3章 錯綜混濁

錯綜混濁(1)

 イズミルの嫉妬は問題だと思った。

 あの感情を放置していてはいけない。イズミルは傷ついているのだ。ずっと魔法が使えないと勘違いされ皆からバカにされ、一方で幼なじみに主人公がいて、いいところは全部主人公たるイニジエにかっさらわれ、なんにもいいとこなしで生きていて幾星霜。

 その性根はもはや致命的なくらいねじ曲がってしまっていた。

 でもそんなイズミルを慰める者は誰も居ない。いるはずがない。皆イニジエに夢中だからだ。主人公は愛される。モブキャラは無視される。とんでもない差別だ。

 イズミルが主人公の地位に固執するのも無理はない。

 あたしはどうしたらいいか迷う。あらすじをねじ曲げることは出来ないから、イズミルには紙様という立場で主人公になって貰うしかない。

 だが、それでは彼は満足しないのだ。何故なら地の文があたしだからだ。彼は地の文を紡げないからだ。改行しかできない。つまり、あたしのフォローしかできないのだ。

 誰かのフォローしか出来ない者が、主人公と言えるだろうか? これがイズミルの懸念であり、彼をより卑屈にさせている要因でもある。

 実際主人公と思っているのはあたしだけかもしれない。あたしは彼を主人公だと思っているが、スミルナは? リアンは? 

 多分思わないだろう。そしてイズミルが誰よりもそれを実感している。

 悩ましい所だった。

「いーずみーる」

 だからせめて、あたしはイズミルに優しい言葉を送り、必死に立ててあげることしかできなかった。

「わ、な、なんだよ」

 抱きつかれ、慌てふためくイズミル。そう、それでいい。少しでもあたしのぬくもりを浴びて、その傷ついた心を癒して欲しい。あたしの夢はいじめられっ子のいない世界を作ること。そして目の前にはいじめられっ子の末路がある。

 それを看過することは、できない。憐憫だった。同情だった。それは愛情ではあるかもしれないが、恋愛感情とはまた違うものだった。母性。それがもっとも適切な言葉。

 おそらくそれはイズミルだってわかってる。だからこそイズミルは振り向いてくれないのだ。リアンはイズミルを好いているが、このあたしの母性を浴びているからこそ、リアンに対しても懐疑的で、冷たくあしらっているのかもしれない。

 ごめんねリアン。そしてイズミル。あたしはさ、確かにイズミルを恋したい。でもそれよりもっと強く、イズミルが可哀想なんだよ。

 それがまずい。それは上からの目線だ。上から見ている限り、イズミルは愛せても恋せない。恋は、対等だから。

「あたしらは紙様だから別に何日経っても平気だけど、イズミルはそろそろ眠くなってきたんじゃない?」

 だから送る言葉はどこまでも母性だった。

「そりゃ、夜だしな」

「だよねー。だからさ、あたしらも今日はもう休もうと思うんだー」

「休むって、俺たちもトネイロの村に行くのか?」

「ううん、流石にまずいっしょー」

「どうせ、また、メガトンいじめられるです」

 今まで黙っていたリアンが横から口を挟んだ。それに殉じてスミルナも続く。

「ですわね。では弥美、いかがいたしますの?」

 よし、場が少し明るくなった。ならばあたしの出番だ。人差し指を天にかざす。

 そして――

「こうするのさー」




 村から外れ、しばし歩いた所に山へと通じる森がある。そこには小さな小屋があるが現在は誰も管理しておらず、無人となっていた。人の息吹から見捨てられた小屋は風化の道を進んでおり、板などは腐食すら見られたがまだまだ人が一泊する程度の強度は生きている。部屋数は少ないが暖炉もあり森から木っ端を集めれば暖を取ることも十分可能だった。

 懸念すべきはモンスターのみであろうが、ちょうどここは山へ通じる森と荒野の境目。モンスター達にも縄張り意識があるようで、この界隈はちょうど境界線になっていた。従って彼らが立ち入る様子もない。




