錯綜混濁(2)

 と、いうわけで。

「さあて、朝になりましたし、ちゃっちゃと執筆進めちゃいましょー」

 めっちゃ早かった。空行合わせてわずか二行の出来事だった。

 省略というかカットというかキンクリというか、限られたページ数で効率よく物語を進める紙様の常套手段である。だからこそ、

「「おー」」

 とリアンとスミルナは当たり前のように手を上げ、賛同を示してくれた。慣れたものだからだ。全知全能を舐めてはいけない。あらゆるメタを操る紙様に不可能はないのだ。

「…………」

 イズミルは呆然としている。省略に脳がついてこられなかったのだろうか。

 いや、おそらくは違う。だからあたしはぽんと彼の肩を叩く。

「ほらイズミルも」

「ああ」

「もう覇気がないなぁ。……そんなに主人公になりたかったの?」

「…………」

 図星のようだ。どこまでも根深い怨嗟だった。あたしはそんな彼を、どこまでも立てる。

「でも紙様である今、真の主人公は君だよーイズミル」

「……ああ」

 機嫌が少し直ってくれた。よかった。

「じゃ、紡ごう」

 あたしたちは小屋を出て空に浮く。そしてイニジエの姿を確認するべくトネイロの村の入り口付近から鳥瞰し、彼を見付けるとすっと人差し指を突き立てた。




 トネイロの村を出て、十分英気を養ったイニジエは意気揚々と荒野を突き進んだ。

「失せろ、雑魚どもめ!」

 途中幾十ものモンスターを蹴散らし、その身をどんどんレベルアップさせてゆく。今やこの国でイニジエ以上の人類は存在しなかった。

「さて、次はあの山を越えるのか。寒そうだが、まあ問題はない。レピア!」

 イニジエが魔法を唱える。全ての環境に適応する効果を付与させ、防寒装備などなくても易々と山を越えることが出来る。

 森を抜け、岩肌に包まれた山を登り、万年雪が積もる凍てつく世界を突き進み、その都度現れるモンスターたちをいとも容易く撃砕していった。

 何もかもが順調に、何もかもが予定通りに。

 途中洞窟に入り遺跡の謎とかちあうも持ち前の賢さとその血統の力を持って見事突破。新たな荒野へと辿り着く。砂漠でもレピアの力で平然と突き進み、オアシスで一休み。

 体力を回復させ、イニジエはこのすぐ近くにあるイエスクの村へと向かった。 




 太陽がぎらぎらと輝く。紙様だから別に暑くも寒くもないのだけど、イズミルは違う。山を越えるときは歯をガチガチとならしていたし、今はローブを脱いで汗を必死にぬぎっていた。今更ながらローブを脱いだ姿のイズミルを初めて見た。

 白い長袖のシャツとズボン。牛革のブーツ。なんというか清貧という言葉が似合ういでたちだった。髪の毛は真っ白で、ローブ生活が長かったのか肌も日焼けしておらず、なんというか白ずくめだった。

