第39話 エピローグ 1
凛は、穏やかな日々を送っていた。一時期の、至る所に積もった綿埃や、スープにカビの生えたカップめんや、大挙するゴキブリや、ごみにまみれた布団などに埋もれていた彼女の部屋は、引っ越ししたばかりのように清潔になり、幽鬼そのものだった凛の形相は多少愁いは帯びているものの元の健康的なつやつやとしたリンゴのような顔に戻っていた。使い古したモップのようになっていた黒髪も元の質感を取り戻しオーロラのようにまばゆいばかりに輝いて見えた。
簡素なコットンの布きんで綺麗に水拭きされた衣装棚の上に、男の写真が立て掛けられている。俊介の遺影だ。そのあばた顔の遺影は何を語るでもなく、俊介の人柄そのままにただ静かに穏やかに、整理整頓された部屋と凛の新たな生活を見守っているのだった。
それまで百鬼夜行を引き連れていた凛がそのニュースを見たのは、今から2週間ほど前、小夜に復讐を強く願った1ヶ月後の事だった。ニュース(と言っても民放のゴシップショーまがいのものではあったが)では大きく、”何者かの呪い?連続爆裂死の真相は?”と銘打って、緊急特番コーナーが開かれていた。
絶望と呪詛にまみれた凛が画面を見ているその前で、万人受けする笑顔をたたえたながらも氷塊のように凛とした雰囲気を持った女性キャスターが、世間に名を広く知られたなすびのような容貌のコメディアンに語りかけている。
『地村さん、最近巷を騒がせています連続不審死ですが、また犠牲者が出たようです。』
『え~、そうなの奈々ちゃん?今度はどんな人が?』
間抜けそのものの声音だ。
『これまで、凶悪事件の容疑者ばかり狙いを定めて、現代に蘇った義賊かと言われていた殺人犯ですが、今回は普通の会社員が犠牲になったようですよ。』
『え~~、それは気の毒だね~。』
と、顔と同じくつぶれた冬瓜のように間延びした声でコメディアンが言いつつ、麗しい女性キャスター鈴川の用意したフリップを見やる。カメラがクローズアップされる。
「あっ。」
思わず凛はのけぞった。敏文だ、間違いない。あの、傲岸不遜な顎、人を射竦めるような小さな三白眼、悪徳商人のような濃く黒いあごひげ、汚く短くスポーツ刈りにされた髪、全てが最愛の兄を奪った呪うべき相手を表していた。
本能的に、母の眼を食い入るように見つめる赤子のように、あるいはやっとの思いで海底に見つけた宝を得意の瞳で見つめるトレジャーハンターのように、14インチの長方形の平面を穴が開くほどじっと見つめ、そして一言一句聞き漏らすまいと女性ニュースキャスターの解説に耳を澄ます。
『はい、事件の状況は次のようです。昨日午後3時ごろ、磐田市福田に住む鈴木敏文さんが自宅にて何者かに殺害された模様です。殺害された様子がこれまでの凶悪犯とまったく同じ、首だけの姿になって家族に発見された模様で、警察は急遽捜査本部を立ち上げ、他の事件との因果関係について調査を開始したとの事です。』
『その犯人、一般人に手を出すようになったなんて、やっぱり頭のおかしいやつなんだよ!』
地村が、その腐ったかぼちゃのようなでっぷりと太った身体をカメラの前に揺らしながら、さも訳知り顔で何度もうなずいて当たり前のコメントを返す。
「ぷっ。あははははははははは!!!」
そのあまりに何も考えない滑稽で無頓着な物言いに、そして何よりその衝撃のニュースに、凛は、苔むすまでがちがちに凝り固まっていた呪縛をほどき、一瞬にして笑い転げる。杏や丸尾がその場にいたならば、気が違ったかとでも思い凛にむしゃぶりついたであろうほどのテンションであった。
その後20分ほどつづいたホラー特番を見終わると、凛は一人、上を向き目をつぶった。
「お兄ちゃん、終わったよ。」
スッと凛の両の瞳から涙が流れる。俊介の思い出をかみしめ、凛はいつまでもいつまでもそうしているのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます