創世生活(4)

 あたしは解放されたリアンに向けて叫ぶ。

「リアン!」

「え? この声は……弥美?」

 きょろきょろとリアンが周囲を見回す。だが左右ではダメだ。

「上だよ上ー」

「あ……弥美! そこにいたんですか。えと、うちどうすれば……」

 気付いてくれたようだ。

「浮けない?」

 リアンはぴょんと飛んでみる。だがそれは普通のジャンプだった。

「ん……えいっ。ダメみたい……うち、メガトン浮けない、です」

 相変わらずのメガトン節。それでこそリアンだ。

 でも、だからどうしたという話だ。

「ああもう、どうしたらいいんだよーっ!」

 あたしは天を仰ぎ、頭痛を抑えるように側頭部を強く押さえた。

 すると、イズミルがちょいちょいと背中をつっついてくる。

「なあ」

「何イズミル?」

「俺の里でだけかもしれないんだが、壊れたモノは叩けば治るということわざがあってな」

「それあたしの故郷にもあったね」

「わたくしの故郷にも」

「うちにも」

 皆一様に頷く。そしてはっとなる。

「で、ま、まさか……」

 スミルナの声が震える。

「もう一回磁場をねじってみようと思うんだが、どうだ?」

 ああ、やっぱり。

「失敗したらどうするんですの?」

 それは至極もっともな懸念。スミルナの顔はかなり険しく、そして青い。

「でもこのままじゃ物語は書けないぜ」

「そうなんだよねー。リアンには浮いて貰わないといけないし、あたしらも下りなきゃダメな時もあるしー」

 背に腹は代えられなかった。決断せざるを得なかった。

「うーん。わかった! やってみよう!」

「弥美!?」

 スミルナの驚駭。だがそれを黙殺する。

「あたし深く考えるのとか苦手だもん!」

「よし、行くぞ」

 イズミルがまたもや手をずっと前に出す――刹那。

「うん! ど

ん 

  と       こー い

!」

「って    い               きなり

             で               すの !?」

「あ、あれ      こ、これって…                 …」

「どう    だぁ!?」

「って、   も

 戻して!  戻し てー」

「お、おう」

 世界は元に戻った。どうもこの改行圧縮は心臓に悪い。ゲシュタルト崩壊にでも導かれそうで見ていて不安になる。だが短い技だったためか、特に異変は発生していないようだ。イズミルも己の手をじっと見てコントロール感を把握しているようだ。

 狙ってバグを出せるようになってきたということだろうか。

「ふう。どうやら飛ばされなかったみたい」

「でも果たして浮けますか? リアン」

 スミルナがリアンに訊ねると、リアンは頷いて下半身にぐっと力を込める。そして――

「うち、メガトンやってみるです。えいっ」

 ふわり。空に浮き、そのまま高度を上げる。成功だ。

「おお、浮けた! やったねイズミル!」

 あたしはイズミルの手を取り、ぶんぶんと強く縦に振った。

「おう」

 イズミルは誇らしげにウインクした。

 どうやら機嫌も治ってくれたしい。よかったよかった。


 さて、空でついに一同が介した。長かった。本当に長かった。一体何ページ消費しただろうか。だがこれでようやく物語を紡げるのだ!しかしリアンはイズミルの存在に不安と不可思議を覚えているようで、これは説明してあげなければならなかった。

「えと……」

「あ、そうそう自己紹介しなきゃだねー。リアン、この人はイズミル」

 あたしが前に出て、イズミルを紹介する。

「よう」

 イズミルが軽く挙手した。リアンであるが、その第一声は――

「……紙様?」

 やはり、それだったか。無理もない。あたしはあははと笑った。

「違うよー。この世界の住人。だけどほら、何か気付かない?」

「改行だね」

 流石に気付くか。そりゃそうだ。でも、あたしはちょっと大げさにイズミルを紹介する。彼を立てるためにだ。男はプライドで生きていると聞いたことがあるし、実際イズミルのプライドはかなり高い。だから努めて立ててあげなければならないのだ。