 白いワンピース姿ながらも金髪というアンバランスを有するスミルナとは違う。まあ、今はイズミルだ。かなり暑そうだからここいらで涼ませてあげないと体がもたないだろう。

「さあて、イニジエもいなくなったし、あたしらもオアシスで休もうよー」

「賛成ですわ」

「うちも、異論ないです」

 別に暑くも寒くもないはずなのに、オアシスの魅力には抗えなかったようだ。

 イズミルは――あ、もうオアシスに向かっていた。早い。そんなに水に飢えていたのか。

 さて、あたしたちも入ろう。そう思って降下しようとした瞬間、むんずとタートルネックの襟元を掴まれた。掴んだのはスミルナだった。

「水着は用意してますの?」

「え? そんなもんないよー」

「イズミルがいますのよ?」

「いいじゃん別にー」

「よくありませんわ!」

 なんで? そう問う前にリアンが両頬に手を添え、うっとりした目でぽつり。

「うちはイズミル様に……メガトン見られたいな。ぽ」

「ぽ。じゃありませんわ! 冗談じゃない。何かありませんの?」

「確かイエスクの村にあやしい水着が売ってたと思うけど」

「それこの世界の住人用じゃありませんか」

 それも本来はパーティ用だ。一人旅に切り替えるハメになったから結局使われじまいのアイテム。

「じゃ世界書館に戻って取りに行くー?」

「それも……あ、そうですわ」

 スミルナが何か閃いたらしい。

「?」

 なんだろうとあたしが首を傾げていると、スミルナが耳元に口を添え、ごにょごにょと。

「弥美……地の文で……」

「え? あ、あー。そうか、そうするかー」

別にイズミルもいないんだし堂々と言えばいいのにと思ったが、まあそこら辺はお嬢様の恥じらいというものでしょう。一般庶民に生まれたあたしには理解できないけれど。

「じゃ、やるよー」

 あたしは紡いだ。




 オアシスとは旅人たちにとって憩いの場所である。多くのキャラバンたちが立ち寄り、そこで生気を取り戻してゆく。だが一方でキャラバンたちの荷物を捨てる巨大なゴミ捨て場という側面もあり、茂みの中などには使い古された道具や食べ終えた食事の残骸、破れた衣服などがうち捨てられていた。同時に錆びた裁縫道具などもぽつぽつと点在し、上手く仕立てれば新しい服を作れそうだ。




「と、言うわけで水着を作りましたわ!」

「おー、すごーい」

 てか早い。一行も裁縫シーンがなかったのに、なんという省略。気付けばあたしたちはオアシスに辿り着いていた。いつ下りたって話だ。

「そこまでする? です?」

 リアンがどこか冷たい眼差しをスミルナに向けた。

「最善の策かと存じますわ。ほら、弥美、リアン。あとイズミルの分も作っておきました」

「おー気が利くー」

 あたしは早速とばかりに水着を受け取る。そして――

「じゃあうちが届けるって、あれ?」

「おーい、イズミルー」

「あ、先超されちゃった……ちぇ」

 先を取ったよ。わかってるんだ。

 ――って、なんであたし、リアンに対抗意識持っているんだろう。別にイズミルに恋をしているわけでもないのに。……してないと、思う。多分。不安が胸をちくりと焦がした。

 と、後ろから声が。どうやらスミルナとリアンが何やら話を始めたらしい。

「リアン……あんな男の何がいいんですの? こう言ってはアレですが、あれはどこからどうみても主人公の器じゃありませんわよ?」

「だからいいの……うち、主人公なんてメガトン嫌い」

「リアン……そうでしたわね」

「ああいう人がメガトンいいの。うちは。そして多分、弥美も」

「弥美も?」

 ちくちくと、胸に鈍痛。

「リアン……聞こえてるんだけど……ま、いいかー」

 ひょっとしたら、あたしも好意を持っているのかもしれない。

 母性だとは思うんだけど、上から目線でいつもイズミルに接しているし。

 でも、そういう気持ちを持っていること自体が、既に愛情というものから恋情へと変化している証なのかもしれなかった。まあ、詮無いことだ。あたしは水浴びを終え、木陰で寝そべっているイズミルの元へと向かう。