 天にかざした腕を下ろし、あたしは嘆息を一つつく。

「ふう、出来たよー、小屋」

「おお、さすが地の文担当ですわね」

 スミルナが感心するように声を漏らした。

「ちょっとメガトンチートくさいけどね」

 一方でリアンはわずかに不満げ。まあ卑怯と言えば卑怯な手段だから仕方ない。

 でも、別にいいじゃないかとあたしは笑う。

「まあまあ、固いこといいっこなし! それにしても地の文、台詞、句読点、改行。全て揃うと文章がとっても見やすいね!」

「そうですわね。このままラストまで進みたいものですわ」

「うちもメガトン同感」

 と、ただ一人。イズミルだけが固まっていた。

「…………」

 沈黙。しかしそれはちょっと前のアレとは違う。その瞳には妬みも嫉みもない。ただあるのは――圧倒的な驚愕だった。瞠目である。あたしは何でかなと首を傾げた。

「あれ? どったのイズミル?」

「小屋……生まれた。いや、初めからあったのか?」

「あたしが今地の文で作ったんだよー。凄いっしょ?」

「すげえ……お前ら、本当に紙様だったんだな」

「てへへへ、照れるなー」

 ぽりぽりと頬を掻くあたし。

 てかイズミル、今の今まで半信半疑だったんかい。これは流石に予想外でしたよ。あれだけ物語を紡いできたというのに。もうぶっちゃけ全ストーリー半分超えているんですよ? そんなあたしの気持ちを切り裂いたのは、イズミルの――常識だった。

「てことは教会とかで奉られてる神はなんだ、ありゃ嘘だったのか?」

「あ、あー……」

 そこでようやく理解する。どうしてイズミルが半信半疑だったのか。

 彼は紙様ではない。第四の壁を知らない。そしてこの国の文明レベルは言っちゃ悪いが中世ヨーロッパよりさらに下のレベルだ。科学のかの字も存在しない。魔法が実在するが故にどこまでも幻想的で、そして、宗教的だった。

 おそらくイズミルはその常識を打ち払えていない。彼の心にはずっとこの世界で脈々と受け継がれてきた宗教観が残っているのだろう。

 それをどう説明すべきか。あたしにはちょっとわからなかった。

「ねえ何て答えたらいいかな?」

 だからスミルナとリアンに訊ねる。スミルナは困惑だった。

「え、えーと、こ、これ正直に嘘ですって言ったらイズミルかなり傷つきますわよ」

 だがリアンは――

「うちにまかせて」

 自信満々にイズミルの元へふよふよと浮きながら近づいていった。

「リアン?」

 そしてあたしに似せたような優しく撫でるような音吐で、

「メガトン大丈夫です、イズミル様」

 そう囁いた。

「何が?」

 イズミルは至極真っ当な疑問系を口にする。

「教会で奉られているのはうちら紙様」

「は!? いやいやいやいや教会で奉ってる神はお前らじゃねえぞ!」

 全く持ってその通り。この国は一神教である。そして紙様は複数いる。この時点でもう矛盾している。この矛盾を一体どう解決するのでしょうかリアンさんは。

「ほら、神様は人と触れ合わない、です。だから地上の人たちがこういう姿なんじゃないかなーってメガトン想像して作ったの。それが、教会の神」

「なんだと!?」

 うわあ、すっげー強引な理屈。イズミルさんめっちゃ驚愕してますよ。

「うちら全知全能だけど、物語に沿ってしか世界を作れない。だからモブキャラたちはうちらとはメガトン関わり合いを持たないし、うちらも持つ予定はない。そこで作ったのが、あの神様」