「そうそう! この人はなんと改行能力を持っているんだよー!」

「そんな馬鹿な。メガトンありえないです」

 すっごい懐疑的な口調で眼鏡を直すリアン。うんうん、わかるよ。でも。

「でもありえるんだなーこれが。てか。えいっ」

 あたしはもう我慢できず、リアンに抱きつく。

「わ、や、弥美メガトン何するですか」

「やっと会えたね。嬉しいよリアン。ちゅ」

 頬に熱い口づけを。

「やめるですー。あーん」

 さらに頬ずり。もう止められない。と、言いたいが。

「も、もう。変なことしないで」

「ごめんねー」

 さすがに嫌がられたら止める。あたしは常識人だからだ。多分。

 と、リアンがあたしから離れるとイズミルの方をじっと見て、

「えーと、その……ぽ」

 何故か、頬を赤らめた。

「どうした?」

 それには答えず、リアンはイズミルに向けてぺこりと頭を下げた。

「リアン。うち、リアンって言うの。メガトンよろしく、です」

「おう。俺はイズミルだ」

「イズミル様……ですか」

「「様!?」」

 あたしとスミルナの驚愕がハモった。こればっかりは訊ねなければいけない。リアンの頬はタコみたいに赤く、目も泳がせ、口元が緩んでいる。これはつまり……。

「え、ねえリアン。あんたまさかー」

 しかしやはり答えず、リアンはイズミルに向けてのみ、声を発する。

「イズミル様には……その……あのー」

「なんだ?」

「メガトンおつきあいされてる女性とか、いますか?」

「「はぁ!?」」

 またもやハモってしまうあたしとスミルナ。

 いや、わかっていたけれど、実際言われるとそのパンチは強烈だったのだ。

「メガトンってなんだ?」

「とってもって意味です」

 いや、違うと思う。てかそういうことはどうでもよろしい。さて、イズミルであるが、ストライクゾーンにあるんだかないんだかわからないが、別に興奮する様子もなく、

「いや、いねえぞ」

 さらりとそう答えた。こういうことには動揺しないのね、あんた。

 てか、そういうことじゃない。

「ち、ちょっと待ってリアン!」

 あたしは乱暴にリアンの肩を掴む。ちょっと強く掴みすぎたか、リアンが顔をしかめた。

「何するですか」

 あたしは力を緩めつつ彼女に詰問する。

「この人はこの本の住人だよー、わかってる?」

「わかってる」

 リアンは即答した。

「あたしたは紙様。それもわかってるー?」

「勿論」

 またもやリアンは即答した。

「じゃ、何今のー」

「メガトン関係ないです」

「いや、いやいやいやいや! よくない、紙様が本の住人に一目惚れなんてありえない!」

「そうですわリアン! 置きを確かに!」

 スミルナも食ってかかるが、しかしリアンは、

「ぷいっ」

 と言ってそっぽ向いてしまった。

「ぷいっじゃなくてねー」

 これは流石に予想外だ。リアンめ、まさかイズミルに恋するなんて。

 一体彼のどこがいいんでしょう。読者さんわかります? 少なくともあたしにはわかんないです。さて、件のイズミルであるが、

「…………」

 何故か輪に入らずじっと下の方を見つめていた。その視線はどこまでも透徹としていて、感情が読めない。あたしはそんなイズミルをたしなめる。

「こらイズミル! あんたも何か言って……え? イズミル?」

「…………」

 透徹の双眼。まるで吸込まれそうな迫力。なんだこの目。恐怖がぞわわっと背筋に走る。

 そして、イズミルは重苦しい口調で言った。

「弥美。執筆しろ」

「え?」

「いいから執筆するんだ。俺はイニジエの先が見たい」

「イズミル……ま、まあーいいけどーあんた、まさか……」

 やはりイズミルの目に映るのはイニジエだけだったようだ。リアンはストライクゾーンの外。いや、というよりリアン以上にイニジエなのだ。