「イズミルー」

 イズミルはパンツ一丁だった。流石に大事なところは隠しているらしい。こうしてみると結構筋肉ががっちりしている。インドアがありえない世界だから当然かもしれないけど。

「なんだよ? 水浴びしたいなら勝手にしてろ。俺は見ねえよ」

 それに、そう言ってくれるところからも、配慮はしてくれている。

 彼は悪い人ではないのだ。ただ、心が傷つきすぎただけで。

 あたしはそんな彼を喜ばせるべく、両膝をついて少しでも目線を低くして、満面の笑みを浮かべながら両手で水着を差し出した。

「そうじゃなくて、イズミルも楽しもうよー。ほら、水着」

「……そんなもん作ってたのか」

 しかし彼は受け取ってはくれなかった。その顔から明確な拒絶を感じ取れないと言うことは、きっと照れているのだろう。

 ならばと、あたしは水着を膝の上に降ろして、訥々と語りかける。

「ねえ、イズミル」

「あ?」

「あたしはさ、ここじゃない違う世界、日本っていう国に昔住んでたんだよー」

「日本?」

「そー。違う世界書の、モブキャラとしてね」

 自分で言って、少し悲しくなった。

 その表情を読み取られたか、珍しくイズミルがフォローしてくれた。

「俺とルーツは一緒ってわけか」

「うんー」

 やっぱり彼は根はいい人なのだ。だったらもう少し癒してあげられえれば、きっと彼は素敵な男性になれる。そんな気がする。イズミルは寝そべったまま問うた。

「どうして紙様なんかになった? 俺と同じで地の文能力を持ってたからか?」

「違うよー。地の文は紙様になって手に入れたのー」

「じゃあなんで」

「あたしはさ、いじめられっ子だったんだー」

 ああ、言っちゃった。いや、言うつもりだったんだ。最初から。

 あたしの気持ちを、あたしの夢を。あたしの――思いを。

「…………」

 イズミルは黙っている。話せということだろう。なら、お言葉に甘えて。

「毎日さ、学校でいじめられててさ、親にも相談できなくてさ、教師は役に立たなくてさ」

「…………」

「もう生きているのがやになっちゃったの」

「お前は……」

 何か言いたげだ。でも適切な言葉を紡げない。それがひしひしと伝わった。

 あたしはそんな彼の沈黙を遮り続ける。イズミルの心を傷つけないために。あたしの心も傷つけないために。

「でも何でだろ、あたしはさ、こう思ってたの」

「なんだ?」

「世の中あたしと同じようにいじめられてる子って沢山いるんだなぁって」

「そりゃ、そうだろ……俺だってそんなもんだ」

 ふっと、イズミルが小さく頬を緩めた。

「そー。だからね、あたし神社でさー、祈ったんだよ」

「神社?」

「教会」

「ああ、なるほど」

 話を戻す。

「この世からいじめられっ子のいない世界が出来ますようにって」

「…………」

「叶わなかったけどね」

「そりゃあ、当たり前だろ……」

 その声はどこか悲壮なものを感じさせた。慰めたいけど慰められない。同情したいけど同情できない。ただ可能なのは共感だけ。そんな苦しみが、凄くよく伝わった。

 ありがとうイズミル。あたしは心の中で深くお礼を述べる。

「でもその時さ、夏御蜜柑ってのに出会ったんだよー」

「世界書館の生みの親か」

 さっき説明したからイズミルはわかっていた。あたしは首肯する。

「そー。でね、死んだら紙様にしてあげるって言われた」

「……それは」

「多分老衰後って言いたかったんだと思う。でもあたしはさー、短気だからさー」

「短気? どこが?」

 わからないか。あたしはどんっと自分の胸を叩く。

「こう見えても短気なんだよー? で、そのまま……やっちゃった」

 そう、やっちゃのだ。やり方は――首。

 両親は多分、泣いたと思う。見てない。見たくない。だから、見なかった。

「おい、お前……」

 イズミルがゆっくりと身を起こし、険しい顔でじっとあたしと視線を合わせる。

 でも、あたしは怖じけず紡ぐ。

「そしたら本当に紙様にしてくれたー。紙様になっていじめられっ子のいない世界を作れる権利を得たの」

「だったらお前この世界だって」

「ううん。だからほら、あたしは見習いで、あらすじの通りにしか紡げない」

「ぁ」

 そう、あたしは世界を創世できる。天地を創造できる。あらかじめ用意された箱庭の中限定で。そしてそれは――あたしの夢とはほど遠いものだった。

「だから紙様になりたいのー。いずれさ、完全な紙様になってさー。あらすじの通りじゃなく、まっさらな世界に誰もいじめられることのない世界を作りたいのー」

「出来るのか?」

「あらすじのない世界に書き込めるのは紙様の、それも力の迷邦者ってランクになったらだけどねー。ああ、あたしたちの上司であるアレート様がその一人。五人しかいないうちの一人」

「アレート?」

 イズミルの反芻に、あたしはしっかと頷く。

「そう、あたしらはアレート様の管理下にあるのー。アレート様に見初められて出世すれば見習いから紙様に、そして最終的には力の迷邦者になれる。望み通り、完全な天地創造が出来る」

 世界書には二種類ある。一つはこの世界のように事前に夏御蜜柑が用意した世界。舞台とあらすじだけが設定され、紙様見習いや普通の紙様がそこに物語を吹き込む。見習いはチームで、紙様は一人で。

 そしてもう一つが、完全にまっさらの世界書だ。これは力の迷邦者のランクにある紙様でなければ書き込めない。遠い夢。でもあたし達は不老不死だから、いつか書けるのだ。まっさらな世界書に、いじめのない、理想のユートピアを。