「な……っ!」

 それは誰がどう見てもわかるほどにショックを受けている様子であった。

 なんと言ったらいいか、あたしにはわからなかった。

「これでどうかな?」

 リアンが一仕事を終えた男の顔をしていた。女だけど。

 あたしはじっとイズミルを見る。どうも放心しているらしく、ぼんやりと焦点の合わない瞳をぐるぐると揺らし、半開きになった口を閉じようともせず、ただぼうっと佇んでいる。それを見てスミルナが先に答えた。

「ショックは変わりませんけど、何となく理解はしてくださっているようですわ」

「嘘は言ってないしねー」

 理解はして貰えたが、納得はして貰えていないような感じだが――と、イズミルが喉を震わせ、恐る恐る言葉を紡いだ。

「そんな……俺が生まれてから信じてきた神ってのは、お前らのことだったなんて……」

 ショック冷め止まぬイズミルの背中を、あたしは優しくさすった。

「まあまあイズミル、元気だしなよー。今はほら、君だって神様みたいなもんなんだからさー。あ、紙様か。あはは」

「ん? 待て。ということはこの世が理不尽なのは……」

 イズミルが気付いたらしい。それも気付いちゃいけないことをだ。

 よせばいいのに馬鹿正直にリアンが答えてしまった。

「うん、うちら紙様は主人公にだけ補正を与えて、主人公のためだけに世界を用意してる。だからモブキャラの人生がどうなってもうちらはメガトン干渉しない」

「なんて悪魔だてめえらは! てめえらさえもっと幅広く人類を愛していれば、もっと世の中は……世の中は……っ!」

 まずい。慰めようと思っていたのにまた心が捻れそうだ。

 あたしは必死に彼をフォローする。

「ま、まあまあーこれはしょーがないの。世界は一つの物語だから。あたしらだって全知全能っぽいだけで本当に全知全能なわけじゃない。あくまであらすじの通りに執筆するだけの作業人なんだからー」

 それは嘘じゃない。嘘じゃないからイズミルも反論できない。それにあたしたちがこの世界書を開いた時すでに世界はある程度出来ていた。イズミルが生まれてから今までのことにおいては全く干渉していないのだ。どうすることもできないのは厳然たる事実。

 となれば当然、イズミルの疑問はこれになる。

「ぐ……っ。じゃあそのあらすじを用意してるのって誰だよ?」

「「「夏御蜜柑」」」

 あたし達は同時に答えた。

「誰だそりゃ?」

 あれ? まだ言ってなかったっけ?

「世界書館を作った者。超知超能の存在。そしてあたしたちを紙様にしてくれた者」

「人じゃないから、者って言い方してるです」

 リアンが補足する。

 まあわかりやすく言えば、紙様の紙様といったところか。何でも矛盾が具現化した存在らしく、全ての平行世界が誕生するその前から存在していた全概念唯一の存在、らしい。

 矛盾それ自体がカタチになったものだから、概念がなくても存在できるのだとか。難しいことはあたしにはよくわからないから、取り敢えず便宜的に紙様の紙様で通している。

 イズミルはそんな説明を受けて、拳をぶるぶると震わせた。

「夏御蜜柑……そうか、そいつが……許さねえ。よくも俺を主役にしなかったな!」

「あ、それなんだー起こってた理由」

「悪いかよ!」

「いやーてっきり理不尽に命を奪われた多くの人たちへの義憤にかられていたのかとー」

 あたしみたいに。

「うぐっ! い、いや、まあ、それはだな、うむ。それもあるぞ、勿論」

「なかったんだねー」

「なかったんですわね」

「そういう正直なイズミル様も、素敵です」

「やかましわお前ら!」

 空気が戻ったいいことだ。おそらくあたしとイズミルの違いは、あたしは単にいじめられっ子だっただけで主人公がいなかったけど、イズミルにはすぐ近くにいた。

 この差が彼の劣等感を加速させてしまったのだろう。

 さあ、雑談は終わりだ。さっそく小屋に入って睡眠を取ることにしよう。

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