 彼の嫉妬。暴風のような嫉妬。そこに幸せはない。あたし達の会話に入る余地すらないほどに、彼は嫉妬しているのだ。その嫉みは、声となって現れる。

「弥美」

 でも、それに抗うことは出来なかった。

「わかったよー」

 なんのことかわからないリアンはくいっと首を傾げる。

「? メガトンどうしたですか?」

「リアンは、その、後でね」

 どうやらリアンの問題は先延ばしに出来るようだ。それはよかった。

 しかし……それほどまでに、イニジエが妬ましいの? イズミル。

 そんなにまで、主人公の座を欲しているの? そのことに気付いていないスミルナとリアンが暖気(のんき)な口調でほらがらに語り合っている。

「はあ。それにしてもついに地の文、台詞、句読点、そして改行が全部そろったですね」

「そうですわ。これでのびのびと執筆することができますの! ああ、改行と句読点がこんなにも文章を読みやすくするだなんて!」

「最高」

「ですわねー」

 それが、ちょっとだけ腹立たしかった。

「二人とも黙ってよー! 今執筆するんだからー!」

「「あ、はい」」

 地の文を司っている以上、物語を紡ぐのはあたしの役目だ。スミルナとリアンはその補助しか出来ない。

 イズミルのことを思うと紡ぐのは心苦しいが、物語を進めるためにもやるしかない。

 あたしの人差し指は万年筆。あたしが紡ぐは天地創造。あたしは紙様。

 第四の壁を結ぶモノ――




 先の女の子とははぐれてしまった。一期一会とは言うがもう少し長く触れ合いたかったという感情はある。もっとも将来を約束されているイニジエにとっては所詮些末なことでしかない。

 ほのかに記憶がぼやけてはいる。トネイロの村に辿り着いた瞬間、頭が朦朧としだしたのだけは覚えているが、それから何があったのか。それが皆目見当も付かないのだ。

 ただ結果として女の子は消えた。村の外に行ってしまったのかとイニジエは一端村から出てみるが、広く果てしなく続く荒野。夜が迫ってきているとはいってもまだまだ空は夕闇というには頼りないうっすらとした茜色に包まれている。あの短時間で姿を隠すモノなどどこにもない。女の子の姿が見えない以上、村の中にいると考えるのが自然だろう。

 ならばおそらくどこかで治療を受けているに違いない。あまり深追いしすぎてもいけないし、イニジエは今度こそ宿にありつこうと女の子のことは諦め、ふうと一息ついて村を探索しだした――途端。

「おお、勇者様!」「勇者様よ!」「勇者だ!」

 村人たちが一斉にイニジエの元へと駆け寄ってきた。その表情は一様に明るく、明確な歓待の色を示していた。

「え、えーと」

 といっても抵抗がないわけではなく、イニジエはどうしたものかと頭をぼりっと掻いた。

「よくぞ参られました」「ささ、お疲れでしょう。村長のお屋敷へどうぞ」「我ら一同歓迎いたします」

「は、はぁ」

 妙なことになった。といっても宿泊費もかからなそうだし、ごちそうにもありつけそうだ。ならばいいかとイニジエは気分を変えて朗らかな笑みを作り、彼らに導かれてゆくことにした。




「ど、どうかなーイズミル?」

 あたしはおずおずとイズミルに訊ねる。結果は――

「……ちっ」

 あ、やっぱり機嫌悪そう。でも。

「いや、何でもない。さ、執筆を続けようぜ」

 我慢してくれたようだ。それは嬉しい。嬉しいが――

「う、うん……」

 あたしは頷いた後、ぽつりとこぼす。

「イズミル……あんたー……」

 不穏。それが暗雲のように立ち籠もる。彼は危険だ。爆弾のようなものだ。でも、帰すわけにはいかなかった。ラタキーアの村にイズミルの居場所はないし、何より改行のためにも。それは火薬庫に油をまくような行為といえたかもしれない。

 でも、やらなければならないのが、辛いところだった。

 夜は静かに更けてゆく。

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