、イズミルの理性を何とか。何とか――
「俺は文章を破壊できる。世界を滅亡させることが出来る。イニジエに出来ないことが、俺には出来る」
「イズミルーっ!」
でき――なかった。
「俺が……英雄に……っ!」
「ダメーっ !」
イズミルは強引にあたし達を引きはがし、ばっと腕を前に出す。
そして即座に――文章を。
「魔
王よ
消し 飛べ!」
破 壊 し た 。
「あ、
あああああああ
ああああっ!」
ス ミ ルナ の
絶叫。
「こ、 これ は、あの
時 の!」
リア ン の 嘆き。
「イ ズ ミ ル だ、 だめええええええええ えええええ
ええええっ!」
そ し て。
あたし の――
「俺が 、 俺 が
英 雄 に なるんだああああああっ!」
バグ。強烈なバグ。それが世界を汚染し、イズミルの改行が戻ると同時に――魔都オリエンを包んでいた闇が、完全に晴れ渡った。城はがらんともぬけの殻。人の――もとい生物の気配が微塵もない。あたしは透化能力で城の中をくまなく探す。
だが、やはりというか、城の中に、魔王は、いなかった。
「あ……ま、魔王が……」
「き、消えちゃった……です」
リアンも透化でくまなく調べたらしく、ぺたんと空の上に崩れ落ちた。物語が、壊れた。
完全に、完膚無きまでに、一部の隙もなく、破壊されたのだ。
イズミルはバグを覚えたわけだ。バグの出し方を、イエスクの町を消した時の感覚を忘れることなく、同じ要領で――魔王を、消し去ってしまったのだ!
「イズミル……貴方という人は! なんてことをしてくれましたの!」
スミルナが怒号を上げる。
しかしイズミルは空の上から頬を引きつけさせながら、乾いた笑いをこぼすだけ。
「はは……ははは、やった、俺がやった。俺が、俺が――魔王を、倒した……」
「ばかーっ!」
あたしは我慢できず、渾身の力でイズミルの頭をどつく。
「いてっ、あ……お、俺は……な、何を――」
「何をじゃないよ! あんた何やってんのっ!」
物語は壊れてしまった! 完全に破壊されてしまったのだ!
いや、イニジエの時みたいに――ダメだ。ラスボス補正は主人公補正とは性質が違う。一度消えたラスボスは、戻せない!
つまりもう、物語は、紡げないのだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
その時、大地から割れんばかりの歓声が轟いた。
「え、な、何々ー」
見ると最寄りの――名前も忘れた小さな村から一斉に村人たちが飛び出てきたのだ。
そして彼らが叫ぶことは、言うまでもなく。
「暗黒が、暗黒が晴れたぞおおおおおっ!」「おおおおおおおおおおおおっ!」「わあああああああああああっ!」「だ、誰だ、魔王を倒したのは誰だ!?」「まさか勇者が!?」「イニジエ様が!?」
ああ、やっぱり。
これはもうイニジエが倒したことにするしかない。物語をなんとしても修正しなければ。
そう、思っていたのに――
「あ、あれを見て!」
村人の一人が、空に気付いた。気付いてしまった。
「なんと、空に人が!?」
「あーっ! あたし知ってる! ラタキーアの村でイニジエ様の幼なじみだった……えーと、誰だっけ?」
「思い出してフラン! 早く、あの真の英雄を!」
「あ、そうだ、イズミル様だ!」
「イズミル様!? あの方が魔王を!?」
「イニジエ様は何をやってたんだ!」
「イズミルさまあああああああっ!」
しかもイズミルのこと知ってるし! これもまさかバグ!?
「は、はは……まさか、まさか……俺が、英雄……真の、英雄……ははは」
どうやらこのバグは予期したものではなかったらしいが、やばい。イズミルが完全にその気になっている。イニジエのことを踏みにじり、彼は英雄になろうとしている!
ちょいちょいとスミルナが恐る恐る指でつっついてきた。
「や、弥美……これはまずいことになりましたわ」
「わ、わかってるよー。なんとか、物語を紡いでみる」
出来るだろうか。あらすじがここまで破壊され、ラスボスも消され、それでも物語を修復できるだろうか。
あらすじの力は絶対だ。それが壊れた今、あたしに物語を修復できる力は残されているだろうか。いや、やるしかない。物語のために、真の主人公たるイニジエに、光を!
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