「あたしの夢なんだけどねー」

「そうか……」

 一部始終をきき、イズミルはまた横たわった。その声は何故か非常に丸く、穏やかで、そして優しく響いた。あたしはふっと笑みを象り、イズミルの膝に手を添える。

「だからさ」

「ん?」

「あたしに協力してくれないかなー」

「…………」

 言うべきか、言わないべきか、ここまで来て少し迷った。

 イズミルを確実に傷つける、弾丸のような一言を。

 でも――でも。言わなきゃならないと思った。イズミルのために。イズミルに幸せになってもらうために。そのためには、どうしてもイニジエとの決別が不可欠だから。

 だから、わかっていながら、弾丸を発射する。

「イニジエを英雄にしてあげよーよ」

「…………それは……」

 突如として曇る表情。やはり、傷ついた。ごめんね。でも、それは口に出さない。

 覚悟を決めて、攻撃というなの笑顔をイズミルに送った。

「ね?」

 言葉という弾丸。一度発射されたらもう引き返せない。それを受けて、イズミルは――

「……考えておく」

 拒絶だけは、しないでくれた。

 やはり彼は、本当に彼は、いい人だった。

「あんっ、つれないなー。でもいい返事を期待してるよー」

 あたしはそう言いながらもたまらない安堵を胸に宿す。だって、彼には未来が切り開かれたから。すると、イズミルが不思議そうに訊ねてきた。

「なあ」

「ん?」

「リアンとスミルナもそうなのか?」

 ああ、なるほど。当然の疑問だ。あたしは肩を下ろし、なだらかに答える。

「似たようなもんだねー。理由は違うけど。スミルナは箱入りのお嬢様で新しい世界に行きたいのが動機、リアンは……英雄が嫌いなんだよー」

「何?」

「敵国の英雄に、国を滅ぼされたからね」

 詳しい経緯は知らない。でも、紙様になろうとする人は皆どこかしら心を傷つけている。

 そりゃそうだ。人生を謳歌している人間が、天地創造をしようと思うわけがない。

 だからこそ――

「でもそんなリアンだって今はイニジエを英雄にする手助けをしている」

「…………」

「イズミルだってできるよー」

「そうかもな」

 イズミルの笑顔。やった。やったやった! ついにイズミルはわかってくれた!

 どくんと、胸が高鳴る。あれ? どういうことだろう? 胸が、熱い。火傷しそうだ。

 そうか、母性という殻をイズミルの巣立ちが破ってくれたのだ。

 目線は上から対等となり、そして破片の奥から生まれたこの感情こそ――恋。

 あたしは今、この瞬間、それを自覚した。なら、もうどこまでもいっちゃうだけだ。

「あはっ。じゃあ一緒に泳ごう!」

 あたしは水着をぐいっとイズミルの顔に押し当てる。

「なんでそうなる!?」

 ふんっと鼻息で水着を吹き飛ばしながらそう突っ込むイズミル。だがあたしは許さない。

「いいじゃんいいじゃんー。みんなー、イズミルはいりまーす」

 強引にイズミルを水着に着替えさせると泉へと引っ張り、皆にそう告げる。

 二人は既に水浴びをしながら待ち構えていた。

「待ってましたわ」

「カモン、イズミル様」

 えいっとあたしはイズミルを泉に落とす。

 ばしゃっと冷たく気持ちいい水が頬にかかる。あたしも飛び込もう。

 熱くもなく、寒くもない紙様の体感世界に、水の心地よさが生み出される。

 なんて都合のいい――まがい物。

「ほらほら、暴れちゃダメですわー」

「イズミル様。メガトンおたくましい」

 二人がイズミルをもみくちゃにする。とても楽しそうだった。

「ええいやめろ、はなれろー!」

 そう言って暴れるが本気じゃない。彼もまた楽しんでいる。

 なら――あたしもだ。こっそりと水着に着替え、

「あはは。じゃああたしも。とー」

 そう言って泉に、ざぶん。

「うわっぷ!」

 水飛沫がイズミルの顔にかかったらしい。そのしかめた顔も、妙に愛しかった。

 紙様と人間。つないでいるのは魔法。

 それは、結ばれないものだとわかっていても、それでも――

「あたしもイズミルと泳ぐー」

 この愉悦に、今は全てをゆだねよう。

「やめんかー!」

 楽しそうな、幸せそうな声。それを聞くだけで嬉しい。なのに――

「しかし……」

 途端に、イズミルの顔つきが変わった。

「どったの?」

 不安が、胸中にこみ上げる。

「いや、なあ弥美」

「ん?」

 何? なんなの? 言って欲しい。でも――聞きたくもない。

 そんな感情を切り裂くように、イズミルは一言だけ。

「……悪いな」

「え?」

 具体的ではなかった。でも、確かに。暗雲が、心を埋め尽くした。

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